第五百二話「文化祭準備」
ついに木曜日となった。文化祭は明日だ。今日は一日を全て文化祭の準備に当てられている。まだ完全に準備が終わっていないクラスは今もてんやわんやで大慌てだ。まだ朝も始まっていないのにすでに各自が早めに登校してきて作業を進めている。
でも一年三組はもうほとんど準備も終わっているし、むしろ今日一日丸々文化祭の準備となると時間が余りすぎるくらい余ってしまうと思う。そんなことを思いながらいつもの時間に教室に入ると、さすがに今日はすでに皆も来ていた。
「御機嫌よう皆さん」
「御機嫌よう、咲耶ちゃん」
「咲耶ちゃん、おはようございます」
「咲耶様おはようございます!」
「おっはよー!」
「御機嫌よう」
皆と挨拶を交わしながら席へと向かう。皆はもう来ているけど別に文化祭の準備や作業をしているわけじゃない。ただいつもより早く来てお話をしていただけのようだ。
「正直うちのクラスは余裕ですね」
「まぁ……。でも思わぬアクシデントが発生することもありますから、最後まで気を抜かずにいきましょう」
「「「はーい」」」
皆でおしゃべりしていると時間が経つのも早い。あっという間に時間になり、先生が朝のホームルームをしてから文化祭の準備が動き始めた。
クッキーも昨日全部焼き上げてうまくいったし、一年三組のすることと言えばあとは教室をお店に改装することだけだ。ただ教室だけじゃなくて窓の外にも手を加えなければならない。あと各クラスとも自分の教室以外にも飾りつけを担当しなければならない場所がある。そちらにも人手を出さなければならない。
「飾りつけ班はこっちよ!」
「クッキーの仕分け班はこちらへ~」
「男子は外のテント設置頑張ってね!」
事前に担当は決まっているので皆班長に従って分かれていく。何でも俺は『総轄』だそうで壇上に座って管理するのが仕事だと言われている。
まず一番分かりにくいであろう外のテントについて確認する。俺達の出し物は喫茶店だけど普通の教室にはガスも水道もない。湯沸しは電気ですることになったけど教室で洗い物は出来ないのがネックだった。そこで窓から外に洗い物を渡して、校舎の外を通って給湯室まで洗い物を運ぶことになっている。
ただこれがそのまま窓から外の人に洗い物を渡せば良いというほど単純じゃない。一つは校舎の外と中の教室の高さが少し違う。外から教室の中を覗けるくらいの高さの差しかないけどそれでも校舎内の方が高い。というわけでスムーズに受け渡ししたり、万が一落としてしまったりしないようにするために窓の外に足場を設けることになっている。
そして次に校舎の外は当然日除けが何もない。一年三組の教室の外から給湯室の外まで完全に外の状態だ。これでは不便や問題が色々とある。良家の子息子女を炎天下の中、外にずっと立たせておくなんて以ての外。それに一応当日は雨が降らない天気予報になっているけど万が一にも雨が降らないとも限らない。
今回は雨が降らない予報になっているけど、日除け、紫外線対策、雨対策など諸々含めて外にテントを張ることになっていた。それを建てるのは男子の仕事だ。
さらに使用済みの食器や、洗い終わった食器を置いておくのに外にテーブルも設置することになっている。いくら外とはいえ藤花学園のクラスともあろうものが会議用の折りたたみテーブルを置いておくというわけにはいかない。
外担当の班がする仕事は、移動部分全体にテントの設置、足場の設置、その周囲を手すりなどで囲い安全対策、テーブルの設置などを行うことになる。
内装担当はパーテーションやカーテンで教室内を間仕切り、客用スペースは机や椅子を配置して飾りつける。また教室内全体も飾り付けなければならない。飾りつけは七夕祭で色々とやってきた経験があるからそれほど問題はないだろう。
椅子やテーブルは普通に教室で使っている物などを利用することになっている。それらを飾り付けるのも手作りの物なのであまり予算はかかっていない。皆が絵を描いたり、染めたり、寄せ書きのように色々とメッセージを書き込んだテーブルクロスなどが敷かれている。
使う食器類などもそんな感じで用意したものだけど、食器や内装関係の物はもう作り終わっているので今日はその作業はない。今日はあくまで完成したそれらを使って内装を飾るだけだ。
一部の者は学園全体の飾りつけなどに協力しなければならないからそちらに出向いている。それも担当の場所があるだろうけど生徒会か何かが細かく指示するだろうからこちらから何か言うことはない。
「それでこれは……?」
俺は一部の子達が担当している作業を眺めてみた。これは俺の知らない内容だ。やってることは見ればわかるけど……。
「はい!こちらではお持ち帰り用のクッキーのラッピングをしています!」
「なるほど?」
見たまんまの内容なのでそれ自体に特に驚きはない。このグループの子達は紙袋にクッキーを入れてから閉じてラッピングをしている。それは良いけど……。
「この袋には私の顔のようなものが印刷されているようですが?」
デフォルメされているけどどう見ても俺にしか見えない。そういうキャラクターが描かれた紙袋にクッキーを三枚ずつ入れていた。
「はい!これは咲耶様が手作りされた分を入れる袋です!こっちは私なんですよ!」
そう言って薊ちゃんが見せてくれた紙袋には確かに薊ちゃんっぽい絵が描かれている。デフォルメされているけど特徴をよく捉えているから見ただけで薊ちゃんとわかる仕上がりだ。
「そちらの袋とこちらの袋で内容量が違うようですが……」
俺の顔が描かれている袋にはクッキーが三枚しか入っていない。それに比べて薊ちゃん達が描かれている袋には十枚ずつ入っている。
「九条様がお作りになったクッキーは三枚千円です。他の九条様派閥の方々がお作りになられたものは十枚三百円です。その他の三組の生徒が作った物は十枚百円です」
「…………は?え……?はあぁぁっ!?」
千円っ!?クッキーたった三枚が千円!?どんなボッタクリだ!?
「いや……、待ってください……。私は昨日六百枚焼きましたよね?」
俺に割り当てられていたクッキーの枚数は六百枚だった。皆が一通りクッキーを作った後は、ひたすら俺が作ったクッキーを全てのオーブンで焼いていたくらいだ。
「はい。バタークッキー三百枚、チョコチップクッキー三百枚、確かに六百枚作っていただきました。そのうち百五十枚ずつを店内提供用とお持ち帰り用に分けているんです」
え?待って。三枚千円のクッキーを三百枚販売するってこと?…………それだけで十万になるんじゃない?え?違うよね?え?嘘……。それどんなボッタクリだよ!?
「そんなボッタクリ価格で売れるはずないのでは……?」
「あっ!売れ残ったら私が全部買いますよ!」
「薊だけに買わせません!私も買えるだけ買います!」
「九条様が手ずから作ってくださったクッキーですもの……」
「千円どころか一万円でも買います!」
え……?え……?この人達何を言ってるの?冗談だよね?誰が普通に素人が焼いたクッキーを三枚千円で買うの?
藤花学園の生徒達にとって千円や一万円なんて紙切れみたいなものだというのは良いよ。そこは否定しない。そういう家が多く集まっているのが藤花学園という場所だ。でもいくら一万円札を鼻紙代わりにしているような家だったとしても、そこらの素人中等科生が作ったクッキーを三枚千円で買うなんて馬鹿で無駄な使い方はしない。
人は掃いて捨てるほどお金を持っているからといって、まったく意味もなく無駄なお金を使ったりはしない。年収一億円だからといってゴミを百万円で買ったりはしないだろう。
「それに袋の数が物凄いことになっていませんか?他のクラスメイトの分は少ししかないではありませんか……」
一応クラスメイト全員にそれぞれ個人が作ったクッキーの袋が用意されている。でも俺達のグループ以外の子の分は無地無柄の紙袋にマジックで名前を書いてあるだけだ。俺達のグループの子の分だけデフォルメされたキャラクターが描かれて印刷されている。
また袋の数が普通のクラスメイト達は一人一袋しかない。それなのに俺達のグループの子達は十袋、そして俺に至っては百袋になるらしい。これはどう考えてもおかしい。というか俺にこんなことは一切知らされていなかった。これってもしかして新手のイジメなんじゃないのか?
「咲耶様の分が売れ残ることなんて絶対にあり得ませんよ!でも万が一売れ残っても私達皆が奪い合うので最終的に残ることは絶対にありません!安心してください!」
安心出来ません!というかむしろそんなことをされる方が困ります!
「皆さん、いくら何でもこの数や値段はおかしいでしょう?考え直しましょう?」
「そうは言われても咲耶様印の紙袋はもうこれだけ用意されていますし、販売価格も上げることはあっても下げることはありませんよ!」
「そうですよね……。当初は一万円にしてはどうかと言っていましたし……」
「咲耶ちゃんが嫌がるだろうからってことで千円にしたんですよ」
そりゃ一万円になんて設定されてたら嫌どころの話じゃないだろう。千円にしておいてくれてよかった……、ってなるか!千円でも高いわ!三枚千円、一枚三百三十三円ってどんな高級クッキーだよ!
「もうそれで学園に登録してあるので今更変更不可能ですよ」
「うぐっ……」
そうだ……。文化祭は俺達がここで思いつきで自由に値段設定とかを変えられるようなものじゃない。事前に学園に申請して許可を貰っている。当日に売れ行きが悪いから値下げしようとか、ボッタクリ価格に吊り上げようということは出来ないようになっている。
それにしてもよく学園もこんなボッタクリ価格を許可したものだ……。普通なら世間一般から逸脱したような価格設定をすれば許可が下りないはずなのに……。まさか皆がまた学園に何か圧力をかけたりとかしてないだろうな?
「そんなことより咲耶ちゃん!暇なら一緒に内装の準備をしましょう?」
「おうふっ……」
蓮華ちゃんが俺の腕に抱き付きながらそんなことを言ってきた。耳元で囁かれる蓮華ちゃんの可愛い声。腕に押し当てられている柔らかい胸。伝わってくる温もり。
「蓮華!ずるいわよ!さぁ咲耶様!私も内装の飾りつけをしますから!一緒にしましょう!」
「あっ、薊ちゃんまで……」
蓮華ちゃんの逆に薊ちゃんまで抱きついて来た。両腕にぽよんぽよんが当てられて何も考えられない。俺は二人に引っ張られるまま内装の手伝いに回った。
「咲耶ちゃん、ちょっとこっちを持っていてください」
「はい……、ぶっ!ちょっ!蓮華ちゃん!」
渡された飾りつけの一端を持っていると蓮華ちゃんが椅子に乗って俺の方にお尻を突き出していた。目の前に蓮華ちゃんの艶かしい脚が見えている。もちろん下着が見えるなんてことはない。俺達は十分な長さのスカートを穿いているし、蓮華ちゃんが男子に下着を見られるようなことをするはずもない。
ただこうしてお尻をこちらに突き出して、脚やお尻が目の前にあったら……、意識しないわけがない。普段はちょっとオカルトチックな蓮華ちゃんだけど、黙っていたら大人しい深窓のご令嬢という感じだ。そんな可愛い女の子が自分に向けてお尻を突き出していたら……、男なら誰でも興奮するに決まっている!
「むっ!蓮華やるわね……。咲耶様ぁ、ちょっとこっちも持ってもらえますかぁ?」
「薊ちゃん……」
何か薊ちゃんにしては猫なで声のような変なしゃべり方だけど、とにかく蓮華ちゃんのこの目の前でフリフリされているお尻から逃れるためにそちらを向いてみれば……。
「ぶっ!?」
「咲耶様ぁ、は、や、くぅ~」
机の上に座った薊ちゃんはこちらに向かって座っていた。そう。椅子よりも高い机の上に自分の方に向いてスカートを穿いた女の子が座っていたらどうなるか。わかるだろう?紳士の諸君にはよくわかるはずだ。太腿の間からチラチラ見えそうで見えない薊ちゃんのデルタゾーンが正面にあるということが!
「ちょっと机がガタガタするんでぇ、支えていてくださぁい。ね?さ・く・や・さ・まぁ~」
「~~~~~っ!薊ちゃん!いくら何でもこれは駄目ですよ!」
「きゃっ!」
俺は慌てて薊ちゃんを机の上から降ろした。俺達は教室の隅の方で、薊ちゃんは俺の前で俺の方に向いていた。俺の後ろには蓮華ちゃんしかいないから他の人物に見られるという可能性は限りなく低い。でも薊ちゃんがこんな安易に人のいる場所でこんなことをして良いはずがない。
「ごっ、ごめんなさい咲耶様……。調子に乗りすぎ……」
「そんなことはどうでも良いのです!もし、万が一にも他の方に見られたらどうするのですか!私は……、薊ちゃんのそんな姿を他の人に見られるなんて嫌です!」
「咲耶様……」
「薊ちゃん……」
俺の想いが伝わったのか、薊ちゃんが少し恥らったような表情をしていた。ようやく俺の言いたいことが伝わったようだ。
「んんっ!咲耶ちゃん?薊?ここ……、教室なのですけど?」
「「……あ」」
薊ちゃんと見詰め合っていると間に入ってきた皐月ちゃんに押し退けられてしまった。二人の距離が離れると同時に今ここがどこで、何の時間だったのか思い出した俺と薊ちゃんは一瞬にして頬が赤くなった。自分の頬は見えないけど熱でわかる。カァッと熱くなっている。
その後は妙にくっついてくるグループの皆と楽しく文化祭の準備をして、俺の焼いたクッキーがボッタクリ価格設定にされていることはすっかり忘れていたのだった。




