第四十五話「気付く」
あー!茶会が無事に終わってよかった!母にも一応合格点は貰えたし後は皆の反応次第だ。
昨日は茶会が終わった開放感からすっきり眠れた。ここの所気になってなかなかゆっくり寝付けなかったからな。でも無事に終わったお陰でぐっすり眠れた。問題は今日だ。今日学園で皆の反応を見てみないとまだ安心は出来ない。
薊ちゃんはあれだけ硬くなっていたし少々失敗をしてしまった。まぁ失敗っていうほどでもないんだけど正客としてはどうかなという所だ。俺としては可愛い感じだったと思うけど本人や周りが気にしていないだろうか。
そして問題なのが椿ちゃんだ。椿ちゃんは茶会もお詰めも卒なくこなしていたし結構茶道に自信があったんだろう。そんな椿ちゃんからしたら昨日のあれでは少々物足りなかったかもしれない。昨日の茶会はあくまで初心者達による初々しい茶会をコンセプトにしていた。だから本格的なものを希望している人には物足りなかっただろう。
椿ちゃんは最初からあれだけ乗り気だったし、実際茶会でも相当なものだった。折角楽しみにしていた茶会があんな感じだったらもしかして椿ちゃんには不満の残る茶会になってしまったかもしれない。
とはいえ俺にあれ以上を求められても困る。百地流で茶の湯もちょっと習っているとはいっても俺の場合は茶の湯がメインなわけでもないし、回数や期間はほんの少しだ。ほとんど素人同然だと言っても過言じゃない。そんな俺にあれ以上を求められても無理なものは無理だというしかないだろう。
昨日のだって何とかボロを出さないようにギリギリ精一杯取り繕ってあれだ。でもあれでも椿ちゃんくらいの相手なら俺が大したことがないと見抜かれていたかもしれない。あくまで初心者の子供の集まりという体にして誤魔化したけど椿ちゃんは納得してくれただろうか……。
「あ、皐月ちゃん、御機嫌よう」
「御機嫌よう」
教室に入るといつも通りに皐月ちゃんが先に来ていた。他にも何人か生徒がチラホラいるけど皐月ちゃんは一体どれくらいに来ているんだろう。俺は兄と一緒の車で来ているし朝食も皆揃ってだから勝手に今より早く来るということは出来ない。俺の方が皐月ちゃんより先に来るなんて日は来ないだろう。
自分の席に着いて荷物を置いて暫くすると徐々に生徒達が増え始める。皆挨拶しているけど相変わらず俺に挨拶してくれる子はいない。噂も随分下火になったはずだけどまだ遠巻きに見られているという感じかな。
まぁ……、噂が広まる前から遠巻きに見られているだけだったからもとに戻っただけとも言えるか。噂も信じられなくなったわけじゃなくて、ただいつまでも同じ話題ばかりずっと言ってられないから言わなくなってきただけって感じかな。結局状況はあまり好転していないということだろう。
「おはよう!」
「おはようございますアザミ様」
「アザミ様ごきげんよう」
「アザミちゃんおはよう」
そんなことを考えている間に元気良く扉を開け放って薊ちゃんが登校してきた。薊ちゃんが声をかけると教室中から返事が返ってくる。いや……、いつもそう言ってるけど別にうらやましくなんてないよ?ほんとだよ?
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう薊ちゃん」
俺の前に来た薊ちゃんはここ最近恒例となった俺への挨拶をしていく。時々元気がない時もあるけど今日は滅茶苦茶元気だから昨日の失敗はあまり気にしていないようだ。むしろ元気が良すぎる。何か良いことでもあったんだろうか?
「薊ちゃん随分ご機嫌ですね?何か良いことでもありましたか?」
「はいっ!昨日の咲耶様のお美しい姿を見られたのであれだけでご飯三杯はいけます!」
「……え?」
「あ……」
ご飯三杯はいける?何か今薊ちゃんがそう言った気がする……。聞き間違いか?
まさかな……。上流階級の家に生まれ育ったご令嬢である薊ちゃんがそんな言い回しをするはずがない。きっと何かの聞き間違いだろう。
「じゅっ、授業の準備があるので失礼しますね!それじゃ!」
「ぁ……」
俺が何か言う暇もなく薊ちゃんは自分の席へと向かった。呼び止めてまで話すこともないし理由も告げられているのにそれを止める理由はない。どうせまた休憩時間やお昼休みになったら話すことになるだろう。お昼休みになったら昨日のことを皆にもそれとなく聞いてみるとするか……。
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お昼休みに皆で揃って……、昨日の話題を振ろうと思っていたけど俺が聞くまでもなかった。食事を終えてから皆が話し出したのは昨日の茶会についてだったからだ。
「昨日の茶会とっても素晴らしかったです!」
「あっ、ありがとうございます?」
開口一番にそう言ったのは椿ちゃんだった。俺の予想というか、一番有り得る可能性としては椿ちゃんは昨日の茶会程度では満足出来なかった可能性はあるかと思ったけど……、これは気を使ってくれているんだろうな。
茶会にも最初から乗り気だったしお詰めも卒なくこなしていた。多分椿ちゃんにとっては先生が生徒達が失敗しながら試行錯誤しているのを温かく見守っているくらいの感じだったんだろう。
「椿ちゃんには物足りないものだったかもしれませんが……」
「いいえ!そのようなことはありません!大変素晴らしい茶会でした!是非、今度は是非家に来てください!」
俺の言葉を遮って椿ちゃんは立ち上がると俺の両手を握って強く……、強くそう言ってきた。でも勘弁してください。俺は本当に作法とか茶の湯とか苦手なんです……。薊ちゃんの気持ちや茜ちゃんの気持ちが良くわかる……。もうこりごりだ。
「機会があれば考えさせていただきます……」
やんわり椿ちゃんの誘いを断っておく。またあんなことさせられるかと思ったら堪ったものじゃない。今後一生しないというわけにはいかないだろうけど……。
いや……、待てよ?
そうだよな。どうせ俺達はこれからご令嬢として生きていくつもりなら今後二度としないと避けて通るわけにはいかない。絶対どこかでまたしなければならなくなるはずだ。その時に恥をかくよりも今のうちに……、皆がまだそれほど慣れていない間に一緒に慣れておいた方がいいのか?
「咲耶様のお姿……、とてもお美しかったわぁ……」
「確かに……、まるで先生のお手本みたいでした」
俺がそんなことを考えていると薊ちゃんがそんなことを言い出した。薊ちゃんに続いて皆で俺を持ち上げるようなことを言ってくる。
うあぁぁ~~~っ!やめてくれぇぇぇ~~~っ!それって絶対笑われてる!ご令嬢達なりのフォローのつもりなんだろうけどこれって一種の嫌味にも聞こえる!この子達がそこまで考えて言っているとは思わないけど俺をフォローしてくれているつもりでかえって貶めている!
俺は師匠にも母にも怒られてばかりだ。全然なってないっていつも言われる。今回の茶会はコンセプトを初心者向けにしたことで初心者でも何とか取り繕えたけど本格的な茶会や茶事になんて到底出られないようなものだ。それをこうしてフォローされたら余計に恥ずかしい!
「咲耶ちゃんとってもよかったよ!」
「あっ、ありがとうございます……」
河鰭譲葉ちゃんが屈託のない笑顔でそう言ってくる……。くっ!今の俺には譲葉ちゃんのその笑顔は痛い。
譲葉ちゃんは前から割と俺にフレンドリーというかあまり遠慮のないタイプの子だ。いつも薊ちゃんを『アザミちゃん』呼ばわりしているのがこの子だ。派閥の長である薊ちゃんにもあれだけ遠慮がないんだから俺に対してもそんなに壁はない。
とても気さくだし話しやすいんだけどこの屈託のない笑顔が時として凶器になる。薊ちゃんや俺のようなちょこちょこ失敗しやすいタイプは割と皆の前で失敗したりして恥をかくことがある。でも譲葉ちゃんはそういう時に遠慮や配慮もなくズゲッと言ってしまうタイプだ。
本人に悪気はないんだろうけど言われる方としては結構堪える。かといって譲葉ちゃんに文句を言うのも違うだろう?それは失敗した本人が悪いのであってそれをつい正直に追及してしまったとしても譲葉ちゃんに責任はない。しかも本人は悪意もなくこの屈託ない笑顔で言ってくるからさすがの薊ちゃんも怒るに怒れないようだ。
「そうですね……。あれくらいの会ならばまた参加してみたいです。私も本格的なものには自信がありませんので……。咲耶様のお気遣いに感謝です」
「喜んでいただけたのならよかったです」
そして今遠慮がちに話したのが武者小路蓮華ちゃん。いつも遠慮がちで丁寧な椿ちゃんよりまだ一歩引いているような感じがする。椿ちゃんは丁寧なだけで最近は少し打ち解けてきたかなと思うけど蓮華ちゃんはまだ何か遠いというか何というか……。
薊ちゃん、茜ちゃん、椿ちゃん、譲葉ちゃん、蓮華ちゃんの五人が薊ちゃんグループだ。他にも薊ちゃんに従っている子はいるけどいつもつるんでいるのはこの五人ということになる。
ゲーム『恋花』の時はこの五人が咲耶お嬢様の取り巻きだった。そこに皐月ちゃんを加えた六人というべきか。皐月ちゃんにも親しい友人や裏の働き手というか諜報員というか……、そういうのがいると思うけどゲーム中ではっきり示されたことはない。
薊ちゃんグループとも随分親しくなれたと思うけどまだ茜ちゃんと蓮華ちゃんはちょっと距離を感じるな……。それに比べて椿ちゃんは一気に仲良くなれた気がする。というか近い……。何故か知らないけど今日は椿ちゃんが俺の横に座っている。
いつもは俺と薊ちゃんが座っている向かいに四人が座るような配置が多かったのに今日は俺の隣に薊ちゃん、その逆に椿ちゃんという配置だ。しかも何かじーっと見られている気がしてならない。やたら視線を感じる。とてもやりにくい……。
そういえば……、皐月ちゃんはどうしているだろう……。もうこれほど経つというのに何だか皐月ちゃんとはあまり進展していない気がする。果たしてこのままでいいのか?
ゲーム『恋に咲く花』では咲耶お嬢様と皐月ちゃんの馴れ初めは明言されていない。最初から腹心として仕えているようなイメージだ。設定資料や製作サイドのインタビュー等でも明確に明かされてはいない。二人がいつ出会い、どうやって仲良くなったのか。
まぁいつっていうのはわかってるけど……。咲耶お嬢様の側近達は全員藤花学園初等科の頃からの付き合いだということは明示されている。だから皐月ちゃんもそうだろうという類推は出来る。だけどそれだって全員がいつどうやって、と言われているわけじゃない。あくまで藤花学園初等科の頃からの付き合いと言われているだけだ。
製作サイドからすれば咲耶お嬢様は数多く登場するキャラクターの一人であり、しかも敵役の噛ませ犬でしかない。そんなキャラクターの半生までいちいち全部きっちり考えていたわけでもないだろう。ただイメージで悪役令嬢ってこんなんじゃね?みたいなノリで作られている可能性はある。
でも……、ここは現実であって皆はゲームの登場人物じゃない。ゲームのようにその時に決められたシナリオに沿って動くだけのプログラムじゃなくて毎日を生きている生身の人間だ。
本当にこのままでいいのか?
ゲームならシナリオに沿って必ずこうなるという答えが存在する。高等科に入学すれば六人は咲耶お嬢様の取り巻きや側近として登場することになっていた。でもこの現実となった世界なら?
俺が取る行動や選択によって未来は変わる。それはもう証明されている。現にうちの母は明らかにゲーム時の咲耶お嬢様の母親とは別人になっている。各種の揉め事や今の俺、咲耶の評判もゲーム時とは随分違う。これは明らかに俺が『恋花』のシナリオを逸脱する選択をしているから世界が変わってきている影響だ。
じゃあ……、このまま俺が何もしなければ永遠に皐月ちゃんとは親しくなれないかもしれない。ゲームでそういう設定だったからという根拠にしがみ付くのは愚かだ。
もし……、万が一にも……、このまま皐月ちゃんとうまくお友達になれなかったら……。
「――ッ!」
いやだ!そんなの絶対にいやだ!皐月ちゃんが隣にいない咲耶お嬢様なんてあり得ない!
ちょっと俺はぼーっとしすぎだった。薊ちゃんのグループとは随分親しくなったけど代わりに俺は皐月ちゃんを放置しすぎだ。ようやくそのことに気付いた。
もっと……、どうにかしてもっと親しくなりたい。今のようにただ顔を合わせたらちょっと挨拶する程度の関係なんかじゃ駄目だ!
絶対に……、絶対に皐月ちゃんを…………。