第四百四十五話「聖母の微笑み」
花梨からこれまでの経緯を聞いた鬼灯と鈴蘭の瞳は揺れていた。
「そっ……、そんな……。それじゃ私達は……」
「…………ん」
「今まで騙していてごめんなさい……」
言葉を聞いたはずなのに頭が理解することを拒否している。そして理屈で理解しても感情が納得しない。まさかそんなことが……、と思って飲み込めず、自分の中で消化しきれない。
「――ッ!」
「あっ!河村さん!」
「……ん」
まだ理解も納得も出来ていないが、それでもハッとした鬼灯は駆け出した。さっき柾が飛び出した所だ。きっと早とちりして九条咲耶の、いや、九条咲耶様の下へ向かったに違いない。このままでは余計な迷惑をかけてしまうと鬼灯も中等科五北会のサロンを目指す。
五北会には特別な部屋が用意されており、放課後はそのサロンに集まっているはずだ。一体中で何が行われているのかは部外者である自分達にはわからないが、五北会メンバーのほとんどは放課後にサロンに集まっていることはわかっている。ならば五北会の中心人物である九条咲耶様もそこにいるに違いない。そして柾が向かったのもそこだろう。
「……ん!鬼灯、速い……」
「河村さ……」
「くっ!」
二人の声が遠くなるが気にしている暇はない。鬼灯は陸上部で鍛えられている自慢の足で五北会サロンへと急いだのだった。
~~~~~~~
今まで五北会サロンへは来たことがなかったが、その場所くらいは大まかに聞いていた。五北会サロンのあるフロアを探していると何やら言い争う声が聞こえてきた。立派な扉が開け放たれておりそこから声が聞こえる。遅かったかと思いながらも鬼灯はそこへと飛び込んだ。
「まっ、待って!ハァ……、ハァ……、ちっ、違うの……」
「河村さん……、君までここに来ることはなかったんだよ」
駆け込んだサロンの様子からしてかなり最悪に近い状況であることが窺える。部屋の中央には押小路柾が立ち、正面には九条咲耶様が座り、その前には最側近の女王達が立っている。そしてそれを囲むように五北会メンバー達が周囲に並び、中央で柾と最も近づいて立っているのは近衛伊吹だ。
どう考えても柾が五北会サロンに乗り込み、周囲全てを敵に回してしまっている状況にしか見えない。
堂上家の中でも下位の半家の、さらにその中でもかなり下位の方である萩原紫苑のパーティーでもあれほどだったのだ。ましてや堂上家の中でも最上位ばかりを選りすぐった五北会メンバー達が、一体どれほどの力を持っているかは考えるまでもない。それがわからない柾でもないはずなのに、どうしてこんなことになっているのか。
「ハァ……、フゥ……。……えっと、押小路君……、冷静に聞いて……。実は……、私達のイジメに九条さん……、あっ!九条様は関わってなかったの!ううん。それどころか、花梨を通して私達のことを助けてくれていたのよ!」
「…………は?」
「「「「「…………」」」」」
鬼灯の言葉に柾はポカンとした顔をしていた。そして周囲を囲む五北会の面々の表情が一層厳しくなった気がした。それはそうだろう。恐らくだが柾は問答無用で五北会サロンに乗り込み、九条咲耶様が悪者だと散々主張したに違いない。それが今更『全て勘違いでした』と言って笑って許してもらえるはずもない。
証拠もなく五北会サロンに乗り込み、謂れなき罪で相手を断罪しようとした。そんな事件が起こったら……、それも学園の、いや、この国の権力の中枢を握る本当のトップ集団にそんなことをすれば……、いくら地下家の中では最上位格の押小路家といえど柾を庇い切れるとは思えない。
これだけの面々を敵にしてしまっては、押小路家を存続させるためには柾を勘当するか、良くて出家させてどこかの寺にでも入れてしまうしかないのではないか。それどころか下手をすれば本当に一家丸ごと消されてしまうかもしれない。鬼灯はそう思い至って青褪めた。
だが……、そこでへたれている場合ではない。今ここで自分が動かなければ本当に柾が消されてしまう。そう思った鬼灯はぐっと唇を噛むと一歩前に出た。
「九条さん、あっ!いえ、九条様!私達は……、私は今まで勝手なイメージで勘違いして九条様が悪い人だと決め付けて、自分達のイジメにも関わっていると思い込んでいました!でもそれどころか吉田花梨さんを通じて私達を助けてくれていた……。何と言っていいかわかりませんが……、押小路君の勘違いを助長させたのも私達なんです。ですからどうか押小路君のしたことの罰は私に与えてください!」
「「「「「…………」」」」」
五北会メンバー達に囲まれた中央へと一歩、また一歩と進みながらそう告白する。とても怖い。ここは化け物の巣窟だ。ここにいる一人一人が自分、いや、それどころか四組の全員を合わせた所で一息で吹き飛ばしてしまうような化け物の集まりだ。そんな化け物達に品定めされるかのように見られている。それだけで逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。
だが逃げ出すわけにはいかない。今ここで自分が逃げ出せば押小路柾が今回の件の責任を取らされるだろう。
五北会サロンに乗り込むなどという無謀で馬鹿なことをしたのは押小路柾自身だが、イジメの件で協力してもらい、まるで九条咲耶様が首謀者であるかのように話してしまったのは自分達だ。もちろん柾もそう言い出したしそう思い込んでいたのは柾の方でもある。だが自分達もそれを否定しないどころか、一緒になってそうだそうだと言っていた。
柾の勘違いや暴走はあったとしても、イジメられていた自分達を助けようとしてくれた結果であり、それを自分達は知らないなどと言えるはずもない。自分達の退学や、お家お取り潰しを覚悟してでも柾と押小路家は守らなければならない。
「ハァ……、ハァ……。九条様……、申し訳ありません……。私……、私は……、どうしても耐えられずにお二人に話してしまいました……」
「…………ん。聞いた……」
そこへ遅れて花梨と鈴蘭が到着した。二人も急いで走ってきたのか肩で息をしている。それでものろのろとサロンに入り鬼灯に並んで、正面に座る女帝、九条咲耶様に向かって頭を下げた。
「言われていることの意味がわかりませんが……」
「「「…………」」」
扇子で口元を隠し、遠くへ視線を向けながら九条咲耶様はそう言われた。五北会メンバー達も首を傾げてヒソヒソと言い合う。
「九条様の指示で花梨が陰ながら私達の手助けをしてくれていたことはもう聞いています!」
「そうです!私は九条様に言われたからお二人に近づいたんです!私一人だったらきっと今でも何も出来ずに四組で怯えていただけです!全ては九条様が背中を押し、尽力してくださったから出来たことなんです!」
「……ん!ん!」
鬼灯、花梨、鈴蘭は必死で訴えた。花梨はもし自分一人だけだったならばイジメられていた鬼灯達に話しかけることなど出来なかったと。それを背中を押し、全ての責任を負い、手助けしてくれた九条様がおられたお陰で二人を助けることが出来たのだと。
鬼灯と鈴蘭は今までどれほど助けられたのか。それどころか自分達の知らない所で、もっと他にも数多く助けられていたことを花梨から聞かされた全てを話した。
「だから九条さん、あっ、九条様のお陰で私達は助かったんです!とても感謝しています!」
「……ん!感謝してる!」
「九条様がそのような……」
「やはり九条様は……」
五北会メンバー達もヒソヒソ話が盛り上がる。今までは断片的な情報しかなかったが、当事者である鬼灯や鈴蘭や花梨がやってきて説明したお陰で、その内情について多少なりとも知ることが出来たからだ。そして全ての注目が完璧女帝、九条咲耶様に集まる。
「さて……、何のことかわかりません」
「「「…………え?」」」
頭を下げた三人は驚いて顔を上げる。しかし九条咲耶様は表情を変えることなくそう言った。
「私はそちらの方のことなど存じ上げません」
「え?え?」
扇子で差された花梨は咲耶様が何を言っているのか理解出来ずにうろたえた。何度も何度も屋敷に呼ばれ、二人で話し合った。電話だって何度もかけた。それを自分のことを知らないなどとどうして言うのか。それが理解出来ない。
「それに……、何故私が四組のことなどのために骨を折らなければならないのですか?そのような些事に関わるような暇などありません」
再びサロン内がザワザワと騒がしくなった。確かに何故九条咲耶様ともあろう者がわざわざ四組の問題を解決しなければならないというのか。そしてそうするつもりならば本人が堂々と出て行けば良い。九条咲耶様が一言号令をかけられたならばそれだけで解決出来たはずだ。それなのに何故四組の地下家に頼みそのようなことをしなければならないのか。まるで理屈が通っていない。
「私は『四組の問題』など聞いたこともありません。そちらの方々のことも存じ上げません。何か勘違いがあったようですが、私はそちらの事情など何も関わっておりません」
「「「「「…………」」」」」
いつもの笑顔でそう言われた九条咲耶様を見て鬼灯も、鈴蘭も、花梨も、全てわかった。押小路柾と近衛伊吹を除いたサロン内に居た者も全員がわかった。
九条咲耶様は自分が何も知らない、何も聞いていないということにすることによって、本来ならば処分を受けなければならない生徒達まで庇っておられるのだ。
もしここで五北会の中心、いや、藤花学園の中心たる九条咲耶様が『四組の問題』、イジメ問題を把握していたということになっては、その生徒達を処分しなければならなくなってしまう。即退学というほど厳しい処分を与えるかどうかは別にしても、折角表沙汰にせず解決し、当事者達もある程度反省したと思われる現状で、もし学園側からの処分が下されては余計に反発してしまうだろう。
確かにイジメを行った者達に非があり、それに対する処分が下されても文句は言えない。しかしイジメを受けた側である鬼灯も鈴蘭もそのようなことは望んでいない。今はうまく状況も落ち着き、折角これからは彼ら彼女らとも打ち解けられるかもしれないという所まできたのだ。今更イジメっこ側に処分が下っても面倒なことを蒸し返すだけになる。
だから……、だからこそ九条咲耶様は自らは表に出ず、他の者に任せて問題を解決された。自分が前に出て解決するためにはイジメ問題を公表しなければならなくなる。そしてそうなれば何らかの処分を下さないわけにはいかない。
九条咲耶様は、イジメっこも、イジメられっこも、両方を同時に守ろうとされたのだ。そして見事に両方を納得させ問題を解決してみせた。さらにはそれを誇るのではなく、そのことを秘密にされたままそっと胸に仕舞おうとされている。それを自分達が無理に暴いて滅茶苦茶にしてしまってはいけない。
(((((どこまでお優しいのだ……。やはりこれこそが九条様なのだ!!!)))))
サロンメンバー達は感動に打ち震えた。四組の生徒達のためにまで尽くされる。自分の功績を誇ることもなく、更生する余地を与え、なおかつ収めるのが難しいイジメ問題まであっさりと片付けられた。
「咲耶お姉様……」
鬼灯はキュンとした。あの笑顔のどこが冷笑に見えるというのか。自分の目は、心は曇っていたに違いない。今もこの高級感溢れるサロンの中でも一つだけ特別な席に座られている九条咲耶様のその笑顔は……、とても慈愛に満ちた聖母の微笑みのようではないか。
あの優しく微笑みかけてくれている笑顔を見て、どうして今まで邪悪な笑みだと思っていたのか。これほどまでに滅私奉公に尽くされている方がおられるだろうか?いや!いるはずがない!
「……ん」
鈴蘭は畏怖と敬愛の念を抱いた。花梨が口を滑らせてしまったのは計算外だったのかもしれない。しかしそれ以外は全て九条咲耶様の思惑通りに動いていたのだ。普通は教師でもイジメ問題など解決出来ない。その難題を、たった一人の少女がいともたやすく解決してしまった。
さらにそれを誇ることもなく、より良い解決となるように自分の功績すらなかったことにしようとしている。そのような方を敬わずにいられようか?いや、いられるはずがない!
「九条様……」
花梨は咲耶様に感謝した。本来ならば『絶対に秘密を漏らすな』と言われていた自分が、鬼灯達に全てを話してしまったことは罰を受けなければならないような重大な罪であり裏切りであっただろう。しかし咲耶様は『そのようなものは知らない』と言われている。それはつまり花梨の罪も裏切りも許すと言われているのだ。
花梨は確かに咲耶様のためを思って全て話してしまった。本当は咲耶様が解決してくださったというのに、花梨だけが二人から感謝され、咲耶様は勘違いされたまま、それどころかイジメの首謀者のように思われている。花梨にはそれが我慢ならなかった。それに二人の自分への感謝への罪悪感に耐えられなかった。
だから話してしまった。自分が罪悪感から逃れるために、咲耶様の悪評や勘違いをなくすためという言い訳を使って話してしまったのだ。
咲耶様はそれをわかった上で、それでも全て許すと言ってくださっている。その咲耶様に花梨はますます傾倒していく。今度はもう二度と咲耶様を裏切ったりはしない。身も心も全てを捧げ、忠誠を尽くすのだ。そう心に誓った。
~~~~~~~
結局騒動はあったが不問にされ四人は五北会サロンをあとにした。九条様は『四組の問題など知らず』ゆえに『何らかの勘違いによってサロンに乗り込んで来た者も勘違いが解けた』ので『全て不問』ということになった。
「……しかし俺にはまだ信じられん。やはりあれは嘘を吐いて言い逃れしてるだけではないのか?」
「押小路君……、まだ言ってるの?それじゃどうして五北会サロンに乗り込んであんな騒ぎを起こした私達が不問で、今こうして無事に帰られてると思ってるの?」
「……ん!いい加減認めるべき」
「今まで騙していてごめんなさい……」
柾の言葉に鬼灯と鈴蘭は怒り、花梨はシュンと落ち込んだ。鬼灯と鈴蘭はすぐに花梨の言葉を信じたが、実際にそれを体験していたわけではない柾にはそれが嘘ではないかという思いがまだ残っていた。
「それは……、そうだが……」
柾はまだ納得いっていないという顔だったが、実際に自分達が許されたことだけは間違いない。
普通に考えて、五北会サロンに乗り込み、あんな騒ぎを起こして無事に済むはずがないのだ。仮に、もし本当に九条咲耶がイジメの首謀者であったとしても、五北会に乗り込み騒ぎを起こすのは別問題だ。だから九条咲耶云々に関係なく、騒ぎを起こした自分達が不問のまま無事に帰されているのは本来あり得ない。
五北会サロンを初めて覗いたがあそこは別世界だった。置かれている調度品、並べられたお茶やお菓子、何をとっても全てが別格の世界だった。あそこに座っていられる者達に喧嘩を売るということがどういうことか、ようやく柾にも肌で感じられたのだ。あの時は興奮していて感情のままに言いたい放題言ったが、今冷静に考えれば身震いしてしまう。
「まぁ押小路君が認めたくない理由もわかるよ。もし今までのが勘違いだったって認めちゃったら、今までの自分の振る舞いも全て認めなくちゃならないもんね」
「……ん。赤っ恥……。黒歴史……」
「あはは……」
鬼灯と鈴蘭の言葉に花梨が苦笑いする。そして……。
「――ッ!」
みるみる柾の顔が真っ赤に染まった。
「~~っ!~~っ!」
そして真っ赤に染まった顔のまま柾は走り出した。角を曲がった所でバンッ!と大きな音がしたので鬼灯達も驚いて顔を見合わせて角の向こうへと向かうとひっくり返っている柾の姿があった。その隣には配達のトラックが停まっている。
「あっ!君達この子の知り合いかな?この子急に角から飛び出して、開いてる扉に突っ込んだんだ!救急車はこっちで呼ぶからご家族とかに連絡出来ないかな?」
「ぷっ……」
「あはっ!」
「「「あはははっ!」」」
三人はのびている柾を見ながら久しぶりに笑った。人の不幸を笑っている場合ではないのだが、トラックに轢かれたわけではなく、停車中のトラックの開けられた扉に自分から突っ込んだのなら柾の責任だろう。
イジメ問題に端を発し、つい先ほどまで五北会サロンに突入するという緊張の連続で、ようやく一息ついた三人は緊張の糸が緩みいつまでも笑っていたのだった。




