第四百三十五話「対女帝同盟」
放課後に廊下を歩いていた押小路柾は、空き教室の方から女子の話し声がすることに気付いた。本来ならば女性同士の会話に聞き耳を立てるべきではないが、その話し方やかすかに聞こえる内容から只事ではないと察して近づいた。すると聞こえてきた内容は恐るべきものだった。
「そう……。あの四組中からの、ううん。学園中から除け者にされてるのは……、貴女の指示なんだ……」
「学園中から除け者に……」
「もういい。そっちがその気ならこっちにも考えがある。どうして私達に目をつけてこんなことをするのか知らないけど……、こっちだって黙ってやられるつもりはないから」
「……ん!」
そんな会話が聞こえてきたかと思うと、乱暴に扉を開けてドスドスと足を鳴らして二人組が空き教室から出て行った。出て行った二人のことは知っている。それほど親しいという間柄でもなかったが、地元が近く、地元の社交界では顔を合わせたこともある二人だ。
河村鬼灯と加田鈴蘭。少し癖のある二人ではあるが、だからといって自分達から人に何かしたり、イジメられたりするような人物達ではない。その二人が何故か藤花学園中等科入学直後からすぐにイジメのターゲットにされているらしい。どういうことかと思って柾は空き教室を覗き込んだ。そして固まる。
「――ッ!?」
空き教室を覗き込んでみれば、そこに居たのは『完璧女帝』九条咲耶とその取り巻き達。女帝は一人豪華な椅子に座り、薄っすら笑っているのか、それとも睨んでいるのか、切れ長の目を細めてこちら、いや、今この扉から出て行った二人を見詰めていた。
逆光の上に扇子で表情を隠しているのでわかりにくいが、見えている目は細められていた。それが意味する所はわからないが、良いことを考えている表情ではないことは確かだろう。イジメている二人の反応を見て楽しんでいるのか。反抗的な態度を取った二人に怒っているのか。
どちらにしろ先ほどの言葉と両者の態度から一つわかることは、この九条咲耶とその取り巻き達が、どうやら河村鬼灯と加田鈴蘭の二人を学園中の除け者にし、イジメているらしいということだ。
「先ほどのお話……、どういうことかご説明願いましょうか?九条……、咲耶さん?」
震えそうになる声を必死に抑えつけ、ゴクリと唾を飲み込みながらその前に出て立つ。恐ろしい。その眼力一つで殺されてしまうのではないかと思えるほどの迫力を放っている。これが女帝と呼ばれる者の持つ覇気なのかと実感させられた。
正直に言えば、入学式での速水石榴と近衛伊吹のやり取りを見て『こんなものか』と思った。家格一位である近衛家の跡取りと言っても普通の中等科一年生とそう変わらない。
押小路家は地下家ではあるが、その実力は下位の堂上家と比べても何ら遜色はない。地下家トップクラスである押小路家ならば、実際の実力で言えば堂上家の下位よりも上回っている家も多数ある。そこにあるのは家格や官位の差というだけであり、相手が堂上家だからといって何ら引け目を感じることもなかった。
実際に見てみた近衛や鷹司の跡取り達も、家格や家の規模という点においては押小路家を遥かに凌駕しているだろうが、その息子達は至って普通の男子中等科生でしかない。実家の力関係がどうとか言われても子供達では中々実感出来るものではないし、それは本人達の資質とは関係ない。先祖や親が頑張った結果家が裕福だからといって何の自慢になるというのか。
だから堂上家、五北家などといっても所詮自分達とそう変わらない。そう思っていた。つい先ほどまでは……。
しかし違う。コレは別物だ。目の前に特別豪華な椅子にさも当然のように座っているコレは……、ただの女子中等科生などでは断じてない。家格が上だとか、家が裕福だとか、そんなレベルではないのだ。本人から滲み出るこの存在感、カリスマ性、圧力、覇気、様々な言い方があるだろうが一つだけわかることは……、コレは海千山千の大人貴族達ですら一飲みにしてしまう本物の化け物だということだ。
「御機嫌よう、押小路様。ですが……、女性同士の話に男性が突然首を突っ込まれるのはどうかと思いますよ」
目の前の化け物が言葉を発する。それだけで柾はビクリと飛び上がりそうになった。自分から話しかけておいて、穏やかにそう返されただけでこの様だ。しかし言葉や話し方は穏やかだが、その言葉の内容には『余計なことに口を出すな』という無言の圧力が含まれている。
それに屈しそうになる。折れそうになる。こんな化け物と対峙することなどしたくない。今すぐこの場から逃げ出したい。何故自分がこんな化け物の相手をしなければならないのか。色々なことがグルグルと柾の頭の中で繰り返されていた。しかし……。
「…………俺は、次の生徒会選挙に立候補します。俺が生徒会に入ったならば……、相手が誰であれ……、不法行為を見逃すつもりはありません」
グッと歯を食いしばり、柾は必死にそう言った。速水石榴も地元が同じ古都であり、昔からある程度は顔見知りだった。だが特別親しいわけでもなければお互いに詳しいわけでもない。地元の社交界などで顔を合わせれば挨拶を交わす程度の関係でしかなかった。
だから速水石榴に生徒会に誘われても、『まぁやってみてもいいけど』という程度の感情しかなかった。速水が責任感のある好人物で、人のために努力出来る人物であることは知っていた。自分もぼんやりそういうことを手伝っても良いかなとは思っていたが、そこまで本気で生徒会に入って頑張ろうという気にはなれなかった。
だが、今、押小路柾は目の前の化け物に向かってあえて宣言したのだ。これは自分の決意表明に他ならない。相手が例えこのような化け物であったとしても、誰もが見て見ぬフリをする巨悪だったとしても、自分だけは見て見ぬフリはしない。それによって苦しめられている者がいるのならば、それを見捨てることなどしない!
その決意を持って九条咲耶を睨みつける。震える体を抑え付けて、逃げ出したい気持ちを奮い立たせて……。
「それは立派な心がけですね。是非頑張ってください」
しかし……、そんな柾の決死の覚悟も目の前の化け物、女帝、九条咲耶には路傍の石ほどにも感じない。薄っすらと余裕の笑みを浮かべながら、『出来るものならやってみろ』とばかりに小馬鹿にしてそう応じる。
柾はギリリと歯を噛み締め、拳を握り締め、その屈辱に耐える。今はまだ女帝と自分では器が違いすぎる。こうして笑われるのも当然だ。自分が今にも逃げ出しそうになって震えていることなどお見通しなのだろう。だから笑われている。
柾は誓った。もう二度とこんな惨めな思いはしない。そして他の者にもさせない。自分が……、いずれは生徒会長としてこの巨悪に立ち向かい、他の生徒達の盾となるのだ。この圧力の前に堂々と立てる人間になるのだと……。
「今日の所はこれで失礼させてもらう……。いずれ……、必ず……」
その先は言えない。今の自分には言う資格もない。だが……、いつかこの化け物と対峙出来る自分になると、もう一度心に誓ってから柾は空き教室から出て行ったのだった。
~~~~~~~
昨日九条咲耶に啖呵を切ってから、鬼灯はどんよりした雰囲気を放っていた。
「おはよ……」
「……ん」
鈴蘭と合流して挨拶をしても覇気がない。いつもなら細かいことはあまり気にしない鬼灯と鈴蘭だが、さすがに五北家である九条家に面と向かって喧嘩を売ったとあっては気分も落ち込むというものだ。
「おはよう」
「……ん」
無言のまま中等科の校舎を歩いていた二人は自分達の教室に入るといつも通り挨拶をした。少なくとも地元で小学校に通っている時はそれが当たり前であり、いつものことだった。しかしここではその当たり前やいつも通りが通じない。
「「「「「…………」」」」」
チラリと四組のクラスメイト達が視線を向けてくるが、すぐに無視してまたそれぞれの会話に花を咲かせる。明らかに無視されイジメられている。小学校の時はまさか自分達がイジメなんて遭うとは思ってもいなかったが、いざこうしてやられてみればこれは明らかにイジメだろうと思う。
「はぁ……。前途多難だな……」
「……ん」
確かに二人は神経も図太いし、多少のイジメくらいでめげるような性格でもない。しかし相手は女帝、九条咲耶だ。このイジメも全て九条咲耶が裏で操っているかと思うと、普通の無視やイジメを受けるよりも遥かに精神的に堪える。その影にいる人物がちらつくだけでも精神衛生上もよろしくない。
『どうしてこんなことになったのかな』
鬼灯の言葉に、鈴蘭もただ静かに目を閉じるだけだった。
~~~~~~~
その日の放課後、鬼灯と鈴蘭の二人は二組の押小路柾に声をかけられた。何事かと思いつつも三人で空き教室に入り話を聞いてみる。
「何か用?」
「……ん」
現在学園中からハブられ無視されている二人は、面倒臭そうに押小路柾と向かい合っていた。この三人も地元が同じなので元々顔見知りではあるが、だからといって特別親しい間柄というわけでもない。パーティーなど社交界で会えば挨拶したり、学校でも関わることがあれば普通程度に話していただけだ。
それが一体この状況である自分達に何の用があるというのか。鬼灯と鈴蘭が身構えて警戒するのも当然だった。
「ああ、いや……、その……、何というか……。えっと、まずは女の子を突然こんな風に呼び出してしまって申し訳ない」
「はぁ?」
「……ん?」
しどろもどろになりながらもそう言う柾に鬼灯と鈴蘭は首を傾げる。まさか自分達に愛の告白でもあるまいに。
柾は地下家の中でもトップクラスの家柄ということもあり地元では大人気だった。もちろん家柄だけではなく、本人もクールな少年で、真面目で何でも真剣に取り組み、全て人並み以上に出来る万能タイプだった。それでモテないわけがない。
ただ本人は子供の恋愛ごっこに興味がなかったのか、それとも本当は興味があってもクールぶって隠していただけか、どれほど告白されても女の子と付き合うこともなかったし、恋愛に興味がありそうな素振りもなかった。それがこんな状況の、それもガサツな大女と無口な小女に突然告白をしたりするはずもないだろう。
「あ~……。もう単刀直入に言わせてもらおう。傷ついたらすまない。君達は今イジメを受けているな?」
「ああ、そういう……」
あのクールで物怖じしない柾があんなおかしな態度だった理由がわかって鬼灯と鈴蘭も得心がいった。それはイジメられている本人に向かって『お前はイジメを受けているか?』と問うのは難しいだろう。相手がどんな反応をするかもわからないし、ますます傷つけるかもしれない。対応に困って言葉に詰まるのは当然だ。
「まぁそうなる……、かな?」
「そしてその相手の首謀者は九条咲耶……、ということでいいんだな?」
「「――ッ!?」」
はっきりとそう告げられて鬼灯と鈴蘭は驚いた。他の生徒のどの程度がその事実を知っているだろうか。皆暗黙の了解として九条咲耶に言われているから鬼灯達をイジメているのだろうか。それともまったく知らないままただそれに加担せざるを得ずそうしているのだろうか。
ただ少なくとも柾はそれをわかった上で接触してきた。その狙いが何なのかはわからないが、鬼灯と鈴蘭はお互いに顔を見合わせた。
「無理に言葉にする必要はない。それで……、出来れば俺も君達の状況を改善する手伝いをしたい」
「何でまた?そんなことをして押小路君に何のメリットがあるんだ?」
「……ん!」
確かに怪しい。女帝を敵に回してまで、いくら地元と小学校が同じだったとはいえ大して親しくもなければ、特別好きなわけでもない女二人に手助けをするのか。
「俺は次の生徒会選挙に出ようと思っている。そして……、そういう誰もが見て見ぬフリをする巨悪と立ち向かうと決めた。だから君達のこともどうにかしたいと思っている」
「「……」」
二人は再び顔を見合わせた。柾が嘘やおためごかしを言っているようには思えない。そもそも嘘でこんなことを言う理由がない。もしこれが女帝の耳に入れば柾の立場も危うくなるのだ。そんな危険を冒して二人にこんな嘘を言う理由はない。
「でも今の俺じゃあの完璧女帝には太刀打ち出来ない。すぐに君達の状況をどうにかすることも難しいだろう。だけど……、俺にも協力させてもらえないか?」
柾の真剣な表情を見て、鬼灯と鈴蘭は頷き合った。どちらにしろ選択肢はない。
「覚悟があるなら歓迎するよ」
「……ん!」
この覚悟とは……、自分達に接触することで柾まで女帝に睨まれるかもしれないという覚悟だ。そうなれば家ごと潰される可能性もある。それだけの覚悟があるのなら、鬼灯と鈴蘭に否やはない。
「ありがとう。これからは協力して悪に立ち向かおう!俺達は……、そうだな……。『対女帝同盟』といったところか」
柾が差し出した手に鬼灯と鈴蘭が手を乗せてお互いに頷きあった。こうして、鬼灯と鈴蘭は最初の協力者を得たのだった。
~~~~~~~
三日目、四日目、五日目と、何日か経っても二人の状況は変わらずだった。特にイジメがエスカレートしているわけではないが好転もしていない。それにエスカレートしていないといってもまだ始まって数日の話だ。そんな数日でいきなり激しいイジメになることも稀だろう。今後時間が経つほどにエスカレートしてくる可能性は高い。
「おはよう」
「……ん」
どうせいつも通り返事などない。そう思いつつも二人は教室の扉を開けると朝の挨拶を行った。これは二人の習慣であり、そしてイジメを受けているからと朝の挨拶をすることをやめたら、それこそ自分達はこの無視やイジメに屈したことになってしまうと思ってのことだった。
裏では柾とも協力関係になったが、柾にはいきなり表立って動いてもらわないことになっている。柾まで仲間だと知らしめて、すぐに三人が締め出されイジメの対象になるだけでは意味がない。だからこそ柾は二人の協力者であることを表に出さず、裏から二人に協力していこうと話し合った。
それでも柾の性格からすれば、二人が決定的なイジメを受けている場面に出くわせば二人を庇うだろう。そういうことを繰り返していればすぐに二人との協力関係が露呈するだろうが、別にずっと隠しておく理由もない。むしろもう女帝に対しては宣言してしまっている以上は隠していても柾もターゲットにされている可能性はある。
そんなわけで表向きは二人ぼっちである鬼灯と鈴蘭は、いつも通り返ってくることのない挨拶をした……、つもりだった。しかし……、その日はいつもと違っていた。
「えっと……、御機嫌よう、河村さん、加田さん」
「「…………え?」」
「「「「「――!?」」」」」
外部生一般家庭の生徒のみならず、外部生貴族、そして内部生貴族までもが驚いた。今までずっと無視されていた鬼灯と鈴蘭に対し、内部生である吉田花梨が挨拶を返したのだ。
外部生貴族達であったならば……、この状況を見かねて同じ外部生貴族である鬼灯と鈴蘭に対して態度が軟化する可能性はあったかもしれない。しかし一番最初に内部生であった人物が態度を軟化させるなど誰が予想出来ただろうか。そのあまりの衝撃に一年四組は大きく揺れたのだった。




