第三百九十八話「悩み多きお年頃」
近衛家で相談していると近衛母が何やら解決策を出してくれた。確かにマスターの喫茶店をオフィシャルショップにするというのは良い案のように思える。オフィシャルショップなら少なくとも曲を流しても誰に何を言われることもなくなる。何しろ公式に認められているんだから……。
問題はシンプルに考えた方が解決しやすい。あれこれ同時に考えようとするからややこしいように思ってしまうものだ。まずは簡単に取り除ける問題から解決していけばいい。
現時点で喫茶店が曲を流すのが違法状態となっているのならば、最初にそれを取り除く。近衛家が権利を押さえているCDの問題なんだから、近衛家がオフィシャルショップにしてくれるのならそれで権利関係は解決だ。今後さらに曲を流すとか、やめるとか、暴動が起こった場合の対処などはまた考えればいい。
一先ずそれで合意した俺は近衛母に言われるまま詳細を了承した。曲の権利を持つ師匠も一緒に同意しているからこれでかなりの問題が片付いただろう。演奏した皆は俺に任せると言ったんだから、俺が決めても文句はないはずだ。
そもそもあのコンサートの映像や音は近衛家が権利を持っているんだから、それをどう扱うかを俺達が合意するだけの話でしかない。新しく録音するとか何らかの記憶媒体にして販売するという話じゃないんだし、近衛家が権利を持つもので、あの喫茶店をオフィシャルショップにしますというだけのことだ。その使用に対して曲の権利者や演奏者が同意したというだけに過ぎない。
その後すぐに近衛母はうちまで来ると言い出した。身重なのにそれは良くないのではと言ったけど、どうしてもすぐにうちの母と話をする必要があるらしい。一体そんなに急いで何の話をしたいのだろうか。身重だからやめた方がいいとは思うけど、少し話をしてすぐに終わるからというので師匠と近衛母を伴って九条家へと帰ったのだった。
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九条家での母と近衛母の話は何やらヒートアップしていた。でもどうして二人がそんなに言い争っているのかわからない。近衛家が持つ権利でオフィシャルショップを作ることに何が問題があるのだろうか。幸徳井家の同意も必要になるだろうけど、幸徳井家だって近衛家が後ろ盾となって守ってくれると言われれば渡りに船だと思うはずだ。
「お母様、良いではありませんか。近衛家が手を貸してくださるというのです。それにすでに近衛家が権利を押さえているものについて今更こちらがとやかく言う必要もないでしょう?」
「咲耶……、貴女何を言って……」
母が信じられないものを見るような顔でこちらを見ている。
「他のメンバーの皆さんにも同じ書類にサインしてもらうように伝えてあります。今更九条家だけごねても話が無駄に伸びるだけではありませんか?」
「…………本気なのですか?」
「はい。これで問題の一つが解決します。まずは早急に問題を解決することが重要です」
このままじゃいつあの可愛い秋桐が巻き込まれるかもわからない。演奏メンバーの皆だって俺に任せると言ったんだから今更反対はしないだろう。反対なら最初から話し合いに参加してくれればよかったのに、結局誰も参加もせず意見も出さずに全て俺に丸投げしたんだからな。今更文句は言わせない。
「何か……、考えがあるのですね?……わかりました」
「まぁ!頼子さん、わかってくれたの?よかったわ。さぁ、それじゃ気が変わらないうちにサインして頂戴」
近衛母が満面の笑みで母に書類を差し出した。最後に再び『はぁ……』と深い溜息を吐きながら母はその書類にサインしたのだった。
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幸徳井家の喫茶店のオフィシャル化は届出も手続きも近衛家が全てやってくれるらしい。全て簡単に片がついた。俺だったら未だに右往左往して何一つ解決していないであろうことが、大人達が手を打てばこんなに簡単に解決する。俺は今まで何をしていたんだろう。
中途半端に小賢しい知恵があるからと、まるで自分が何でも出来る、何でもしなければならないと思ってやってきた。でも俺が手を出してうまく纏まったことなんてあるだろうか?実際俺はいくら九条グループのご令嬢といってもただの小学生に過ぎない。
出せる知恵も僅かならば人生経験も足りず人脈もない。そして何かを決定する権限もなければ予算を動かす権限もない。今まで俺達がやってきたと思っていたことは、全て裏で大人達が実際に取りまとめてくれていたから実現したことだ。
子供達が『こんなものがあったらいいな』『こんなことが出来たらいいな』と思うような妄想を大人達に伝えて、大人達が莫大な労力と予算をかけて実現してくれていただけだ。それで何かを成したような気になっていた自分が滑稽でしかない。
食堂の件も、七夕祭の件も、俺達はただ『こんなことが出来たらいいな』という意見、いや、空想を語っていただけだ。それを実現してくれたのは周囲の大人達だということを完全に忘れていた。自分達はそういうことが出来るのだと思い上がっていた。でもそうじゃない。
各家の大人達が寄付という名目で予算を出してくれたから、その予算を使ってプロの大人達を雇い働いてもらったから、食堂も七夕祭も出来ている。俺達がいくら話していても何一つ実現しなかった。結局は大人のお金と力を使って成したにすぎない。
「はっ……、ははっ!」
俺は本当に何をしていたんだろう……。
大人達の言うことを聞かず、何でも自分で出来ている気になって……、結局裏でその大人達に助けてもらっていたんじゃないか……。俺は何も出来ない無力な子供だ……。
もういい……。もう大人達に全て任せよう。俺が無理にでしゃばって余計なことをする必要はない。喫茶店の件も大人達が、うちの母と近衛母が話し合えばそれだけで解決した。だったら俺が余計なことをして引っ掻き回すよりも、大人達に相談だけしてあとは任せてしまえばいいじゃないか……。
「――ッ!――ッ!」
また……、雫がぽたぽたと垂れてくる。何故こんなに心がざわつくのかわからない。何も出来ない自分が悔しいから?恥ずかしいから?子供が子供だと言われても恥ずかしがる必要はないのかもしれない。でも俺は精神的には大人なのに子供と変わらないから悔しくて恥ずかしいのか?
もう心の中がぐちゃぐちゃになってよくわからない。ただわからないまま、また雫を流している所を椛に見られたら大騒ぎになると思って、頭まで布団を被って枕に顔を押し付けて声を押し殺していたのだった。
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短い冬休み、家族旅行に行って来たけどあまり楽しめなかった。ほとんど何をしていたという思い出もなく、ただぼーっと過ごしていたような気がする。
「咲耶様……」
「椛?どうかしましたか?」
家族旅行が終わって、久しぶりの自室で寛いでいると椛が話しかけてきた。いつもは部屋で寛いでいる時に向こうから話しかけてくることは滅多にない。それなのに椛はどこか不安そうというか、眉尻を下げて視線を彷徨わせたまま、言おうか言うまいか悩んでいるように口篭りながら近づいてきた。
「咲耶様は……、本当に今のままで後悔されませんか?」
「…………は?」
意を決して口を開いた椛の言葉の意味がわからず怪訝な顔をしてしまう。後悔?俺が?何を……?
「私は全て咲耶様の決定に従います。そしてどのようなことがあろうとも咲耶様をお守りいたします」
「…………」
ベッドの縁に腰掛けた椛は、ベッドで上半身を起こして座っていた俺にぴったりと体を寄せてきた。いや、俺の体と頭に手を回して少しだけ抱き寄せた。
「ですが……、本当に咲耶様は今のままで後悔されませんか?」
また同じ台詞だ……。俺が何を後悔するというのか。
「咲耶様は今、自暴自棄になっておられます。そしてご自身を傷つけておられます」
「そんなことは……」
俺は別に……、何も自棄になどなっていない。俺はただそうするべきようにしているだけだ。子供は子供らしくしていればいい。俺の中途半端なプライドのために、余計なことに首を突っ込んで引っ掻き回す必要はない。結局は俺が口を出すよりも、ただ大人達に相談して任せればそれで済む話だ。
「椛は……、何があろうとも咲耶様の味方です。咲耶様がお決めになられたのならばどのようなことにも従います。ですが……、本当にこのままでよろしいのですか?」
「椛……」
椛はキュッと俺の頭を自分の胸に抱き寄せてくれた。その優しさと温かさに包まれてとても心が安らぐ。
確かに俺自身も今のままでいいのかと思っていたのかもしれない。でもこれでいいんだ。俺が、子供が余計な口を挟むよりも、こうして子供は子供らしくしていればいい。お金もない。決定権もない。人脈も労働力も知識も経験もない。そんな子供が実務に際して余計な口を挟んでどうするというのか。
家の間取りをこうして欲しいとか、こういう機能や設備を付けて欲しいという要望を言うまではいいだろう。でも設計がどうだとか、使う資材がどうだとか、工期や工法がどうだとか、そんなことに口を挟む施主はいないだろう。それはプロに任せれば良い話だ。中途半端な知識で口を挟むよりも、全てプロに任せた方がうまくいく。
「もみ……、じ……、うぅっ……」
でも……、それがわかっているのに……。何故だろう……。
こうしてただ大人達に守られて、椛の温もりに包まれていれば安心で安全で何の苦労もない。誰に迷惑をかけることもない。それなのに何故こうも俺の心はざわつくんだろう。今もまた椛の胸に顔を埋めながら、どうして俺の頬を濡らす雫が止まらないんだろう……。
以前の大泣きのような泣き方ではなかったけど、それでも今日も何故か椛の胸に抱かれながら、俺は静かに泣いていた。
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家族旅行も終わって、休みの後半にまた蕾萌会と百地流の修行に行く日々を送る。でも蕾萌会に行けば菖蒲先生に毎回心配され、百地流の修行に行けば師匠はムスッとしたまま黙っているだけで何も言ってくれない。
俺も自分でわかっている。皆には表面的には『大丈夫』『何でもない』と言っているけど、明らかに周囲に心配をかけてしまうほどにまるで大丈夫じゃない。どこかが悪いとかそういうわけでもないのに、何もする気が起こらず、勉強にも修行にも身が入っていない。
師匠が怒っているのは俺が修行にちゃんと打ち込んでいないからだろうか。自分でもわかるほどに修行に集中出来ていないというのに、前のように師匠に『たるんどる!』とか怒鳴られない。もしかしたらもう師匠にまで見捨てられてしまったのだろうか。そう思うと何か余計に悲しくなってきた。
「さぁ咲耶様、今日はもうお休みしましょう」
「ええ……」
椛が俺をベッドへ誘う。あの日、椛に抱き締められてから……、椛は俺に何も言わなくなった。あの日は俺に後悔はしないのかと聞いてきたけど、それ以来こうして毎日俺が眠るまでベッドで一緒に添い寝してくれている。
椛に抱き締めてもらい、そのあたたかな温もりに包まれて、まるで抱き合うように一緒にベッドで横になる。いつも椛は優しく微笑んでくれているけど……、その顔が少し無理をしている笑顔だということは俺にもわかっている。
本当は椛も俺に何か言いたいのかもしれない。今の俺を見て思う所もあるんだろう。もっとちゃんとしろとか、九条咲耶お嬢様らしくないとか、色々言いたいこともあると思う。でも椛は少し困ったような笑顔をしながらただ黙って俺が眠るまで抱き締めて頭を撫でてくれている。
これでいいじゃないか……。俺は今初等科六年生の子供だ。だったらこれで何もおかしくない。だからこれでいいんだ……。
本当にそうか?
いいんだ。これでいい。もう俺が余計なことをしない方がきっと全てうまくいく。
本気でそう思っているのか?
そうだよ。今まで俺が何かしても全てめちゃくちゃに引っ掻き回してしまっただけだ。
でもそこに何もなかったのか?
何もなかった。いや、それどころか事態を悪くさせてきたばかりだ。だから……、これでい……。
よくない!
「よくない……」
「咲耶様?どうかされましたか?」
俺の呟きが聞こえたのか、椛が少しだけ手を緩めて俺の顔を覗き込んできた。
今更ただの子供のフリをして、ただこうして大人達に甘えて守られていたらそれでいいのか?今まで俺がしてきたことは本当に何も意味がないことだったのか?違うだろう!
確かに却って問題が悪化したこともあるだろう。大人に任せていればすぐに片がついたはずなのに、俺が引っ掻き回してしまったこともあるだろう。でも……、そこに何もなかったか?
いや、かけがえのないものがたくさんあったじゃないか。
今の俺があるのは……、皆との関係があるのは……、俺がそうして行動してきた結果の積み重ねだ。俺がただ大人に言われるがままに過ごしてきたのなら、友達との関係も大人に言われただけの関係でしかなかっただろう。これまで出来た人間関係も、思い出も、全て人から言われて出来た仮初のものになっていたはずだ。でも俺は自分の意思でここまで歩いてきた。
人と衝突することもあった。解決まで遠回りすることもあった。でもそれがあったから今の俺と、俺の周りの人との信頼関係がある。それを今更放棄して大人に守ってもらえば良いなんて俺は馬鹿か。
少し自分が傷つくかもしれないからと、それを恐れて全てから逃げてどうする。傷つくことを恐れて皆に本心を聞かず、ただ一人で自分の殻に篭っていても何も解決しない。それで冬休みが明けてから皆と会って、今まで通り付き合えるわけがない。
例え皆が俺のことをどう思っていようとも……、それをちゃんと皆の口から確かめるまでは俺が皆を信じないでどうするというのか。もし友達じゃないと言われたらと恐れて怖がっているだけじゃ駄目だ。
「椛……、明日、お母様と大事な話をします。椛も同席してください」
「咲耶様!戻られたのですね!はい!奥様にお時間を頂くようお伝えいたします」
椛がパァッと明るい顔でそう言ってくれた。椛のこんな顔を見るのはいつぶりだろう。こんなに人に心配や迷惑をかけて……、俺って奴は本当にどうしようもない奴だな……。
「いえ、それには及びません。明日の朝食の席で私がお母様に伝えます」
「はい!」
ここの所、寝ているのか起きているのかもわからないような日々だったような気がする。でも俺はようやく目を覚ました。明日……、母と椛と一緒に大事な話をしよう。そう思うと俺は晴れ晴れした気持ちで久しぶりにすっきり眠れたのだった。