第三百九十四話「冬休みに入る」
十二月も末の頃、六年生の二学期が終わった。終業式を終えて通知表や連絡事項を聞いて解散となる。今日は五北会もないのであとは帰るだけだ。
「それじゃー咲耶ちゃんまたねー!」
「咲耶ちゃん御機嫌よう」
「咲耶様!お先に失礼しますね!」
「ええ。皆さん御機嫌よう」
皆それぞれ迎えに来ていた車に乗り込み別れる。随分あっさりしたものだと思う。俺の前世の感覚だと、女子とかはもっと皆でいつまでも屯しておしゃべりとかをしていそうなイメージがある。でも今生の、今俺の周りにいる子達はこういう時に割りと淡白にさっさと帰ってしまう。
もちろんそれが悪いとは言わないし思ってもいない。無駄にダラダラと屯してしゃべっているよりも、こうしてさっぱり別れて帰る方が良いだろう。それに前世と今生では色々と条件が違う。
前世でいつまでも残っておしゃべりしているイメージなのは、帰りに電車や自転車などで自分達の足で帰る子達のことだ。でも俺達は車が迎えに来る。ロータリーでいつまでも同じ家の車が待っていたら邪魔になる。だから迎えが来ていたらさっさと帰るのは当然の配慮と言える。
それに皆お嬢様だから用事も多くあまり暇がない。帰ったら自由時間で暇というわけじゃなくて、今日も帰ったらすぐに出掛けたり、習い事をしたり、誰かと会ったり、予定が一杯詰まっているんだろう。家に帰ったら暇だから学校で友達とおしゃべりしてから帰る、という前世の普通の子供達とは条件が違う。
でも……、もう六年の二学期が終わってしまった。あとは冬休みが明ければ短い三学期だけで初等科を卒業だ。三学期が一月から三月といっても実際には二ヵ月半。休日なども除けば実質的に二ヶ月少々というところだろう。もうすぐ卒業だというのにこんなに何もなく淡白なのも少し寂しく感じてしまう。
まぁ……、俺の周りにいるような子達は途中で学園を追放されるなんてこともない家の子がほとんどだし、黙っていても大学まで一緒だろうという気持ちもあるんだろうけど……。大学は外の大学へ行く子もいるかもしれないけど、高等科まではまず間違いなく一緒だろうし……。
それでもやっぱり少し寂しく感じるのは俺に前世の記憶があるからだろう。前世の時も当時はあまりそんなことを考えていなかった。ぼんやりと毎日を過ごし、いつの間にか卒業して、また次の学校に入学、卒業を繰り返していただけだ。
でも一度でも大人になって振り返ってみれば、あの時こうしておけばよかった、もっとこうすればよかったと思うことがたくさんあった。だから俺は今ももっと皆との時間を大切にしたいと思う。だけど普通に今の年齢の皆と、前世の記憶があり、成人していた俺とではそういう意識においても隔たりがあるんだろう。
「はぁ……」
「おかえりなさいませ。咲耶様、何かお悩みですか?」
「椛……」
少し寂しく思いながら自分の家の車に乗り込もうと向かうと椛が声をかけてきた。
「遊びすぎてひどい成績だったとしても何も落ち込まれる必要はありませんよ」
「…………いえ、成績で悩んでいるわけではありませんが……」
椛が真顔でそんなことを言ってくる。言っておくけど俺は今まで初等科のテストや通知表は全て最高評価ばかりだ。まぁテストは毎回絶対百点とは言わないけど、ほぼ百点とは言っておこう。たま~に、本当にたま~にうっかりやど忘れや書き間違いなどのケアレスミスで一問くらい間違えるかどうかだ。だから成績はオール5とかオール10で最高評価しかもらったことがない。
「わかっております。冗談です。咲耶様が最高点以外の成績を取られるとは思っておりません。そのようなことがあれば学園が不当に評価を下げている場合のみです」
「それは言い過ぎのような気もしますが……」
俺だってたまにはテストも満点じゃない時もある。通知表だってもしかしたら最高評価じゃない場合もあり得るだろう。俺が最高評価じゃないからといって即座に学園や教師が何かしただろうというのは短絡すぎる。
それにしてもあれは椛なりの冗談だったのか……。まったく冗談に思えなかった。しかも顔が真顔だったし……。
「ありがとう、椛」
「……外は冷えます。どうぞ、咲耶様」
俺に気を利かせて冗談を言ってくれた椛に御礼を言ったけど、椛はあえてそれを何でもないこととして聞き流して扉を開けてくれる。椛の心遣いに感謝しつつ俺は帰りの車に乗り込んだのだった。
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短い冬休みだけどやることはたくさんある。家族旅行もあるからそれまでに冬期講習と百地流の修行がびっしり詰まっている。
「御機嫌よう、菖蒲先生。これ、あのお店の新作です」
「おはよう咲耶ちゃん。あっ!あのお店の?まぁ!ありがとう!是非食べてみたいと思っていたのよ!」
いつかの時も菖蒲先生にお土産として持ってきた隠れた名店……、というほど隠れてるわけじゃないけど、の新作チョコレートが出ていたから買ってきた。少し前から発売されていたから冬期講習の時に菖蒲先生と一緒に食べようと考えていた。
前もこうして差し入れを持ってきて騒ぎになって怒られたけど、騒ぎにさえならなければ多少のお目溢しはある。あの時は菖蒲先生が騒いだから怒られて没収されただけだ。静かに少し楽しむくらいならいちいち怒られたり取り上げられたりはしない。
「菖蒲先生は本当にあのお店のチョコレートが大好きなんですね」
「そうなの。あそこだけは特別なのよ。だから本当にありがとう、咲耶ちゃん!」
ちょっとテンション上がりすぎじゃないですかね?あまりはしゃいでいるとまた怒られて取り上げられるぞ?菖蒲先生は普段は大人の女性っていう感じだけど、この店のチョコレートの時だけはこうなってしまう。やっぱり冬期講習の時に持ってきたのは失敗だったかもしれない。
「今日はもう抜けてマスターのお店で皆で一緒にいただいちゃいましょうか」
「え……?まぁ……、そうしますか」
塾の講師が冬期講習をサボれと勧めるのはどうかと思うけど、実際俺はもうあまり習うことがない。もしかしたら九条家が破滅させられて藤花学園の大学に行けないかもしれない。そう思って国公立の大学でも入れるように勉強してきたけど……、正直もうそんなに高望みさえしなければ余裕でほとんどの所に入れる。
いや……、これは俺の自信過剰とかじゃなくてね……。全国模試とか、センター試験の過去問とか、そういうもので実力を確認した結果の話だ。俺は試しに受けた全国模試でもかなり上位の成績だった。はっきりいって初等科六年生の成績じゃないと思う。前世の俺よりさらによくなっているからな……。
それにセンター試験、大学入学共通テストの過去問を解いてもかなりの点数が取れる。ぶっちゃけ今から高認を取って飛び級で大学に入っても十分やっていけるだろう。
ごちゃごちゃと理屈を捏ねているけど……、まぁ一言で言えば俺もマスターと久しぶりにゆっくりお茶したいから冬期講習をサボっちゃおうってことだ。
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菖蒲先生とそこそこの高級住宅街を歩いてやってきたのは、住宅街の中にある普通の一軒の家だった。ここに来るのも暫くぶりのような気がする。
今までにも緋桐さんとは何度も会っている。だけどそれは学園の行事とか、どこかのパーティーで会う場合であり、こうして喫茶店に客として来るのは随分久しぶりのような気がしてしまう。秋桐のおばあちゃん、緋桐さんとしてではなく、お店のマスターとして会うというのはまた色々と違う……、ような気がする。
「こんにちはマスター……、あら?」
菖蒲先生が扉を開けるとカランカランとドアベルの音が響いた。でもその音は中の喧騒にかき消される。
「あら、先生、咲耶ちゃん、いらっしゃい。空いている所にかけて頂戴。すぐに行くわね」
「あまり忙しいようならまたにするけど……」
「大丈夫よ。好きな所に座ってて」
マスターはそう言うけど空いている席はほとんどない。どうやら今日は大繁盛のようだ。いつものイメージだとほとんどお客さんがいないイメージだったけど、今日は客で溢れ返っている。まぁ店がそんなに広いわけじゃないから、溢れ返っていると言っても何十人もいるわけじゃないけど、それにしてもこんなに客が多いのは初めて見た。
「ごめんなさいね。注文は何にする?」
いつもならカウンター席でマスターと話をしながらまったり過ごしているけど、今日はカウンター席も空いていないのでたまたま空いていた二人用の席に座る。暫くしてからようやくマスターがお冷を持って注文をとりに来てくれた。
「とりあえず私はコーヒーと……、咲耶ちゃんは紅茶かしら?」
「そう……、ですね……。あっ!いえ、私もコーヒーでお願いします」
「へぇ?咲耶ちゃんもコーヒーを飲むの?じゃあコーヒー二つで」
「はい。ちょっと待っててね」
注文を聞いたマスターは少し忙しそうに戻っていった。いつもはおっとりのんびりした緋桐さんが、今日は何だか忙しそうにてきぱき動いている。そのギャップというかイメージの違いに俺は驚いた。だけどこれくらいは当たり前のことなんだよな。
俺が普段見ているのはその人の一側面に過ぎず、俺が知らない所ではその人にはその人なりの人生がある。おっとりしているマスター、緋桐さんはいつものんびりおっとりしているのかと言えばそんなことはない。慌てる時もあるし、怒る時もある。そんな当たり前のことを人はついつい忘れてしまう。
「ここに来ると……、いえ、菖蒲先生とマスターにはいつもたくさんのことを気付かせてもらっています」
「うん?何の話?」
俺の呟きに菖蒲先生は何のことかわからないと首を傾げていた。でも俺はいつもいつも菖蒲先生やマスターに色んなことを教えてもらってきた。当たり前すぎて忘れていることを思い出させてもらった。こういうのが素敵な人生の先生っていうんだろうな。
「菖蒲先生にも、マスターにも、たくさん感謝しているということですよ」
「はぁ?」
「ふふっ」
菖蒲先生はますますわからないという顔をしていたけど、俺にとってはやっぱり菖蒲先生はとても大恩がある恩師と言える。前世と今生の年齢を足せば俺の方が年上のはずなのに……、それでも菖蒲先生は俺よりも立派な人生の先生だ。
「うわー……。やっぱりこの時間は混んでるわねぇ。お母さん、手伝うわ」
再びカランカランとドアベルが鳴ったと思ったら小紫が入ってきた。普通なら従業員や家の者は裏の家用の出入り口から入ってくるものだと思うけど、ここではあまりそういうことは重要視されていない。友康も帰宅時にこちらの出入り口から入ってくることが多いし、客達も慣れっこなんだろう。
「あれ?咲耶ちゃん、来てたの。お店で会うのは久しぶりね」
「御機嫌よう小紫さん」
店に入ってきた小紫がテーブル席に座っている俺達に気付いて少しだけ声をかけてきた。でも忙しいから簡単に挨拶だけしてすぐに店の手伝いに向かった。
「どうやら小紫さんの言葉からするとこの時間はよく混む時間のようですね」
「そうね……。私もいつもこんな時間に来ないから知らなかったんだけど……、そうみたいね」
今はモーニングの時間だ。ご近所さんや常連客なのか知らないけど、スーツ姿の男性から普通の主婦のような女性、学生のような若者まで色んな客が座っている。お昼や夕方は結構ガラガラのようなイメージだけど、モーニングはそれなりに繁盛しているのかもしれない。
「はい。お待たせ、先生と咲耶ちゃん。コーヒーが二つでよかったの?」
少しすると簡単にエプロンをつけた小紫さんがコーヒーを持ってきてくれた。俺はいつも紅茶が多いからコーヒー二つというのが不思議に思ったのかもしれない。マスターは俺達から注文を受けたからわかってるけど、さっき来て出来たもの持ってきただけの小紫さんが不思議に思うのは当然だろう。
「はい。今日はコーヒーを注文しましたので……」
「へぇ……。咲耶ちゃんでもコーヒーを飲むのね……。あっ!それじゃこれね。はい。少し混んでいるからまたあとでね」
「ありがとうございます」
何か皆そんな反応だな……。俺がコーヒーを飲んだら変だろうか?まぁお嬢様がコーヒーを飲むというのはあまりイメージにないかもしれない。少なくとも俺のイメージではコーヒーを飲むご令嬢というイメージはない。
それに実際に俺の周りにいる子達でもお茶といえば紅茶が多い。もちろん場合によっては緑茶や抹茶を飲むこともあるけど、コーヒーをガバガバ飲んでる子はいない。
「私がコーヒーを飲んでいるとそれほど変でしょうか?」
「ん~……、そうね。少なくとも私やマスターは咲耶ちゃんがコーヒーを良く飲むという場面は見たことがないわ。だからとても新鮮ね」
そう言って菖蒲先生はふっと笑った。そうか……。俺が忙しそうにてきぱき働いている緋桐さんや、普段は落ち着いているのにあのお店のチョコレートのことになるとはしゃいでしまう菖蒲先生を見て不思議に思うように、皆も俺がいつもと違うことをしているのを見て不思議に感じたりするんだろう。
前世ではよく飲んでいたインスタントコーヒーの香りを楽しみつつ、俺は久しぶりのコーヒーを堪能したのだった。