第三百八十七話「そんなつもりはなかったんです」
近衛母の態度から余計なことを言う必要はないだろう。俺が少し調べただけでもあれだけ簡単に証拠が集まったんだから、近衛母が木槿のことについて気付いていないはずがない。むしろどうして俺は今まであんなことすら知らなかったのかと自分を殴りたい気分だ。
「そう……。どうして咲耶ちゃんほどの子があの馬鹿者を放っているのかと思っていたけど……、まさかここで一網打尽にしようと思っていたなんてね。ふふっ。本当に咲耶ちゃんは怖い子だわ」
「はぁ……?」
近衛母が何を言っているのかさっぱりわからない。俺は茅さんと木槿のことについて、ついこの前知ったばかりだから急いでどうにかしたいと思っただけだ。今まで放置したくて放っていたわけでもなければ、今行動を起こすのに何か狙いがあるわけでもない。
「先に言っておくわね。日野木槿本人をどうするかは九条家で決めてくれたらいいわ。でも日野家を潰すのは駄目よ。日野家は次男に継がせて残す。その条件が飲めるのなら木槿の件については近衛家も協力しましょう」
「……わかりました」
少し考えてから近衛母の言葉に頷く。決して近衛母が怖い顔でこちらを睨んでいるからあっさり折れたとかそういうわけじゃない。わけじゃないったらない。
俺としては茅さんに絡み、脅迫やセクハラを繰り返している木槿をどうにかすることが最優先だ。そのために出来ることは何でもするけど、わざわざ近衛家と衝突する理由はない。近衛母も木槿の処分については同意してくれている。ただ日野家まで潰すなと釘を差してきただけだ。
ここで日野家まで徹底的に潰す!と言って近衛家と敵対するのと、日野家まで追及しない代わりに近衛家も木槿断罪に協力してくれるのではどちらを選ぶべきかは言うまでもない。調べた結果日野家そのものは別に茅さんと木槿の結婚を進めようとしていなかった。ならば俺としても日野家を無理に潰す理由はない。
日野家も木槿のような奴を野放しにしていた責任はあると思うけど、茅さんの身の安全を一番に考えるのなら近衛家と協力して木槿だけ排除して、日野家は徹底的に潰さず手打ちにするのがベストだ。それに日野家を潰せないとしても何の罰も責任もなくのうのうとしていられるわけじゃない。
俺が言った通り木槿のような奴を野放しにして、注意もせず手綱も握れていなかった日野家は、例えここで九条家や正親町三条家に責任を追及されなかったとしても、上流階級社会では相当評判が落ちることは間違いない。いくら財力があり、多くの派閥、門流を抱えた名家だったとしても社交界での評判が落ちるダメージは計り知れない。
近衛母はそれまでフォローしようとしているわけじゃなくて、ただそこで満足しておけと言っている。日野家は嫡男を廃嫡することになり、次男をたてることになる。そして社交界でも評判が下がり大きなダメージを負う。日野家への対応はそれで満足しろということだ。
「日野木槿なんて小物だからもう卒業まで放っておくのかと思っていたけど……、まさか最後の最後でやるなんてねぇ。咲耶ちゃんは考えることが怖いわ。私でもそこまで酷いことは出来ないわよ」
「あの……、それは……」
日野家は潰すなと言って怖い顔をしていた近衛母は、俺が折れると満足したのか笑顔になって頷きながら再びそんなことを言い出した。俺には何を言っているのかさっぱりわからない。
「もうすぐ二学期も終わって、三学期が終われば卒業よ。卒業間近で突然家から放逐されて、藤花学園を退学になったら……、人生お終いでしょうね」
「…………え?」
悪そうな顔でニヤリと笑っている近衛母の言葉に俺が固まる。何だって?
「木槿と一緒に木槿が集めている外部生達も一掃するつもりなんでしょう?最初のうちは恐々悪さをしていた子達も、今までずっと何のお咎めもなくやりたい放題してきて随分調子に乗ってしまっているものね。初期の頃はそれほど悪さもしていなかった子達も今では随分悪いことをしているみたいだし、最初は協力していなかった子達も木槿に協力するようになった子も随分増えているわ」
それはこちらの調査でもわかっている。木槿一派も昔からやりたい放題だったわけじゃない。最初はただ少し五北会会長になれて浮かれていた程度のものだった。それが兄が中等科に上がっても会長職を譲りたくなくて、しかも当の兄が何も言ってこない。
最初のうちは遠慮しながら五北会会長という職で有頂天になっていた木槿は、中等科を卒業し、高等科になり、また会長になって……、再び兄に何も言われなかった時に完全に馬鹿になってしまった。そこからはもう外部生達を集めて木槿派のようなものを作り、暴れ、あちこちで傍若無人に振舞うようになった。
外部生達も最初のうちは内部生や五北会を恐れて恐々木槿に協力していただけだけど、周囲が何も言わないのを良いことに調子に乗ってどんどんやりたい放題になってきたようだ。今では最初は木槿に協力していなかった者もかなり合流して大人数になっている。
まぁ所詮一般家庭育ちの外部生が大人数になった所で勢力が強いわけじゃない。極端に言えば不良気取りの外部生が五十人いたとしても、こちらはプロの警備員やSPを百人でも千人でも雇えば済む。町の不良程度の考えと、藤花学園に通う上流階級の考えではスケールが違う。
でも外部生達はそれがわからない。何十人か集まっていれば自分達が大勢力だと勘違いしてしまう。自分達が大勢力だから周囲は黙っているのだと図に乗ってしまう。木槿はそんな者達が何十人か居た所で意味はないとわかっているはずだけど……、裸の王様として祭り上げられて狂ってしまったんだろうな……。
「そういった人間性を持つ者が集まるまで見逃しておいて、もう取り返しのつかない時点で一掃してしまおうと考えていたんでしょう?怖いわねぇ……。今頃藤花学園を退学になれば、これから編入先を見つけて、大学受験も頑張るなんて無理よね」
「あ~……、そう……、ですね……」
「木槿は家からも放逐されるから他所の学校への編入も無理でしょうし、一般外部生達は家から勘当はされないとしても新しい学校を見つけて、無事に卒業して、大学受験にも成功するなんて無理な話よ。今、もう三年生は取り返しがつかない時点になってから地獄に叩き落すなんて……、本当に敵には容赦がないんだから」
パチンと近衛母が可愛くウィンクしていた。でも全然可愛くないし笑えない……。本当だ……。今って三年生達にとってはまさに一生に関わる重要な時期だよな……。
一年、二年ならまだどうにかなるかもしれない。藤花学園を退学になっても他の学校を見つけて、そっちで頑張れば大学受験も現役で合格出来る所もあるだろう。でも三年生はそうはいかない。もうすぐ受験が佳境に入ってくるというのに、学園の卒業すらなくなってしまうんだ。
転校や編入先を確保してきちんと卒業しなければならない。それに藤花学園はエスカレーター式だから、こっちの大学に行こうと思っていた者は受験勉強もしていないだろう。他の大学へ行くつもりで勉強していた者はまだ何とかなるかもしれないけど、藤花学園の大学に行くつもりになっている者は致命的だ。
「これからエリート街道を歩めると思っていた前途有望な若者達が……、一瞬で全てを失ってしまうなんて……、身から出た錆よね!」
うわぁ……。近衛母が生き生きしてうれしそうに笑っている……。やっぱりゲーム『恋に咲く花』で咲耶お嬢様を破滅させただけのことはある……。この人はこういう人なんだ……。とても怖い。やっぱり関わってはいけない人種だ。
「伝えた通りうちとしては日野家まで徹底的に潰さないのならあとは咲耶ちゃんの好きにしてくれていいわ。あとは出来れば木槿の馬鹿者が咲耶ちゃんに叩きのめされる所を見たいから、場所とタイミングは教えてね。私も是非見に行くわ!」
「……はい」
何でこの人はそんなことで目をらんらんとさせているんだろう……。逆らえないから了承しておくけど、俺だったらわざわざ人が断罪される所を見たいとは思わないけどな。
「私だってあの馬鹿者に困らされていたのよ!スカッとしたいじゃない!いっそ私が叩き潰してやろうかと思っていたくらいなのよ!でも待っていてよかったわ。咲耶ちゃんの活躍、楽しみにしているわね!」
「…………はい」
あぁ、どうやら近衛母も日野木槿には困らされていたらしい。だからやられる所を見たいということか。さすがに近衛母でもどうでも良い相手の破滅まで見たいわけじゃないということか……。それはそうだな。そこまで暇じゃないだろう。それに今はお腹に子供もいるし……。
「え~……、それでは日野木槿断罪の方法と場所と日時が決まりましたらまたご連絡させていただきます」
「ええ!楽しみにしているわね!」
最後の最後まで悪そうな顔で笑っている近衛母の前を辞して、俺はようやく帰路についたのだった。今日はとても疲れた……。
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近衛家との話し合いはうまくいった。近衛母がちょっと色々とアレだったけどそれはもうどうでもいい。俺に関係ないなら近衛母が何にどうハッスルしてようとも好きにしてくれ。それより大事なことはここまできたら木槿をきっちり処分しなければならないということだ。
俺が心の中で考えている段階だったならば『やっぱりやめました』となってもよかった。でも兄に言い、グループの皆に協力を要請し、近衛母にまで伝えた。今更『やっぱりやめました』は通じない。ここまできたら腹を括る必要がある。
「ですが……、何をどうすれば……」
これが一番のネックだ。木槿を断罪すると言っても何をどうすれば良いのかわからない。木槿の行いが酷いというのはもう誰もが知っている周知の事実だ。それを今更俺が証拠を集めて『こんな悪いことをしています!』と言った所で皆『知ってた』と言って終わりだろう。
「う~ん……。ここはやはり……、まずは何をどうしたいのかから考えましょうか……」
漠然と木槿を断罪したいとかすると言っていても具体的に何をどうするのか決められない。こういう時は基本に立ち返って考えよう。
まず俺の目的は木槿の断罪!ではなく茅さんを助けることだ。木槿を排除したいと思っているのは目的ではなく手段であり、俺の一番の目的は茅さんを救うことだとしっかり認識しなければならない。
じゃあ茅さんをどうやって助けるかと言えば、周囲の状況や木槿の行い、皆の反応からして木槿を排除するしかない。今更木槿を更生させるとか、茅さんに手出しさせないようにするなんて選択肢はないだろう。あと木槿派になっている外部生も一緒に排除しなければならない。
ではどうやってそれを成すか。上流階級の大人達だけの場で木槿を断罪しても、日野家の醜聞が広まらないように闇に葬られたり、なぁなぁで済まされる可能性がある。それに外部生達もまとめて断罪するのなら、藤花学園の生徒達が集まっている場で、言い逃れのしようもない形で断罪し、全員を排除する必要がある。
よしよし!だいぶ纏まってきたな!あとは……、それをどうやってするかだ!
「う~ん……。う~~~ん……」
ベッドの上をゴロゴロ転がりながら必死で考える。でも思い浮かばない。そもそも俺は人を断罪するとかそういうことが苦手だ。
「咲耶様、お通じが良くないのですか?」
「わきゃっ!?」
いきなり声をかけられて驚いて飛び上がってしまった。見てみればベッドの足元の方から椛がこちらを覗いていた。何でそんな場所から……?
「いえ……、別に便秘でも腹痛でもありません……」
女性は便秘が多いと聞いていたけど俺はすこぶる快便だ。今生では便秘で困った記憶はない。
「それでは一体何を唸っておられたのでしょうか?」
「あっ……、あ~……」
少し考える。そう言えば椛にも相談していない。兄やグループの皆に相談して協力してもらっているんだから、一番身近にいる椛にもちゃんと相談して協力してもらった方が良いんじゃないだろうか?
「実はですね……」
どうせ俺が何か動き出せば椛にも説明しなければならなくなる。それに協力してもらう必要もあるだろう。だから俺は椛にも相談してみることにした。
「ああっ!咲耶様が私に相談してくださるだなんて!今までは咲耶様がお決めになられたことに全て従い協力していただけですが、今回はそれを決める前から相談していただけたのですね!」
「そうですね……」
何か椛の言葉がグサリと刺さった。俺って奴は本当に……。今まで椛やグループの皆がこんなに信頼してくれていたのに、俺は皆を頼らず自分だけで全てを考えて決めようとしていた。自分の愚かさが嫌になる。
「まぁあの者なら一人でどうとでも出来るのでしょうし、咲耶様があの者のためにそこまでされるというのも少々癪ではありますが……、この椛にお任せください!」
「おおっ!」
胸を反らしてドンと叩いた椛についついパチパチと拍手をしてしまった。でもどうやら椛には何か考えがあるようだし、今回は椛にも色々と協力してもらおう!