第三百七十五話「ただいま」
芹ちゃんとのドキドキの混浴も無事に終わった。今夜こそちゃんと全部覚えていたし記憶も意識もはっきりしている。チラチラと見えてしまった芹ちゃんの肢体が……、って、だから俺は何を考えているんだ!芹ちゃんみたいな良い子のことをそんな欲望に塗れたような視線で見てはいけない!
ともかく今日こそはお風呂の記憶もあるし、今も意識がはっきりしている。これでようやく記憶がなくなっている夜の謎が全て解明されるというものだ。
「咲耶ちゃん、今日はまた私が髪を乾かすのをお手伝いしますね」
「皐月ちゃん!抜け駆け禁止ですよ!私もお手伝いします!」
「え~っと……、ありがとう皐月ちゃん、蓮華ちゃん。それではお願いしますね……」
本当は驚きの方が強いけど、髪を乾かすのを手伝うくらいなら普通なのかもしれない。それに『今日はまた』と言っていたので、俺の記憶がなくなっている間も皆が髪を乾かすのを手伝ってくれていたのかもしれない。今日急にいつもと違う対応をすれば皆に怪しまれるかもしれないから、とりあえず二人に任せることにしてみた。
髪を乾かすのを手伝ってもらってからも、皆順次お風呂の交代に向かっていた。薊ちゃんが戻ってきて自分がお風呂に入っている間に俺の髪を乾かすのが終わっていたからかなり嘆いていたけど、薊ちゃん達が出てくるまで放っておくわけにもいかないし、俺達の次に入ればこうなることはわかってたはずだよね……。
「やっぱり体質に合う、合わないもあるんですね……」
「それはそうでしょうね……」
「クスン……。折角咲耶様と同じケアをすれば同じお肌になれると思ったのに……」
「お肌も一人一人違いますから……。やはり自分に合ったものが一番ですよ」
どうやら薊ちゃんはこの修学旅行の間に俺のスキンケアやお手入れの真似を少ししていたらしい。でも薊ちゃんの肌や体質には合わなかったのか、こんな短期間では劇的な変化は望めなかったのか、あまり良くなった感じがしないようだ。
肌が突っ張るとか、荒れが酷くなったとか、髪がボサボサになったり、ベタベタになったりと、大きく悪くなったわけじゃない。ただ薊ちゃんが思ったよりも変化はなかったらしい。
「やっぱり咲耶様の輝くお肌も、艶々サラサラの髪も、咲耶様だからこそのものなのですね……。私のようなミジンコが少しケアの真似をしたくらいで手に入るものではなかったんです……」
「ちょっ!ちょっ!薊ちゃん!何もそんなに落ち込まなくても……。それに薊ちゃんのお肌も髪も綺麗だと思いますよ。皆同じが良いというものでもないでしょう?一人一人違うからこそそれぞれが輝くのですよ」
物凄くシュンとしてしまった薊ちゃんを慌ててフォローする。確かにここにいる皆を比べるだけでも、その肌や髪の癖というのは一人一人違う。透明感があって、きめ細かく、ある程度の張りがあるのが良い肌と言われるかもしれないけど、必ずしもそうとも限らないだろう。肌だって髪だって色々ある。
「そうですね……。そうですよね!咲耶様と同じになろうとしてもどうせ咲耶様には敵わないんですから!それなら咲耶様とは違う形で自分らしさを求める方が良いですよね!」
薊ちゃんが俺に敵わないなんてことはまったくないと思うけど、何か自力で立ち直ったようだし余計なことを言う必要はないだろう。薊ちゃんは薊ちゃんだし、俺は俺だ。参考にしたり良いものを取り入れるのは良いけど、誰かになろうとする必要はない。
「そろそろ消灯時間も近いですから寝る準備に入りましょう」
「そうだねー」
皐月ちゃんがパンパンと手を叩きながら皆にそういった。まるでお母さんみたいだ。やっぱり皆それぞれ役割というか違いがあるんだなぁ……。
「それでは照明を消しますね」
「ほいほいさー!」
芹ちゃんの寝る位置がスイッチに一番近いのか芹ちゃんが消す係りをしていた。照明が落ちて皆が眠りにつく。暫くはまだ皆がもぞもぞと動いていた気配があったけど、やがて次第に皆眠りに落ちていったようだ。でも俺はというと……。
眠れん……。こんな状況で眠れるわけがない……。
第二次性徴も進んできた少女達が密集している。林間学校の時はまだ皆も今より成長していなかったし、ベッドが離れて置かれていた。でも今は和室にぴったり布団を敷いて寝ている。少し横へ移動すれば両隣に寝ている子達に簡単にタッチ出来てしまう距離感だ。
こんな状況で俺が簡単に眠りに落ちてぐっすり眠れるわけがない……。
暫く悶々としていた俺も、疲れていたのか、かなり時間が経ってからようやくいつの間にか眠りに落ちていたのだった。
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朝起きた時間はいつも通りだ。昨晩は少し夜眠りにつくのが遅かったから少し寝不足かなという感じはする。でもこの程度の寝不足はよくある話だ。いつも通りの決まった生活をしていればもう少し早く眠っているだろうけど、夜にパーティーなんかがあるともっと遅くになることもある。この程度の寝不足なら寝不足とも言えない。
今日も皆を起こさないように着替えてから散策に出かける。まぁ散策と言っても旅館やホテル内を歩いてるだけだけど……。勝手に外を出歩いていたら問題になるだろうし、面倒事になるのは目に見えている。
とりあえずぶらぶらと旅館内を歩きながら思い出す。昨晩のことはばっちり覚えている。これまでの修学旅行の夜は記憶も意識もなくなっていた。でも昨晩のことははっきり思い出せる。
芹ちゃんと一緒にお風呂に入って背中の流しっこをしたし、部屋ではお風呂上りであられもない姿の皆とケアやお手入れをしながら楽しくお話をした。皆で布団を並べて眠りについて……、女の子達に囲まれて中々寝付けなかった。大丈夫だ。全て覚えている。
「昨晩のことで特に何も言われなかったということは……、それまでの夜も同じように過ごしていたということでしょうか……」
皆の反応からするといつも通りという感じだったと思う。意識がない時と昨晩で違いがあったら皆ももっと反応していただろう。ということは意識がない日もあの程度の、普通の振る舞いだったと思って良いんじゃないだろうか。
何だ……。何も心配する必要はなかったんじゃないか。そりゃそうだよな。いくら意識がなかったとしてもベースは俺なんだ。意識的にしろ無意識にしろそう大きな違いがあるとは思えない。
酔っ払って記憶がなくなっている間に何をしたのか不安になるのと同じだ。わからない間は本人は気になるけど、後で聞いてみても普段とあまり変わってなかったというのはよくある。まぁ……、逆にとんでもないことをしでかしている時もあるけど……。ともかく今回の修学旅行に関しては特に問題はなかったということだ。
不安がなくなった俺はようやくすっきりした気持ちで部屋へと戻ったのだった。
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朝食を済ませてから俺達は故郷とも呼べる古都から出発した。ゆっくり十時くらいに出発したけど、ここから学園に帰るまで普通に混雑や休憩時間を含まなくても六時間や七時間はかかってしまう。さらに帰りもルート上にある休憩所や観光地を多少は見ていくらしい。
まぁ行きの時のようにがっつりあちこちに寄るわけじゃない。高速道路から見える場所をPAやSAから見たり、降り口から近くの名所などを少し見たりする程度だ。
観光のためというよりは、長時間の移動だと飽きたり疲れたりするから、上位の家の子女が多いために学園が色々と配慮や工夫をしているということだろう。あとは時間調整だな。
「恐らく予定時間より遅れるでしょうね……」
「都内の混雑があるので仕方ありませんね」
俺の隣に男子が座るとリバースしてしまうので、当然ながら帰りもグループの子達が交代で座ることになっている。今は皐月ちゃんが隣に座っているから景色を見ながら雑談していたけど、予定通りには戻れないだろうと話し合っていた。
十時に出発して、高速道路だけで六時間以上だ。しかも下道も走るからそれ以上に時間がかかる。もし都内付近まで戻るのに一切渋滞や混雑がなかったとして、無休憩で走り続けても付近まで戻る時には十七時、帰宅ラッシュ真っ只中に突っ込むことになる。さらに昼食を含めて途中で何度も休憩を挟むからそれよりも到着は遅れる。
たぶん真っ直ぐ向かっても帰宅ラッシュの一番渋滞している所へ突っ込むことになるから、あえてあちこちで休憩を増やして時間をずらそうとしているのだと思う。でもそれでも帰宅ラッシュの渋滞に巻き込まれる可能性は高い。
「ですがこれで修学旅行も終わりかと思うと少し寂しいような名残惜しいような気がしますね」
「そうですね」
皐月ちゃんとまったりおしゃべりしながら……、バスは学園へ向けて走り続けていた。
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夕方を越えて夜と呼ばれる時間に、バスは予定の時間を少し過ぎて学園へと到着した。確かに多少遅れてはいるけど、俺達が思っていたよりは予定時間近くに到着出来た。
もし仮に休憩時間を減らして、急いで戻ろうとしていてもこれくらいの時間になっていただろう。どうせ急いで戻っても帰宅ラッシュなどの渋滞の時間に巻き込まれるから、それならばと途中で休憩をたくさん入れて時間調整したのがよかったのだと思う。
同じ時間に到着するにしても、渋滞に巻き込まれて遅々として進まない中でダラダラ戻ってくるのと、各所で休憩と観光をしながらゆったり戻ってくるのでは生徒達のストレスも大きく違う。お陰でこんな時間に到着したというのに特に不満なども聞かれなかった。
もちろん皆疲れていると思う。俺だって長時間バスに乗っていて疲れた。電車やバスに乗っていても運動しているわけでもないし平気だろうと思ったら大間違いだ。長時間乗り物に乗っているとそれだけでも疲れる。
でも皆この疲れが修学旅行が終わったという開放感によって心地よく感じているのかもしれない。前世でも今生でも遠足や学校の旅行の帰りは疲れていても元気なものだ。まぁそれでハイになっているからと無茶をしたりするから『遠足は家に帰るまでが遠足だ』と言って気を引き締めろと言われるわけだけど……。
「それでは咲耶様!お疲れ様でした!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「咲耶ちゃんまたねー!」
「御機嫌よう皆さん」
校庭に整列して先生の話を聞いてから解散となった。皆の挨拶を聞きながら俺も帰る。荷物は家人がバスから降ろされた物を持って帰るので俺が取りに行く必要はない。五泊六日の旅行は長いと思ったし、実際にたくさんの思い出も出来て随分長い間旅行に行っていた気がする。でも思い返してみればあっという間だったような気もするから不思議だ。
「…………咲耶様」
「椛」
ロータリーの方へ行くとこの寒い中、椛が車の外でずっと待っていた。その顔は寒さのために赤くなっている。照れているとかそういう赤さではなく、寒い中でずっと外に居た時に赤くなるあれだ。
「おかえりなさいませ、咲耶様」
「はい。ただいまもどりました、椛」
少し離れた所で立ち止まって椛の挨拶を受ける。その目は次第にウルウルと潤み始めた。
「咲耶様っ!」
「もう……。椛ったら……」
こちらのロータリーは上位の家しか利用していない。下位の家はグラウンドの方が開放されていてそちらで出迎えを受けている。だから数は少ないと言っても他にも上位の家の子達や出迎えの家人達がいるというのに、椛は人目も憚らず俺に抱き付いてきた。
「あぁ!咲耶様!咲耶様ぁ!」
「はいはい。私はここにいますよ」
俺に抱き着いておいおいと泣く椛の背中をポンポンと叩いてあやす。まるで大きな子供を相手にしているようだ。俺に抱き付いている椛は冷え切っていた。とても冷たい。車の中とかで待っていればよかったのにとは思うけど、椛のその気持ちはうれしく思う。
「さぁ、こうしていても仕方がありません。帰りましょう。私達の家へ」
「はっ、はいっ!咲耶様と私の家へ!」
いや、それはちょっと違うんじゃないかな……。九条家の家だし……。ただまぁいつまでもこんなに冷え切っている椛を外に立たせておくわけにもいかない。早速俺達が車に乗り込むと家に向かって走り始めた。
これで本当に修学旅行がお終いかと思うと、ほっとしたような、残念なような、もっと遊びたかったような、早く家で休みたいような、何とも言えない気分になってくる。
「咲耶様!帰ったらお風呂に入りましょう!私が旅の疲れと汚れをお流しいたします!」
「いやぁ……。もう当分混浴や背中を流すのは良いです……」
修学旅行中に何度も皆と一緒にお風呂に入ったり、芹ちゃんに背中を流してもらったり、とにかくもう当分はお腹一杯と思うくらい苦労した。皆も一緒にお風呂でぐへへっ!とか思う暇もなかった。苦労の方が多かったしもう暫くはそういう気分にもなれそうにない。
「『もう良い』とはどういう意味ですか!?まさか……、まさか咲耶様の貞操はもう!?一体誰です!誰が咲耶様を奪ったというのですか!」
「ちょっ!?椛!落ち着いて!?」
急に『キーッ!』と言いながらハンカチを噛み始めた椛を宥めるのはバスでの移動よりも疲れたのだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
今回の藤花学園の修学旅行日程(現実の日本の地名等に置き換えた場合)。興味のない方はスルーでおk
一日目、都内から出発→鎌倉高徳院等見学→富士山見学→浜松エアーパーク→浜名湖・舘山寺温泉で一泊
二日目、熱田神宮→犬山城→伊勢神宮→三重内のアスレチックが充実した宿泊施設
三日目、アスレチック施設
四日目、奈良へ→興福寺、春日大社、東大寺等見学→大阪で食事→大阪平野が見渡せる山の上の温泉へ
五日目、京都へ→金閣寺、八坂神社、清水寺等見学→温泉旅館へ
六日目、各所で休憩しつつ都内へ
なお、上記は本文中で言及されている場所のみであり、それ以外にも多数観光地や景勝地へ行ってます。