第三百五十二話「実は燃えていた?」
ある日のお昼休み、いつも通りテラス席で食事を終えて寛いでいるとちょっとした争いが発生した。といってもまぁいつものことと言えばいつものことで大したことじゃない。ちょっと三年生達……、というか李と射干が口論しているだけだ。この二人の口論はいつものことなので珍しくもない。
「だいたい射干が皆と合わせようとしないから悪いんでしょ!」
「何よ!李だって協調性がないくせに!」
「今は私の協調性の話じゃなくて、射干が皆と息を合わせないから失敗するって話でしょ!」
「だからそれを協調性の欠片もない李が言う権利はないって言ってるのよ!」
「まぁまぁ、二人とも……、少し落ち着いて……」
九月もそれなりに日が過ぎて多少涼しくなってきたとはいえまだまだ残暑が厳しい。テラス席は日陰と自然の風で表より涼しいけど、李と射干の争いの熱気でこちらまで暑くなってくるような気がしてしまう。
事の発端は運動会の話だった。今の時期の話題と言えば前にも言った通り、運動会、二条家のパーティー、修学旅行が中心になる。その中で二条家のパーティーは呼ばれていない子も多い。六年のグループの皆は堂上家が多いからほとんどの子は呼ばれているけど、三年生の子達は地下家や一般の子もいるからね。
そして修学旅行は俺達六年生だけの行事だから三年生達がいるこの場で修学旅行の話をしても盛り上がらない。そうなると必然的に今の時期の話題といえば運動会となる。
皆で普通に運動会の話をしていた時はよかったんだけど、それが段々ヒートアップして、同じクラスで同じ種目に出る李と射干が揉め始めた。二人ともムカデ競争に出るらしいんだけど、李が言うには射干が皆と合わせないからムカデがほとんどまともに進まないらしい。それに射干が反論し始めて今の騒動になったというわけだ。
「そう言えば三年生の皆さんは今回が初めてクラス替えがあり、一、二年生の頃のお友達と分かれてのクラスですものね」
「うん……。皆と別々になっちゃった……」
俺がそう言うと秋桐がシュンとして俯いてしまった。止めを刺すつもりはなかったけど思いのほかクリティカルヒットしてしまったようだ。
「えっと……、あっ!そうです。確かにお友達と同じチームで和気藹々と楽しむのも良いですが、皆とお互いに力を出し合って切磋琢磨するのも良いものですよ」
「でも咲耶お姉ちゃん達は皆同じクラスだよね?」
うっ……。まぁそうですね……。校長と理事長が斟酌してくれたから五年のクラス替えで俺達は皆同じクラスになれたからね……。説得力ないね……。
「何言ってるのよ。私達だって三年のクラス替えの時はバラバラになって、三年、四年の時の運動会ではお互いに全力で頑張りましょうねって話していたのよ」
「そうなの?」
「ええ、まぁ……」
そういえば皆とクラスが違った時でも俺達は運動会の時に秋桐達のようにシュンとはしていなかった。薊ちゃんが言ったように、運動会当日は『お互いに頑張りましょう!』みたいな感じだったと思う。
普通の三年生くらいなら秋桐達のように、仲の良い子と離れ離れになってしまったと落ち込む方が普通なのかもしれない。うちのグループの子達こそが昔から達観しすぎているような気はする。でも落ち込んでいるよりも薊ちゃん達のように前向きに頑張ろうとしている子の方が応援する方としても気持ち良いな。
「わかった!それじゃ秋桐達も頑張るね!」
「はわぁっ!きゃ、きゃわいぃっ!」
「むぎゅぅ……」
ちっちゃいお手手をぎゅっ!と握り締めて健気なことを言う秋桐があまりに可愛くてギュッと抱きしめる。
「秋桐ちゃんだけずるい」
「九条様、私も~!」
「咲耶様~!」
「うんうん。皆良い子だね」
おお……、秋桐に続いて三年生達が俺の周りに集まって抱きついてきてくれる。ここが天国か……。
「まぁ三組の優勝は確定しているけどね!」
薊ちゃん……、三年生達にまでそんなことを言わなくてもいいだろう……。いくら何でも大人気ない……。うちのグループの子達は早熟で達観していると思っていたけど、やっぱりこういう所はまだまだ子供っぽいのかもしれない。
「「いいえ!今年は一組が優勝します!」」
そしてさっきまで言い争っていた李と射干が声を揃えて薊ちゃんの言葉に反論していた。まぁこの二人は本当は仲が良いんだよな。お互いに少し似た部分があって、二人とも気が強いからついつい言い争いになることもしばしばだけど、そうやって言い合えるのはお互いに仲が良くて信頼しているからでもある。
遠慮して言いたいことも言えない関係よりも、李と射干のように言いたいように言い合える関係の方が良いかもしれない。
「一組なんて何十年ぶりに自力優勝の可能性すらなかったじゃない」
「それは去年の話でしょう!」
「そうです!今年の一組には私達がいるんですから!」
そう言いながら李と射干は結託して薊ちゃんに対抗していた。何だか面白いなぁ。二人はさっきまでお互いに言い争っていたのに、今は二人で一緒になって薊ちゃんに立ち向かっている。
「そう思うなら思えば良いわ。でも私たち三組には咲耶様がおられるのよ。しかも今年はリレーのアンカーが咲耶様なの。実質的にリレーで勝ったチームがほぼ優勝なんだからリレーに咲耶様が出られる時点で三組の優勝は確定なのよ」
「「うぅ……、それは……」」
こらこら、薊ちゃん……。三年生達を追い詰めてどうする……。
「そんなことはないですよ。李ちゃんも射干ちゃんも、一生懸命頑張りましょう。結果なんてわかりませんよ。昔は私がリレーに出ても負けたこともあります。私が出るから勝ちが決まっているなんてことはありませんよ」
「咲耶様がリレーに出られても負けたのは、誰かさんが盛大に転んで圧倒的なリードを許したり、咲耶様が低学年で、折角リードを作っても不甲斐ない高学年達が逆転されていた場合だけでしょう?咲耶様が高学年になられてからは付け入る隙も与えていないじゃありませんか」
「「うぅ……」」
それはそうかもしれないけど……、そこまで言う必要ないでしょうに……。折角ちょっと復活していた李と射干が再び自信のない表情で俯いてしまったじゃないか。三年生を相手に大人気なさすぎるぞ薊ちゃん。
「去年は三組の圧勝で一組なんて自力優勝すら消滅しましたし……」
「薊ちゃん、確かに去年の結果だけで言えばそうかもしれませんが、去年は去年、今年は今年ですよ。相手を侮ることも貶めることもすべきではありません。皆で一生懸命頑張って、最後にお互いの健闘を称えあえば良いではありませんか」
「ぁ……、すみません……。李も射干もごめんね。一組のことになるとついムキになっちゃったわ」
「いえ……」
「徳大寺様の言われることも本当のことですし……」
何か今薊ちゃんは少し気になることを言ったぞ。何で一組のことになるとムキになっちゃうんだ?
「あの……、薊ちゃんはどうして一組をそれほど目の敵に……?」
「咲耶ちゃん……、一組には近衛様と、まぁあとついでに鷹司様もおられるからですよ」
俺の言葉に皐月ちゃんがコソッと答えてくれたけどそれでもいまいち良くわからない。伊吹や槐に何か関係があるんだろうか?
「咲耶ちゃんに余計なことや嫌なことしかしない近衛様と鷹司様は私達の間では侮蔑と嫌悪の対象なんですよ。それに薊は負けず嫌いなので、あのお二方がいる一組には絶対に負けたくないと思っているんです」
「そうだったのですか……」
皆が伊吹や槐のことをあまり良く思っていないのかなというのは前から何となくわかっていたけど、まさかそこまで二人のことを嫌っていたのか……。はっきりと嫌いだとまでは示していなかったからもっと軽く嫌がってるくらいかと思っていたけど、俺が考えていた以上に皆はあの二人のことを嫌っていたらしい。嫌いなことを表に出しすぎないのはご令嬢達だからか。
まぁ皆とあの二人のことについては別にどうでもいい。それよりも……、薊ちゃん達は『どうせ今年も三組の優勝だから』みたいな雰囲気であまり運動会に熱心じゃないのかと思っていたけど、心の内では一組に絶対負けたくないと燃えていたんだな。俺はそこまでわかっていなかったけど、皆ちゃんとやる気に燃えていたんだ。
「ふふっ」
「どうされたんですか?咲耶様」
「いいえ。運動会……、頑張りましょうね」
「えっ?……えぇ、はい……」
薊ちゃん達は不思議そうな顔をしていたけど、実は皆も内心ではやる気になっていることを知って、俺も何だかうれしい気持ちになってきたのだった。
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五北会のサロンで座っていると、向かいに茅さんがやってきて、茅さんの隣に睡蓮がやってくる。そして睡蓮がやってくると何故か竜胆もやってくる。いつも通りの光景が広がっているけど……、俺には少し気になることがあった。
「睡蓮ちゃん、前みたいに『咲耶お姉様』って呼んでみて?」
「ぜぇ~~~ったいに!いやですぅっ!」
うん……。めちゃくちゃ全力で拒否された。何でだろう?夏休み明けくらいの頃に、睡蓮は急にそんなことを言っていた。俺がそう言って欲しいと言ったわけじゃないのに、何故か睡蓮の方から俺のことを『咲耶お姉様』って呼んでいたはずだ。それなのに今はまたこうして絶対に嫌だと言って呼んでくれない。
別に俺は『咲耶お姉様』と呼んで欲しいわけじゃない。竜胆とかにはそう呼ばれているけど実は内心では少し恥ずかしいとすら思っている。そりゃ『咲耶お姉様』なんて呼ばれたら、むず痒いやら、気恥ずかしいやら、そういう気持ちになるのもわかるだろう。
だから別に『咲耶お姉様』と呼んでもらいたいとか、呼んでもらって何かあるというわけじゃないんだけど、折角睡蓮との距離が縮まったのかな?と思っていたのに、何故かまた一瞬のうちに二人の距離が開いてしまった。そのことをちょっと残念に思いつつ、どうすればいいのかわからない。
「咲耶お姉様!どうして睡蓮などに構われるんですか!私が咲耶お姉様とお呼びしているじゃありませんか!私では不満なのでしょうか?何か足りないのでしょうか?」
「竜胆ちゃん……。そういうことじゃないのよ……」
竜胆がウルウルした目をしながら俺を見上げてくる。何かとても可哀想というか何というか……。俺が悪いことをしてしまっているような気がしてくる。でも別にそういうわけじゃない。竜胆が俺のことを『咲耶お姉様』と呼んで慕ってくれているのはわかっているし、とてもありがたいことだと思っている。ただ睡蓮とももうちょっと打ち解けられないかなと思っているだけだ。
「どうして睡蓮ちゃんは私と打ち解けてくれないのかしら……」
そりゃ相性の悪い相手とかもいるだろう。特に理由がなくても生理的嫌悪とでもいうようなものがある相手もいるだろう。でも俺と睡蓮は別に何もなかったと思う。睡蓮が俺を何となく嫌いと感じてしまうというのならそれまでの話だけど、それでももうちょっとお互いに打ち解けるくらいは出来そうなものだけど……。
「咲耶お姉様……、本気で言われているんですか?」
竜胆が何か物凄い顔で俺の方を見ている。でも俺にはわからない。首を振ったら竜胆が『はぁ……』と深い溜息を吐いてから話し始めた。
「睡蓮は正親町三条様のことが好きなんですよ。ですがその正親町三条様は咲耶お姉様のことが好きなんです。睡蓮からすれば当然それは面白くないことですし、正親町三条様が想いを寄せる相手に反発するのは当然ではないですか?」
竜胆の言葉に……、でも俺は首を振った。それは俺だってわかってる。でもそれでは納得がいかない。
「それでは竜胆ちゃんは薊ちゃんや皐月ちゃんのことを目の敵にして徹底的に嫌っていますか?」
「え?徳大寺様や西園寺様ですか?別に……、そこまで嫌いではありませんよ?大好きと言えるかどうかはともかくですけど……」
竜胆は少し考えてからそう答えた。それは俺が期待していた通りの言葉だ。竜胆と薊ちゃんや皐月ちゃんの関係を見ていれば大体答えがこうなるだろうとは思っていた。
「竜胆ちゃんは私のことを好いてくれていますよね?そして私は薊ちゃんや皐月ちゃんのことが好きです。では竜胆ちゃんは薊ちゃんや皐月ちゃんのことを嫌っていますか?そうではないのですよね?それなのに何故睡蓮ちゃんは茅さんが好いてくれている私のことが嫌いなのでしょうか?」
「それは……、えっ……?あれ……?」
俺の言葉に、自信満々に答えようとした竜胆はオロオロして答えを言えなかった。別に俺は竜胆をやりこめようと思って意地悪を言っているわけじゃない。俺が睡蓮の考えがわからないのはこれが疑問だからだ。
竜胆は俺のことを慕ってくれている。その俺は他の子達のことも好いている。でも竜胆と俺が好いている子達の間が険悪かと言えばそんなことはない。何も完全にお互い大好きだとは思っていないし、そうなるべきとも思っていないけど、俺と茅さんと睡蓮の関係に比べて随分穏やかだ。その違いが何なのかわからない。
「咲耶お姉様が……、恋愛に関してはっきり自覚されておられる?」
「咲耶様はたまに鋭い時があるのよ」
「それに……、たぶん咲耶ちゃんの言葉は私達が考えているような想いとは違うと思いますよ。ただたまにこうして鋭い場合があるんです」
いつの間にかこちらに来ていた薊ちゃんと皐月ちゃんが竜胆と話をしていたけど、俺はそれよりもこの問題がどうしてなのかわからずに必死に答えを探していたのだった。