第三百三十九話「やっぱり成長してない」
その日すぐに退院した俺は翌日普通に学園へと登校していた。
「御機嫌よう」
「九条様!大丈夫なのですか?」
「九条様、暫く安静にされた方がよろしいのではありませんか?」
「ありがとう。でも大丈夫よ」
教室に入ると皆がワッと集まってきた。少し前には考えられないことだったと思うけど、今はこうして心配してくれる子達がたくさんいる。皆の気遣いがとてもうれしい。
「咲耶ちゃん!」
「九条さん……」
「御機嫌よう、皐月ちゃん、芹ちゃん。昨日はご迷惑をおかけしてごめんなさいね」
「迷惑だなんて……」
「そうですよ。咲耶ちゃんのことで迷惑なんて思ったことは一度もありません」
二人もそう言ってくれるのがありがたい。席へ向かう間も気遣われていて何だかこちらの方が申し訳ない気持ちになる。別に体調が悪いとか、何か病気というわけでもないし、そんなに心配してもらうほどのことじゃないんだけどな……。
まぁちょっと女の子のニャンニャンを想像するだけで気絶してしまうんだとすれば、それはある意味一種の病気のようなものとも言えるけど……。
「おはようございます!あっ!咲耶様!もう大丈夫なんですか?」
「御機嫌よう、薊ちゃん」
その後、俺を心配して他のグループの子達もいつもより早めに登校してきてくれていた。目の前で急に倒れたんだからそりゃ心配や迷惑もかけてしまっただろう。申し訳ない気持ちとありがたい気持ちが綯い交ぜになって何とも言えない。
朝から皆で先日の気を失った話ばかりになったけど、体調とかには特に問題はないと皆に伝えて納得してもらった。医者も原因不明と思っているしな……。精密検査はしたけど別にどこも異常はないし、医者の問診で本当は思い当たることはあったけど、恥ずかしくて『わからない』と答えたからな……。
俺の中ではもう女の子のニャンニャンを想像したら恥ずかしさのあまり気絶してしまうんだろうと思っているけど、まさか医者に質問されてそんなことを言えるはずもない。何故だか分かりませんとしか答えようがないだろう。もちろん皆にだって言えない。
とりあえずもう問題ないことや、特に病気などではないと伝えながらも、これから先どうしたものかと頭を悩ませていたのだった。
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俺が学園で気絶してから数日が経っているけど、俺は未だにどうすれば良いかわからないままだった。
まずいくつか実験というか、確認というかしてみたけど、例えばどうでも良い女の子の裸を想像したり、何なら見たとしても別に気絶はしなかった。部屋で気絶しても良い状態にしてから想像してみたりしたけど特に気絶したりすることはなかった。
そこで今度は椛の裸を想像して……、俺とニャンニャンしちゃう想像をしたら……、気絶した……。どうやら俺が気絶するのは身近な人というか、ある程度以上好意を寄せている相手とそういうことをする想像をしたら気絶するらしい。
どうでも良い相手の裸を想像するとか、椛のような身近で大切な人でもただ普通にお風呂に入るとか、着替えをするとか、そういうことでは流石に気絶しない。ただ、もっとこう……、いやんばか~んな、叡智シーンを想像すると気絶してしまう。急にボッ!と顔が真っ赤になって、頭がパンクしたようにシャットダウンされる感じだ。
俺は小さい時からはっきりとした自我があったから、椛と一緒にお風呂に入ったこともあるし、ある程度大きくなってからも色々としてもらっている。グループの皆とだって、一緒の部屋で着替えたり、一緒にお風呂にこそ入ったことはないけど、お風呂上りの姿を見たり、同じ部屋で寝て、寝起きを見たりもした。
その時は気絶しなかったし、今思い出しても気絶はしない。でもそれからもっと進んでニャンニャンしている叡智シーンを想像すると気絶しそうになる。それでもさらに無理をすると本当に気絶してしまう。病気じゃないと言ったけどこれはさすがにある意味においては一種の病気とも言えるかもしれないな……。
さすがにこのままはまずい。こんなにしょっちゅうバタバタと気絶していては今後いつどんなことに繋がるかわからない。急に気を失ってしまうのならいつどんな事故になるかもわからないからな……。
どうにかしたいとは思うけど……、どうすればいいんだろう?誰かに相談しようにもこんなこと相談も出来ないし……。誰に相談すれば良いのかもわからない。そもそも女の子同士のニャンニャンを想像したら気絶してしまうのですがどうすれば良いですか?とでも聞けというのだろうか?そんなこと聞けるわけないだろう……。
本当に何か大変なことになる前にどうにかしないといけないんだけど……、結局俺一人でいくら考えても解決策は思い浮かばなかった。
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次第に夏休みが近づいてきて学園内も何だか少し浮かれたような空気が漂い始めた頃、サロンで伊吹に声をかけられた。
「おい、咲耶」
「……何かご用でしょうか?近衛様」
最初の頃は伊吹に『おい』とか言われてただけで反発してたけど、最近ではもう伊吹が『おい』とか言ってもいちいち反応しなくなってしまった。人間というのは毎回毎回こうやって言われていたら、そのうち慣れてしまってどうとも思わなくなってしまうものなんだろうな……。
もちろん今でも『おい』なんて言われて良い気はしないけど、いちいち何か言っても伊吹は一向に直さないし、文句を言うだけこちらが疲れるだけだと思ってついつい何も言わずに済ませてしまっている。本当はこういうのは良くないとわかってはいるんだけど……、別に伊吹がそれで馬鹿で無教養な奴だと人に思われても俺の知ったことじゃないしな。
いちいち伊吹と言い合いになってまで伊吹の悪い所を俺が直してやる謂れもないわけで、皆も伊吹が『おい』とか言ってるのを聞くたびに『こいつは無教養な人間なんだな』とか、『言葉遣いも知らないんだな』と思いながらスルーしているんだろう。
「パーティーの招待状だ」
「あぁ……、ありがとうございます」
伊吹に差し出された招待状を受け取る。いつもお盆の終わり頃にある近衛家のパーティーの招待状だろう。近衛家のパーティーは日が固定だから中身を確認するまでもない。
「今度のパーティーでは咲耶が俺のパートナーだからな」
「…………は?」
パートナーになってくれないか?と聞かれるならまだしも、こいつは勝手に決めて言い切ったぞ。馬鹿なのか?馬鹿なんだな?馬鹿だろう?
俺はまだパーティーに出席するかどうかすら答えていない。それなのに何故勝手に俺をパートナーだと決め付けているのか。いや、いいよ?勝手に決め付けていたってこっちがパーティーを欠席して伊吹のパートナーがいないなんてことになったって知ったことじゃない。でもそれをこちらのせいにしないで欲しい。
「勝手に近衛様がそう思われるのは自由かもしれませんが、私はまだパーティーにご出席させていただくかどうかも答えておりません。それで私がパーティーに出席せず近衛様のパートナーがいないことになっても、私のせいにしないでくださいね」
「なっ!?何でだよ!槐とも桜ともパートナーだったのに何で俺だけ駄目なんだよ!」
あ~、も~……、うるさいなぁ……。そんな大きな声を出さなくても聞こえているよ……。
「ですから私はまだ近衛家のパーティーにご出席させていただくかどうかもお答えしていません。それなのに勝手に先走ってパートナーであるとまで決められても困ります」
今まで何度もパーティーの出欠は母が決めていると言っただろうに……。この御曹司様は物覚えが悪いのか、他人のことなんて興味がないからいちいち覚えていないのか……。まだ出席するかどうかもわからないパーティーのパートナーとか言われても答えられるわけがないだろう。
「咲耶は槐が好きなのか?それとも桜か?どうして……、どうして俺じゃないんだよ!」
「何故そのようなお話になるのですか……。パーティーへの出欠もまだわからないのにパートナーと言われてもお答えしかねると言っているだけです。まず大前提としてパーティーへの出席が決まらないことにはパートナーにもなれないと言っているのがわかりませんか?」
もうこいつの相手をするのは嫌だ……。ちょっと前に伊吹も成長したもんだと思った所だけど、まったく成長していない。伊吹は所詮伊吹のままだった……。まるで話が通じない。
今までの感じからすると今年は近衛家のパーティーに出席ということになりそうだし、もしパーティーに出席なら他の許婚候補宣言をしている家とのバランス上とか言って、伊吹ともペアになれとか言われるだろう。俺はその確率が高いと思っている。ただまだ出席かどうかもわからないからペアのパートナーについても答えられないと言っているだけだ。
「……わかった。じゃあすぐに九条家に問い合わせる!それでいいんだな!」
そう言うと伊吹はさっさとサロンを出て行った。別に連絡するだけならサロンを出る必要はなかったと思うけど……。あと招待状を渡したというのに、いちいち出欠の確認をするために家に連絡なんてするなよ。良い迷惑だわ……。
「はぁ……」
「近衛様にも困ったものですね」
「本当に、近衛様も咲耶ちゃんのことになると途端にああなってしまわれるのが残念ですね。他の時はそれなりにしっかりされているのに、咲耶ちゃんにはあのようにしてしまうからますます嫌がられているというご自覚がないのでしょうね」
ようやくいなくなった伊吹に溜息を吐いてると薊ちゃんと皐月ちゃんまで肩を竦めてそんなことを言い出した。二人もやっぱり伊吹のああいう態度を見て辟易しているんだろう。俺だってそうだ。
「恐らく今年は近衛家のパーティーにも出席して、近衛様とペアになれと言われると思いますが……」
「咲耶様も大変ですね……」
薊ちゃ~ん……、人事みたいに言わないでよ……。まぁ薊ちゃんからすれば人事かもしれないけど……。
今頃伊吹が九条家に連絡をしているのなら、今日帰ったらすぐに母に何か言われそうだな……。どうせパーティーに出てペアになれって言われると思うけど、俺の予想が外れてくれてたらいいな……。
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「咲耶、今年の近衛家のパーティーには出席しなさい。それから他の許婚候補宣言をしている家とのバランスを取るために近衛伊吹さんのパートナーを務めなさい」
「はい……」
やっぱりな!やっぱりな!そう言われると思ってたよ!帰って食事の時に家族と顔を合わせたらいきなりそんなことを言われた。でも母は眉間に皺を寄せて渋い顔をしている。あまり喜んでいるようには見えない。
「それにしても伊吹さんは……、六年生にもなって常識というものがないのでしょうか?近衛様はどういった教育を施されているのでしょうね」
母がブチブチと伊吹の文句を言い始めた。どうやらいきなりうちに連絡をしてきてパーティーに出席しろとかパートナーになれと言ってきたことに相当ご立腹のようだ。そりゃまぁそうだわな。うちが近衛門流の格下の家で、何でも近衛家の意向通りにする家というのならわかるけど、別に門流でもない他の家に向かって伊吹の態度はあり得ないだろう。
是非当家のパーティーに出席してくださいね、くらいのことなら言うのもわからなくはない。でも伊吹が何て言ったかは知らないけど、五北家である九条家に向かってまだ当主でもない伊吹が、うちのパーティーに絶対出席しろ!とか、娘を自分のペアのパートナーとして出席させろ!なんて言われたらどう考えても角が立つだろう。
普通なら伊吹だってちゃんと上流階級の御曹司として教育を受けているはずなわけで、そんなことをすれば余計に両家の関係が悪くなるということくらいわかっているはずだけどなぁ……。
「まぁまぁ……。伊吹君は本当に咲耶のことが好きなんだよ。だから咲耶のことになるとつい我を忘れてしまうんだよ」
「お兄様……」
兄が何とか伊吹のフォローをしようとしているようだけどそれは無理がありすぎる。伊吹がどういうつもりにしろ、むしろ普通に考えて本当に俺や九条家との関係を考えているのなら、それこそもっと慎重で相手の立場に立った言動をするべきだろう。
伊吹のそれはまったくの逆効果であり、俺からも、両親からも心証が悪くなることばかりしている。それはいっそわざとそうしているのではないかとすら思えるほどだ。
とはいえ次の近衛家のパーティーへの出席はもう決定だし、パートナーになるのも決まりだろう。俺が反対しても変えられない以上は、次の近衛家のパーティーはそういうつもりで臨むしかない。