第三百三十二話「暴いた!」
昨日の夜、とても大事なことを思い出した俺は、朝練の時に師匠に今日の、いや、これから暫く予定を変更してもらえないか聞いてみた。今後も朝練については問題ないけど、放課後については少し時間が欲しい。それを伝えると俺の思わぬ形で師匠は放課後の修行について予定変更を受け入れてくれた。
学園に着くと咲耶お嬢様グループの皆はもう平常通りになっていたけど、他の生徒達はまだ師匠を紹介してくれと言ってくる子が結構いた。昨日のうちに師匠には紹介して欲しいと言ってきている子が大勢いることは伝えてある。でも師匠は弟子に取るどころか会う気もないと言っていた。師匠がそう言うのなら俺としては周囲のお願いを断る以外に方法はない。
あまりしつこくお願いすると揉めるもとになるから、昨日紹介を頼みに来た五北会の子達はそれ以上言ってきていないけど、今日は五北会以外の生徒達が言ってくることが多かった。挨拶をするとそのタイミングで師匠との取次ぎを頼まれたりしてしまう。
まぁ師匠が会うつもりもないと言っていたから、誰に何を言われても断ることしか出来ないんだけど……。
そんな日中も終わって放課後となった。いつもならこのままサロンに向かう所だけど今日はサロンに行っている場合じゃない。薊ちゃんや皐月ちゃんに別れを告げて急いで裏門へと向かう。
「遅いぞ咲耶。何をしておった」
「申し訳ありません。これでもホームルームが終わってすぐに来たのですが……」
俺がこっそり裏門にやってくるとヌッと師匠が物陰から現れた。いや、現れてはいない。まだ隠れたままだ。
裏門は基本的に教職員か業者くらいしか利用しない。でも絶対に生徒が利用しないとも限らないし、隠しているわけじゃないからあちこちから丸見えになっている。そんな所に師匠が堂々と立っていればすぐに見つかって大騒ぎになるだろう。
だから師匠は俺が来るまで姿が見えないように隠れていたし、俺が来てもまだ姿は隠している。漫画やアニメじゃないんだから別に忍術で影の中に入って隠れているとかそんなことはない。ただ物陰に潜んだり、気配を殺してパッと見てもそこに人がいると認識されないようにしているだけだ。
「ですが本当に師匠も一緒に行かれるおつもりですか?」
「当然であろう!実地訓練になるからこそ修行の予定変更を受け入れたのじゃ!ここでやらいでどうする!」
「う~ん……」
俺はこれから隠密調査をしようと思っている。その調査がうまくいくまではサロンにも寄らず、百地流の修行や蕾萌会の授業の予定を変えさせてもらおうと思っていた。でも師匠がそれを聞いて、ただ予定を変更するんじゃなくて、師匠と一緒に隠密になって調査するという条件で予定変更を受け入れてもらえた。
「最悪の場合、私は見つかっても学園の生徒で通りますが師匠は学園の生徒では通りませんよ……?」
「ふん!咲耶がドジをして見つかる可能性はあってもわしが見つかる可能性などありえんわい」
師匠はふふん!とばかりに腕を組んで背筋を逸らせていた。それはそうかもしれないけど、俺がヘマをすれば師匠まで巻き添えで見つかってしまうと思う。その時に師匠はどうするのかと聞いたんだけどな……。
まぁ師匠だって伊達に百地流を極めて長年隠密をしてきたわけじゃないだろう。本人が大丈夫だと言っているんだから本人に任せることにするか。俺がとやかく言っても仕方がない。
「わかりました……。それでは早速向かいましょう」
「うむ!わしはあくまで咲耶の潜入術を見届けるのが役目じゃ。まずは咲耶が自力で考えて行動してみよ」
師匠にそう言われたので早速移動を開始する。俺達が向かったのは高等科の校舎だ。今頃茅さんは初等科のサロンに向かって、俺がいないことを嘆いているかもしれない。しかもその俺が高等科に来ているんだからな。茅さんからすれば笑えない事態だろう。
高等科の校舎に侵入した俺は事前に調べていた通りに高等科のサロンへと向かった。知らされている通りにターゲットが行動しているのならば、もうターゲットはサロンに入っている。高等科のサロンの前で前後を確認してからそっと中の様子を窺う。
『……で、……から……』
『それ……、……だろう』
一言で言うと聴診器のような道具をサロンの扉に当てる。するとぼんやり中の声が聞こえてきた。高等科のサロンも初等科のサロンとあまり変わらない。派閥で分かれて雑談して結束を深めるという感じだ。聞き耳を立てて確認した所、ターゲットもすでにサロンにいることがわかった。
俺は扉から漏れる音に全神経を集中させて中の声を聞き分ける。ターゲットは他愛無い話をしているようで中々あれこれ切り込んでいるようだ。
初等科も高等科も、恐らく中等科も、サロンの中の様子を探ったり、聞き耳を立てたりすることは難しい。まず屋根裏には入れない。学校やオフィスなどは直天じゃなくて二重天井でジプトーンなどが使われていたりするだろう。藤花学園も二重天井で天井スラブに空間がある。でも外からサロンの天井スラブに入り込むことは出来ない。
部屋というのは完全に躯体で囲まれてしまっている部屋もあれば、あとから間仕切りの壁を立てているだけの場合もある。あとから間仕切った部屋で、天井まで壁を立ち上げない場合は天井スラブに入れば自由に移動出来る。でも躯体のコンクリート壁などがあって完全に区切られてしまっていたら他の天井からその部屋内へ入ることは出来ない。
壁に配線や配管を通すための穴はあるけど人間が通れるようなスペースはない。というかそもそも音を遮断したり、火や煙を遮断する目的などで囲まれているのに、人間が通れるほどの隙間があったらわざわざコンクリート壁で囲んで区切っている意味がないだろう。
五北会のサロンは完全にコンクリートの壁で囲まれており、他の部屋から天井スラブに入って、天井裏を伝ってサロンに侵入することは出来ない。
廊下側には窓はなく出入り口は一つのみ。そして外側の窓から覗いたり聞き耳を立てることも出来ないように外側が作られている。極力どこかを伝っていけるようなものがないように作られているし、スタッフの控え室などから見張れる形になっているので、通り過ぎるくらいなら偶然出来ることもあるだろうけど、じっと聞き耳を立てていることはほぼ不可能だ。
廊下側は足場の不安定さとか、スタッフ達から見られるという心配はないけど、逆にこの見通しの良い廊下にポツンと立っていることになってしまう。他の生徒達から丸見えであり、五北会のサロンの前にずっと立っている生徒がいればすぐに通報されて連行されてしまうだろう。
五北会のサロンは様子を探ったり、盗聴したりするのは非常に難しい。でも長時間完全に張り付いておくつもりでさえなければいくつか方法はある。扉に中の声が拾える盗聴器を仕掛けた俺はすぐにサロンの扉から離れた。あとは盗聴器の音を拾って中の様子を確認すればいい。
(ふむ……)
(師匠……)
俺が盗聴器の内容を聞いていると師匠も一緒になって聞いていた。俺はともかく師匠が高等科の生徒達の会話を盗聴してたら犯罪臭く見える……。
本来はこんな方法で盗聴していたらすぐに盗聴器が見つかってバレてしまう所だろう。でも俺はすぐに盗聴器を回収に行ける場所で会話を盗み聞きしている。やばそうならすぐに盗聴器を回収するからそう簡単にはバレないはずだ。
(他愛無い話ばかりですね……)
(そうだな……)
師匠と二人で暫く盗聴内容に耳を傾けていたけど、ターゲットは特に妙なことは言っていなかった。まぁ学園で、それもサロンでそんなことは言わないか……。これは調査は長引くかもしれないな……。
「――ッ!?」
ちょっと考え事をしている間にサロンの中が騒がしくなっていた。どうやらチラホラ帰る人がいるようだ。俺は慌てて扉の前に戻って盗聴器を回収した。それから師匠のもとへ戻って打ち合わせの確認をする。
(師匠……、車はお任せして大丈夫なのですよね?)
(うむ。車は用意しておる)
そろそろ俺達も移動しなければならないだろう。だからこの後の動きを確認してから見つからない場所に移動した。
俺達が高等科のロータリーが見える場所へ移動して見張っていると、九条家の車がロータリーへと入り……。
「やっぱり!」
にこやかな表情を浮かべた兄が水木と一緒に九条家の車に乗り込んだ。
「咲耶、変装は大丈夫なのだろうな?」
「はい!これを用意しています!」
九条家の車がロータリーから出て来ると師匠が運転している軽自動車は距離を空けて九条家の車を追跡し始めた。多少距離が離れていてもミラーで顔を見られる可能性があるので変装は必須だ。俺は用意してきていた変装道具を装着した。
「…………咲耶、それは本気でやっておるのか?」
「どういう意味でしょう?これは完璧な変装だと思いますが……」
眼鏡に、鼻に、ヒゲがついた究極の変装道具。これをつけていれば名探偵も、名刑事も、全てを欺けるという伝説の装備だ。俺がこんな装備をつけることになるとは思わなかったけど、これを見破れる者は存在しない。
「修行ばかりさせて常識を叩き込むのを忘れておったか……。今後の咲耶の課題じゃな……」
「え?何か言われましたか?」
「何でもない……」
助手席に座りながら変装した俺は師匠が何かブツブツ言っていた気がして問い返してみた。でも師匠は何でもないと言う。確かに何か言ってたと思ったんだけどなぁ……。
まぁそれはともかく俺達は順調に九条家の車、いや、ターゲット良実を追跡している。ターゲットを乗せた車はどこにも寄らずに九条家に真っ直ぐ帰ったようだ。そう……、水木も乗せたまま……。
「あの車の中でどのような会話がされていたか掴めれば確実だったのですが……」
「まぁよかろう。屋敷に忍び込むのだな?」
「はい」
師匠の軽自動車を近くの駐車場に停めて、俺達は九条家への侵入を試みた。いつか突破しなければならない時もあるだろうと思って、今まで事前に防犯カメラやセンサーのある位置、巡回のルートや時間を把握しておいた。
まぁこれらを想定していた時は中から外へ出るために突破することを考えていたけど、まさか自分で自分の家に侵入するためにこの備えが役に立つ日が来るとは思わなかった。
全て下調べはついているので侵入するのは簡単だった。ただ柵を越えたり、センサーやカメラを回避するだけなら俺と師匠なら朝飯前だ。本当にどこかへ侵入する時はこのカメラやセンサーが事前にわかっていない。だからもっと苦労するだろうけど、今回は練習みたいなもんだからこれくらいの楽はさせてもらってもいいだろう。
師匠は俺についてきているけど別に何の指示も注意もしない。ただ俺がやる通りについてくるだけだ。だから後で色々と怒られたりしそうだけど、とりあえず今は目的の部屋に向かって静かに移動していく。
建物内には入らず、家の外を移動してやってきたのは……。
「相変わらず九条家のお茶とお茶請けはおいしいな」
「咲耶が選んでいるからね。おいしいに決まっているだろう?」
家の外から良実君の部屋の様子を窺う。こちらはサロンと違って防音にもなっていないから盗み聞きは簡単だ。ただしここまで来るための難易度は段違いだけどな。今回は俺は事前情報を持っていたから簡単に入れたに過ぎない。実際に初見でここまで侵入しようと思ったら失敗していた可能性が高い。
「何だよそれ。ノロケか?妹自慢か?」
「うちの妹様は僕と違って優秀だからね」
うぅ……。何か兄が俺をイジっているようだ。水木にそんなことを言うなんて完全に馬鹿にしている意味しかないだろう。
「へ~、へ~……。お熱いこって」
「水木、お前も一応とはいえ咲耶を許婚候補に指名しているんだろう?あまり妙なことは言うなよ」
「――ッ!?」
兄の声音が変わったからそっと窓から鏡を使って中を覗いてみた。すると……、兄と水木がテーブルから身を乗り出して物凄く顔を近づけている。いや……、もしかして顔が接触している?この角度だとはっきりしないけど、何か二人は顔をくっつけているような、そう、キスしているように見える。
(こっ、これは……、やっぱり……)
わかってしまった……。俺の不安は的中した……。
俺がモヤモヤしていたのはパーティーの前に兄の許婚や婚約者がいないことについて考えたことだった。あの時は結局そのままパーティーが始まってしまって聞けずじまいで、その後からはずっと忘れていた。でも心のどこかに引っかかってモヤモヤしたままだった。それが今回の調査ではっきりしてしまった。
兄はBでLな人だ。そしてそのお相手は水木に違いない。というより今証拠を掴んだ。
何故兄ほどの立場と年齢で未だに許婚や婚約者がいないのか……。それは兄がBでLで、水木とキャッキャウフフでチュッチュだったからだ。
あぁ……、そういうことだったんだな……。二人は男同士のくせに妙に仲が良すぎると思った。今日も同じ車で帰って来たし、俺は普段こんな時間に家にいないから知らなかったけど、兄はこうして毎日のように水木を連れてきては逢瀬を楽しんでいたんだろう。
これは本格的にやばい……。兄が九条家を継ぐだろうから大丈夫だと思っていたのに……、兄がBでLな人だったということは……、跡継ぎとか結婚で揉めることになる。これは早急に手を打たないと、本当に九条家も兄も大変なことになってしまうぞ……。