第三百三十一話「受け継がれるもの」
明けて月曜日、学園に行ってもグループの皆はいつも通りだった。もちろんパーティーの話題ばかりではあったけど、だからって特別にどうこうということはない。皆はコンサートの時に百地師匠とも親しくなったし、パーティーだっていつものことだ。だから今更特別なことは何もなかった。でもそれはクラスのグループだけの話だった。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう九条様!」
「九条様御機嫌よう!」
サロンに入って声をかけると皆が集まってきていた。いつもなら返事をしてくれるだけで俺の周りに集まってくるなんてことはない。でも今日は何故か俺が入室すると皆がワラワラと集まってきている。一体何事だというのか。
「九条様、九条様が最初に踊られた方はどなたなのでしょうか?」
「是非私もあの方にご紹介いただけないでしょうか?」
「九条様!」
「咲耶様!」
「いや……、あの……」
ワラワラと集まってきた子達は一様にそんなことを言っていた。どうやら師匠との取次ぎをして欲しいらしい。聞いている感じからするとあれが『百地三太夫』だと知っていて、という感じではないようだ。ただ誰かはわからなくてもダンスの高名な先生だとは思われているらしい。その高名な先生を紹介して欲しいという声ばかりだった。
師匠が何者かわかっていなくとも、師匠のダンスを見ればこうなることは納得出来る。恐らくこの師匠に取次いで欲しいと言ってきている子達よりも、その両親が師匠のダンスを見て、どうにか関係を結べないかと俺に聞いて来いと指示しているんだろう。
確かにこうして師匠が評価されるというのは俺としても嬉しいことではあるけど、でもこの場ではいそうですかと全員を紹介するわけにもいかない。師匠にだって都合があるだろうし、そもそも師匠は俺が弟子入りするまで誰も弟子がいない状況だった。そして今も俺以外の弟子はいない。
多分だけど……、師匠は本当はもう弟子を取るつもりはなかったんじゃないだろうかと思う。でも最後の弟子として俺をとってくれた。もしかしたらあの当時からもう体が悪かったとか、病気のことを知っていたのかもしれない……。そんな悪い体を押して俺を弟子にして鍛えてくれている。そんな師匠に迷惑はかけられない。
「あの時のダンスのお相手の方に私からお取次ぎすることは出来ません」
「あぁん!」
「九条様ぁ!」
まだ少し追い縋ってくる者もいるけど付き合っていられない。というかあまりしつこく言われたら俺が折れてしまいそうだ。一応師匠に報告しておくくらいはしてもいいけど、俺から師匠にここにいる子達を紹介するというのは違うだろう。
こういう界隈だから人伝に紹介してもらって人脈を広げるというのが一般的だというのはわかっている。でもダンスが素晴らしい先生を探すのならもっと昔に自分で勝手に師匠に辿り着いているはずだ。それもせずに、たまたま凄い人を見つけたから紹介して欲しいというのはどうかと思う。
例えば本気でダンスを身に付けようと思っていて、本当に素晴らしい先生を探していたのなら、きっと百地師匠の名前を知って弟子入りを申し込むはずだろう。自分で良い先生を探そうともせず、たまたま見かけて良いと思ったから手軽に紹介してもらおうなんて師匠に対しても失礼だ。
まぁ……、そもそも百地師匠への弟子入りを兄に斡旋してもらった俺が言うことでもないけど……。
でも当時の俺はそういうことを調べる伝手も手段もなかったわけで、あれは仕方がなかったと思ってもらいたい!いや!言い訳だけどね!言ってることとやってることが違うじゃないかと言われたら言い訳のしようもないけどね!
「ふぅ……」
さすがに俺がいつもの自分の席に着いたらここまで追いかけてくる子はいなかった。前よりは親しみやすい関係になったんだろうけど、それでも皆ある程度節度は持って接してくれているということだろう。
「大変そうですね、咲耶お姉様」
「竜胆ちゃん……」
俺が自分の席に座って一息ついていると竜胆がやってきた。今日は派閥の方は良いんだろうか。まぁ今日だけじゃなくて最近は竜胆が俺の席に来ることは定番になっている。今更と言えば今更か。
「おじいちゃんは凄いですもんね。私だって咲耶お姉様にご紹介いただけなければずっと雲の上のお方でしたし、他の方の気持ちもわからなくはありません」
「そう……、いうものですか……」
竜胆までそう言うということはそうなんだろう。師匠ってあまり弟子とか取らない主義なのかな?俺の時は……、まぁ……、珍妙な入門テストだったな……。そりゃあんなテストだったら普通に舞踊とかを習いに来た小さな女の子は通らないわな……。
「こんにちは咲耶ちゃん」
「御機嫌よう茅さん」
暫くして茅さんがやってきた。そして茅さんがやってくると、それまでは二条派閥の隅の方に居た睡蓮がのそのそとこちらにやってくる。
「茅お姉ちゃん、睡蓮とお話しましょう?」
「ちょっと……、貴女はどうしてそう……」
茅さんが迷惑そうな顔をしているけど、それでもお構いなしにグイグイくる睡蓮に茅さんはタジタジになっていた。やっぱりまだまだ睡蓮を克服するのは無理のようだ。
「あの……、咲耶お姉様……」
「はい?」
向かいの席でそんなやり取りをしている二人を見ていると、横の面に座っていた竜胆がちょっとモジモジした感じで声をかけてきた。一体何事かと思ってそちらを見ていると……。
「あの!私もその横に座らせていただいても良いでしょうか?」
そう言って竜胆が俺の座っている椅子を指差す。
「えっ?えぇ……。それは良いですけど……、大きな椅子とはいえこれはあくまで一人掛け用なので、二人で座るときついかもしれませんよ?」
「はい!大丈夫です!ありがとうございます!」
俺が良いと言うと竜胆が顔をパァッ!と明るくして隣に座りにきた。俺がいつも座っている椅子は一人掛けにしては大きく見えるけど、それでもやっぱり一人掛け用は一人掛け用だ。二人で座るようには作られていない。
でも竜胆はこの椅子に座ってみたかったのか、俺が良いというと満面の笑顔を浮かべてこちらに来た。何というか、こう……、子犬が喜びながら寄って来ているような、そんな幻が見える。別に竜胆が犬だと言ってるわけじゃないけど……。むしろ竜胆って犬より猫とかそんな感じもするし?いや……、猫でもないか。何だろう……。
「ふふっ!咲耶おね~さまっ!」
「あら……、竜胆ちゃんは随分ご機嫌ですね。うふふっ」
狭いから少し寄ってあげるけどそれでもやっぱり二人で座るにはきつい。やや俺に乗っかるように座って、体を預けるようにくっついているけど、それでも竜胆はとても上機嫌だった。そんなにこの椅子に座ってみたかったのかな?それなら俺がいない間に座っていてもよかったのに……。
そう言えば前の椅子からこの新しい椅子に換わっているけど、前の椅子の時も竜胆は何か座りたがっていたな。それで俺が卒業したら次は竜胆があの椅子に座れば良いとか何とか話をしていたっけ……。
「椅子は変わってしまいましたが、今年度が終わって私が卒業すれば、この椅子も竜胆ちゃんが好きにして良いのですよ」
「――ッ!?咲耶お姉様……」
一瞬ビクッとした竜胆は、少し泣きそうな顔をしながら俺の方を見ていた。何だろう?そんな変なことを言っただろうか?
「咲耶お姉様は……、今年度でご卒業されてしまうのですよね……。それはとても寂しいです……。ですが……、はい!お任せください!この椅子は必ず私が守り抜きます!そしてこの椅子に相応しい者として胸を張っていける人物になりますね!」
「そうですか……。頑張ってくださいね」
にっこり笑ってそう言ってあげると、竜胆も泣きそうな顔だったものが笑顔になっていた。竜胆の物言いは随分オーバーだと思う。ただサロンの奥の隅の方に置いてある、少しだけ他の椅子より大きいだけの椅子に座るだけで何でそんな変な気合を入れているのかはわからない。でも本人がそう思っているのなら俺がとやかく言うことじゃないだろう。
それにこの椅子に座るに相応しい云々というのは良くわからないけど、素晴らしい人物たろうという気持ちを持つことは良いことだ。それをこの椅子を見る度に思い出すようにするというのならそれはそれで良いだろう。
俺達が卒業した後に、毎日サロンに来てこの椅子を見て、『立派な人物であろう!』とこの椅子に毎日誓うというのならそれはとても良いことだ。神棚や仏壇に祈ったり、手を合わせたりするようなものかもしれない。
「ちょっと竜胆……、あんた何でそんな羨ましい所に座ってるのよ。代わりなさいよ」
「薊ちゃん……」
派閥での話が終わったのか、遅れてやってきた薊ちゃんに苦笑いしか出来ない。まぁこれも一種のあれだろう……。小さい子とかがおもちゃとかを自慢していたり、何かを食べていたり、そういう時に大人は別にそんな物を良いとか羨ましいと思っていなくてもそう答えてあげるノリと同じじゃないだろうか。そう思えば薊ちゃんも大変だな。
「お断りします徳大寺様。徳大寺様は咲耶お姉様とこれまで五年間もご一緒で、これからも十年以上もご一緒ではないですか。私はもう大学生になるまで咲耶お姉様と同じ校舎には通えないのですよ!これくらい良いではないですか!」
「「「あ~……」」」
その話題になると一気に暗くなってしまった。そう言えばそうだな……。初等科を卒業したらあとはもう俺達が大学四年の時に竜胆達が一年になる以外では同じ校舎に通うことはなくなってしまう。分かりきったことではあったけど、改めて言葉にすると何だか無性に寂しくなってくるというか何というか……。
「ふん……。そのようなことですか……。それが何だと言うのですか?私は六年生の時以外は咲耶ちゃんとは離れ離れになっています。ですが私と咲耶ちゃんの心はずっと一緒です。その程度の物理的な距離など何の障害にもなりはしません。それが信じられないということは貴女達の咲耶ちゃんを想う気持ちはその程度のものだということです」
「茅さん……」
茅さん……、何か良いことを言っているみたいな顔をしているけど……、その物理的距離を一番気にしてるのは茅さんじゃないですかね?結構何だかんだと即物的だったり、欲に一番塗れているのは茅さんのような気がするけどな……。
まぁ……、それが茅さんらしいといえば茅さんらしいか。
「正親町三条様が一番即物的ではないですか」
「あ~……、皐月ちゃん……、それは思っていても言ってはいけないのでは……」
「酷いわ咲耶ちゃん!咲耶ちゃんまでそんな風に思っていたのね!」
「「「あははっ!」」」
茅さんがよよよっと泣き真似をしているけど皆からドッと笑いが起こった。
あぁ……、良いな……。とても良い……。皆でこうして泣いて、笑って、時には遠慮なくこうして好きなことを言い合える。とても良い関係だと思う。昔では皆とすらこんな関係になれるとは思っていなかった。あぁ……、ずっとこんな平和な日々が続いて欲しいと心から願う。
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学園での周囲との関係もうまく行くようになってきたし、毎日とても充実した日々を送っている。次のイベントまでまだ暫く時間があるし、これといって慌てることもなく、のんびりと毎日過ごせることの何と幸せなことか……。
でも何か俺の中で引っかかっているものがある。俺は何かを忘れてやしないだろうか?でもそれが何だったのか思い出せない。そもそもこの引っかかりはいつからのものだ?
パーティーが終わってからのここ暫くの間はずっと平和だったけど、でもその間中ずっと何かこのモヤモヤを感じていたはずだ。パーティーが始まる前までは準備やら何やらでずっと忙しくてそんなことを気にしている暇もなかった。だからパーティー前までは特にこんなモヤモヤはなかったように思う。じゃあこのモヤモヤはいつから?
パーティーで何かあったんだっけ?でもパーティーであったことと言えば師匠を招待して、師匠と踊ったことくらいしか特別なことはなかった気がする。その後に師匠を紹介してくれという話が殺到してきたけどそれはもう師匠にも伝えて済んだ話だし……。
「……って、あっ!思い出した!」
ベッドでゴロゴロしながら考え事をしていた俺はガバッ!と上半身を起こした。すると……。
「…………椛?」
「はい。どうかされましたか?咲耶様?」
ベッドの足元の方から、椛がひょっこり頭を覗かせていた。そう……、まるでもぐら叩きのもぐらのように、ベッドの端から椛の頭がひょっこり出ている。
「何をしているのですか?」
「はい。咲耶様をお見守りしておりました」
「って、ちょっ!?椛!?鼻血が出ていますよ!?」
「問題ありません」
「問題ありますよ!」
話している間に椛の鼻からつつつーっと鼻血が垂れてきていた。慌ててティッシュを渡して今日はもう下がらせる。
「はぁ……」
椛が何か変なことをしていたから慌てていて思考がぶっ飛んでしまった。何だったっけ……。
「あぁ……、そうでした……」
思い出した。俺のこのモヤモヤの正体。これはパーティーの前、本当に始まる直前に思ったアレが原因だ。師匠のこともあってドタバタしている間にすっかり忘れてしまっていた。
「これは……、少しばかり調査が必要かもしれませんね……」
俺のこのモヤモヤを晴らすためには……、ちょっと調査しなければならないだろう。その労力を惜しんでいる場合じゃない。九条家のためにもこれはきちんと調べておかなければ……。