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第三十二話「一難去る前にまた一難」


 パーティーの日以来伊吹は浮かれに浮かれまくっていた。家でもたまに一人で踊ったりしている。その時に何を考え、何を思い出し、誰と踊っていることを想定しているかは追及するまでもない。


「随分ご機嫌だね伊吹」


「…………槐か。覗きなんてお前趣味悪いぞ」


 まるで道場のような、否、近衛家にある道場の中で伊吹は一人踊っていた。そのステップやテンポからいつの何の踊りを踊っているのかは槐には一目でわかった。


「別に僕が覗いたわけじゃないんだけどね。それに道場で踊っているのを見られたからって何か困るの?」


「別に俺はあいつとのダンスを思い浮かべてたわけじゃないからな!だから何も困ることなんてないぞ!」


「ぷっ。何それ」


 槐は何も言っていないのに早くも勝手に自白した伊吹に槐は笑う。余計なことなんて言わずにただダンスの練習をしていただけだと言えばそれで済んだものを、何故自分から余計なことまで言ってしまうのか。


 伊吹はこの年頃にしては随分大人びているし頭も良い。普段なら大人顔負けの聡明な御曹司だというのに『彼女』のこととなると途端に年相応の男の子になってしまう。


 理由もわからなくはない。これまで数多くのお見合いが行なわれ許婚候補が選ばれてきたが伊吹は誰一人興味を示さなかった。親しい者からは、もしかして女性に興味がないそっちの趣味があるんじゃ……、なんて言われることもあったくらいだ。


 その伊吹が女の子に恋をした。それも初恋だ。年齢から考えれば何もおかしくはない。むしろ初恋というには早過ぎるかもしれないくらいだろう。普通このくらいの年齢ならば保母さんやお母さんに向かって『好きー!』とか『結婚するー!』と言っていてもおかしくないような年齢なのだから……。


 そんな伊吹が初恋をして年齢相応の男の子になってしまっている。好きな女の子の気を引きたいけどどうすれば良いかわからずちょっと意地悪をしたり、目の前で格好をつけてみたり、まさにやっていることが好きな女の子をいじめる男の子のそれになっているのだ。


「そっ、そんなことより何か用があってきたんじゃないのか?」


 槐に笑われた伊吹は慌てて話題を逸らした。伊吹はあくまで自分の恋心は誰にもバレていないと思っている。普段の聡明な伊吹ならわかりそうなものだがこの恋関係のことになると途端に鈍く、馬鹿になる伊吹はバレていないつもりなのだ。


「え?僕は今日ここに来るように言われたから来ただけなんだけどね?伊吹が呼んだんじゃないの?」


「いや……、俺は呼んでないぞ?」


 二人で首を傾げあう。槐は近衛家に来るように呼ばれたから来ただけだ。しかし伊吹は呼んでいないという。ならば誰が二人をわざわざ集めたというのか。伊吹の両親……、は絶対にないだろう。特に伊吹の母はそんなまどろっこしいことはしない。もし用があればはっきり告げるはずだ。こんな回りくどいことはしない。


 ならば一体誰が……。そう思っている二人は入り口に立っている人物に気付いてそちらを向いた。


「やぁ二人共」


「げっ……、水木か……」


「こんにちは水木さん」


 二人は入り口に立っていた人物に挨拶をする。いや、伊吹は挨拶していないが……、それでも入り口に立っていた人物、広幡水木は気にすることもなく道場に入って二人に近づいて来る。


「おい伊吹……」


「――ッ!」


 それまでのヘラヘラした態度から一変して……、伊吹の目の前に立った水木から発せられた声と雰囲気に伊吹はビクリと肩を跳ね上げて身を竦ませた。


「なっ、何だよ?」


 口ではいつもの尊大な言葉を吐いているが声にはまったく勢いがない。水木は普段ヘラヘラしているし女にだらしない。小学校六年生程度で何を言っているのかと思うかもしれないが水木の流した浮名は数知れず。そして近衛家に近いということで水木と伊吹は親しく接している。


 しかし……、普段は伊吹に対してちょっと強めに出れる親戚のお兄ちゃんのような雰囲気の水木の気配が今はまったく違っていた。そしてそれは他の人の目がない時にはたまに現れる。それは水木が本気で伊吹を叱る時であり、水木は伊吹を本気で叱れる数少ない人物の一人なのだ。


「浮かれてるのは勝手だけどな……。自分が好きな女の子が今どういう状況かもわからず独り善がりに浮かれてるだけなら本当にその子のことを好きだなんて言えないぞ。何も相手のことを見てないんならお前にその子を好きだって言う資格はない」


「…………は?何だよ……。あいつの置かれてる状況?何を言って……」


「…………」


 伊吹は本気で水木に言われたことがわからないという顔をしている。槐は何かを察したのかその表情は先ほどまでのにこやかな顔から無表情とも思えるような顔へと変わっている。


「あの子は今友達を庇って謂れなき罪で周囲から酷い扱いを受けている。あれだけサロンの様子もおかしいのに今まで気付いてもいなかったのかい?それで本当にあの子のことが好きだって言えるのかい?お前は何を見ていたんだ?伊吹!」


「――ッ!」


 水木の言葉に伊吹は竦み上がる。しかし……、いつもの怒られて竦み上がるだけの時とは違う。伊吹にとっては水木は苦手で怖い相手だが今はそんなことは言っていられない。


「水木!教えてくれ!あいつに何があったのか!」


「…………」


 槐も水木を真っ直ぐ見詰めながら伊吹に同意して頷く。槐は伊吹よりは少し周りの様子がおかしいことには気付いていたがそれが何故なのかまでは把握していなかった。そしてそんな大したことでもないだろうと思っていた。もし大変なことだったとすればもっと大騒ぎになったり、本人が助けを求めてくるだろうと思っていたのだ。


 しかし……、よくよく考えてみれば彼女が伊吹や槐に助けを求めてくるはずがない。全て自分で背負って、どうにかしてしまう子だ。だからこそ伊吹も惹かれているのだ。


 自分達が浅はかだった。何もわかっていなかった。だから二人は真剣に水木の言葉に耳を傾けたのだった。




  ~~~~~~~




 三組の様子を覗いた伊吹は物凄い形相をしていた。今にも教室に飛び込んで行きそうな雰囲気だ。


「伊吹……、駄目だよ」


「わかってる!……戻るぞ」


 先日……、水木に話を聞いてから伊吹と槐は直接三組の様子を確認しようと覗きに来たのだ。そして教室で受けている扱いを目の当たりにした。伊吹は今すぐにでも教室に乗り込んでいって暴れそうになる自分を精一杯抑えつけていた。


 水木に聞いた話は簡単だった。徳大寺家の娘が料理を零してしまった失敗を咲耶が自ら被り庇った。それだけ聞けばなんてことはない。本当のことを知らない者からすればちょっと咲耶の評判が下がるという程度のことだ。


 子供どころか大人でも料理を零すことくらいはある。相手にかけてしまう時もある。そんな時は謝って適切に対処すればそれで終わるだけの話にすぎない。しかしこの件はそれで終わりではなかった。


 何故かその話は一人歩きし咲耶が薊にわざと料理をひっかけたのだという話になっている。何をくだらないことをと思う所だが一度そういう話が出回ってしまえばあとは簡単だ。噂好きの退屈な者達はそんなネタがあれば喜んで飛びつく。あとは勝手にその話に尾ひれ腹ひれがついてどんどん広がる。


 中には本当のことを見ていた者もいるはずだ。実際水木と咲耶の兄、良実は本当の所を見ていた。しかし何故か噂は沈静化されるどころかますます広まっていく。


 理由は色々あるだろう。例えば九条家が妬ましい者。本当のことを知っていてもこれで九条家の足が引っ張れるのならばわざわざ本当のことを広めてやる謂れはない。このまま九条家の醜聞として広まれば良い。


 あるいは咲耶を貶めたい者。伊吹や槐と釣り合うほどの家格を持ち一切隙がないあれだけのものをパーティーで示した咲耶を蹴落とすのは簡単ではない。しかしこの話を利用すれば評判を落とすことは容易い。


 色々あるだろう。しかし……、何より一番の理由は咲耶が薊を庇っていることだ。薊の失態を自ら被った咲耶自身が何も言わないのに周りが勝手にその真相を暴露するわけにはいかない。それは咲耶の気持ちに反することだ。だから伊吹も今はまだ教室に乗り込んでいったりはしない。


 今の状況に咲耶自身が何も言わないのならば……、甘んじて受けようというのなら……、その気持ちを汲むのなら外野がとやかく言うことではない。だから伊吹も槐も、あの時実際に見ていた一部の者達も何も言わないのだ。


 サロンでも状況は変わらない。他の門流だけではなく九条家の門流の者達ですら咲耶のことを無視している。完全に白い目で見ている。


 この状況が辛くないはずはない。それなのに咲耶は何一つ言うこともなく全てを甘んじて受け入れている。だから伊吹もまだ暫くは我慢していた。


 そんなある日、西園寺皐月に何か言われた徳大寺薊は慌ててサロンから出て行った。西園寺皐月は他の者になるべく見られないようにこっそり話しかけていたがずっと徳大寺薊に注意を向けていた伊吹と槐が気付かないはずはない。


 すぐに徳大寺薊を追いかけたかったが周囲が放してくれないために伊吹と槐は後を追えなかった。ようやく周囲が一段落ついた時に伊吹と槐はお互いに頷きあってサロンを出た。もう時間が経っているので徳大寺薊の姿がその周りにあるはずもない。二人は勘だけを頼りに徳大寺薊を捜して校舎の中を歩く。そして……。


「伊吹、あれ」


「――ッ!」


 女の子の泣くような声、そして向かい合って立っている二人の女の子。それを見た瞬間もうこれまでずっと我慢していた伊吹は頭に血が昇って駆け出した。


「おい!」


「あっ……?」


 後ろから迫った伊吹は徳大寺薊を突き飛ばした。この噂の元凶は徳大寺薊に違いない。そう思いこんでいた伊吹は今も薊が咲耶をいじめて泣かせていたのだと思ったのだ。もう少し冷静に観察していれば……、当事者以外はそう思うかもしれないが今までずっと怒りを抑えて我慢していた伊吹にはもう限界だったのだ。


「咲耶!もう大丈夫だ!」


「…………は?」


 そう言って伊吹は咲耶を抱き締める。伊吹からすればいじめられて泣いていた女の子を助けて抱き締めた、と思っていた。しかし……。


「なっ……、何を!」


「ぁ?」


 抱き締めたはずの咲耶はスルリと伊吹の腕から抜け出していた。いつどうやって抜けたのかもわからない。確かに抱き締めたと思ったはずの相手が突然消えたのだ。伊吹の理解は追いつかない。


「するの!」


「おふ……」


 そして……、伊吹の死角から正確に掌底が顎先を捉える。首がグルンと回り伊吹の意識が一瞬で刈り取られた。意識を失った伊吹の体がカクンと崩れる。


「ですか!」


「げふっ!」


 しかしそこで終わらない。すでに意識を失って崩れそうになっていた伊吹の体はさらに背負い投げされバルコニーに叩きつけられる。意識はないながらも、いや、意識がないからこそ受身も取れず肺を強打して伊吹は体内に残っていた空気を全て吐き出した。


「薊ちゃん!大丈夫!?」


「あちゃ~……」


 掌底を食らい、投げ飛ばされて失神している伊吹。突き飛ばされた薊に駆け寄り助け起こす咲耶。それを少し離れて見ながら額に手を置いて首を振る槐。


「これは一体何事です!?」


「あ~ぁ……」


 そしてあまりにタイミングよくゾロゾロとやってきた五北会のメンバー達。最悪の場面を見られたと槐はどうしようもないとさらに首を振る。


 この後槐が事情を説明しようにも誰も聞く耳を持たず咲耶は散々に非難された。しかし意識を取り戻した伊吹が咲耶は悪くないと庇ったためにその場では一応事態は収まったのだった。


 しかしそれで何かが解決したわけでもなく……。むしろ事態はさらに悪化したとすら言えるかもしれない。そしてその日は事態をはっきりさせることもなくそのまま有耶無耶のままになってしまったのだった。




  ~~~~~~~




 立派な屋敷の縁側で、車椅子に座る老人が話しかける。


「それでおめおめと戻ってきたのか?お前なら前の件も、その時の件ももっと利用出来たはずだ。何故手を抜いておる?」


 しわがれた老人の声は感情の起伏が読み取り辛い。しかしその老人が喜んでいるわけではないことだけはわかる。


「広幡が動いております。これ以上先の件を利用しようとすればこちらの尻尾を掴まれてしまいます」


「ふんっ……。近衛の狗か……」


 老人は忌々しそうに顔を顰めて庭に視線を移す。


「どちらにしろこれ以上は藪蛇になりかねず潮時です。すでに種は撒かれました。例え噂が嘘であったと後で聞いてもすでに周囲にはそういう印象が刷り込まれております。今後何かある度にその種は根を張り、芽吹き、やがて大きく成長するでしょう」


 老人の前に伏せている少女は顔を上げて答える。


「ふむ……。お前がそういうのならそうなのだろう。次の……、他の者の前で近衛の小僧を投げ飛ばした件はまたこれから利用するということだな?」


「はい。こちらの件は言い逃れも出来ません。これからこの件を利用してまいります」


「そうか……。ならば良い。お前ならうまくやれるだろう。のう?皐月」


「はい。お爺様」


 一切の感情がないのかと思えるほどに無表情な西園寺皐月は車椅子に座る祖父に再び頭を下げたのだった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] このおじいさん今(517話時点)の西園寺をみてどう思ってるんだろう 近衛や鷹司と結婚させられる事ができれば西園寺家にとっては得だけど本人にはその気は全くなさそうだという 最終的には…
[一言]  近衛君学園の異常に浮かれて気がついてなかったんかい!?そしてやらかすっと……咲耶ちゃん悪くないのにさらに評判がガガガ……あとお母様の胃の痛みも増してしまううううう!?  そして噂広めてた…
[一言] あーあ……伊吹君、完全に咲耶に敵認定されちゃったかな…… はじめから失恋が確定していたのに、これじゃ友達にすらなれないんじゃ……
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