第三百二十八話「六年のパーティー」
あっという間に五月初旬となって九条家パーティーの日……、椛に言われてドレスを新調しておいてよかった。この新しいドレスですら結構ギリギリな感じだ。前のものだったら絶対に入らなくなっていただろうし、さらに新調した時もいつも通りの余裕だったら入らなくなっていた可能性がある。成長期だからと大きめにしておいてもらってよかった。
「それじゃ咲耶、最初は僕が出迎えに立つけど後から任せるからね」
「はい、お兄様」
今回は前半の出迎えが兄、後半の出迎えが俺ということになっている。兄はパーティーが始まる前に色々と準備やすることがあるから最後まで出迎えに立っていられない。そこで後半は俺が交代して出迎えるというわけだ。
兄は俺と交代した後も休憩じゃなくてパーティーの準備や裏方に回るだけにすぎない。それに比べて俺は前半はただ休んでいるだけだ。だから最初から出迎えに出ていても良いと言ったんだけど、兄や両親に休んでいればいいと言われて休むことになった。
何か俺だけ除け者とか、邪魔者扱いなのかという気がしないでもないけど、兄や両親にそんな意図がないことはわかっている。単純に俺が一番年下の女の子だから、パーティー中に疲れないように気を使ってくれているだけだ。
ただこういう所で俺が年齢通りの思春期や反抗期だと、自分だけ家族から除け者にされているとか、変な反発や思い込みを持つ可能性もある。そういうすれ違いから関係が悪化する可能性もあるから、そういう扱いをするのならきちんとそういう説明をすべきだとは思うなぁ……。
まぁうちの場合は、俺にいちいちそんな説明をしなくとも俺ならきちんと分別がつくだろうという信用や信頼の裏返しということも出来る。逆にちゃんとわかってる子にいちいち説明していたら余計に煩わしいと思われる可能性もあるし難しい所だな……。
「咲耶様、そろそろ良実様と交代しましょう」
「はい。今行きます。あと椛、貴女も今日はお客様の一人なのだから、ここはもう良いから自分の準備をしてきてちょうだい」
椛はギリギリまで俺の手伝いをしてくれているけど、今日は椛も招待客として呼んでいる。俺の手伝いばかりしていて椛の準備が遅れたら大変だ。
「私などよりも咲耶様の……」
「駄目です!私は椛の準備が不十分だなどと笑われるのは我慢がならないわ。もし椛がきちんと準備出来ていなければ、普段椛を連れている私の落ち度になります。椛は私に仕えているといいながら私に恥をかかせたいのですか?」
これはずるい言い方だ。こんな言い方をされたら椛は引き下がるしかない。でも俺は椛にもきちんと準備をして万全の状態でパーティーを楽しんでもらいたい。本当は俺に仕える椛が粗相をして俺が責められてもどうとも思わない。それよりも椛が笑われれることの方が我慢ならないくらいだ。
椛にはこれくらい言わないと本当にギリギリまで俺に付き合いそうだから、ちょっとずるい言い方だけどこう言わせてもらう。
「ぅ……。わかり……、ました……。それでは失礼いたします……」
そう言われて椛は渋々下がった。まぁどうせ俺はこれから玄関ロビーでお出迎えをするだけだから椛が俺にぴったりである必要はない。例えば出迎えの間に飲み物を出してもらったり、急にお花を摘みに行きたくなった場合のこともあるから補助は必要だ。でもそれは他のメイドでも出来ることで椛を拘束しておく理由にはならない。
椛が自分の準備に向かったのを見送って、俺は他の家人達を連れて玄関ロビーへと向かったのだった。
~~~~~~~
「まぁ咲耶ちゃ~ん!暫く見ないうちに大きくなったわねぇ!」
「御機嫌ようマダム」
グランデで俺を可愛がってくれていた樽マダム達は俺を見るたびにそう言ってくる。なるべく聞き流してるけど……、それってもしかして俺もマダム達のような樽に近づいているという意味なんだろうか?何か変な勘繰りをしてしまう……。
とはいえ俺は別に樽マダム達と仲が悪いわけでもなければ、お互いに嫌味を言っているわけでもない。樽マダム達が俺を可愛がってくれているのはわかっているし、俺だって『樽マダム』なんて呼んでいるけど侮辱してそう呼んでるわけじゃない。
このマダム達は自分達で自分達のことを樽だのドラム缶だのと言いながら笑っているような集まりだ。グランデの頃からずっとそうだったし、自分達でもフィットネスクラブに通っているのにちっとも痩せないと笑いながらお菓子を食べていた。
俺は本人達に向かって樽マダムとは呼ばないけど、この呼び方は本来親しい相手だけに許された本人達公認の呼び方だ。それで呼んでも良いと言われている俺はマダム達とそれだけ仲良しということになる。
「それじゃ咲耶ちゃん、また後でね」
「はい。今日はゆっくり楽しんでいってください」
樽マダム達を見送ると芹ちゃんや秋桐達もやってきた。芹ちゃんや皐月ちゃんはいつも早めに来ることが多いけど、今回の出迎えは俺が後半からだと伝えておいたから俺に代わってから到着するように時間調整したんだろう。
この仮面舞踏会も最初の頃でこそ、相手がどこの誰か分かり辛くお互いに遠慮があったけど、これだけ何度も続いて顔が割れてくれば段々それもなくなってきている。
建前上は仮面舞踏会とは本来お互いの身分を気にせずパーティーを楽しむために顔を隠しているわけだけど、実際にはやっぱり相手が何者か分かるし、何者か分かれば立場や身分の違いというものが出てくる。芹ちゃんや秋桐達地下家以下の家はやっぱりどこか軽んじられている。
どうにかしたいとは思うけど……、こればっかりは俺一人でどうにか出来ることでもない。所謂貴族社会であるこの界隈では、慣例、前例、格式、そういったものが重視されてしまう。それを俺一人で変えようとしても変えられるものじゃない。
いくら仮面で顔を隠すといっても目から鼻にかけての間を少し覆うようなものがほとんどだ。最初の頃は初めて会った相手だったとしても、こう何年も続けば相手が誰だかもわかってくるしどうしたものかな……。
「どうした?浮かん顔をしておるな?」
「ししょっ……!……百地様、御機嫌よう。ようこそおいでくださいました」
急に気配もなく俺の前に立っている人がいたから驚いた。まぁ師匠なら未熟な俺の隙を突いて驚かせるなんて簡単だわな……。……俺の場合は師匠じゃなくてもよく考え事とかをしていて人に驚かされているけどな!
「うむ。弟子にパーティーに誘われて出てこんわけにはいくまい?」
「ありがとうございます。本日は心ゆくまでお楽しみください」
「ふむ……。そうさせてもらおう」
師匠はそう言うとロビーへと向かって行った。周囲からは『この爺さんは何者だ?』という視線とヒソヒソ声がむけられている。ただでさえ師匠のことを知らない者もいるのに、さらにあんな格好をしていたらまさかあれが百地三太夫だと思う者は少ないだろう。
そうだったな……。今日は師匠も来てくれているんだ。あまり無様なパーティーの主催は見せられない。百地三太夫の弟子だと胸を張って言えるように頑張ろう。
「九条様、本日はお招きいただきありがとうございますぅ」
「睡蓮ちゃん、御機嫌よう」
他にも皆が来てくれている間に睡蓮もやってきた。去年までだってこうして睡蓮と顔を合わせていたはずだけど、やっぱり去年までと今年とでは大きく違う。顔見知りとお友達というのはこれだけ大きな違いがあるということだ。そしてそれは俺と他のサロンメンバーも同じだろう。
今までの俺はサロンでもただ顔を知っているだけの人だと思われていたに違いない。そして俺の方も無理に周囲と親しくなろうとはしてこなかった。でも俺がやっぱり色々と周りと親しくなろうと思ったからこそこうして関係も変わってきたんだ。
睡蓮だけじゃない。今年はサロンのメンバーが挨拶に来てくれている時も明らかに去年までとは違っている。周囲と関わらなくてもいい、わかってもらえなくてもいいと思っていたのは俺の間違いだった。こうしてお友達が一人でも増えればうれしい。それが全てだろう。
「九条様、私を見てニヤニヤしてますよぉ?何か悪いことでも企んでおられるんですかぁ?」
「え……?さぁ……?ふふっ、どうでしょうね?」
俺にこんなことを言うのは睡蓮だけだな。本当にこの子には興味が尽きない。茅さんを盗られそうだと思った時は嫉妬に狂いそうだったけど、こうして俺に遠慮なく色々言える子というのも貴重だ。あるいは……、俺と睡蓮の関係はこういうもので良いのかもしれないな。
「こんばんは咲耶ちゃん」
「御機嫌よう菖蒲先生……、あっ!高辻様」
睡蓮と別れてしばらくしたら菖蒲先生も来てくれていた。菖蒲先生はつい菖蒲先生と呼んでしまうな。
「九条様、本日はお招きいただきありがとうございます」
「え……?」
急に菖蒲先生が余所行きの表情と声でそんなことを言った。さすが高辻家のご令嬢だけあってマナーもしっかりしている。でも何か急に菖蒲先生にそんな風にされると胸が苦しくなった。まるで他人行儀で……、とても嫌だ。
「ね?あまり良い気分はしないでしょう?だから咲耶ちゃんも『高辻様』なんて呼ばないでいつも通りに呼んでちょうだい」
「あっ……、あぁ……、はい……。申し訳ありませんでした菖蒲先生」
そうか。菖蒲先生は俺が『高辻様』と言い直したから、それがどんな気持ちなのか俺にも教えてくれるためにあんな風にしたのか。そして俺はそれをとても嫌だと思った。菖蒲先生との距離がとても遠くなったようで、胸が締め付けられるような思いだった。俺が菖蒲先生にしてしまったのも同じことなんだな。
「ふふっ。いいのよ。ごめんなさい。咲耶ちゃんは主催者だものね。そうしなければならないことはわかっているわ。でもそう言われてとても寂しい気持ちがしてしまったから、ちょっと意地悪しちゃったわ」
「いいえ。意地悪などではありません。菖蒲先生に対してどれほど失礼なことをしてしまったのかよくわかりました。菖蒲先生は学校の勉強だけではなく、私にこういう大切なことも教えてくださるとても素晴らしい先生です」
菖蒲先生は笑ってそう言ってくれたけど、もし俺が最初にそうされていたらどう思っただろうか。とても寂しくて嫌な気持ちになって、もしかしたら相手にもっときつく言い返していたかもしれない。菖蒲先生はそれを俺にやんわり教えてくれた。これこそが本当の先生というものだろう。
学校のお勉強がどうとか、そんなことを教えるだけならテキストでもコンピューターでも出来る。先生っていうのは、本来こういうこともきちんと教えてくれるべき存在なんじゃないだろうか。菖蒲先生はとても素晴らしい先生だ。本当にこういう人が教師になって子供達を導いてあげて欲しいと思う。
「それではまた後でね、咲耶ちゃん」
「はい。本日は楽しんでいってください」
菖蒲先生を見送って……、暫くするとそろそろ良い時間になっていた。俺も出迎えを終えて一度下がって少し休憩をしながらパーティーの開始に備える。
「咲耶、それじゃ行こうか」
「はい。お兄様」
裏方で準備を進めていた兄と合流してエスコートしてもらいながら会場へと入る。こういう時うちは兄がいるからとても助かる。本当なら誰かペアのパートナーを伴って入場しなければならない所だ。でも俺はそれでいいけど兄は本当にこれで良いのかな?
兄の年ならばもう結婚も視野に入っていなければならない。普通は主催者である兄こそが婚約者をエスコートしながら入場しなければならないんじゃないだろうか?それなのに未だに兄は婚約者すら決まっていない……。いない?本当に?
俺が知らないだけで……、家でそんな話をしないだけで、実は兄には婚約者がいるとか?居てもおかしくはない。だけどそれなら何故こうしてパーティーなどでペアのパートナーになっていないのか?やっぱりいないから?
「お兄様……。お兄様は……」
「え?何……?もう行くよ?」
「あっ……」
結局聞いている暇もなく……、兄にエスコートされながら会場へと入る。俺達が入ると会場からワッと拍手が響いた。兄の挨拶を後ろで聞き、俺も少しだけ挨拶をして……、パーティーが始まって各家からの挨拶を受けていたけど、何とも俺の胸はモヤモヤしたままだった。