第三百二十七話「諦めてなかったのか」
新学年が始まって暫く経ったけど、特に大きな事件があるわけでもなければ、何か凄い変化があるわけでもなく、いつもと大して変わらない日常だけが過ぎていく。
でもまったく同じ日なんて二度となくて、毎日少しずつでも何かが変わっていく。そんな俺達の中でも一番変わったことと言えば睡蓮関係のことだろう。
あの騒動以来も睡蓮はサロンで俺達の席にやってきては茅さんの隣に座っている。そして竜胆がやってくる頻度も増えた。前までは時々来るくらいの感じだったと思うけど、最近はほとんど毎日俺達の席にやってきている。竜胆は何か睡蓮を敵視しているというか何というか……。
それからあの騒動の時は茅さんはきっぱり睡蓮を拒絶していたから、茅さんの睡蓮への苦手意識が克服されたのかと思っていたけどそうでもなかったらしい。あれからまた茅さんの横に座っている睡蓮に茅さんはタジタジになっていた。
あの時は茅さんがキレていたから通じなかっただけなのか。それとも一度は乗り越えたつもりだったけど、やっぱり乗り越えられていなかったのか。あるいは睡蓮の方が前までよりパワーアップしたのかもしれない。
ただ睡蓮の方も前までのように無闇に茅さんにくっついたり、お触りしたり、そういうことはしなくなっている。前まで通り隣には座っているけど、ちゃんと適度な距離を保って、言葉や態度で甘えるばかりだ。前までのように猫なで声で体をくっつけてどうこう、ということはなくなった。
まぁそれがまた茅さんには効いているということだろうな。前までのように猫なで声でくっつこうとしていたらまた跳ね除けられていただろう。今のように適度に距離を保ちつつ甘えているから、茅さんとしてもどうすればいいかわからなくなっているんだろう。
「はい、茅お姉ちゃん、甘いですよぉ。あ~ん」
「食べるつもりならば自分で食べられます。それに今はそのような物を食べたい気分ではありません」
睡蓮が自分のケーキを切って茅さんにあ~んしてあげている。茅さんにあ~んしてと迫っても知るかと言われてお終いだろう。でもこうして自分があ~んしてあげながら迫ったら、茅さんはどうしたらいいのか対処に困っているらしい。作戦を切り替えてきた睡蓮は案外あざとく賢いんだろう。
「え~?先ほどこのケーキを選ぼうか迷われていたではありませんかぁ?ですからお味見にどうぞぉ。はい、あ~ん」
「ですからいらないと言っているでしょう……」
「ほらほら、茅お姉ちゃん、照れないでぇ?」
「照れてなどいません!」
いやぁ、確かに照れてる感じではないかな……。かなり困惑しているということだけはわかる。それでもめげずにグイグイ行く睡蓮は大したものだ。これは俺もあまりうかうかしていたら本当に茅さんを睡蓮に盗られてしまうかもしれないな。まぁ今でも別に茅さんは俺の物というわけじゃないけど……。
「何よ。あれくらい……。私だって……。さぁ咲耶お姉様、こちらもどうぞ。はい、あ~ん……」
「いや、あの……、竜胆ちゃん?」
そして何故か睡蓮に対抗するかのように俺にあ~んをしようとしてくる竜胆……。そもそもご令嬢のマナーとしてあ~んをさせるのはどうなんだ?夫婦や恋人同士で誰も見ていない所でやるのならば勝手にすればいいけど、ご令嬢同士で、しかも人の目がある所でやるのはマナーが良いとは言い難い。
「さぁ、咲耶お姉様、あ~ん」
「いえ、その……、……はぁ。あ~ん……」
キラキラと期待した目で見てくる竜胆に負けてあ~んしてもらう。
「どうですか?おいしいですか?」
「ええ、おいしいですよ……。えっと……、それでは竜胆ちゃんもどうぞ。はい、あ~ん」
「あ~ん」
俺だけ貰ったら悪いかと思って、俺も自分のお茶請けを竜胆に食べさせてあげる。これもどうかと思うけどもう今更だろう。竜胆は一切抵抗もすることはなくあっさりあ~んした。
「あぁ!咲耶お姉様に食べさせていただけるなんて!最高です!」
「それでは咲耶様!次は私のをどうぞ!はい、あ~ん!」
「ちょっ!薊ちゃん?」
竜胆と俺のやり取りを見ていた薊ちゃんが隣にやってきて同じようにあ~んしてきた。何だこれは?どうなっているんだ?
「咲耶様……、私のあ~んは食べられませんか?」
「うっ……、たっ、食べます!食べますよ!」
上目遣いにウルウルと泣きそうな顔をした薊ちゃんに逆らえるはずもなく、俺は慌ててあ~んしてもらった。そしてお返しに薊ちゃんにもあ~んしてあげる。
「はい、咲耶ちゃん、次はこちらをどうぞ」
「皐月ちゃんまで……」
結局皐月ちゃんまで加わって、皆でお互いにあ~んさせあって食べる。何なんだこれは?明らかに何かおかしい。ご令嬢達がこんなことで良いのか?
「あぁ!咲耶ちゃん!お姉さんとも食べさせあいっこしましょう!」
「茅お姉ちゃんは睡蓮とするんですぅ!」
「はぁ……」
何か……、サロンの中でもこの席の周りだけ明らかに異質な空間になっている。どうやら他の五北会メンバー達も見て見ぬ振りをしているようだな……。結局茅さんも俺の隣に来てお互いにあ~んし合った。他の皆とはしたのに茅さんだけ断れるはずもない。そして何故か睡蓮とも……。
睡蓮の場合は単純に俺が食べていたお茶請けに興味があっただけだと思う。毎日興味があるお菓子は全種類制覇しようとしている睡蓮のことだ。一人で何個も全部食べるよりも、こうして一口ずつ食べた方がよりたくさんの種類を食べられるとでも考えているんだろう。マナーは悪いと思うけど……。
そのうち睡蓮はあ~んするだけじゃなくて、『一口ちょうだい』までするようになった。ノリが完全に庶民の女の子だ。庶民の女の子はお互いに違う物を頼んで、お互いに味見をし合って色んな料理やお菓子を食べるという。睡蓮が流行らせたのはまさにそれだ。
俺達のようなお嬢様がすることじゃないと思うけど、結局暫くこのあ~んは流行ったのだった。
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さらに暫く経った頃、サロンで寛いでいた俺達の前に面倒な奴がやってきた。
「おい咲耶!いつまで経ってもペアの誘いに来ないから俺様の方から来てやったぞ!」
「…………は?」
いつもの席に座って寛いでいた俺の傍に立つバカを見上げる。こいつは何を言っているんだ?
「伊吹!抜け駆けは禁止だよ!九条さん、僕もパートナーを空けてあるからね!」
「ちょっと!近衛様も鷹司様も卑怯じゃありませんか?咲耶お姉様!今度のパーティーは桜とペアを組んでくださるんですよね?」
伊吹に続いて槐と桜までワラワラと集まってきた。いや……、本当にこいつらは何を言っているんだ?
「皆さんが何をおっしゃっておられるのかわかりませんが……」
「だから九条家のパーティーで組むペアのパートナーの話だよ!」
「僕は九条さんのために空けてあるよ」
「桜と組んでくださるんですよね?」
あ~、も~……、面倒臭い……。
「九条家のパーティーではペア必須ではありません。そして私はどなたともペアになりません。何度お伝えすればご理解いただけるのでしょうか?」
何で九条家のパーティーでまでこいつらとペアを組まなければならないというのか。しかも九条家主催のパーティーなのに誰かとペアを組めば、それは九条家から、つまり俺から頼んだという形になってしまう。
何人も俺に対して許婚候補宣言をしている中で、俺が誰か特定の相手を選んだという話になればそいつとの婚約確定かとかまたそういう噂が広まってしまう。相手のパーティーに呼ばれて、ペアを頼まれて出るのと、こちらのパーティーに相手を呼んで、こちらから頼むのでは意味が違う。
「咲耶は俺の許婚だろ!俺とパーティーに出るべきだ!」
「九条さん、あまりはっきり断ったら他の家と角が立つというのもわかるけど、いつまでも期待させたままじゃ悪いよ。ここはきっぱり僕が許婚だって宣言した方が良いんじゃないかな?」
「咲耶お姉様のお相手は私しかいません!」
またやいのやいのと三人で言い争いが始まった。本当に面倒臭い……。何度もお断りしているというのに、何故こいつらはこうまでしつこいのか。どうすれば諦めるんだ?
だいたいこいつらは咲耶お嬢様を嵌めて破滅させる奴らじゃないか。それなのに許婚候補だとかパーティーのパートナーだとか何がしたいのかさっぱりわからない。
いや、あれか……。こいつらの家格に見合う許婚候補や婚約者候補というのはほとんどいない。五北家か七清家くらいしか許されないとすら言える。そんな中でとりあえずで形だけ許婚候補にしておいて、最後に見捨てても良い相手となれば……、俺しかいないということだろう。
薊ちゃんや皐月ちゃんと形だけの婚約をして、いざ結婚する前に破棄すれば色々と問題になりかねない。それに比べて俺ならどうせ破滅させるから、許婚候補にしておいて裏切ろうとも、九条家と揉めることになっても何の心配もいらないということか?じゃあこいつらはもう九条家を破滅させることを決めているということだ。
一体何故?いつから?
こいつらはいつ、何故、九条家を破滅させることにしたんだ?そりゃ俺もこいつらに対してあまり良い態度だったとは言えないだろう。でも俺の方からすればこいつらと距離を取ろうとしていただけだ。それなのに寄ってきていたのはこいつらの方だろう。それなのに何故俺と九条家が破滅させられなければならない?
ゲーム時の咲耶様のように伊吹の追っかけをしてキャーキャーいってても破滅させられる。俺のように距離を置いて関わらないでおこうとしても破滅させられる。だったら一体どうすればよかったというんだ?もう九条咲耶お嬢様というだけでこいつらに破滅させられる運命は変えられないとでもいうのか?
もしかしてゲーム時も、主人公に出会う前からこいつらは咲耶お嬢様を破滅させることで一致してたんじゃないのか?それはそうだよな。いくら何でもそんな急に思い立って九条家ほどの家を潰せるとは思えない。ということは長い時間をかけて周到に準備していたはずだ。
ようやく……、ようやくわかった……。そういうことだったんだ。別に主人公と結ばれるために咲耶お嬢様が邪魔だから急遽消したわけじゃない。もっと昔から咲耶お嬢様を消すつもりだったんだ。でも俺はそれに気付いた。こいつらはすでに咲耶お嬢様を、俺を破滅させる算段をつけて、裏でこっそり準備を進めているに違いない。
あぶないあぶない……。俺も咲耶お嬢様の二の舞になる所だった。でもそれに気付いたからにはこいつらの思い通りにはさせない。こいつらが今から準備をしているように、俺も今から備えておけば破滅ルートも回避出来るはずだ。
「九条家のパーティーではペアは組みません。ペアになりたい方はペアを組まれれば良いですが、私は主催者の一人としてペアを組んでいる場合ではありませんので、他の方をお探しください」
「「「…………」」」
俺がきっぱり断ると三人で顔を見合わせていた。これも何かの罠や仕込みの一環だったのかもしれないけど残念だったな。
「まぁ……、他の人と組まないだけ良いと思うしかないかな」
槐が最初にそう言って諦め。
「チッ!」
伊吹は舌打ちだけして。
「咲耶お姉様!そうやって他の人を追い払ってから桜とペアを組んでくださるんですね!」
桜はまだ諦めていないのかしつこかった。
でもさらに桜に組まないときっぱり言い切って追い返してやった。これであいつらの策略の一つは潰した。最近油断していたけどどうやら向こうはまだ俺を破滅させることを諦めていなかったようだ。ちょっとは仲良くなれたとか、友達になれるかもしれないと思っていたけど……、やっぱり油断しちゃ駄目だな。
何であの三人にあそこまで目の敵にされるのかわからないけど、やっぱり油断しちゃだめだというのはよくわかった。最近は女の子達とうまくいっていて、とても幸せな日々が送れていると思っていたけど……、男共は敵だ。男共をどうにかしないことには俺の平穏なお嬢様生活はいずれ潰されてしまう。
「あの人達も懲りませんね……」
「本当に……。咲耶様にお相手にもされていないのに……」
皐月ちゃんや薊ちゃんはそう言ってるけどそんなに甘い状況じゃないぞ。下手すればいつ破滅させられるかもわからない状況だ。いくら九条家でもあの三家が相手だったら分が悪い。
こちらからどうこうするつもりはなかったけど、向こうが諦めずにこちらの破滅を狙ってくるのなら、どうにか身を守る方法を考えなければ……。
いつも読んでいただきありがとうございます。
読者の皆様にはご迷惑をおかけしますが作者が体調不良のため暫く休載いたします。風邪のような症状なので数日で回復するのではと思いますが、体調不良なので何日後に再開とは断言出来ません。
体調が直り次第再開いたしますので暫くお待ちください。




