第三百二十五話「六年生」
短い春休みはあっという間に終わってしまった。だけど色々と濃い春休みを過ごしたと思う。春期講習とか百地流の修行はいつものことだし、マナー講習も九条家のパーティーが開かれるようになってからはいつものことになった。でも今年の春休みは茅さんとのことがあったからな……。
さすがにあれ以来家に押しかけたりはしていないけど、あの後から茅さんから電話やメールがよく届くようになった。それがまた付き合いたての初々しいカップルのやり取りのようで、何というか……、とても甘酸っぱい……。
「えへへ……」
「咲耶様、お顔が緩んでおられますよ」
「――ひゃいっ!」
朝の準備をしていると椛にそんなことを言われた。慌てて口元を拭う。よかった……。涎は垂れていなかったようだ……。
春休みが明けて、俺は今日から六年生になる。今年は、いや、今年も五北家の新入生はいないので、新入生との顔合わせも今日が初めてだ。俺達も最高学年になるし少し気を引き締めていこう。
最高学年の始業式の日だからか、今日は百地流の朝練も免除ということになった。始業式の日からクタクタのままバタバタと慌てて登校するのもどうかと思うしね。師匠もそういう所に気を使ってくれた……、のだろうか?
もしかして師匠の病状が悪化していて、もうあまり余裕がないから……、なんて不吉なことを考えてしまう。もうあれから結構時間が経っているし、師匠の病状が悪化している可能性は十分に考えられる。どうにかしたいとは思うけど……、俺は医者でもないし、本人が望んでもいないことをするわけにもいかない。
師匠だって良い年をした大人なわけで、子供である俺が口を挟むまでもなくきちんと色々考えて行動しているだろう。その師匠がどういう治療を行なったり、どこの病院に行っているかは師匠が考えて決めることだ。出来ることなら師匠には長く健康に過ごしてもらいたいけど……。
「さぁ……、行きましょうか」
「はい」
いつまでもグダグダ考えていても仕方がない。俺だってもう覚悟は決めたはずだ。だから俺は俺に出来ることをしっかりやっていこう。
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六年生の始業式といっても特に何か変わるわけでもない。クラスはそのまま繰り上がりだから変更もないし、六年生だからといって特別なこともないから今まで通りだ。
五年生になった桜と、三年生になった秋桐達はクラス替えがあると思うけど、誰が何組になったのか俺にはわからない。後で確かめに行こう。
「ついに私達も六年生ですね、咲耶様!」
「ええ、そうですね」
新しい教室で薊ちゃんにそう言われて俺もしみじみと感じる。
「振り返ってみれば、あっという間だったような、色々なことがあったような気がします」
「皐月ちゃん……」
薊ちゃんに続いて皐月ちゃんまでそんなことを言う。何かこう……、色々とこみ上げてくるものがあるというものだ。
「あははっ!まだ六年生が始まったところだよー!」
「そうですよ。思い出もこれからたくさん作っていくところです」
「今からしんみりしていては、卒業式までもちませんよ」
「そうですね」
「「「あははっ!」」」
皆で笑い合う。そうだよな。まだ一年ある。もう一年しかないと思うよりも、この一年を精一杯楽しもう。それに……、初等科を卒業しても皆とお別れというわけでもない。中等科、高等科、大学と、恐らくほとんどの子とは同じになる。大学は学部やキャンパスが分かれる可能性はあるけど……。それでも縁が切れるというわけでもないしね。
「素敵な思い出を作りましょうね」
「咲耶様……」
「咲耶ちゃん……」
「ええ!そうですね!」
六年生になると色々と行事もある。皆と良い思い出をたくさん作っていこう。
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お昼に食堂で秋桐達と合流して一緒に食事を摂った。食後にまったりお茶を飲みながらクラス分けについて聞いてみる。
「それで秋桐ちゃん、皆さんのクラスはどうなったのですか?」
「えっとねぇ……、秋桐は三組だったよ!桔梗ちゃんとは一緒だったけど、蒲公英ちゃんと空木ちゃんは別になっちゃった……」
「そうですか……。クラスが分かれてしまったのは残念ですが、別にお別れということでもありませんから……。それに新しいクラスメイトもいるでしょう?」
「うん!真弓ちゃんと薺ちゃんと榊君は一緒だったよ!」
秋桐の話だけだとどういうクラス分けになったのかわかり辛い。でも他の子達も混ざって話を聞いているうちに大体わかった。
まず三年一組は李と射干らしい。何か元々は喧嘩していた二人が一緒で大丈夫なのかな?と心配にもなるけど、どうやら二人もあれ以来打ち解けてそんなに険悪な仲というわけでもないらしい。どちらも気が強いタイプだから衝突することもあるようだけど、それ故に気が合うこともあるようでそれなりにうまくいっているようだ。
二組が竜胆、蒲公英、空木で何とも言えない感じらしい。皆も同学年のトップである竜胆と顔見知りだけど、こうして食事を一緒にするわけでもないし、俺達のように五北会で顔を合わせるわけでもない。ちょっと雲の上の人というか、遠い存在のようで、しかも大人しい蒲公英と空木じゃ竜胆に親しげにするのは少しハードルが高いようだ。
三組はさっき秋桐が言った通り、秋桐、桔梗、真弓、薺、そして男子で言えば榊が一緒らしい。一番親しいメンバーが集まってるクラスだけど、真弓、薺と秋桐達もギクシャクするかもしれない。最近は仲良くなってきたと思うけど、元々があれだったしなぁ……。
竜胆は榊と離れ離れになって寂しいだろうし、秋桐グループも半々、射干グループもバラバラで、何とも酷なクラス分けになってしまったかもしれない。
まぁそんなものは最初のうちだけで、これから二年もこのクラスでやっていくんだから、そのうち慣れて仲良くなれるとは思うけど……。俺も三年のクラス替えの時は一人になって苦労したし、三年生というのは何かそういう年なんだろうか?
でもそれはそうか。一年、二年で仲良くなった子達が、三年のクラス替えでバラバラになる。まだ学年全体と親しくもなっていないし、三年時のクラス替えというのは皆そんな風に感じているのかもしれないな。
これが五年生のクラス替えになれば、別のクラスだった子でも学年全体で親しい子も増えているだろうし、学校への慣れもあって三年時のクラス替えほどのショックはないだろう。
「私も三年生の時のクラス替えで芹ちゃんという新しいお友達と出会うことが出来ました。皆さんもきっと新しいクラスで新しいお友達に出会えますよ」
「…………うんっ!」
暫くポケッとした顔で俺を見ていた秋桐達が、元気良く頷いてくれた。きっと大丈夫。俺はちょっといじめられっ子だったからアレだったけど、秋桐や李や射干達ならきっと良いお友達と出会って、楽しい二年間が送れるよ。
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放課後に五北会へとやってきた。今年も五北家の新入生はいないから今日が初顔合わせだ。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう九条様」
「九条様御機嫌よう」
皆に挨拶を返してもらえるってうれしいな。まぁ正確にはまだ全員じゃないんだけどそれはある程度仕方ないだろう。普通の子同士だって仲が悪かったり、折り合いが悪い子だっている。全員と完全に仲が良いということこそ無理であり、一部にそういう子がいるのは当たり前だ。
「九条様!この子達がうちの今年の新入生なのです。ほら、貴女達も九条様にご挨拶しなさい」
そう言いながら上級生が派閥の新入生を連れて俺の前にやってきた。
「えっと……、ごきげんよう、くじょうさま」
「御機嫌よう」
あぁ、可愛いなぁ……。何で小さい子ってこんなに可愛いんだろう。
まったく、小学生は最高だぜ!
「あっ!ずるいわよ!九条様、うちの子も是非よろしくお願いします。ほら!貴女も九条様にご挨拶を」
「九条さまごきげんよう」
「ええ、御機嫌よう」
ほわぁっ!可愛い新一年生達が俺に向かって『九条様』『九条様』と言いながら集まってきてくれるなんて……、俺は夢でも見ているのだろうか?それとも俺は知らない間に死んで今際の際に願望を幻として見ているのだろうか。
「咲耶ちゃん、私達は一度失礼しますね」
「咲耶様、それでは」
「ええ、皐月ちゃん、薊ちゃん、また後で」
自分達の派閥に向かった皐月ちゃんと薊ちゃんを見送って、俺もお茶の用意をしてからいつもの席に向かう。暫く一人でお茶を楽しんでいると静かにサロンの扉が開かれた。
「御機嫌よう……、咲耶ちゃん」
「御機嫌よう、茅さん」
やってきたのは茅さんだった。でもいつもと様子が違う。前までのように扉をバーンッ!ドカドカ歩く!というような様子はまったくない。それどころか静々と歩いて妙に大人しい。それに顔がやや赤くなっていて……、何というかとても色っぽいというか、可愛いというか……。
高校二年生になってようやく茅さんもお嬢様らしくというか、女性らしくなってきたのかな?
「高等科二年生のクラスはいかがですか?」
「クラスなんてどうでも良いわ……。咲耶ちゃんがいない生活なんてどうでも良いの……。私はいつも、ずっと咲耶ちゃんのことを考えているわ」
「茅さん……」
何か……、ちょっと赤くなってモジモジしながら茅さんがそんなことを言う。あの茅さんが、こんなしおらしい態度で、こんな可愛らしい台詞を……。
あっ、あかん……。この破壊力は半端じゃない。
よくよく考えたら茅さんってドストライクじゃないか?現役お嬢様JKだぞ?それに興奮しない男がいるか?いや、いまい!
初等科の子達は可愛いと思う。でもそれは大人が子供を見て可愛らしいと思うような感情だ。初等科でも高学年とか、中等科になってくれば思春期になってきて、まさに青い果実という感じになってくるけど、それだってまだ大人から見れば子供で性や恋愛の対象というのとは少し違う。
でも高等科にもなってくれば体はほとんど出来てきているし、自我や恋愛というのもかなり確立されてくる。確かに高等科でもまだ青い果実ではあるだろうけど、少女から女性に、子供から大人に変わる過渡期であり、普通に恋愛対象としても含まれてくるような年齢じゃないだろうか。
別に俺がロリコンとか、JK好きだからというだけじゃない。女性は十六歳から結婚出来るし子供だって産める。夫婦で十歳差くらいならザラにあるだろうし、旦那が二十八で嫁が十八でも何らおかしくはない。茅さんとなら俺も行くところまで行ってしまっても良いのでは……。
「茅お姉ちゃん、何を九条様と見詰め合っているんですかぁ?」
「――ッ!」
きたっ!来たよ。来やがった!花園睡蓮!
またいつものように茅さんの隣に座ってしなだれかかるように茅さんにくっつく。でも俺は前までの俺とは違う。今の俺と茅さんの間にはそんな攻撃など……。
「邪魔よ、睡蓮。どきなさい」
「…………」
「……あの、茅さん……」
しなだれかかってきていた睡蓮をグイッと押し戻して言い放った茅さんの言葉はあまりに冷たかった。声も、視線も、滅茶苦茶冷たい。その視線はまるでくだらないモノを見ている時の目だ。とてもじゃないけど親戚の年下の子を見る目じゃない。
少し前までは、茅さんは睡蓮にタジタジだった。遠慮や罪悪感もあったんだろう。親戚だけの集まりだったとはいえ大切なパーティーの時にあんなことをしてしまったのなら、そりゃさすがの茅さんと言えども罪悪感くらい持つはずだ。でも今の茅さんは睡蓮に何の遠慮も罪悪感も持っていないかのようだった。
普段の、他の人を相手にする時のように、今の茅さんは睡蓮に対しても無敵の人になっている。ただ……、そのあまりに冷たい態度は俺の心にもチクリと痛みを齎す。馴れ馴れしい睡蓮が拒絶されてざまぁみろなんて思えない。その泣きそうな睡蓮の顔を見ていると俺まで辛くなる。
「茅お姉ちゃん、どうして……」
「いつまでも貴女のそんな手が通用すると思っているのですか?こちらが大人しくしているからと調子に乗って……、いい加減にしなさい。さもなければ……」
「ちょっ!ちょっ!茅さん!落ち着いてください!」
やばい……。茅さんの目が本気だ。本気で睡蓮をどうにかしそうな顔にしか見えない。
「――っ!茅お姉ちゃんに何をしたんですかぁ!九条様の……、九条様のおばかぁ~~~っ!」
「あっ……」
席を立った睡蓮は……、エコーがかかったそんな台詞を残して走り去っていったのだった。




