第三百二十三話「太っ……」
「…………え?」
俺は目の前の現実が受け入れられずワナワナと震えた。嘘だ……。こんなの絶対に嘘だ……。嘘だと言ってくれ!俺はこんな現実を認めない!まさか……、まさか……。
「こっ……、これは何かの間違いでは?」
「いいえ、咲耶様、何も間違いではありません」
動揺している俺に、椛が淡々と現実を突き付けてくる。その言葉に俺はグラリと世界がまわったような気がした。嘘だ!こんなの何かの間違いだ!どうして……、どうしてこんなことに……。
「まさか……、私の体重が三キロも増えているなんて……」
「紛れもない事実でございます」
容赦のない椛の言葉に俺は崩れ落ちた。体重計から降りてその場に崩れ落ちた。俺はよく体のサイズや体重を測っている。日常の衣服はもちろん、パーティー用のドレスなどもしょっちゅう新調しているから、その度にサイズを測って調整するのは当たり前だろう。
日々の測定結果なんていちいち気にしてなかったからあまり知らないんだけど、俺が自分で把握していた適正っぽい体重より今日は三キロも重かった。
そもそも何故春休みの今急に体重を量っているのかと言えば、九条家のパーティー用のドレスが仕上がってきたから、最後の調整のために試着したら思ったよりも小さくてきつかったからだ。
日々の測定は椛達メイドが勝手にやってくれている。俺は言われるがままに無抵抗に体を測られたり、体重を量られたりするだけで、いちいちその結果まで気にしていない。聞けば教えてくれるだろうけど、聞かなければ、あるいは自分で見なければほとんど俺に知らされることはない。そしてそれで何の問題もなかった。
ただ五月の九条家のパーティー用に注文していたドレスが仕上がって、最後の調整に試着して寸法を直そうとしたら……、きつかったのだ。
もちろん着れた。着れたよ?いくら多少重くなったとしても、ドレスだってピッタリ一ミリもズレがないほどピチピチなわけがない。多少大きめに作られて、最後に調整で絞るものだ。最初からジャストや小さく作ったら入らない。大きく作って小さく修正するに決まってる。
でもその少し大きめに作られたはずのドレスが結構きつかった。現時点で着ることは出来たけど、寸法を直す必要もないほどにギリギリだった。もしこのままのペースで俺が重くなっていけば……、まだあと二ヶ月近くもあるパーティーまでにこのドレスが入らなくなるのではないか?
そんな危機感を覚えた俺が俺の身長体重スリーサイズを測定し直してくれと頼んだのが今の結果というわけだ。
どうしてこんなことになったのか……。身に覚えはある……。バレンタインデー以降俺は……、チョコを食べまくり、ホワイトデー以降は飴を食べまくった。チョコや飴なんて砂糖の塊のようなものだ。それを食べて重く……、いや、はっきり言おう。太らないわけがない。
食っちゃ寝、食っちゃ寝、を何日も何日も繰り返していればそりゃ太るだろう。俺は……、いつの間にかぽっちゃりさんになってしまっていたんだ!
そういえば……、最近前に屈もうと思っても何かつっかえて前より曲げ難くなったような気がしていた。それに下着を穿こうとした時にお尻の辺りで引っかかるようになってきていた気がする。
「あわ……、あわわっ!」
やばい……。このままいけば俺は……、ぽっちゃりさん所かおデブちゃんになってしまう!咲耶お嬢様ともあろうものがおデブちゃんになるなんて許されない。いや、俺が断じて許さない!
「やはり成長期ですね。身長も体重も、胸もお尻も、この短期間でこれほどサイズが変わってしまうとは……。パーティーまでにさらにご成長される可能性もありますので、やはりここはこのドレスはやめて新しいドレスを新調される方がよろしいかと思われます」
「…………へ?成長期?」
床で失意体前屈をしていた俺に向かって、椛の言葉が無慈悲に……、無慈悲?……成長期?
「はい。ドレスを注文する際に測定した時よりも随分成長されています。このままでは恐らくパーティー当日にはさらにご成長されているかと思われますので、このドレスのサイズでは入らなくなっている恐れがあります。万全を期すためにはもう少しサイズの大きいドレスを注文されておく方がよろしいかと……」
成長……、それはおデブちゃんにやんわり事実を告げる時に使われる方便ではないのかね?横へ成長しているとかそういうことは?
「あの……、私は……、おデブちゃんになったのでは?」
「はぁ?咲耶様くらいのお年頃になられますとそのようなことをお気になさる方がおられます。ですが咲耶様の身長から考えれば確かに一キロほど重いですが、咲耶様が日頃からトレーニングされていることや、胸やお尻のサイズから考えた場合、むしろやや軽いくらいです」
何か椛に温かい目で見られている気がする。俺が思春期で自分の体重を気にしてるとか、太ってきたと意識しすぎていると思っているのかな?
「男性と違って女性は胸やお尻のサイズに個人差が大きいので平均体重とか、身長に対する体重の比率というだけでは語れません。そのようなことはお気になさる必要はありませんよ」
「いえ……、はぁ……。まぁ……、わかりました」
確かに体重が激増したことに対して驚いて、ぽっちゃりさんになってきたのかと心配はした。でもそれは別に思春期特有の、平均体重より重いからどうとか、ダイエットしなくちゃとか、そういうものとは違う。ただ単純にここ最近チョコや飴ばかり食べていたから、体の管理が疎かになっていたかと思って焦っただけだ。
「そもそも咲耶様の身長や体重、スリーサイズなどは百地様とも共有して、咲耶様のトレーニングに役立てられております。百地様がその程度のコントロールもされていないとお思いですか?」
あ~……、師匠なら大丈夫だわな……。もし本当に俺が太ってきていたら、師匠なら徹底的に無駄な肉を削ぎ落とすように修行をさせるだろう。それなら安心……。
「って、えぇっ!師匠にまで私の身長、体重、スリーサイズまで教えているのですか!?」
百歩譲って身長、体重は良いとしても、スリーサイズとかは教える必要ないだろう!何で乙女の秘密をそんなホイホイと、お爺ちゃんとはいえ男性にまで簡単に教えてしまうのか!
「先ほども申し上げた通り、女性は身長と体重だけでは測れません。同じ身長で、同じ体重でも、Aカップの方とGカップの方の体重が同じでは他の部分の重さが違うということです。単純に身長体重だけで比べればカップの大きい方の方が体重が重い傾向になるでしょう。それでは正確に比べることは出来ません」
「それはまぁ……、そうかもしれませんが……」
より厳密に考えるのならそれはその通りだろう。師匠は俺の体の全てを管理していると言っても過言ではない。だからより正確に筋肉量や身長と体重を考え管理するのならスリーサイズも重要だというのはわかる。わかるけど……、何か腑に落ちない。
「ふふっ、そのようなことをお気になさるなんてやはり咲耶様も乙女ということですね」
「なっ!?ちっ、違います!別にスリーサイズが知られるのが恥ずかしいとかそういうことではありません!」
「そうですね。お年頃の方は皆様そのようにおっしゃられます」
「もうっ!違いますってば!」
俺が普通の女の子みたいに、体重が知られるのが嫌だとか、スリーサイズを知られるのが恥ずかしいとか、そういうことを気にしているわけがない。ただ個人のそんな情報を本人に承諾もなくホイホイ教えるのはどうかと思っただけだ。本当だぞ!
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椛が両親に進言してくれたお陰で俺はドレスを作り直すことになった。早めに気付いてよかったというべきか。今からならまだ新しいドレスも急げば間に合うだろうけど、直前になってサイズが変わってて入らないなんてことになっていたら大変だった。
これからもまだ成長することを見越して、今回のドレスはいつもよりも余裕を持たせて作ることになった。そういうのが誤魔化しやすいデザインにしてくれるらしい。体にぴったりしてラインが出るようなドレスだと誤魔化しようがないしな……。おデブちゃんや成長期ならそれに合わせて着れるようなデザインというものもある。
春休みに入って早々そんなことがあってドタバタしていたから、いつの間にか茅さんのことで悩んでいたのも吹っ飛んでいた。まさか椛が気付いていてそうしてくれたわけでもないだろうけど……、一応心の中で感謝しておく。
そうして俺自身のパーティーの準備をしながら、俺がパーティーに向けてしなければならないことがある。そう……、パーティーのためのマナー講習だ。
家族は家族でそれぞれパーティーに向けて色々と準備に忙しいし、俺も九条家の一員としてパーティーを手伝うためにもマナー講習を頑張らなければならない。まぁマナー講習は俺がやろうと提案してやり始めたことで、別に元々はパーティー主催者がしなければならないことではないんだけど……、評判も良いしやって悪いことはないだろう。
マナー講習の評判はかなり良いらしくて、年々参加者も増えている。俺が主催者側だからおべっかで言ってるというわけじゃないだろう。実際に参加者が増えているし……。今日が今年のマナー講習の初日だから、俺も九条家の施設の前で参加者達と挨拶を交わす。
「おはようございます九条さん」
「御機嫌よう、芹ちゃん」
マナー講習の会場で挨拶や案内をしていると芹ちゃんがやってきた。修了式以来……、といってもつい先日の話だ。まだそんなに日数も経っていないから久しぶりというほどでもない。それでも休みにお友達に会えてうれしいけど。
「今年もお世話になりますね」
「ええ。芹ちゃんならもっと上のクラスを受講された方が良いと思いますが……、何か一つでも得る物を持って帰っていただければ幸いです」
芹ちゃんは今年も初心者用コースを受講するらしい。明らかに芹ちゃんはもっと上のクラスだと思うんだけどな……。まぁ本人が選ぶものなんだからこちらから口を出すことじゃない。アドバイスとして言うのはいいけど、こちらから強要したり、しつこく言うのは違うだろう。
「咲耶たん萌えっす!」
「あはは……、え~……、御機嫌よう、杏さん」
何かもう杏のアレはまるで挨拶のようになってきたな……。まぁそれも俺が言うことじゃ……、って、違うだろ!?俺が言うことだろ!さすがにマナーに反するような挨拶というのは注意すべきだ。でも杏にそう言っても『これは咲耶たんにだけ言うだけで他ではこんなこと言わないっすよ』と言われてしまった。それはそれでどうなんだ?
「さくやおねーちゃん、ごきげんよう!」
「御機嫌よう、秋桐ちゃん」
「くじょーさまごきげんよう!」
「ごきげんようさくやさま!」
「皆さんも御機嫌よう」
最後にワラワラと秋桐達がやってきた。いつもはこんにちはとか言うのに、こういう時だけ『御機嫌よう』といっているのが何だか可愛らしい。この子達はきっと俺を萌え死させようとしているに違いない!
「あら?咲耶ちゃん、少し見ない間に大きくなったわねぇ」
「マス……、緋桐さん……、御機嫌よう……」
緋桐さんにそう言われてドキリとした。違うよな?ぽっちゃりさんになったっていう意味を遠回しに言ってるんじゃないよな?
違うよ?俺は別にぽっちゃりさんになってるんじゃないかとか、そんなこと気にしてないよ?女の子じゃあるまいし、ちょっと太ったとか痩せたとか、ダイエットしなくちゃとか、そんな気は全然ないよ?でも皆に大きくなったって言われたら、こう……、お腹が、とか、横に、という枕詞が隠されているのかと思ってしまうだけだ。
「それじゃ今年もよろしくね」
「はい」
秋桐やその家族も毎年参加してくれているけど、秋桐はあまり個人的にはマナー教室とかに熱心に通っていないようだ。ちょっとは習ってるみたいだけど、そんなに劇的に進歩したりしている様子がない。やっぱりこういうのは幼い頃から英才教育を施しているお坊ちゃんお嬢ちゃんというのは違うということだろう。
「この講習に来ると、お昼やおやつに本当においしい食事やお菓子が出るから楽しみなのよ」
「まぁ。緋桐さんったら……。うふふ」
緋桐が面白いことを言う。確かにこのマナー講習では先に講習で習って、お昼やおやつに実際に食べ物を出して実践もする。でもそれはそんなに特別凄い物でもないし、お腹が一杯の人とかもいるだろう。だから皆が必ずしも食べるとは限らない。一応マナーの確認で現物を使うだけで、食べても食べなくても良いものだ。
他の幸徳井家の面々や、蒲公英達他の家の保護者の人は少し引き攣った顔をしていたけど、緋桐の冗談でちょっと驚いたのかもしれない。そんな秋桐達も見送って、俺は時間一杯まで入り口に立っていたのだった。