第三百二十話「そういうことか」
茅さんでも泣くことはあるんだなと、極当たり前のことをようやく思い出したような気分だけどそんな場合じゃない。とりあえずこの場をどうにかしなければ……。
それにしても……、いくら睡蓮が変わった子でも、茅さんと親戚だったとしても、普通こんなことをするだろうか?
睡蓮は変な子だけど別に頭が悪いわけじゃない。それに礼儀作法を無視したり、出来ないわけでもない。普段サロンでも何らかの行事やパーティーでも普通にこなしている。例え親戚のお姉ちゃんが相手だったとしても、他人の物を勝手に開けて食べてしまうような子じゃないはずだ。いや、少なくとも今まではそうだったはずだ。それが何故今急にこんなことをしたのかわからない。
「え~っと……、睡蓮ちゃん……、どうしてこんなことを?」
とにかく事情を聞かないことには俺では判断出来ない。茅さんは泣いてしまっているし、とりあえずもう片方の当事者である睡蓮に事情を聞いてみる。
「これは茅お姉ちゃんとの約束通りなんですよぉ」
「約束……?」
茅さんが泣いていても平然とそう答える睡蓮に少し怖いものを感じながらも、その『約束』とやらを聞いてみる。その内容次第ではもしかしたら今回のことも意味が変わってくるかもしれない。
「今から約三年前……、私は社交界デビューと、藤花学園初等科入学と、お誕生日のお祝いを合わせて、親戚を集めてパーティーを開いてもらったんですぅ」
ふむふむ……。俺達の界隈だと正式な社交界デビューは初等科入学の少し前になる。俺は社交界デビューが遅かったけど、普通なら入学の前に社交界デビューして、そこで顔を合わせた同級生達と初等科でお友達になるのが一般的だ。
だから社交界デビューがなかったというか、通常の子達とタイミングが違った俺は、初等科が始まった時点で薊ちゃんや皐月ちゃん達、グループの子達とは顔見知りにもなれていなかった。たぶん最初のゲーム時の咲耶お嬢様と俺との状態や条件の違いもここにあったんだろう。
ゲーム時の咲耶お嬢様は普通に社交界デビューして、入学前には皆と顔見知りだったはずだ。そこで立場の差もはっきりさせていて、入学した時にはすぐに皆を取り巻きとして侍らせていたに違いない。それに比べて俺は社交界デビューで顔を合わせなかったからボッチだったわけだ。
俺は社交界デビューが遅かったし、デビューしたからお祝い、などというものはなかった。初等科入学やお誕生日のお祝いというのも親戚を呼んで盛大にするということはなかったし、そもそもパーティーとかもあまり縁がなかったけど、家によってはあれこれパーティーをする家もあるだろう。睡蓮の家がそういうパーティーをしていてもおかしくはない。
「そしてぇ……、三つのお祝いだからとお父様とお母様が用意してくださった三段のケーキを切り分けようとした時に事件が起こったのですぅ」
何か……、嫌な予感しかしない……。
「当時初等科入学前で背の低かった私は、台に乗って三段ケーキを切り分けようとしていました。その時に後ろに立っていた茅お姉ちゃんが……、くしゃみをしたのですぅ」
あぁ……、何かもう結論が見えてきた気がする……。
「くしゃみをした茅お姉ちゃんは後ろから私を突き飛ばす形になってぇ……、私は顔からケーキに突っ込み、そのままテーブルごと倒れてケーキも料理も台無しになってしまいましたぁ……」
うわぁ……。うわぁ……。もう聞いてるだけで胸が切なくなってくる……。
「その時に茅お姉ちゃんは『たかがケーキや料理くらいで何ですか?いつまでもメソメソと、鬱陶しいので泣くのをやめなさい』と言われたのですぅ」
その光景がありありと見える。茅さんなら言いそうだ……。
「そしてそれでも泣き止まない私に『それではこれから私の食べ物で欲しい物があったら何でも好きに食べなさい。お菓子でもお料理でも何でも譲ってあげます。それで良いのでしょう?』と約束しましたぁ」
あかーん!もしかしたら睡蓮の方が何か茅さんに無茶を言ってる可能性もあるかもしれないと思ったけど、ここまでの話で睡蓮に何の悪い所も見当たらない!茅さんを庇おうと思っても庇えるものがない!
「それにしてもあんまりだわ!他の物なんていくらでも譲ってあげるのに!よりにもよって咲耶ちゃんからのホワイトデーのお返しを食べてしまうなんてあんまりだわぁ~~!」
茅さんは泣きながらそんなことを言い出した。反論しないということは大体合ってるということでいいのだろうか……。
まだ初等科入学前の子が……、三つのお祝いを合わせた少し大きめのホームパーティーで、親戚まで集めた席で……、さぁこれから両親が贈ってくれた三段ケーキを切ろうとしていた時に……、いきなり全てが台無しにされてしまったら……。想像するだけで胸が切なくなってくる……。しかもその後の茅さんのフォローも最悪だ……。
「茅お姉ちゃん、だからこそ意味があるんですよぉ?サロンでいくらでも食べられるお菓子を茅お姉ちゃんが持ってきたからとそれを頂いても意味はありませぇん。それなら私も同じ物を取ってくれば良いだけですぅ。大切な人から贈っていただいた、とても大切な物を奪われるから意味があるのではありませんかぁ?」
「そんな……、ひどいわ!あんまりだわ!咲耶ちゃんから贈ってもらった物だけは駄目よ……。ケーキなんてまた用意すれば良いじゃないの!あの時のケーキが欲しければいくらでも用意してあげるわ!こんな仕打ちはあんまりよ!」
「この飴ちゃんはあのお店で売っている物ですよねぇ?それではこの飴ちゃんが欲しいのであれば私がいくらでも用意してあげますよぉ。それで良いではないですかぁ?」
「例え同じお店の物を用意してもらっても意味がないのよ!これは咲耶ちゃんが私に贈ってくれた世界で一つだけのものなんだから!」
茅さん……、それは墓穴なんじゃ……。
「茅お姉ちゃんが九条様からいただいた飴ちゃんが世界で一つだけの大切なものであったように、あの時私が両親からいただいたケーキは世界で一つしかない宝物だったんですよぉ?同じケーキを買ってきたから良いというものではありません」
「――ッ!?」
ガガーーーンッ!
とでも音が聞こえてきそうな感じの顔になった茅さんは、ショックを受けたのかよろよろと後ずさってへたり込んだ。
「茅お姉ちゃんがくしゃみをしてしまったのも、事故でケーキもお料理も崩れてしまったのも仕方がないことだったかもしれません……。でもその後の茅お姉ちゃんの言葉は……、とても許せないものだったんですよぉ。その気持ちがわかっていただけましたかぁ?」
「…………」
へたり込んだ茅さんの前でそう言う睡蓮に茅さんは黙っていることしか出来ない。完全にド正論だな……。小学三年生に正論で言い負かされる高校一年生……。
まぁ言ってることは確かに睡蓮の言う通りなんだけど……、この子本当に三年生か?茅さんがちょっとアレなのは仕方ないとしても、睡蓮がとてもじゃないけど三年生らしくない。俺達が三年生の頃の槐どころか皐月ちゃんよりもしっかりしていて黒いんじゃないだろうか……。
「すっ……、睡蓮ちゃんは茅さんに常識を……、被害者の気持ちを知らせるためにこんなことを?」
「食べ物の恨みはとぉっても怖いんですよぉ?これからも……、九条様からいただいた物は全て私が……」
「まっ、待って頂戴!あの時のことは謝るわ!だから……、だから咲耶ちゃんからの頂き物だけは許して!」
あぁ……、茅さんが睡蓮の行いにいつものように怒ったり、仕返しをせずに黙って受け入れていたのは、睡蓮との約束があったからなのか……。茅さんもそれを受け入れているということは恐らく今までの話のほとんどはその通りなんだろうな。そしてその光景がありありと目の前に浮かんでくる。前までの茅さんならそう言いそうだ……。
「睡蓮ちゃん、前までの茅さんならそうだったと思うわ。でも三年前の茅さんと今の茅さんは違うのよ。茅さんも色々と人の痛みもわかるようになったの。もう許してあげられないかしら?」
睡蓮の怒りも尤もだろう。自分の晴れの舞台の時に、それを全て台無しにしておいて反省するどころか、『じゃあ代わりを用意してやるからそれでいいだろう』みたいに言われたら腹が立つと思う。許せないと思う。
確かに昔の茅さんはそういうところもあった。でも今は違う。今の茅さんはちゃんと人の痛みもわかる人になった。今でもわがままな所はあるけど、昔みたいに人の痛みもわからないような人じゃない。
「それではあと十回……。私が言った時に私の好きな物を食べさせてくれたら許してあげます」
「それは咲耶ちゃんからの贈り物や頂き物は含まれていないのよね?」
一瞬表情を明るくした茅さんはハッとした顔になって確認していた。あと十回も大切な物を奪われるのならあまりに厳しすぎる。でもそんな心配はなかったらしい。
「はい。茅お姉ちゃんと一緒にお出掛けしたり、お食事をしたりした時にいただきます」
そう言って表情を緩めた睡蓮の顔は何かとてもすっきりした顔をしていた。睡蓮はもしかしたら茅さんのことが結構好きだったのかもしれない。でもそのパーティーのことがあってから何だかギクシャクして、それに睡蓮の方としては許せなくて、関係がうまくいってなかったんだろう。でも今回のことで一区切りがついた。
これからはまた親戚のお姉ちゃんである茅お姉ちゃんと前までのように仲良く出来る。だから睡蓮がこんなに良い顔をしているのだとすれば……、一件落着というところかな。
「何を食べさせてもらいましょぅ?あれも……、これも……、食べたい物が多すぎて十回じゃ足りませぇん」
何か……、うっとりした顔で食べ物を想像しながら涎を垂らしているような気がするけど……、気のせいだ。きっと気のせいだ……。
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蕾萌会に行くと菖蒲先生からホワイトデーのお返しを貰った。包みを持った感じからすると中身は飴だろうか。次に百地流の道場に行くと何故か外に杵と臼が置いてあった。
「あの……、師匠……、これは?」
「ほわいとでーのあんころ餅じゃ」
師匠に何やら風呂敷で包んだ箱を渡された。一体何事かと思ったけどどうやら師匠からのホワイトデーのお返しらしい。杵と臼が出ていたし、もしかして師匠が餅をついて作ってくれたんだろうか?
「師匠がついてくださったお餅ですか?」
「うむ……。まぁ……、そうじゃな……」
ちょっとテレているのか、頬を少し赤くしてポリポリとかきながら師匠がそんなことを言った。何だ。師匠も可愛い所があるじゃないか。
「それでは修行じゃ!」
「ちょっ!ししょ……、うぎゃぁぁっ!」
この日の修行は何故かいつもの倍くらい厳しかった……。
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はぁ……。今日は色々なことがあった。俺は毎日充実して濃い日々を送っていると思うけど、それにしても今日は色々なことがありすぎた。特に茅さんと睡蓮のことは凄い驚きだったけど、あれでまた一歩茅さんも成長出来たんじゃないかと思う。
「咲耶様、少しよろしいでしょうか?」
「椛?どうかしたのですか?」
一度下がらせたはずの椛がやってきたらしい。こんな時間に、それも一度下がらせたのにまた来るなんて珍しい。何事かと思いながらも部屋に招き入れると後ろ手に何かを隠しているようだ。
まぁ今日がホワイトデーの日で、椛にはバレンタインデーにチョコを贈って、この前一緒にホワイトデーのお返しを買いに行った。そしてわざわざ一度下がったのにまたやってきて後ろ手に何かを隠しているとなればそれはもうお察しだろう。でもこちらからわざわざ指摘することではないので黙って椛の言葉を待つ。
「あの……、その……」
「はい……」
何かモジモジしている椛が可愛いなぁ……。いつもならちょっと冷たいのかと思うような無表情も多くて、冷静に仕事をこなすだけの椛が、こうして赤くなってモジモジしていたらとても可愛らしい。
「こっ、これをっ!ホワイトデーのお返しです!」
「はい。ありがとう椛」
隠していた手を前に持ってきて差し出された包みを受け取る。俺のホワイトデーのお返しを買いに行った日、椛も一人でこっそり何かを買っていたのは知っている。もしかして俺のためにお返しを買ってくれていたのかな?と少し期待しつつも気付いていない顔をしていたけど、やっぱり俺のために買ってくれていたようだ。
「そっ、それではおやすみなさいませ!」
「あっ……」
それだけ言うと椛は小走りに立ち去ってしまった。可愛いなぁもう……。椛って普段はグイグイ自分から迫ってくる感じなのに、いざ何かあったり、良い雰囲気になったら自分の方が照れてしまってあんなに可愛くなってしまう。そういう部分では急に初心になったりして可愛い。
「ふふっ」
椛に貰った包みを抱えながらベッドに腰掛ける。あぁ、やっぱりこういうイベントは必要だよな。前世の時はクリスマスとかバレンタイン中止のお知らせを喜んだり、リア充爆発しろとか思ってたけど……、やっぱりこういうイベントは必要なんだよ。
椛から貰ったお返しを大切に仕舞ってからベッドに転がる。でも……、そう言えば……、バレンタインチョコをあんなに食べて、ホワイトデーのお返しをまたこんなに食べたら太るな……。それでなくともちょっぴり体重が増えていたのに……。
まぁ……、それは……、また……、追々考えるか……。