第三百十四話「みーたーなあ?」
結局朝の騒動の後も休み時間になる度に、学年を問わず俺にチョコレートを持ってきてくれる子で大行列が出来ていた。休み時間になると椛と黒服達がやってきて、俺が受け取ったチョコレートを預けていく。
「はい、咲耶ちゃーん!」
「ありがとう譲葉ちゃん」
「咲耶ちゃん!二人でこれを食べさせあって一緒にとろけましょう!」
「え~……、ありがとう蓮華ちゃん」
「大変ですね、咲耶ちゃん。これはいつもお世話になっているお礼の気持ちです」
「大切にいただきますね、椿ちゃん」
はっきり言えばその他大勢の子達から貰った物は全て黒服達が無造作に袋に入れて運んでいると思う。かなり失礼かもしれないけど、数も多いし元々付き合いもない子達から貰っている物だから、多少そういう扱いでも我慢してもらうしかない。
それに比べてグループの子達に貰った物は別に避けてあり、ちゃんとすぐに分かるようにしてもらっている。朝椛達が来た時に持っていってもらった薊ちゃんや皐月ちゃんや芹ちゃんの分もちゃんと分けるように言ってある。
こう言っては何だけど、相手がどんな子かもわからない相手からもらったチョコレートを俺が食べることはないだろう。すぐに死ぬような毒は入っていないと思うけど、尿意や便意を催す程度の毒なら盛られている可能性も十分にある。
もちろん全てがそうだとは思っていない。中には心を込めて買ってきてくれたものや、手作りしてくれたものもあるだろう。だけどアイドルグループだってバレンタインにはたくさんのチョコレートが贈られてくると思うけど、そんなものを食べているわけがない。
まぁ俺は多少の毒なら食べても平気だろうけど、食べても平気だからとわざわざ毒を食べるのは違うだろう。そもそも量が多すぎて一人で食べ切れる量じゃない。よくて精々うちに仕えてくれている者達に食べてもらうくらいだろうか。それも危険を承知で……、ということになる。
でもグループの皆や知り合いの子達の物は出来るだけ俺が食べてあげたい。全部をすぐに食べるのは難しいかもしれないけど、それでもやっぱりグループの子達の分くらいはね。
そうして休み時間毎の地獄のチョコレート受け取りマラソンも終わり、ようやくお昼休みになった。今もまだ俺に渡そうと狙ってる子達がいるけど、食事の時は控えるようにと椛や黒服達がガードしてくれているお陰で昼食抜きなんてことにはならずに済みそうだ。
今日は椛達が俺達の周りをガードしたまま、いつも通り秋桐達と合流して昼食を済ませた。残念ながら二年生の子達からはバレンタインチョコはなかった。流石にまだそういうことは考える歳じゃなかったようだ。
「咲耶様、準備が整いました。宜しければ食堂の中へ……」
「はい。それでは皆さん、少し私にお付きあいください」
椛に言われたので皆を誘ってテラスから食堂へと入る。入っただけでフワリと甘い匂いが漂っていたし、一目見ただけでどういうことかわかった。食堂の中にはいくつものチョコレートファウンテンが並べられていた。そこを泉のように黒っぽかったり、茶色っぽい液体が流れている。
……うん、何かそんな言い方をするとあまりおいしそうに聞こえないな。
「皆様、本日は九条咲耶様より特別にバレンタインデーの差し入れがあります。どなた様でもお気軽にご利用ください」
「「「わぁ!」」」
「素敵」
「ありがとうございます、九条様」
「九条様からバレンタインのチョコレートをいただけるなんて感激です」
食堂に特別に並べられているチョコレートフォンデュに、今日食堂を利用していた生徒達はワッと群がっていた。イチゴなどのフルーツやマシュマロ、それから変り種だと餅なんかも置いてある。それを生徒達がチョコレートにつけておいしそうに食べていた。
「咲耶様とお連れの方々はこちらへ」
「「「まぁ……」」」
椛が俺達を通したのは、他の生徒達が利用しているチョコレートファウンテンとは別の物が並べられているテーブルだった。向こうは食堂のカウンターの前に並べられているけど、こちらは俺達専用にテーブルを確保して置かれているらしい。
「咲耶お姉様、これは何事ですか?」
「御機嫌よう竜胆ちゃん、榊君も」
「咲耶ちゃん!呼んでくれてお姉さんはうれしいわ!」
「こんにちわっす!咲耶様!」
「茅さんも杏さんも御機嫌よう。お忙しいのにお呼び立てしてしまって申し訳ありません」
いつもは食堂にいない面子も事前に連絡して呼んでおいた。竜胆達や茅さんや杏が来てくれたのでこちらはこちらで俺から説明しよう。
「本日はバレンタインデーということで、これは私から皆さんへの贈り物です。是非楽しんでいってくださいね」
「あぁ!咲耶ちゃん!お姉さんは感激のあまり気を失いそうだわ!」
いや……、チョコレートファウンテンに突っ込むとかいうベタなオチはやめてくださいね?それらが台無しになるからとかではなく、普通に危ないし茅さんが大変なことになってしまうんで……。
「僕まで頂いて良いのでしょうか?」
「榊君?いいのよ。気にしなくても」
男子にやったらどうこう、ということを心配しているのかもしれないけど、どうせ食堂を利用している生徒には男子も女子も関係なしに開放されている。榊にだって他意はなく、ただ今日は誰もがチョコレートフォンデュを楽しめるというだけのことだ。
「おいしい!ありがとうさくやおねーちゃん!」
「いいえ。今日は楽しんでね」
「「「うんっ!」」」
うんうん。二年生達は素直で可愛いなぁ。俺も見ているだけじゃなくて少しだけいただく。ファウンテンがいくつもあって色が若干違うのはチョコレートの味の違いのようだ。ビターやらミルクやら、カカオや砂糖やミルクの配合が違うものが並べられている。
つける具材とつけられるチョコレートの組み合わせが様々にあり、好みやつける物によって自分で選んで合わせられる。俺はあまりこの手の料理やデザートに親しんでいなかったけど、やってみれば案外楽しいというか良いものかもしれない。
「咲耶様、もうお召し上がりになられないのでしょうか?」
「ええ。さすがにもう食べられません……」
咲耶お嬢様は結構小食だ。俺じゃないぞ。咲耶お嬢様だ。ゲーム中でも咲耶お嬢様はそんなに大食いではなかった。俺が咲耶になってから同世代の女子にしてはよく食べている方だと思うけど、それでも成人男性だった俺から考えると小食だと思える。
いくらデザートは別腹だと言っても、普通に昼食を頂いた後でそんなにたくさん食べられない。
「それではチョコレートの受け取りを再開してもよろしいでしょうか?」
「そうですね……。お昼休みにも受け取っておかないと終わらないでしょうし……。少し離れた場所で受け取りましょうか」
昼食を摂るまでは椛や黒服達がガードしてくれていたけど、受け取れるうちに受け取っておかないと今日中に終わらないかもしれない。皆には断りを入れてから、少し離れた場所でまたチョコレートの受け取りを始めた。そんな多くないかと思ったけど、結局残り時間全てを使っても全員は終わらず、まだまだ俺に渡したいという生徒は残っているようだった。
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放課後になってもまだ俺の前には行列が出来ていた。でもそれも次第に人が減り、ついに誰も俺の前に並んでいる子はいなくなった。ようやく全員終わったらしい。
「はぁ……。疲れましたね……」
「咲耶様お疲れ様でした!」
「五北会には顔を出されますか?」
最後まで付き合ってくれていたグループの子達にそう言われて考える。一応少しだけ顔を出しておこうか。長居は出来ないけど……。
「そうですね。すぐに帰ることになると思いますが、一度だけでも顔を出しておきましょう」
「かしこまりました。それでは表でお待ちしております」
椛や黒服達は表に向かった。俺達も教室を出ていつもの三人はサロンへ、残りの皆とは途中で別れる。
「咲耶ちゃん、チョコレートフォンデュ、とってもおいしかったです」
「おいしかったよー!ありがとねー!」
「それでは御機嫌よう咲耶ちゃん」
「皆さん御機嫌よう」
用意したのも、あれを考えたのも俺じゃないんだけど皆のお礼は受け取っておく。後で椛にも感謝しておかなくちゃな。
「御機嫌よう」
そしていつもより遅れてサロンに入ってみれば……。
「御機嫌よう九条様!これを受け取ってください」
「咲耶様御機嫌よう!私の物も受け取ってくださいな」
「あっ……、ありがとう……」
ここでもか!ここでもまだ渡されるのか!?もう終わったと思ったのに……。そういえば五北会クラスの子は一人も教室に来てなかったもんな。無視されてるのかと思ったけどサロンで渡そうと思って待ってたのか。
サロンの上級生のほとんどの子達からチョコレートを渡された俺はちょっとげんなりしながらサロンの中を歩いていた。そこでふと一人の人物と目が合った。
「御機嫌よう、睡蓮ちゃん」
「九条様御機嫌よぅ」
「…………」
「……」
うん。睡蓮はいつも通りの睡蓮だな。チョコレートも持ってきていないし、暫く見ていても平然としている。何かこの子だけ随分毛色が違うんだよなぁ……。何か気になるなぁ……。
「俺は数多く貰うよりも大切な一つの方が重要だと思っているぞ!さぁ、咲耶!俺はいつでも受け取る準備は出来ているぞ!」
「御機嫌よう、近衛様。それでは……」
何か俺の前に腕を組んで立っている馬鹿がいるから挨拶だけして横を通り抜ける。何で俺が伊吹にバレンタインチョコをやらねばならんのか。
「伊吹、九条さんだってこんな所で渡すのは恥ずかしいでしょう?ね?九条さん」
「……御機嫌よう、鷹司様」
おい槐よ。そんな余計なことを言うな。そんなことを言ったらまた伊吹の馬鹿が勘違いして……。
「ああ、そうだったのか!それならそうと言ってくれればよかったじゃないか!まさかバレンタインチョコがないのかと思って焦ったぞ!咲耶!」
「近衛様の分も、鷹司様の分も私からお渡しする物は何もありませんが?」
「「…………」」
伊吹と槐は無言でお互いに顔を見合わせていた。
「ぷははっ!近衛様も鷹司様も格好悪いですね!ね?咲耶お姉様!私の分は……」
「桜の分もあるわけないでしょう?」
「…………」
そして何故か自分の分だけはあると思っていたらしい桜も固まる。この男達は馬鹿なのか?何故俺が男にバレンタインチョコをプレゼントしなければならないのか。
うるさい男三人が固まって静かになったのでいつものメンバーで席に着いて話す。
「九条様、お昼のチョコレートありがとうございました」
そして俺達の所へ来た榊が止めの言葉を言う。あ~ぁ……。これでまた面倒なことに……。
「どういうことだ!咲耶!」
「九条さん?僕にも説明して欲しいな」
「咲耶お姉様!本当は私にはあるんですよね!?」
「あぁ、もう……」
折角静かになっていたのに……。復活して面倒な伊吹達に、昼休みに食堂でチョコレートフォンデュを皆にプレゼントしたことだけは説明しておいた。その場にいなかった者には何もなしだ、と言ってやったら皆泣いていたけど知ったことじゃない。
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五北会のサロンから出て帰る。帰り道に、隠れた名店のとあるチョコレート屋さんに寄ってもらった。いつかの時に菖蒲先生にお土産を買っていったお店だ。そこで五つチョコレートを買う。
一つはその後すぐに向かった蕾萌会で菖蒲先生にプレゼントした。俺のバレンタインチョコは椛が用意してくれたチョコレートフォンデュだけだけど、さすがに学園に通っていない人に昼の食堂に来てない奴は知らないとは言えない。菖蒲先生に贈るととても喜んでくれた。
ただまた抱きつかれてキスされたら気を失ってしまうかもしれないので、あまり興奮しすぎてそういうことがないようにと言って注意してから渡したのに、結局大人のポヨポヨを押し付けられる羽目になった。今回は気絶しなかったからそれは成長したと言えるんじゃないだろうか。
もう一つは蕾萌会の後に寄った道場で師匠に渡した。師匠はあまり甘い物とか食べないのかなと思ったけど、お茶会の時とかは和菓子は食べているから大丈夫かもしれない。まぁチョコレートとは違うからチョコレートが好きかどうかはわからないけど……。
でも普通にお礼を言われて受け取ってくれたから悪い気はしていないんだろう。ちょっと頬がヒクヒクしていた気がするけど……。それとパーティーの招待について言おうかと前から思ってるけどまだ言ってない。やっぱり正式に招待状を渡す時の方がいいだろう。
家に帰ると両親に二人で一つを、兄にも一つを渡した。お金を払ってるのは父なんだけど、父に渡したら随分感激していた。何でも買ってやるぞって言ってたし父は俺に甘すぎる。自分のお金でお土産を買ってきてもらったら、それに感激してさらに何か買ってやるなんてチョロすぎる……。
まぁ今は欲しい物もないし、父を転がしてどうにかしようとも思っていないので今は良いと断っておいた。ゲームの咲耶お嬢様があんな風に育ったのはこの父がこれだけ甘やかしていたからじゃないだろうか……。
兄も喜んでくれていたようだし、母もちょっとだけ頬をヒクヒクさせていたけど怒ってる風ではなかった。チョコレートが嫌いってことはなかったはずだけど……。
そんなこんなで皆にお礼を渡し終えて……、最後に俺はとある部屋の前に来ていた。
今日俺が困っている時に一番助けてくれた恩人だ。だから……、椛には内緒で特別にこの一個を買ってきた。結局父のお金で買ってるんだからどうかとも思うけど、所詮小学生である俺じゃ自分で稼いだお金で……、というわけにもいかないしな……。
「椛、少し良いで……、す……?」
「ハァ!ハァ!あぁ!咲耶様が使われたチョコレートフォンデュピック!おいしいです!おいし……、あっ……」
「…………」
「……」
俺がサプライズで椛の部屋の扉を開けると……、今日のお昼に俺が使ったらしいチョコレートフォンデュピックをペロペロと舐めている椛の姿があった。気のせいとか見間違いとか聞き間違いじゃない。はっきり聞いてしまった。
無言で見詰める俺とダラダラと汗を流している椛……。こんな椛を見るのは初めてかもしれないな。
「え~……」
「……咲耶様、何かご用でしょうか?」
えぇっ!?急にキリッとした椛が姿勢を正してそんなことを言ってきた。まさかなかったことにするつもりか?何事もなかったことにして押し通す気か!?それは無理があるだろう!?
「……今日は、椛に一番働いていただいたので……、そのお礼にこれを……」
諦めた俺はそう言って椛の前に最後の一つのチョコレートを差し出した。
「これを……、私に……」
ただ呆けたように俺の差し出した包みを見ている。
「椛にはいつもお世話になっていますが、今日のピンチを切り抜けられたのは椛のお陰ですから……。それではおやすみなさい」
「あっ……」
ちょっと強引に椛に押し付けると受け取ってくれた。俺はあまりその場に居てはいけないと思って急いで部屋を出た。だって……、椛の机の上にはまだいくつものピックが綺麗に並べられていたし……。何か怖い……。
「んほおおおぉぉっ!」
「――ッ!?」
そして……、俺が去った後の椛の部屋からは奇妙な何かの鳴き声のようなものが聞こえてきていたのだった。