第三百十一話「五セットの行方」
とりあえず俺達のコンサートの音楽や映像のディスク化は決着がついた。配布されるのも最小限に留めることが出来たし、もしこれで流出すれば流出元もすぐにわかるだろう。
近衛母は自分があれを手に入れたかったからだと言っていたけど、それにしたってやり方が悪いというか自分勝手というか、動機が何であれ横暴で横柄で迷惑すぎる。近衛家としては今まであんなことをしても当然のように要求が通っていたのかもしれないけど、あんなことをしていたら恨まれるばかりじゃないだろうか。
少なくとも俺は近衛母のせいで迷惑を蒙ったし、動機が自分が欲しかったからだとしても『じゃあ仕方ないね』なんてとても思えない。『折角の素晴らしい音楽と映像なんだからたくさんの人に観てもらった方がいい』と思ってくれるのは良いけど、だからってこちらが望んでもいないのに、近衛母が強引にそれを進めようとするのはおかしい。
今までは近衛家ということで周囲はそれを黙って受け入れていたのかもしれないけど、俺は断固として拒否する。例え近衛家と揉めることになったとしても、近衛家だってやっていいことと悪いことがあるだろう。
…………最近の伊吹は気持ち悪いとはいえ、ゲームのような俺様王子でもこの世界の残念王子でもなくなってきた。ここはゲームの世界じゃない。だから俺の両親も、兄も、伊吹や槐だって、皆それぞれの人生を歩んでゲームとは違うようになっている。だったら……、もしかして近衛母も矯正出来るのでは?
ゲーム『恋に咲く花』でも、この世界でも、近衛母はまさに快活な女傑という感じだった。でもゲーム時は少ししか登場しない。ゲーム時の印象とこの世界での印象が違うのは、触れ合っている時間や私生活についてまで知っているからかと思っていた。でも近衛母だってこの世界ではゲームとは違う人生を歩んできたはずだ。
俺は苦手であまり関わろうと思っていなかったから近衛母のことについて詳しく知らない。でもやっぱりこれまでの人生経験が変わっている分だけ近衛母も変わっているに違いない。そしてこれからも変化していくはずだ。それこそが人というものなんだから……。
じゃあ……、今の近衛母が俺にとって迷惑で関わりたくないような相手ならば……、どうにかしてそれを矯正して、せめて俺に対して無害に出来ないだろうか?
子供と違ってすでに自我も自意識も確立されている大人を変えるというのは簡単じゃないだろう。身に付いた習慣や性格がそう簡単に変わるはずもない。でも何もこっちだって人格を丸々変えようと思ってるわけじゃない。少し人に配慮したり、俺に迷惑をかけないように、少しだけ、ほんの少しでいいから矯正出来ればいい。
伊吹だって何年もかけているうちにあれだけ変わってきたんだ。近衛母も出来る!やれば出来るはずだ!
「よぉ~~~しっ!」
ベッドでゴロゴロしていた俺はこれからどうするか考えて燃えてきたのだった。
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近衛邸で映像を確認してから数日……、早くも近衛家から例の音楽と映像のディスクセットが届けられていた。外装からして滅茶苦茶凝っている。箱に綺麗な和紙が貼られており和風な装丁の重厚な本のようにも見える。
外装からディスクが入っているケースを取り出すと、ケースの前面、裏面にはコンサート時の写真が写っておりその内容への期待がますます高まる仕様だ。ディスクも普通の家のパソコンでコピーして表面をプリントしたような簡単なものではなく、明らかに工場でプレスした出来だった。たった五十セット作るためにラインを用意したのか……?
音楽と映像に関しては近衛邸のホームシアターで確認したのと同じなので特に問題はない。もしかして中身が差し替えられている可能性も……、と思って念のために確認したけど杞憂だった。あと届いてからうちの家族と椛は何度も何度も画面にかじりついて観ている。そんな何度も連続で観てもすぐに飽きると思うんだけど……。
まぁそんなわけでちゃんと完成品が家に送られてきて、確認も終わったので今日のお昼は皆でその話題ばかりになっていた。
「やっぱり導入部分の咲耶ちゃんのピアノの超絶技巧が……」
「ううん!一番はピアノソロだよ!」
「私はあの八曲目の静かな感じが好きですけど……」
皆もディスクが届いて確認してみたらしく、今日はずっとその話で盛り上がっている。それは良いんだけど何か話の内容が俺のピアノばかりになっている気もするなぁ……。
「咲耶ちゃん、何か悩み事ですか?」
「え?……えぇ、あっ……、いえ、悩みというほどではないのですが……」
秋桐を挟んでその隣に座る皐月ちゃんが声をかけてきた。さっきまでは皐月ちゃんも皆の会話の輪に入っていたのに、本当に皐月ちゃんは周りを良く見ている。
「話して楽になることもあるかもしれませんよ。一人で考えるよりも皆で考えましょう」
う~ん……。まぁ本当に悩みというほどではないんだけど……、一応相談してみるか。
「本当に大したことではないのですよ。実はディスクは関係者用以外に五十セットしか作っていないはずなのですが、そのうちの五セットは近衛様とのお話の流れでこちらが頂いたのです。ですが一セット以外は使い道がなくてですね……。それをどうしたものかと……」
俺は近衛母とのやり取りについて皆にも話してみた。関係者分以外で作るのは五十セット、そのうち五セットはこちらがもらうと言った。だから俺の家にはうちの分の一セット以外に五セット余分に送られてきている。でも実はこの五セットに特に意味はなかった。
近衛母とのやり取りでそれっぽくそう言ったけど実際に五セット余分に欲しかったわけじゃない。一セットは菖蒲先生が欲しいと言っていたから菖蒲先生に贈ろうかと思ってるけど、残りの四セットは用途も贈る相手もいないから完全に無駄だ。
「……ですので、一セットは高辻菖蒲さんとのお約束通りに贈ろうと思っているのですが、残りの四セットは使い道もないのです」
菖蒲先生は向こうから欲しいと言ってきていた。だから出来たらあげようと思うのは自然なことだろう。でも相手から欲しいと言ってきていないのに、自分達のコンサートのCDとDVDのセットを贈るって相当気持ち悪いよな。もし自分がそんなものを受け取ったらどう思うだろう?ただのゴミだけど捨てるわけにもいかず処分に困らないだろうか?
これは分かりやすくいえば、結婚式に招待されて出席したら、引出物の中に新郎新婦の思い出を編集したDVDが入っているようなものだ。それを貰って誰が喜ぶというのか。かといっていつか『そういえばアレはどうした?』と言われるかもしれないから簡単に捨てるわけにもいかない。非常に厄介なゴミとなる。
俺達がこのコンサートの映像と音楽のディスクを配るということはそれと同じことだ。相手がどうしても欲しいというのなら別にいくらでも譲るけど、こちらから相手にやるよなんて口が裂けても言えない。
「一セットは決まっているとして、残りは四セットしかないから誰に配れば良いか悩んでいるということでしょうか?」
「そうよね……。このセットなら一千万出しても買うわ……」
「あと四セットしかないんじゃ誰に贈るか悩みますよね……」
「えっ!?」
「「「「「……え?」」」」」
皐月ちゃんと薊ちゃんの言葉に俺が驚いた顔をしていると、他の皆はポカンとした顔で首を傾げていた。え?いやいや……、冗談だよね?お嬢様ジョークというやつか?俺には難しすぎてわからないよ。
「自分から自分達の映っているだけの映像や音楽をプレゼントするなんておかしいでしょう?どうしても欲しいと言う方がいればお譲りしますが……、こちらから贈るなんて言っても気持ち悪いだけでは……」
「何てことを言っておられるんですか!九条様!それなら私に!私達にください!それはお金で買えるようなものじゃないんですよ!」
「そうです!それなら私達にください!」
「私だって欲しいです!」
それまで黙っていた射干がそう言うと、それに続いて真弓と薺まで欲しい欲しいと言い出した。有名人とかならともかく、素人のコンサートの映像とか欲しいか?演奏者や関係者にとっては思い出として意味があると思うけど、聞かされていただけの観客とかにとってはその場で聞いて終わりの話だろう。
「本当に欲しいのなら、他の皆さんが良ければお譲りしますが……、本当にこんなものが欲しいのですか?」
「当然です!」
「お金で買えない価値があるんですよ!」
「プライスレス!」
「そっ、そうですか……」
射干達の勢いに押されてこちらはタジタジだ。何故こんなものが欲しいというのかまったく理解出来ない。
「え~……、それでは皆さんはどうでしょうか?射干ちゃん達に譲っても良いでしょうか?」
俺が五セット預かっているけどこれは俺達のグループとして五セットだ。俺は先に菖蒲先生の分は勝手に決めてしまっていたけど、残りの四セットについては皆で決めてもらいたい。
「良いですよ」
「射干達だけ仲間はずれなのも可哀想だしね」
「皆で観てお話しよー!」
皆あっさりとオッケーしてくれたので射干、真弓、薺にも一セットずつ配ることになった。これで残るは一セットだけど、すぐに贈る相手も決まらず、それはまた置いておけば良いということになったのだった。
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今日は蕾萌会の授業があるので菖蒲先生にも渡していこう。ちょっと……、いや、かなり恥ずかしいけど……。自分達のコンサートの映像とかを人に配るって滅茶苦茶恥ずかしい。何か勘違い野郎みたいに思われないだろうか?菖蒲先生も社交辞令で言ってくれてただけかもしれないし、やっぱり渡すのはやめようかな……。
「こんばんは、咲耶ちゃん」
「あっ……、御機嫌よう、菖蒲先生」
そんなことを考えているうちにもう授業が始まってしまった。何とかタイミングを見てその話題を出したり、渡したりしようと思ってるんだけど中々そのチャンスがない。
「どうしたの咲耶ちゃん?今日は何だか落ち着きがないわね?」
「えっ!?あの……、それは……」
菖蒲先生にそんな突っ込みをされてしまった。どうやらよほど俺の態度がおかしかったらしい。俺って完璧ポーカーフェイスだし、動揺や怒りや悲しみを表に出さないタイプなのに、それを一瞬で見抜くなんて菖蒲先生はもしかして人を見るプロなんだろうか?
まぁ塾の講師だし、たくさんの人と触れ合って、今まで見てきただろうから、そういうのを見分けるのも得意なのかもしれないけど……。
折角菖蒲先生の方から話しやすい状況にしてくれたんだし、ここはもう腹を括って話すとするか……。
「実は……、いつかのコンサートの映像と音楽のセットが出来ました。もしよろしければ菖蒲先生にも……」
「えっ!本当!?ようやく……、ようやく出来たのね!欲しいわ!是非!手に入るのならどんな代償でも払うわ!だから……、だから私にも売って!もうあれがないと生きていられないの!」
俺の言葉に食い気味にそんなことを言ってきた。本心かどうかはともかく、少なくとも表向きはとても欲しいということをアピールしてくれているようだ。
「え~……。売り物ではありませんので売るわけにはまいりません。菖蒲先生は前から欲しいとおっしゃってくださっていたので贈ります。ですがこれをどこかに流出させたり、誰かにコピーして渡したりしないでくださいね?」
「あぁ~~~っ!ありがとう咲耶ちゃん!凄い!うれしい!あぁ!もう今日から毎日これを観て過ごすわ!」
「あっ!?ちょっ!菖蒲先生……」
鞄から包みを出すとそれを受け取った菖蒲先生が俺に抱き付いてきた。大人のポヨンポヨンが顔に当たって気持ち良い。ちょっとブラが当たって痛い所もあるけど、それでもやっぱり大人の女性のポヨンポヨンに顔が包まれているかと思うとそれだけで興奮してしまう。
「ああぁっ!もう……、もう!何て言えばいいのかわからないの!どうすれば……。もう咲耶ちゃん!最高よ!最高のサプライズだわぁ~~~っ!もうっ!ん~~~っ!」
「え?あっ……」
散々俺の顔にポヨポヨした菖蒲先生は、最後に俺の頭を掴んで唇を突き出したまま顔を近づけてきた。そして……。
チュッ……
と……、俺の額に柔らかい感触と音がした。
キス……。菖蒲先生にキスされてしまった……。額だけど……、それでもあの……、菖蒲先生のプルプルの唇が俺に触れたのかと思うと……。
「ふぅ……」
「あっ!咲耶ちゃん!咲耶ちゃ~~~……」
…………興奮しすぎたのか、俺の視界は暗くなり、ふっと何も見えなくなったのだった。