第三百七話「個性派」
一月中旬の週末……、俺は寒空の下、モダンな屋敷の前で挨拶に明け暮れていた。
「ようこそお越しくださいました」
「御機嫌よう」
「鷹司様、本日はお招きいただきありがとうございます」
鷹司家のパーティーで、槐のやや後ろに立って招待客達と挨拶を交わす。正直こういうのは主人や主催がやれば良い話であって、わざわざ俺までこんな所に立っている必要はないんじゃないかと思うけど……。
挨拶をしていていつも思うけど、鷹司夫妻や一応主催者である槐が挨拶するのは当然だろう。それをする必要がないとは言わない。でも何故槐のペアのパートナーまで一緒にこうして挨拶しなければならないのか。それが夫婦や婚約者だというのならわからなくはない。でもただパーティーの時だけのペアのパートナーが、わざわざ一緒に挨拶する必要はあるのだろうか?
まぁ……、俺がここで一人ブチブチと文句を言った所で、そういう慣例なのだとか、この界隈ではそれが常識として定着しているのだと言われたらそれまでの話だ。そういう慣例を変えたりしようと啓蒙するのは良いとしても、すでに決まっているものを投げ出して良い理由にはならない。
「おう、槐!来てやったぞ!」
「いらっしゃい伊吹」
「御機嫌よう、近衛様」
あ~ぁ……、面倒臭い奴が来たもんだ。そりゃ鷹司家のパーティーなんだから近衛家も来るだろう。それはわかってたんだけど、仮に伊吹と槐が親友だったとしても公式な場での挨拶というものがあるだろう。それをこんな風にしてしまう伊吹は近衛家の御曹司としてどうなんだ?何故近衛母はこんな伊吹をちゃんと躾もせず放置しているのか。
「あぁ咲耶ちゃん!会いたかったわ!今日も素敵なドレスね!」
「茅さん……?御機嫌よう……」
そして何故か……、伊吹と一緒に茅さんが来た。もしかして……、今日の茅さんのパートナーは伊吹なのか!?
「まさか……、茅さんが近衛様のパートナーなのですか?」
「ええ、そうよ。でも安心して、咲耶ちゃん!パーティーのパートナーなんてそこらの芋と同じよ。パーティーの形式上止むを得ずそうしているだけで、路傍の石ほどの意味もないものだから気にしなくていいわ!」
「あははっ……」
そのパーティーの主催者である槐が居る前でそこまで言うのもどうかと思うけど……、それに関しては俺も同意だから何も言えない。むしろもっと言ってやれとすら思う。思っていても言わないけどね。
「ようこそおいでくださいました、正親町三条様」
「ええ。咲耶ちゃんが出席するから来ているけれど、もういい加減この無駄で無意味なパートナーの決まりはやめたらどうかしら?はっきり言って面倒なだけで無意味よ」
「相変わらず手厳しいですね……。貴重なご意見として参考にさせていただきます」
若干茅さんの言葉と態度に頬を引き攣らせていた槐だけど、途中からは持ち直して黒い笑顔で茅さんに対抗していた。やっぱりこいつは腹黒王子だな。意見も聞いたわけではなく、参考として考慮はするけど言う通りにはしないと角が立たないように言ってるも同然だ。
まぁ茅さんの方もそう言ったからといって鷹司家がパーティーの趣旨を変えるとは思っていないだろう。というよりむしろ思ったことを言っただけで、大して興味もなければすでに忘れているかもしれない。茅さんにとって鷹司家のパーティーなどその程度ということだろう。
「咲耶!きっ、綺麗だぞ!」
「はぁ?ありがとうございます?」
そして伊吹は何かぶっきらぼうにそんなことを言ってきた。別に言いたくなきゃ無理に言わなければいいのに……。
「お前達がパートナーでも俺は気にしない。いや!お前達二人がパートナーになって、その二人を俺が包んでやる!そうすれば良い!そうだな?槐?」
「いや……、あの……、伊吹……、ちょっと落ち着いて……」
キラキラした目で槐を見詰める伊吹……。きっと腐の人が見たらきゃーきゃー言ってるんじゃないだろうか。この雰囲気は間違いなくBでLだ。
「咲耶!お前もだ!俺はどちらも大切にするぞ!」
伊吹が気持ち悪いキラキラした目でこちらに手を伸ばしてくる。あまりのおぞましさに一瞬手が出そうになったけど……。
「何を気持ち悪いことを言っているのです。さっさと行きますよ」
「うおっ!はっ、離せ!俺はまだ……」
「黙りなさい!」
「はい……」
俺に手を伸ばしてきていた伊吹を、茅さんが掴んで引き摺っていった。まだ何か言おうとしていた伊吹は茅さんに一喝されて大人しくそのまま引き摺られていった。
「何なのですか?あれは」
「皐月ちゃん?御機嫌よう」
「御機嫌よう、咲耶ちゃん」
「やぁ咲耶ちゃん。今日も可愛いね」
「広幡様……。御機嫌よう。もしかして皐月ちゃんのパートナーは……?」
「はい。広幡様です」
引き摺られていった伊吹を見送っていると皐月ちゃんと水木がやってきた。どうやらこの二人がペアらしい。何か変な組み合わせというか、珍しい組み合わせというか……。
「それではまた後ほど」
「ええ、それではまた後で」
槐と水木の挨拶が終わると二人も会場へと向かって行った。何かこの鷹司家のペアでの参加が決められているパーティーだと、あれこれ思わぬ組み合わせとかが出てきて困惑してしまう。何で茅さんと伊吹が組むことになったのかとか、皐月ちゃんと水木がペアになったのかとか……。
まぁ茅さんや皐月ちゃんだって俺の知らない所で他の家との付き合いもあるだろうし、打算や取引もあるだろう。当たり障りがない相手を選ぶというのもあるかもしれない。
普通に考えれば伊吹や水木は俺を許婚候補に宣言しているんだから、そんな相手とペアになってもただパーティーの趣旨がそうだから、仕方なくパートナーになっているだけだと思うのが普通だろう。
でも考えようによっては広幡家が俺との婚約を諦めたり、方針転換をして西園寺家と婚約しようとしている、とか考えて噂する奴も出て来る。近衛家と正親町三条家に対してもそうだ。何故許婚候補宣言をしているのにそれ以外の相手とペアになっているのかと邪推したり、わざと変な噂を流すのに利用しようとする者は現れる。
まぁそもそも今回は俺が槐とペアを組んでいるんだから、他の許婚候補宣言をした者が違う相手とペアを組むのは仕方のないことではあるけど……。
「おはようございます咲耶様!」
「まぁ!御機嫌よう、薊ちゃん」
「やぁ咲耶。頑張ってるみたいだね」
「と……、お兄様?」
薊ちゃんと一緒にやってきたのは……、兄だった。まさか薊ちゃんと兄がペアなのか?
「勘違いしないでくださいね咲耶様!これは『将を射んと欲すればまず馬を射よ』というものです!別に良実様のことは何とも思っていませんよ!」
「薊ちゃん……、それは思っていても本人の前で言う事ではないのでは……?」
薊ちゃんがどういうつもりでそう言ってるかはいまいちわからないけど、少なくとも兄にも聞こえる場でそう言うということは兄を馬だと言ってるようなものだ。心でどう思っていても良いけど本人に聞こえるように言えばさすがに失礼だろう。
「はははっ。僕は気にしてないよ」
兄よ……。それはそれでどうなんだ?九条家の跡取り息子がそんなことで良いのか?
薊ちゃんと兄との挨拶も終わって、次に竜胆と榊がやってきた。やっぱりこの二人は仲が良い。両家としては将来この二人の結婚も視野に入れているんだろうか。それと桜は二条派閥の五北会メンバーのモブっぽい子を連れていた。俺に散々恨み言を言っていたけど全てスルーしてやった。
「そろそろ時間だね。それじゃ九条さん、会場へ向かおうか」
「はい」
もうすぐパーティー開始の時間だから一度下がってから時間まで待機する。ずっと外で待っていたわけじゃなくて、出入り口の近くで待機して招待客が来ると表に出て挨拶をしていたんだけど、客が連続になったりすると暫く外に出たままになったりする。
一月の夕方ともなれば冷えるものだ。少し体を温めてほっと一息つく。
「ごめんね九条さん。それじゃ行こうか」
「いえ、お気になさらず」
パーティー開始の時間となったので槐と一緒に会場へと入る。挨拶をするのは槐だから俺は黙って後ろに控えていればいい。でも鷹司家のパーティーはこの後がまた面倒臭い。挨拶が終わるとそれぞれの者が主催者に挨拶に来るけど、俺までそれに付き合って挨拶をしなければならない。
他のパーティーだともう解放されて皆の所にでも行ってるところだろうけど、鷹司家のパーティーはこれがあるから嫌なんだ。ほとんどペアでの行動が前提になっているから、俺一人が槐と離れてウロウロするということが出来ない。
一応救いとしては鷹司家のパーティーは招待客が少なくて挨拶もすぐに終わるということだろうか。
「やっと終わったね。それじゃ僕達もパーティーに参加しよう」
「ええ」
槐にエスコートされながら俺達もパーティーに参加する。他の皆ともお話したい所だけど、元々人数も少ないこのパーティーで、俺達のグループが集まり、そのペアの男達も一緒に固まると大変な集まりになってしまう。さすがにこのパーティーでずっと皆と一緒にいるわけにもいかず、適当に回りながら軽くお話をすることしか出来ない。
「咲耶お姉様酷いです!私のペアのことを何も考えてくださっていなかったなんて!」
「それは桜が自分でどうにかすることでしょう?」
会場を回っていると入り口の時に続いて再び桜に絡まれてしまった。どうやら俺が桜のペアにならず、しかもうちのグループの子達も全員すでに相手が決まっていて、桜だけ出遅れて除け者になってしまったらしい。それを俺に恨み言を言うのはお門違いだろう。自分が動くのが遅かったから悪い。
「それにそちらの子も可愛いではないですか。パートナーを蔑ろにするような言動は許されませんよ」
「いえ~、良いのですよぉ」
桜のペアのパートナーである女の子がのほほんとした顔でそう言った。ほとんどの者は俺が相手だと黙るか怖がることが多いのに、この子は俺に対しても特に何も気にしたりすることはないようだ。
今日の桜のペアの子は花園睡蓮という子で五北会メンバーだ。歳は桜の一つ下で現在三年生だから俺達の二学年下ということになる。
花園家は正親町三条家支流で二条家門流だ。正親町三条家の支流なのに何故二条門流なのかと問われても知らない。元々同じ家の分家でもそれぞれ仕える門流が違うことは多々ある。そういうものだと思うしかない。
花園家は羽林家だけど二条家は最も門流の少ない家であり、しかも今の三年生達にはあまり大きな家の子がいない。俺達の学年のような五北家が三家も集まる当たり年もあれば、ほとんど上位の家の子がいないはずれの年もある。現在の三年生達はそのはずれ年であり、五北会メンバーを確保するために少々家格の劣る子が含まれている。
まぁ家格が劣ると言っても、このくらいのクラスだと上が不在の場合は稀に極官を超えてさらに上位に昇進する場合もある。五北会でも同じ話であり、毎年必ず上位の家の子がいるとは限らない。そういう時に不足する人数を補完するために選ばれる家柄だと思えばいい。
あとは二条家の門流が少ないから、他の家とのバランスを取るためにも二条家門流である花園家を、他の家よりも優遇して五北会に入れているというのもあるだろう。
花園睡蓮はいつも五北会でポツンとしていることが多い。桜は門流の子達の面倒なんてあまりみていないし、睡蓮も何だか、悪く言えばぼーっとしているというか、ポヤポヤしているというか、ちょっと変わった子なのであまり皆と打ち解けていないようだ。
まぁ……、そもそも二条家が派閥も門流も少ないから、同じ派閥、門流で集まっている五北会においては二条派閥、門流は仲間が少なくて肩身が狭いだろう。
「ところで桜様ぁ、こちらの方々はどちら様でしょうかぁ?」
「「「…………え?」」」
俺と槐と桜の声が重なった。もしかして……、この子は俺達が誰かすら知らないのか?もう三年生なのに?毎日のように五北会で顔を合わせているのに?
「こっ……、この馬鹿っ!こちらは九条咲耶お姉様!そしてこちらが鷹司槐様!さっき挨拶したでしょう!?」
「あ~……、そうでしたねぇ。先ほどご挨拶した鷹司様でしたぁ……。……あれぇ?そういえばぁ……、九条咲耶お姉様って、九条咲耶様と良く似たお名前ですねぇ?」
……この子、大丈夫か?ちょっとボケてるとかそんなレベルではないのでは?
「だから九条咲耶様だってば!咲耶お姉様って呼んだだけで九条咲耶様なの!」
「九条咲耶お姉様は九条咲耶様なのですねぇ……。ええぇっ……、そうなのですねぇ。九条咲耶様だったのですねぇ。これは失礼いたしましたぁ」
「「「…………」」」
俺と槐はお互いに顔を見合わせて、桜は額を押さえながら首を振っていた。どうやらこの子はいつもこんな感じで、桜も頭を痛めているらしい。
「この子は大丈夫なのですか?」
「頭が悪いわけじゃないんです……。ただちょっと、いえ、かなりズレてるんです……。あと夜になるとすぐに眠くなってますます悪化します……」
ハァッと溜息を吐いて桜がまた首を振っていた。何だか凄く個性的な子だなぁ……。今までは俺もサロンでぼっちだったからあまり知らなかったけど、今度からはこの子にも話しかけてみようかな。