第二百九十八話「結成」
十一月初旬、二条家所有のホールにて二条家主催のパーティーが催されていた。
「ようこそおいでくださいました」
「御機嫌よう」
「まぁ!可愛いお二人さんにお出迎えしていただけるなんて光栄ね」
ホールの前では可愛いドレスに身を包んだ二条桜と、その隣に佇む清楚なドレスに身を包んだ九条咲耶が、招待客達を出迎えて挨拶をしていた。
最早この界隈で二条桜の女装癖を知らない者などおらず、そして何よりもその女装が堂に入っている。ただ見せかけだけ女物の衣装を身に纏っているだけではなく、体中全身のケアもきちんと行い、所作を身に付け、十分な教養があるご令嬢達と変わらないほどに女性らしく振る舞っている。
最初の頃こそ眉を顰める年配の者も多かったが、ただ女物を着て喜んでいるだけではなく、ここまできちんと所作や作法まで身に付け、とことんまでなりきっているのならそれはそれで良いじゃないかと寛大に受け止める者も増えてきていた。
そしてその横で堂々と招待客の対応をしているご令嬢……。
最初の頃でこそ九条家のご令嬢は社交界にもまともに顔を出さない。いや、顔を出せないほどに無教養なのだ、わがままなのだと噂されていたが、今のこの姿を見てそんなことを言う者など誰一人いなくなっている。
見目麗しいだけではなく、その所作の一つ一つですら美しく、まさに誰もが憧れるお姫様そのものを体現したかのようなそのご令嬢に『無教養』などという言葉は浮かびもしない。そしてこのご令嬢はただ美しいだけではない。これまでの武勇伝があまりに突飛すぎて、話半分で聞いたとしてもご令嬢とは思えないほどの活躍ぶりだ。
九条咲耶嬢が従えているのは、派閥も門流も超えた集団となっているのはあまりに有名だろう。他派閥、敵対派閥ですら取り込み、今まで犬猿の仲だった相手ですら従えてしまう。敵対者には容赦がなく、徹底的に叩き潰す。九条咲耶嬢に睨まれた者は最早この界隈では生きていけないとすら言われている。
それでありながら、一度懐に入れた者にはとことん甘く、本来ならば九条咲耶嬢がわざわざ出て行くような問題でないことでも、配下の者のためならばどのような労力も惜しまない。味方からは尊敬され、敵からは恐れられる。まさに理想のカリスマ。
九条咲耶嬢と誼を結びたいと思う者はこの数年で何十倍にも膨れ上がり、逆に敵対的態度を取っていた者はほとんどいなくなった。残る敵対者は『そちらに付かざるを得ない者達』ばかりであり、誰も望んで九条咲耶嬢と敵対したい者などいない。
率いる九条咲耶嬢個人の派閥は多くの七清家やそれに準じるほどの名家が多く、五北会においても絶対的な権力と影響力を持っているであろうことは想像に難くない。また他にも幅広い層の堂上家、そして地下家まで直接従え、あらゆる層に対して支配力を保持している。
ほとんどの者が『自分と家格の近い者との付き合い』に労力の大半を割いてきた。それが正しいと思っていた。しかし九条咲耶嬢はそんな常識を覆し、下位の堂上家や、地下家ですら自身で直接関わり指揮することにより、これまでにないほどに各層に対して絶対的な支配を確立してしまった。
藤花学園を支配しているのは『完璧女帝』九条咲耶である。これは最早この界隈では常識だった。
同格である五北家や七清家の子女が集まる世代である今の藤花学園では権力争いが起こり、学園は割れ、戦国時代に突入するだろうと思われていた。その中で中心になるのは近衛家の跡取りだろうと思われていた。
しかし蓋を開けてみれば……、一番最初に脱落すると思われていた九条咲耶嬢が、他の五北家も七清家も全てを従えてしまっている。一体誰がこんな結末を予想出来ただろうか。誰もが九条咲耶嬢を侮っていた中で、誰か一人でもこの状況を予想出来ていた先見の明のある者がいただろうか。
「おはようございます!咲耶様!」
「御機嫌よう、咲耶ちゃん」
「御機嫌よう、薊ちゃん、皐月ちゃん」
『完璧女帝』九条咲耶嬢を支える二大巨頭、『華麗女王』徳大寺薊と『清楚女王』西園寺皐月がやってきた。その三人が揃うだけでその場が華やかになると共に、実質的に藤花学園関係者を支配している絶対者の集まりとなる。
何事にも物怖じせず、相手が誰であろうと退くことがない。それでいて華もある『華麗女王』徳大寺薊。
まるで日本人形のように物静かで凛とした美しさを持つ。それでいて芯の強さは徳大寺薊にも引けを取らない『清楚女王』西園寺皐月。
その周囲を固めるのは『四天王』、河鰭譲葉、武者小路蓮華、北小路椿、東坊城茜。
家格的にそれほど高くない者も、家の規模がそれほど大きくない者もいる。しかしこの錚々たるメンバーを派閥を超えて纏めている九条咲耶嬢の力は計り知れない。この面子を相手に戦争を仕掛けるのは近衛派閥でも躊躇うだろう。
「今回も桜様のパートナーは咲耶様なのね」
「もしかしてもう婚約決定かしら?」
「九条家と二条家なら不思議ではないな」
今回のパーティーで九条咲耶嬢が二条桜のパートナーを務めていることで、一部からはそんな声も聞かれた。許婚候補レースの真っ最中だが、これはもしかすると二条家が一歩リードかと噂する者がチラホラと出る。
そんな時、会場前のロータリーに一台の車が停まったことで一気にざわざわと騒がしくなった。車から降りてきたのは……。
「あれはまさか……」
「一条家の?」
「何故こんな所に……」
ざわざわと周囲が騒がしくなる中で、そのご令嬢は二条桜と九条咲耶の前に立ち挨拶を交わす。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「ようこそおいでくださいました」
「御機嫌よう、椛」
やってきたのは一条椛……。ほとんど社交界に出て来たことがない『一応』一条を名乗れるご令嬢だった。その一条椛嬢がやってきたことにも驚きだが、二条桜や九条咲耶が比較的親しそうに話していることに驚きを隠せない。
九条と一条と言えば昔からの仇敵であり、お互いが九条流嫡流を主張し、これまで幾度となく争いを繰り返してきた。そして最近では一条派閥による九条家や九条派閥への嫌がらせや妨害の数々が明るみになり、そしてその全ては九条咲耶嬢によって叩き潰されるという結末になっている。
そんな両家のご令嬢とあれば顔を合わせただけでも罵りあいが始まるのかと思っていた一同は、あまりに和気藹々とした咲耶嬢と椛嬢のやり取りに混乱していた。
「おい!あれは……」
「まぁ……」
そしてもう一台、ロータリーに車が停まりご令嬢が降りてくる。
「高辻菖蒲さん、お久しぶりね。大学を卒業されてからはこういう場にはお顔を出されなくなっていたのに、今日はどうされたのかしら?」
車から降りて来たご令嬢、高辻菖蒲に同世代らしき女性が話しかける。主催者に挨拶しに行こうとしていた菖蒲嬢の前を遮るように出て来たそのご令嬢のマナーは褒められたものではない。しかし主催者の二条桜はまだ前の一条椛と話している。主催者と招待客の挨拶を遮ったわけではないので褒められたものではないがギリギリ許容範囲というところだろうか。
「ええ、そうね。お久しぶりかしら。今日はご招待いただいたから来たのよ。それを主催者を差し置いて貴女が何か言うことはあるのかしら?」
「なっ!?」
割り込んだ女性は顔を真っ赤にさせていたが、周囲の雰囲気が誰も自分を支持していないと察してすぐに引き下がった。確かに主催者に挨拶しようとしている所で割り込んだのはその女性の方だ。
「このような場にお招きいただきありがとうございます」
「ようこそおいでくださいました。今日はゆっくり楽しんでいってください」
「御機嫌よう、菖蒲さん」
またしても……、平然としている二条桜と親しそうに話しかけている九条咲耶嬢に周囲がどよめく。その様子はまるで、すでに九条咲耶嬢が一条派閥の多くの者ですら従えているかのように見える。実際すでに一条派閥の一部は咲耶嬢に下っている。ならば……、この九条一条の争いは……、すでに勝敗は決しているのかもしれない。
今夜のパーティーの参加者達の中ではそういう意見が大きくなった。いつの間にか……、咲耶嬢と二条桜の婚約の話よりも、九条と一条の争いの噂一色に変わっていたのだった。
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まだ咲耶が表で挨拶をしている間に、一条椛と高辻菖蒲は人に聞かれないように周囲に気を配り、距離を取りながら話をしていた。
「よく今日の話に応じていただけましたね」
「あら……?私としては貴女の方がよく覚悟出来たと思うわよ。今更一条のご令嬢として顔を売るなんて相当な覚悟が必要だったでしょう?」
椛の言葉に菖蒲は挑発的に応える。しかし椛はそんな挑発的な言葉も受け流した。
「咲耶様のためならば、私はどのような非難も甘んじて受けましょう」
「……はぁ。そんな風に言われたら私が意地悪を言っているようじゃない」
椛は現一条家当主の庶子だ。一条当主は庶子とはいえ一条を名乗る以上は政略結婚の駒にでも使おうかと考えていた。そこで椛の母親の親戚筋であった九条道家と頼子が、嫡出子達とあまりに扱いが違いすぎる椛を不憫に思って引き取ることになった。
学校も高校までしか通わせてもらえず、九条が引き取って大学にも通わせると言っても一条は頑として首を縦に振らず、結局椛は高校を卒業すると同時にそのまま咲耶付きのメイドになった。
最初の頃は一条家が政略結婚の駒にしようとしていたので、椛も学生の間はそれなりに社交界に顔を出していた。ただ……、九条家に引き取られることになった時に一条としての権利は全て放棄させられている。だから椛は名前が一条であろうとも、一条の何の権利も持たない。
それまでは一条家との繋がりを作るために政略結婚の相手として見られていた椛に何の価値もないとわかった時、今までチヤホヤしていた周囲は一斉に掌を返し、誰一人まともに椛の相手をしなくなった。
当時の椛も社交界に嫌気が差しており、そもそも一条の駒にされることも気に入らないと思っていた。だから一条の名を捨てて、ただの椛として、一個人として生きて良いと言われた時、まるで生まれ変わったかのような気持ちになったものだ。
それから椛はかつてパーティーで一度だけ九条良実のパートナーとして出席した時以外は、そういう世界と距離を置いていた。
あの時、良実のパートナーを申し出て無理にでもパーティーに参加したのは……、自らが仕える咲耶を見極めるためだ。
椛が仕え始めた頃の九条咲耶は一条家にいた異母兄弟達と同じとても嫌な人間だった。家柄を鼻にかけ、使用人達を人とも思わず、わがまま放題自分勝手に過ごしていた。道家と頼子には恩があったが、九条咲耶は椛にとって嫌悪の対象だったのだ。それがいつの頃からか変わり始めた。
咲耶の気性は信じられないほどに穏やかになり、周囲にとても気を使うようになった。まだ小学校に上がるかどうかという年齢の子供がだ。確かにそれほど幼いのであればわがままや自分勝手なのは普通だろう。椛が異母兄弟達を嫌悪しているから、咲耶にもそれを感じて嫌っていたが、普通に年齢や育ちから考えれば何もおかしくはない。
それがむしろ異常と言えるような変化が表れたのはいつ頃だったのか……。
今となっては正確なことはわからない。いや、椛にとっても気付いたらいつの間にかそのようになっていたと言うべきだろう。もしかしたら様々な習い事をし始めた頃かもしれない。それとも学園に通うようになってからだろうか。
異母兄弟達からのイジメから身を守るために椛は表面を取り繕うのがとても上手くなっていた。誰も椛の本性など知らない。わからない。相手に合わせて表面を取り繕い、怒りを買わないように、イジメられないように過ごしてきた。そんな椛の偽りの仮面を……、咲耶様はいとも簡単に見破り、取り除いてしまった。
それから椛はヘラヘラと表面だけ取り繕うようなことはやめ、咲耶の傍で自らの主を観察し続けてきた。
咲耶の努力も、苦悩も、それでも不平も不満も言わずに不屈の精神で努力し続ける。適当にヘラヘラと表面だけ取り繕って逃げてきた自分とは違う。真に尊敬すべき主。その主のためならば出来ることは何でもする。使えるものは何でも使う。
本来は何の価値もない自らの一条の名を利用することも、家を捨てて出て行った高辻のご令嬢を巻き込もうとも、自らの主、九条咲耶様のためになることなら何だってする。
「あら?もう来ていたの?」
「貴女は遅いのではありませんか?正親町三条茅さん」
椛と菖蒲の下に一人余裕の態度で近づいてきた。その相手をジロリと見ながら椛が注意する。しかし茅にはどこ吹く風だ。
「もっと早くに来ていたわよ?でも私は咲耶ちゃんを見ていたの」
「約束していたんだからちゃんと来なさいよ……」
茅の言葉に菖蒲が呆れるがそれでも茅には効果はない。
「それで……、本気なのかしら?」
「私達を集めて……」
茅と菖蒲の言葉に椛は一度目を瞑ってから口を開いた。
「咲耶様は人に恵まれております。ですが周囲は同世代や年下ばかり……。その上となると大人達ばかりで頼りになる年上というものが決定的に足りておりません。ですので私達が……」
「咲耶ちゃんを助けるお姉さんをしようってことね」
椛の言葉を引き継いで茅がニマニマと笑う。別にこの三人のことを考えてではない。自分が咲耶に頼られるお姉ちゃんになっている姿を想像して笑っているだけだ。
「向こうは女帝とか女王とか四天王とか呼ばれているようね。だったら私達はさしずめ『アダルト三人衆』ってところかしら?」
「塾の講師をしている癖にセンスが悪いわね」
「格好良くもないですし、どちらかと言えば変な意味に受け取られそうです」
「わっ、悪かったわね!じゃあただの『三人衆』でいいでしょ」
菖蒲の言葉に二人は肩を竦めた。どうせ自分達は裏方だ。表に出てどうこうするつもりはない。だから呼び名などどうでも良い。ただ、今日はこの三人のデビューの日だ。咲耶に頼んでこうして二条家のパーティーでお披露目となっている。
『三人衆』はこれからの自分達の協力と活躍を誓って手を重ね合わせたのだった。