第二百九十五話「何が目的だ!?」
あ~……、今日は朝から気分が優れない。今日は近衛母が訪ねて来ることになっている。
マスコミの件にある種の決着がついてから近衛母から連絡があった。さすがに上流階級の夫人だけあってアポを取ってから会いにくることになったけど……。と思ったけど、近衛母は前からアポもなしにうちに突撃してきてたこともあったな……。別に上流階級らしくアポを取ってから来るんじゃなくて、今回はたまたま連絡してきただけかもしれない。
まぁそれはともかく近衛母が俺に会いたいということで今日会うことになっているけど……、正直会いたくない。
俺は近衛母があまり好きじゃない。昔から何かズケズケと言いたい放題、やりたい放題で苦手だったし、あれこれといつも俺に迷惑ばかりかけてくるイメージしかない。それで好きになれという方が無理だろう。
俺に敵意があるとか、俺を叩き潰そうとしているわけじゃないことはわかっている。それならもっと色々な手段で手を打ってくるだろう。むしろ近衛母は俺に好意的だということはわかっている……。わかっているけどその好意の表し方がこちらにとっての迷惑でしかない。それがわからないあの母子はそっくりだ。
伊吹も近衛母も人の気持ちを考えない。自分が何か言えばそれが通ると思っている。あの自分勝手で周囲を振り回す態度こそが俺が伊吹や近衛母を苦手と思う理由だ。そしてそれが次第に度を越えてきている。近衛母のやることは最早俺にとっては嫌がらせや妨害にしか思えない。
伊吹との許婚候補宣言の強行や、今回のコンサート開催や、そのコンサートの映像を全国に勝手に放送するなんて俺の立場からしたら嫌がらせされているも同然だろう。こちらによかれと思ってしているのかどうかはわからないけど、こちらの気持ちも確かめず、望んでもいないことを無理に強要されて反感を買うだけだと何故わからないのか。
やんわり言うだけじゃなくてもっとはっきり嫌なことは嫌だと、余計なことをしないで欲しいと言わなければならないんだろう……。でも相手は近衛財閥だ。現状で一条と致命的に揉めている九条が、近衛との関係まで致命的に決裂してしまってはまずい。
近衛が向こうにつけば自動的に鷹司も向こうにつくことになる。そうなれば九条と二条が協力しても勝ち目はない。勝ち目がなければ二条も九条につくよりも良くて日和見か、最悪の場合は向こうにつく可能性もある。親戚とかこれまでの関係云々の問題じゃない。大会社を預かる者として負ける戦を避けて、沈む泥舟から逃げるのは当然の判断だ。
今は近衛と九条が接近し、近衛に鷹司が従う形になっている。そこで九条と関係の深い二条がわざわざ不利な一条につく理由はなく、近衛、鷹司、九条、二条対一条という形になっている。これがもし近衛と九条の決裂となれば……、本当に状況がひっくり返りかねない。近衛母はそれがわかっている。だから俺にこんなことをしても大丈夫だと思っているんだろう。
自分の立場や状況をわかった上で、周囲に対してそれを利用して上に立って自分の要求を通す。確かに上流階級や経営者としては正しいのかもしれない。ただの馴れ合いとか、人情だけでは権力争いも経営も出来ないだろう。相手の隙につけこんで上に立とうと争うのがそういう世界かもしれない。
でも……、それは反感も買うだろう。今俺が近衛母に抱いている気持ちのように……。
何の話があって来るのか知らないけど……、こちらとしてはあまり関わりたくない。どうして近衛母は俺を放っておいてくれないのか……。我知らずまた溜息を吐きながら近衛母がやってくるのを待っていたのだった。
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「こんにちは、咲耶ちゃん」
「御機嫌よう近衛様」
近衛母がやってきたと聞いて玄関で出迎える。こっちは顔を合わせるだけでも鬱な気分だというのに、近衛母はいつにも増してテカテカでニコニコだった。一体何故そんなに機嫌が良いのやら……。
挨拶を交わしてから応接室で向かい合う。近衛母は最初から俺に用があるから会いたいとしてアポを取っている。なので最初の挨拶はしても父や母がこの場に同席することはない。
「まず、先日の運動会で大活躍だったわね。優勝おめでとう」
「ありがとうございます」
まぁこれは本当に社交辞令だろう。別に小学校の運動会で優勝したとかそんなことに何の意味も価値もない。本気で祝っているわけじゃないだろう。ただの挨拶みたいなものだ。
「それで本題ね」
早い……。早いよ近衛母……。席に着いて少しお茶を飲んで、運動会のことで挨拶したらすぐに本題って……。まぁ俺も近衛母と長々と社交辞令を交わしたり腹の探り合いをするなんて御免だ。ズバッと用件を言ってくれるのはこちらとしても助かるんだけど……、何とも言えない気持ちにもなる。
「この前のマスコミの騒動とその顛末だけど……、凄いわね咲耶ちゃん!さすが私が見込んだ後継者よ!」
「はぁ……?」
まぁコンサートからこっちの騒動についてだろうとは思ったけど、近衛母の反応が何か思ったのと違う。とても興奮して喜んでいるようにしか見えない。それと『見込んだ後継者』というのも意味不明だ。何の話をしているのかわからない。
「あら……。自分がどれだけ凄いことをしたかわかっていないのかしら?いい?咲耶ちゃん、貴女が今回の騒動で一体どれほどの利益を生んだかわかっている?九条と二条だけで数百億円、いいえ、数千億円規模かもしれないほどの利益をたたき出したのよ?」
いやいや……、この人は何を言っているんだ?
「わかっていないようね……。九条と二条が二束三文で手に入れた権利は実際に買えばそれだけの資金が必要だったものなのよ。それをあれほど安く買い叩いて手に入れたのよ?それだけでもとんでもない利益よ!」
「それはまぁ……」
確かに今回九条、二条が引き継いだり買い叩いた会社や設備や権利は、元の値段で買えばその何十倍も何百倍もしたことだろう。しかも敵対的買収をしようとすればかなり揉めることになったに違いない。それをあれだけ企業価値を叩き落して、債権処理として安く買い叩き、しかも払ったお金を今後回収する予定まで立てている。
「近衛財閥もその余波で色々と儲けさせてもらったわ。それに放送や出版関係で安定している近衛関連企業はシェアも伸ばしたし株価も上がったわ。それだけでも咲耶ちゃん様様よ」
「え~……、それは……、おめでとうございます?」
何と言えばいいんだ?それにそんな話をしにきたのか?
「仇敵である一条系列の出版社と放送局を潰して、一条は持っていた権利も株もただの紙切れになったわ。そして今まであまり九条グループが進出していなかった分野に一気に乗り込んだ。安く買い叩いただけじゃなくてこれからずっと安定して収入を得られるのよ。お金を転がして偶然瞬間的に儲けたんじゃなくて、これからも稼げる会社を簡単に手に入れたということよ」
「ですがそれはまだ未知数では?これからテレビや雑誌などのメディアは斜陽産業ですし、ただお荷物を抱えただけかもしれません。それを活かせるかどうかは今後の運営次第だと思います」
いくら設備や放送網、販売網を安く手に入れたとしても、この業界そのものがこれからますます衰退していくと思う。それじゃ利益を得たどころかこれからずっと赤字を垂れ流す負担を背負っただけということにもなりかねない。
「さすが咲耶ちゃんね!やっぱり私の目に狂いはなかったわ!会社を活かすも殺すも経営者次第……。それはその通りよ。確かに今この業界は傾いて縮小していると思うわ。でもこのままただ衰退して消えるのか、新しい形へと生まれ変わるのか、それは今後次第だって咲耶ちゃんも言ってるじゃない」
「それはそうかもしれませんが……」
そりゃこれからのニーズに合わせて業態を変化させたり、何か新しいものを生み出したり、単純に縮小するパイの中でも黒字化出来る経営を行なうとか、色々とあるとは思う。それに斜陽産業だとしてもいきなり全てが潰れてなくなるわけでもない。規模を縮小しながらでも生き残る企業もあるだろうけど……。
「私は経営者でもありませんし経営ノウハウも能力もありません。何か会社を躍進させるアイデアがあるわけでもありませんし、ただ九条グループや二条家に負担を押し付けただけです」
「咲耶ちゃん!確かに謙虚なのは美徳にも成り得るけど、欠点にも成り得るのよ。それに過ぎた謙遜は嫌味でしかないわ」
「すみません……」
何で俺が謝っているんだろうか……。俺は本当のことしか言っていない。実際経営者でもないし、これからの経営プランや一気に業界を盛り上げるアイデアがあるわけでもないのに……。
「それじゃ私がアドバイスしてあげるわ……。今この業界には……、いえ!この国にはスターがいないのよ!小粒のアイドルや俳優女優ばかり。果ては海外資本のごり押しを支払われるお金目当てに一緒になってごり押しする始末!そんなのもう視聴者はうんざりしているのよ!だから……、この国には本物のスターが必要なのよ!」
「はぁ……?」
この人はあれかな?昔にアイドルとかに憧れて育った世代とかなんだろうか?俺は前世でもどちらかと言えばアイドルも俳優も女優も、テレビタレントなんて特に興味もなく育って世代だからまったく近衛母の言ってることに共感出来ない。
「だから咲耶ちゃんがこの前のバンドとしてデビューしちゃいなさい!そうすればきっとこの国の誰もが熱狂するわよ!お金なんてどうでも良いの!この国の未来を背負って立つ、本物のスターになるのよ!」
いや、知らんがな……。何で俺がそんな面倒なことをしなければならないのか……。むしろ俺は人前に出るとか目立つとかそういうことが苦手な方だ。今までは学園で無視されてきて、それはそれで問題もあったけど実はちょっと居心地が良かった。今のようにどこに行ってもキャーキャー言われる方が居心地が悪い。
そんな人間に学園どころか国中からキャーキャー言われて注目されるようなことをしろって、近衛母は何もわかっていないとしか思えない。
仮に……、もし万が一俺にそういう才能があってカリスマがあったと仮定して、それでも俺はそんなことをしたくない。ましてや俺は人に持て囃されるような何かがあるわけでも、カリスマ性があるわけでもない。ひっそり静かに暮らしたいと願うただの一般庶民だ。
「近衛様……、本日は一体どのようなご用件でまいられたのでしょうか?お話が見えませんが……」
はっきり言うと言いながら近衛母は碌に用件を言っていない。結局何をしにきたのか、何の用があったのか……。
「だから!咲耶ちゃんを芸能界デビューさせようっていう話よ!ね?別に近衛系列のプロダクションじゃなくても良いのよ!うちはお金とか利益とかそんなことはどうでも良いの!九条系列のプロダクションと契約してデビューするならそれでも良いから!芸能界デビューしましょ?」
「お断りします。私は芸能界に興味はなくデビューするつもりは一切ありません。そのような時間があれば他にしたいことがたくさんあります」
今回俺はきっぱり断った。曖昧にしていてはまたいつ近衛母がわけのわからない勘違いや暴走をするかわからない。これに関しては誰が何と言おうと俺は譲るつもりはない。芸能界デビューなんて絶対にお断りだ。
「そう……。それじゃ仕方がないわね」
でも……、近衛母はあっさりそう言って笑っていた。どうしても俺を芸能界デビューさせたかったというわけじゃないのか?何だか随分あっさり引き下がったように思うけど……。
「それはそれで良いんだけど……、CDとDVDは作らせてくれないかしら?私も含めてなのだけれど、あの演奏を聴いてからどうしても音楽や映像が欲しいという人がいるのよ。販売店で売らないから、せめて欲しい人に配るくらいは作らせてもらえないかしら?」
「それは私一人ではお答えしかねます。演奏した皆さんの同意も必要ですし、楽曲を提供してくださった方々や師匠にも同意していただく必要があります。私一人で決められることではありません」
結局……、近衛母はあの時の音楽や映像を何らかの形にしたいというのが目的だったのか?
まぁ……、菖蒲先生も欲しいと言っていたし、本当に極僅かな知り合いだけに配るのなら悪くないかもしれないけど……、どちらにしろ俺一人で決めて良いことじゃない。
近衛母はそのあとも色々と雑談したり、話を蒸し返したり、あの手この手で色んな話をしてから、かなりの時間滞在してからようやく帰ったのだった。