第二百八十話「テッテレー!」
週末にコンサートがあってから明けて月曜日、学園では秋桐達が周囲から持て囃されていた。
「あきぎりちゃんすごかったねぇ!」
「たんぽぽちゃん、またきかせてね!」
皆が秋桐や蒲公英達を囲み、コンサートの感想を言ったり、持て囃したり……。今までは射干達を恐れて秋桐達がいじめられていても見て見ぬフリをしていた者達が、まるで掌を返したように接していた。射干達にはそれが許せない。
「何よあの子達!この前までは私達の言うことを聞いていたのに!」
「本当ですよね!」
「一条家のことを舐めてるんじゃないですか?」
遠巻きに秋桐達を眺めながら、射干達はギリギリと歯を鳴らしていた。むかつく。どうにかしたい。何よりもこのままでは自分達が上の人達に見限られてしまう。それだけは避けなければ家の破滅だ。
「他の一条派閥に食堂の席を確保して空けておくように言っておきなさい。今日やるわよ」
「え?ついにあれをしちゃうんですか?」
「ふひひ!それじゃすぐに皆に言ってきます!」
取り巻きの二人が一条派閥の地下家達に指示を出しに行ったのを見送ってから射干はチラリと秋桐達を見た。皆で楽しそうに過ごしている。その目に宿っていたのは怒りや憎しみではない。それは……、羨望だった。
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お昼休みに、射干達はややゆっくり食堂へと向かった。別に食堂で食事をすることが目的ではないので遅くに行って席が埋まっていようとも問題はない。今日の射干達の目的は別にある。
食堂を利用しているような家などどうせ地下家以下の家しかいない。そう思っていた。だから前回は嫌がらせをするために秋桐達の前に割り込んでやろうと思ったのだ。しかし……、その時に秋桐達と一緒に七清家である徳大寺薊様が居たために逆に自分達が大変な目に遭ってしまった。
もちろんその場で引き下がればそれ以上は追及してこないだろう。前回も引き下がってからは徳大寺家も何もしてこなかった。揉めたその場で何かあれば倉橋家と徳大寺家の争いになってしまうが、必要以上に徳大寺家が倉橋家を責めれば、当然ながら倉橋家の派閥、門流の長である一条家が出て来ることになる。
いくら徳大寺家が七清家とはいっても一条派閥全てを敵に回して戦えるような家ではない。徳大寺薊の前に割り込んだということでその場では揉めても、そこで引き下がりさえすれば徳大寺家もそれ以上追及しようはないということだ。それはそうだろう。誰だって一条家と争いたくはない。
そして射干達は前回の反省を活かして、今回は自分達が悪くないように、そして他の堂上家達が割り込んでこないように、秋桐達地下家のみをターゲットにすることにしていた。
その作戦は簡単であり、まず一条派閥の地下家達に命じて食堂の一部の席を確保させておく。その席が確保された席だと明示されていれば他の生徒達は避けるだろう。そして秋桐達がやってきたらその明示していたものをどけてしまう。するとどうなるか?
席が空いてると思った秋桐達がその席に着くだろう。そうすれば自分達がその席に向かって行って『そこは自分達が確保していた席だ!』といって文句を言ってやろうと思っていた。
もし席が空いていてもその席に座らなければ?という作戦としてはガバガバなものだが、所詮考えたのが小学二年生ではそんなものだろう。空いている席があればそこに座るだろうという大雑把な作戦でしかなかった。しかし今日、その作戦は成功していた。その席に秋桐達が座っているのを確認した射干達は秋桐達に突撃する。
「ちょっと!ここは私達が確保してた席なのに何を勝手に座っているのかしら?このクソド庶民ども!」
「ヒッ!」
同じ席に着いている上級生達は相手にしない。上級生のほとんどは堂上家、しかも七清家までいるのだ。そんな相手に喧嘩を売るつもりはない。前回はリサーチ不足で徳大寺薊に喧嘩を売ってしまうことになったが今回は地下家以下の家の相手だけに絞る。
いくら他の堂上家がいても、自分達が関係なければ口を挟むことは難しい。一条派閥と全面対決するつもりなら口も挟んでくるかもしれないが、徳大寺家ですらそこまでは踏み込んでこなかった。それはつまり七清家ですら一条派閥との全面対決には怖気づくということだ。
ならば簡単だ。最初から他の堂上家を相手にしなければ良い。自分達が確保していた席だが、堂上家の皆さんはそのまま座っておられれば良いですよと恩を売れば良いことだ。秋桐達だけを攻撃して追い出し、恥をかかせ、追い込めば良い。
「倉橋さん、ここは特に誰かが席を確保していませんでしたが、その席を確保していたというのはどういうことでしょうか?」
しかしそこで一人口を挟んできた者がいた。幸徳井秋桐の姉だ。よく秋桐のクラスに来てはあのグループを集めてお姉ちゃんお姉ちゃんと言われて良い気になっている。確かに地下家同士ならば年上の自分がチヤホヤされて気持ち良いのだろうが、二年生の教室にまで来て地下家の子供達にチヤホヤされて満足しているド底辺のカスでしかない。
「はぁ?なによあんた。地下家如きが私に口答えしようっての!」
所詮相手は地下家だ。年上だろうとも堂上家である自分には関係ない。同じ地下家同士ならば多少の家格差よりも、年齢の差というのは大きいだろうが、一年生の堂上家と六年生の地下家では一年生の堂上家の方が上だ。
「地下家も堂上家もないでしょう?何らかの行き違いがあったのならば確認した方が良いと思っただけのことです。この席を倉橋さん達が先に確保されていたのでしたら……」
そこまで言われた時、射干はテーブルに置いてあったグラスを取って幸徳井秋桐の姉に頭から水をかけてやった。バチャバチャと頭から水が滴る。
「倉橋様と呼びなさい!地下家の分際で!誰のお陰で藤花学園なんて分不相応な学園に通えていると思っているの!藤花学園は堂上家の寄付で成り立っているのよ!ここは私達の席だと言えばあんた達は黙ってどけば良いのよ!さっさとどきなさい!この無能でノロマな地下家が!」
不愉快極まりない。いくら多少年上とはいってもたかが幸徳井家如きが、倉橋家である自分を『さん』呼びするなど許されることではない。
ここまでされても、幸徳井秋桐の姉は何も言えずにただ笑顔の形のままだった。所詮は地下家だ。堂上家である自分には逆らえない。何ならいっそもっと水をかけてやろうかと他のグラスにも手を伸ばした時、周囲が騒ぎ出した。
「ちょっとあんたね!」
「さすがに子供の悪戯にしてもこれは見過ごせませんね……」
「これはさすがに私も怒っちゃうぞー!」
上級生の堂上家達が立ち上がる。それに周囲で見ていた野次馬達も何かヒソヒソと言い始めた。何か……、嫌な予感がする。いや、周囲の雰囲気からようやく何かを察したと言うべきか。しかし当の射干達にはそれが何かはまだわからない。
「なっ……、何ですか?上級生の堂上家の方々には関係ないでしょう?」
ちょっとうろたえながらもまだ強気でいく射干。それに対して、まだ頭からポタポタと水を滴らせている幸徳井秋桐の姉はさっと手を上げた。それだけで上級生達が不満そうな顔をしながらも黙る。
「倉橋射干さん、貴女の言い分だと……、上位の家は下位の家に対して何をしても良いということかしら?」
頭から水を滴らせている地下家の分際で、にっこり笑いながらそう言った姿に射干達は後ずさった。何か得体の知れない迫力がある。足が震えそうになるのを必死で堪えて射干が口を開いた。
「あっ、当たり前でしょう!五年生にもなってそんなことも知らないの?この学園は五北会と堂上家によって成り立っているのよ!だから五北会と堂上家が絶対なのよ!」
射干は自分に言い聞かせるように、声を荒げてそう言い切った。普通の相手ならば、それでほとんどの相手は引き下がる。七清家の徳大寺家ですら一条派閥との全面衝突は回避する。ましてや幸徳井家如き地下家など一条派閥どころか堂上家一つにも頭が上がらないはずだ。
「地下家地下家と言いますが、そちらのお二人は?」
ポタポタと濡れたままなのに、拭うこともせず余裕の笑みで取り巻きの二人に視線を送ってそう言われる。
「わっ、私は一条家侍、源氏、丹下真弓よ!」
「私は下北面、藤原北家良門流、室津薺ですけど?」
自分達に矛先を向けられた二人は堂々と答えた。すると幸徳井秋桐の姉は笑い始めた。
「ふふっ。丹下家に室津家、どちらも地下家な上に幸徳井家よりも下ではありませんか。それで地下家だ格下だと騒いでおられたのですか?それも室津家は一度絶家して一条家によって再興されてから一条家の狗になられた家ですよね?」
「なっ!?」
「幸徳井家との家格や極官はそうでも、丹下家も室津家も一条派閥です!無派閥の幸徳井家とでは後ろ盾が違います!」
射干の取り巻きである薺と真弓は顔を真っ赤にして食って掛かった。確かに地下家としては幸徳井家の方が格上だが、一条派閥に入っている自分達に逆らえるはずなどないと思っていたからだ。
「この二人がどうかなんてどうでも良いのよ!地下家同士の争いなんてどうでも良いの!堂上家であるこの倉橋射干と、地下家である幸徳井家の姉妹であるあんた達の問題でしょ!話を逸らしてるんじゃないわよ!」
再びグラスを持って水をかけようとした射干の手は、しかし今度は幸徳井家の姉に止められていた。
「なっ!?このっ!離しなさいよ!皆見てよ!地下家が堂上家である私に暴力をふるっているわよ!皆見たわよね?あははっ!あんたもうおしまいよ!直接手を上げたんですもの!もう退学しかないわ!やった!やってやったわ!はははっ!はは……、は?」
しかし……、笑っていたのは射干達のみであり、それ以外は完全に食堂は静まり返っていた。不気味なほどに、誰一人しゃべらず、誰も射干達の言うことを『そうだ』『そうだ』と支持してくれていない。あまりに異様な雰囲気に取り巻きの真弓と薺はお互いに体を寄せ合っていた。
「確か……、格上ならば格下に対して何をしても良いのでしたね。それではお聞きしましょうか。この九条咲耶に対して水を一度ならず二度までもかけようとした罪は、どのように償わせれば良いのでしょうか?」
「「「…………は?」」」
何を言われたのか意味がわからない。周囲は相変わらず静まり返っている。今何と言ったのか?『九条咲耶』と言ったのか?
誰が?誰が九条咲耶様だと?目の前の、この濡れたままニコニコしている幸徳井秋桐の姉が?九条咲耶様?
「なにを……、いって……?」
意味が理解出来ない。したくない。ドクドクと激しく鼓動が脈打っているのに血の気が引いたように顔が青褪めていく。
そうだ。この集まりは『九条咲耶様とその取り巻きによるグループ』のはずだ。コンサートでもそう紹介されていた。では九条咲耶様はどこだ?どなたが九条咲耶様だ?
ずっと……、おかしかったではないか。このグループは九条咲耶様とその取り巻きであると言われながら、その当の九条咲耶様がどこにもおられない。いや、おられないのではない。そうだと思っていなかっただけだ。そのことをおかしいと思わなかったのか。
幸徳井秋桐がお姉ちゃんお姉ちゃんと呼ぶから、ずっとそうだと思い込んでいた。幸徳井家の姉妹がこの堂上家のグループに取り入って可愛がられているだけだと思っていた。しかしこのグループが九条咲耶様のグループであると聞いた時に思うべきだったのだ。その当の九条咲耶様はどなたなのかと……。
『さくやおねえちゃん』と、言っていたではないか……。同じ名前だと何故気付かなかったのか。自分達のあまりに愚かさに涙が滲んでくる。
「あっ……、あぁ……、あ、貴女が、貴女様が……?」
「私が九条咲耶よ。よろしくね、倉橋射干さん。あぁ、ふふっ、こんな姿でごめんなさいね」
ニッコリ笑って、少しだけ滴る水を拭いながら……、目の前ではっきりと自己紹介された。射干は辺りを見回す。食堂に来ている他の一条派閥に視線を送っても、誰も助けてくれない。誰もがそうだと言っている。目の前の人こそが九条咲耶様本人であると……。
「おっ、おかしいじゃないですか!どうして!どうして五北家がこんな食堂に!ここは地下家以下が使う場所でしょう!?」
射干は半狂乱になって頭を抱えながら叫んだ。
「私達は一年生の時から、グループの皆さんで食事が出来るように食堂を利用していましたよ。それに以前薊ちゃんが言ったでしょう?食堂の建て替え費用のほとんどを九条、徳大寺、西園寺で負担したと。これを言うのもどうかと思いますが……、私達が快適に食事出来るように、新しいシステムを導入したり、建て替え費用を負担する代わりに要望などもたくさん通してもらったのですよ」
「あっ……、ははっ……、あはっ!」
虚ろな目になった射干は、壊れたように声を漏らしながら、ペタンと食堂に崩れ落ちたのだった。