第二十六話「ダンス」
「そのドレスとても良く似合っていますね。可愛いです」
「ありがとうございます……。咲耶ちゃんは…………とても大人っぽいですね」
どういう意味だ……。小学校一年生が大人っぽいって……。他に褒めようがなかったから適当にそう言っただけか?
それはともかく皐月ちゃんは本当に可愛いドレスを着ている。それも前世で見たことがあるような子供向けの安物ドレスじゃない。高級ブランドのオーダーメイドだ。俺達くらいの年齢ならあっという間に大きくなって寸法が合わなくなってしまうというのに一着で何十万もしかねないような金額のドレスを着ている。
さすがは西園寺家というか何というか……。皐月ちゃんだけじゃなくて他の家もそうなんだけどとてもじゃないけど小学校一年生に着せるようなものじゃない。前世の俺の感覚からしたらこの界隈の感覚はまったく理解出来ないものだ。
それでも郷に入っては郷に従えという通り、前世の俺の感覚で慣れないからといって好き勝手するのではなく周囲に合わせていかなければならない。かといって俺の庶民の感覚が失われてお嬢様の感覚になっていったらゲームの咲耶お嬢様のような失敗をしかねない。
だから俺は両方の感覚を備えてバランスの取れた行動を心がける必要がある。庶民感覚のままこの上流階級の社会にいては爪弾きにされてしまうけど、咲耶お嬢様のように高飛車になることもなくうまく生きていくんだ。
「あ……、それでは咲耶ちゃん、またあとでね」
「はい、それではまた」
何かに気付いたらしい皐月ちゃんが俺に頭を下げて離れていった。誰かに呼ばれたのか顔見知りでもいたのかな。少し寂しいけど止むを得ない。俺と違って派閥に入っている皐月ちゃんには色々とあるだろう。俺のようにロンリーウルフなら一人隅の方で影になっていてもいいだろうけど……。
皐月ちゃんが離れたから少し視線を動かしてみれば薊ちゃんの姿を見つけた。まぁ五北会のメンバーは全員招待されてるんだし、招待状が配られたその場に居たんだからここに来ていることはわかってはいたけど……。
薊ちゃんは相変わらず周囲を色んな人に囲まれて人気者のようだった。五北会でいつも一緒にいる派閥のメンバーだけじゃなくて他の子達も薊ちゃんの周りに集まっている。あれだけ頼れる姐御肌だったら周りから慕われるのも頷けるというものだ。
本当は俺も薊ちゃんとお話したいけどあの中に入って行くのは不可能だ。俺とは縁のない派閥が中心になっているから俺があそこに混ざりにいけば何かと面倒なことになる。俺は親しい相手とか派閥とかないんだけど九条家には門流、つまり派閥があるからな。
今は兄良実君が派閥も纏めているけど俺だって無関係じゃいられない。俺がノコノコと薊ちゃんの所の派閥に顔を出して話をしにいけば九条家の派閥が徳大寺家の派閥に降ったと受け取られる可能性だってある。俺一人の問題ならともかく九条家やその派閥にまで迷惑をかけかねないから俺は迂闊に他の派閥に声もかけられない。
そういう意味では皐月ちゃんはよくこちらに声をかけてきたなと思わなくもないけど……。だからこそ簡単な挨拶だけで済ませたというのもあるんだろう。あれで二人でずっとしゃべっていたらきっと九条家の派閥も西園寺家の派閥も黙っていなかったに違いない。
そんなこんなで暫く隅の方で料理を食べていると会場に流れる音楽が変わり始めた。どうやらこれからパーティーも佳境に入ってくるようだ。
「咲耶、踊ろうか?」
「はい、お兄様」
曲が変わりホールの真ん中が広く空けられる。このパーティーのメインは藤花学園の上位生徒達の親睦会だ。だから一番の盛り上がりは子供達によるダンスらしい。それがこれから始まる。
他のパーティーでもそうなのか、この場だけの慣例なのか知らないけど一番最初に踊る相手というのは自分のパートナーという意味らしい。俺をエスコートしてきたのは兄だし他に男性の友達もいない。顔見知りか敵ならいるけど友達は皆無だ。悪かったな。
そんなわけで最初のダンスのお相手、パートナーは兄であると示すためにも兄に手を取られてホールの中央へ……。
「おい!俺と踊れ!」
「…………は?」
ズカズカとマナーの欠片もない歩き方で俺の前にやってきた伊吹が大きな声でそんなことを言った。
「あの……、私は兄と……」
「いいよ咲耶。いっておいで。伊吹君、咲耶を頼むよ」
兄よ~!何故俺を伊吹に売ろうというのか!この土壇場で裏切るのか!
…………はっ!待てよ……。兄も小学校六年生だ。五・六年生くらいにもなれば子供の遊びとはいえ付き合っているとかそういうことを言い出す奴も出てくる年頃だ。もちろん付き合っているといっても大人から見れば子供の遊びの延長でしかない程度のものだけど……。
もしかして良実君にももうそういうお相手がいるのでは?
それなのに来る時も俺のわがままに付き合ってエスコートしてくれて……、ダンスも最初に踊ろうとしてくれたんじゃないのか?
俺は兄に甘えすぎていたかもしれない……。兄には兄の青春だって付き合いだってある。それなのに俺は自分のことだけ考えて兄を利用していた。その俺に兄を批難することが出来ようか?いや、出来まい!
「兄は他にお相手の方がおられるようですので私は壁の花になっておきます。それでは近衛様御機嫌よう……」
「待て!逃がすと思っているのか!俺と踊れ!」
「…………」
こいつは……、声がでかいんだよ……。完全に周りから注目されているじゃないか……。大体最初のダンスの相手はパートナーだと示すものなんだろ?だったら他の誰かの所へ行けよ……。
いや……、待てよ?そうか……。こいつここで俺に恥をかかせて息の根を止めようってんだな?一番最初の目立つダンスで俺に失敗させて皆の晒し者にしようってんだろう。ならどうせここで断っても何やかんやと付き纏われて面倒なことになるに違いない。だったらここで決着をつけてやる。
「咲耶、僕のことは気にしなくていいから伊吹君と踊っておいで」
兄よ……。俺は兄のことを気にしてなんていなかった。許しておくれ。俺が心配していたのは俺自身だけだった。そのために兄の青春を奪ってしまうところだったよ。
「申し訳ありませんでしたお兄様。お兄様も私のために自分を犠牲にせずお相手の方を待たせないであげてください」
「…………うん?僕に相手はいないけど……?」
またまたぁ。見た目も良いしこれだけ気が利いて気立ても良い、頭も良い良実君なら恋人の一人や二人くらいいるんでしょ?わかってる。わかってるって!こっちは心配すんな!きっちり伊吹をカタに嵌めてやる!
「良いのですよお兄様。私は全てわかっておりますから……。それでは私は私の舞台で戦うとします」
兄にそう言って頭を下げると伊吹と向かい合った。ここで決着をつけるつもりなら受けて立ってやる。
「近衛様、よろしくお願いいたします」
伊吹と向かい合った俺はカーテシーで頭を下げる。
「おう!こい!」
「ぁ……」
俺の腕を掴むと強引にホールの真ん中に陣取った。完全に周囲から注目されている。やっぱり俺の息の根を止めるつもりのようだ。一時曲が止まり照明が落とされる。薄暗くなったホールの中で……、真ん中に立つ俺達だけがサーチライトで照らされたと思った瞬間に曲が始まった。
最初は静かな、ゆったりとしたムーディーな曲から始まる。だけどこの伊吹……、ダンスが下手すぎる……。
何というかこちらへの配慮が一切ない。自分の動きたいように動く。踊りたいように踊る。リズムも時々狂うしステップも間違える。歩幅も広すぎたり狭すぎたりマチマチでいきなり初見で合わせるのはかなり難しいだろう。
いつも踊っている相手なら慣れているんだろうけどこいつのこの独特な呼吸に合わせるのは難しい……。普通の者ならな!
でも俺は違う。この一ヶ月間ありとあらゆる状況と条件で踊り続けてきた俺ならばこの程度に合わせるなど朝飯前だ。
伊吹がステップを間違えれば俺も同じように間違えて合わせる。伊吹の歩幅が狭いなら俺も狭く合わせる。歩幅が広いなら俺も広くする。一切こちらに合わせる気のない自分勝手なダンスにもこちらが呼吸を合わせて乱れることなく踊る。
恐らく伊吹はわざと下手に踊って俺にミスをさせようとしているんだろう。だけど俺はミスしない。男性役である伊吹をたててこちらが合わせる。ダンスそのものはミスっていても関係ない。男性のリードに合わせて完璧に踊れば例えステップが間違っていようが歩幅がおかしかろうが関係ないというものだ。
そう、これこそが父が言っていた下手でもおかしなものでも極めればそれなりになるということだろう。
曲が変わって速くなる。ゆっくりならあのわざとこちらをミスさせようとするような伊吹のステップにも合わせられるけど速くなればそれも難しい。そう思ってんだろ?甘いんだよ!師匠との修行をなめるなよ!
…………そのあと数曲に渡って伊吹の自分勝手で独特のダンスに完璧に合わせた俺は踊りきった。完璧だ。確かにダンスとしては伊吹が色々と失敗していた。でも二人の息はぴったり合ってどこもおかしな所なんてなかった。そのはずだ。自画自賛だけど完璧だったと自負している。
パチ……、パチパチ……、パチパチパチパチッ!!!
まばらに拍手が始まり、やがて万雷の拍手が鳴り響く。
「素晴らしい!」
「あの二人お似合いね」
あまりの大音量の拍手が暫く鳴り止まずすぐ目の前にいる伊吹の声も聞こえない。それもやがて収まった頃槐がやってきた。
「すごいね九条さん。次は僕とも踊ってくれるかな?」
え~……。いやどす。とは言えないんだなぁ……。伊吹が俺に恥をかかせるのに失敗したから立て続けに槐が攻撃してきたってことか。どうせ断れないなら踊るしかない。
「はい」
「おい槐!お前まさか!」
「あぁ、違う違う。伊吹が考えているようなことはないよ。今のところは多分ね」
「?」
俺が槐と踊ることになったら伊吹と槐が何か言い合っていた。会話の内容はよくわからない。何かの符号かもしれない。二人で俺を社会的に抹殺するための何かの作戦か?
その後は槐と踊ったけどさすが『白雪王子』槐は踊りも女性的というか何というか。伊吹の自分勝手でグイグイくる踊りと違って繊細なダンスだった。それにも何とか合わせた俺は槐とのダンスでも失敗はしなかった。
「ありがとう九条さん」
「いえ……」
何と答えて良いかわからない。何がありがとうなんだ?これはあれか?失敗させて恥をかかせようと思ったのに作戦がうまくいかなかったぜちくしょーってことか?覚えてろよ!みたいな意味かもしれないな。
「次は俺と踊ってよ咲耶ちゃん」
「広幡様……」
何で俺がこいつと踊らなければならないのか。伊吹と槐はここで決着をつけるつもりだったから良いけど他の相手と踊る気はない。あと誘われたら踊る可能性があるのは兄くらいだ。
「おい水木。妹に手を出すなと何度言えばわかるんだ?」
「良実……、パーティーの席でダンスくらいいいじゃないか」
どこから現れたのか兄が水木と俺の間に割って入ってきた。兄が止めてくれるのならそれでいい。俺だって水木の相手をしたくはない。結局そのあと水木と俺を躍らせないために兄が俺と踊ってからダンスを終えた。他の子達はまだ踊っているけど俺はダンスから抜けて壁の花になる。
何が悲しくて俺が男とダンスをしなければならないのか。女の子となら是非ダンスしたいけど男は事情がない限りお断りだ。伊吹と槐は特例で兄は折角こんな場だからというだけにすぎない。
その後俺は薊ちゃんとあることで少しだけ失敗をしてしまった……。でもいい。そのことについては後悔していない。俺が無作法だと笑われても良い。
こうして俺の社交界デビューは最後の方で致命的な失敗をして終わったのだった。
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後日、百地師匠にパーティーでのことを話した。
「それで今でもパーティーのことを思い出すと胃が痛くなるのです」
パーティーの前に緊張していて胃が痛かったけど今もまだ時々痛む。やっぱり繊細な心の持ち主である俺にはあんな緊張する場は向いていないということだろう。
「心臓に毛が生えているお前が緊張で胃が痛くなるわけなかろうが。そりゃ毒の取りすぎで胃腸が荒れておるだけじゃ。修行中も血を吐いておったろうが」
「…………え?」
…………え?俺が修行中血を吐いたのも、あれ以来胃が痛いのも師匠が俺に毒を飲ませ続けていたからか?
「致死量には至っておらんがあれだけ短期間に大量に毒を飲めばそうなる。これでも飲んでおけ」
「はい……」
そう言って師匠は俺に何か粉薬を渡してきた。多分胃薬とかそういうものだろう。…………ていうか、こんなジジイに修行をつけてもらってて本当に大丈夫なのか?