第二百五十八話「嗅ぎ付けた人」
「ただいま戻りました」
百地流の修行と蕾萌会の夏期講習を終えて自宅へと戻ると……、またしても見慣れない靴があった。靴のサイズや地味な感じからするとこれは……。しかも二足あるということはやっぱりあの二人だろうなぁ……。一足は普通の庶民派な店で売ってるような安物だし……。
「咲耶、貴女を訪ねて来ている方がいますよ」
「はい……」
母の少し呆れたような態度からやっぱりあの二人だろうなと思いながら、一度部屋へ戻って準備を整えてから応接室へと向かった。扉を開けた瞬間……。
「あぁ!咲耶ちゃん!会いたかったわ!」
「むぎゅぅっ……」
ポヨンと立派な感触が俺の顔を覆う。いつもの制服と違ってゴワゴワしていないから幸せな感触がかなりダイレクトに伝わってくる。今日は私服だからボタンや布地が違うからだろう。
「茅さん……、落ち着いてください……」
「あぁん、もうっ!咲耶ちゃんのいけず」
名残惜しいけど茅さんの胸から抜けると一先ず席に向かった。ソファには杏が座ったままシャッターを切っていたようだ。靴を見た時からそうじゃないかと思ったけどやっぱり来ていたのは茅さんと杏だった。アポもなく夜に突然やってきたから母はあまり良い顔はしなかったようだけど、近衛母だって同じことをしているし、茅さんや杏だけが責められるようなことじゃない。
まぁアポも取らずに突然相手の家に訪ねて行くなんて非常識ではあるけど……。今はまだ夜と言ってもそんなに遅いわけでもないし、高校生くらいなら出歩いていてもおかしくない時間だろう。
「御機嫌よう茅さん、杏さん。今日は一体どうされたのですか?」
とりあえず座ってから用件を聞いてみた。アポもなく夜に突然やってくるくらいだからもしかしたら大変なことがあったのかもしれない。出会い頭の茅さんの態度からはそんな風には思えないけど、茅さんはどんなに大変なことがあってもあんな感じだから、態度や慌て振りだけで判断は出来ない。
「ええ、それなのだけれどもね……。咲耶ちゃん!ひどいじゃない!」
「え?え?」
急に立ち上がった茅さんの言葉の真意がわからず慌てる。俺は茅さんに何かひどいことをしてしまっただろうか?まったく身に覚えがない。でも俺にその自覚がなくても知らず知らずのうちに人を傷つけていることもある。もしかしたら俺が知らない間に何かしてしまったのかもしれない。
「あの……、私は一体茅さんに何をしてしまったのでしょうか?」
とりあえず謝る人も多いかもしれないけど、俺は一先ず茅さんに事情説明を求めた。確かに日本でなら何でもすぐにすみませんと謝ることが多いだろう。でもそれを逆の立場で冷静に考えて納得出来るだろうか?
事情も聞かず、とりあえず相手が何か訴えているから謝っておけばいいだろう、みたいに感じないだろうか?それで満足するのはクレーマーくらいだろう。もし本気で相手に何かを訴えたいのであれば、話も聞かずにとりあえず謝っているだけなんて、『その相手は自分の話を聞く気もなく、謝っておけば相手の気が済むだろう』くらいにしか考えていないのだと思わないだろうか?
少なくとも俺なら真剣に相手に何かを言いたいのなら、いきなり謝られるよりも、まずはきちんと話を聞いてもらいたいと思うはずだ。だから俺もまずは茅さんに聞いてみる。一体俺はどんなひどいことを茅さんにしてしまったのか……。それを聞いた上で本当の意味で謝らないと意味がない。俺はそう思う。
「だってだって咲耶ちゃん!お姉さんだけ除け者にしてまた他の子達とコンサートを開くんでしょう?どうしてお姉さんも誘ってくれないの!ひどいわ!ひどいわ!」
「…………あ~」
よよよっと泣き真似をしている茅さんに何も言えず視線を杏に移すと、杏もプイッと目を逸らした。まぁ……、そういうことだ。
「どこで演奏会のことを聞かれたのかはわかりませんが……」
「咲耶ちゃんのことで私の知らないことなんてないのよ!」
ババーンッ!と手を腰に当ててそんな宣言をされてもですね……。まぁいいか……。
「初等科の催しとして少し演奏会をするだけですよ。恐らく平日の日中になるかと思いますし、茅さんや杏さんもそれぞれ高等科や中等科の授業があるでしょう。そのような方を無理に呼び出すわけには……」
「授業なんてどうでも良いのよ!そんなことはどうでも良いの!お姉さんも咲耶ちゃんと一緒にコンサートがしたいわ!ね?いいでしょ?お姉さんも一緒で!ね?」
「はぁ……」
う~ん……。そりゃ一日くらい学園を休んだってどうってことはないだろう。実際社交界関係で学園を休む者も多い。藤花学園はそういうことにはかなり寛容な方だ。でもこれは別に社交界ってわけでもないしなぁ……。そりゃ各家の保護者も一部は来るかもしれないから、そういう意味では社交場とも言えるけど……。
「ともかく……、私の方から茅さんや杏さんに学園を休んでまで参加してくださいとはお願い出来ません。それはわかってください」
「ええ、わかったわ。それじゃお姉さんからお願いするわね。その日はお姉さんも杏も休むから私達も混ぜて頂戴」
はぁ……。もうこうなったら仕方がないか……。こうなった茅さんは誰にも止められないしな……。
「わかりました。私の一存では決められませんので他の方に聞いてみます。それで良いでしょうか?」
「ええ。いいわよ。ふふふっ」
うわぁ……。何か悪い笑顔になってるぞ……。もし反対する者がいたら叩き潰してやる、みたいな雰囲気を感じる。まぁ皆も茅さんや杏が参加するって言っても反対しないだろうし、もし反対するとしたら近衛母か師匠かなぁ。でも二人も反対する理由はなさそうだし、とりあえず俺は話を繋ぐだけでいいか。後で皆にまた連絡を……。
「さっ!あとはお姉さんとお話しましょう?ほら見て!これ!綺麗に撮れてるでしょう?」
「えっ!?こっ、これはっ……!」
茅さんが俺に見せたのは一枚の写真だった。プリントした写真自体は珍しくも何ともない。そう……。問題なのはそこに写っているものだ。そこには水着姿の俺が……。
「これは……、林間学校の?」
「ええ、そうよぉ……。咲耶ちゃんったらお姉さん達を置いて行っちゃうんだもの。だからぁ……、遠くから見守っていたのよ」
「――ッ!?」
こっ、怖い……。何この人……。もしかしてこれがストーカーってやつなんじゃなかろうか?違うのかな?
「ほらぁ。アプリコッ……、杏の写真、良く撮れているでしょう?」
「ひぇっ!」
そう言って茅さんが広げた写真の数々は……、俺の姿ばかり大量に撮られていた。これはもしかしてやっぱりヤバイ人なんじゃ?茅さんってちょっと変わったお姉さんだなと思ってたけど、本当はヤバイ人だったってこと……。
「こっちにもあるっすよ。これなんてどうっすか?」
「あれ?」
さらに杏が写真を出してきたから身構えたけど、それは笑顔で林間学校を楽しんでいる生徒達の写真だった。そりゃ辛そうな顔をしていたり、泣きそうな顔をしている子もいるけど、ただ林間学校についてきたカメラマンが撮っただけの普通の写真のようだった。いや、『よう』じゃなくてそのものだ。これは……。
「もしかして杏さんって……」
「そうよ。杏はその写真の腕前から学園でイベントがあるとカメラマンを任されているのよ。いつも杏が撮った写真が売られているでしょう?」
確かに去年まではイベント毎に杏が写真を撮っては玄関口に写真が並べられていた。注文番号を書けば気に入った写真を買うことも出来る。あれは全部杏が撮影していたのか。よく学校行事とかでカメラマンがついていて撮影されたりするけど、一生徒でしかない杏がその役を担っていたなんて……。
「ですが杏さんは初等科はご卒業されて……」
「確かに卒業しました!でも今でも私が初等科のカメラマンも任されてるっすよ!七夕祭の写真もカタログが配られたはずっす!」
「あぁ……、あれも杏さんが撮影されたものだったのですか……」
いつもは杏が玄関口に写真やポスターを貼っていたけど、今年の七夕祭の写真は何冊かのカタログのようなものが回されて、それを見て欲しい物があれば注文する形式になっていた。だからてっきりもう杏が撮ったものじゃないと思っていたけど、どうやら玄関口に展示するのが出来ないだけで、撮影は変わらず杏が続けているらしい。
「ですが中等科の授業がある日でしょう?大丈夫なのですか?」
「特例で撮影の日は休みを認めてもらってるっす!その分成績に上乗せされてるんで助かってるっす!」
なるほど……。俺は俺の写真やポスターが無断で使われていたからあまり良い印象はなかったけど、杏の写真はかなり人気があって売れていた。学園としては人気のカメラマンを確保出来て、杏は授業をサボっても成績に上乗せしてくれるのならウィンウィンというわけだ。
そうか……。一瞬茅さんがストーカーとかその手の人かと思ってしまったけど、学園指定のカメラマンとして杏が正規に撮影していたのか。茅さんと杏は仲良しだし、杏に色々と提供しているスポンサーだからその絡みで先に色々写真やデータも持ってたんだな。なぁんだ。びっくりして損した。
「あっ!これは良く撮れていますね!」
「あぁ、ソウデスワネ……」
皆で写っている写真を見つけて拾い上げた。俺達のグループが集まって皆笑顔で楽しそうだ。この後は写真を見ながら林間学校の話をしていたら随分時間が経ってしまっていた。女の子のおしゃべりって長いと思っていたけど、いざ自分がその立場になったら長いのもわかるというものだ。
いい加減母が怒り出しそうだったのである程度の所で茅さんと杏にはお暇してもらった。茅さんと杏も演奏会に関わるということでまた何か決まり次第連絡すると約束してその日はお開きとなったのだった。
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う~ん……。どうしてこんなことになったんだろう……。
「正親町三条様!何一つ楽器が出来ないとはどういうことですか!それでは何をしに来られたのです!」
「私の生活の全ては咲耶ちゃんのためにあるのよ!楽器なんて習っている暇があるはずないでしょう!」
「えっと……、私も何も演奏とか出来ないっすけど……」
「杏はカメラマンでしょ?だったらいいじゃない。正親町三条様は何もしないのなら何故来たんですかって聞いてるんです!」
もう何度も同じ話がループしている。今日俺達は師匠や近衛母も含めて一度全員で集まることになった。近衛母が相当無理をさせたのか、各家の都合もあるだろうに今日全員が集まるという快挙を達成してのことだ。俺達がグループの子を集めようと思っても何ヶ月も前から段取りをしないければならないのに、近衛母は数日でやってしまうんだから恐ろしい。
それはともかく、五年生の皆も、二年生の皆も、茅さんと杏も全員が揃ったんだけど……。じゃあそれぞれ何の楽器が出来るのか、それを聞いてから曲なんかを決めていこうとなった時に事件が起こった。まぁ事件っていうか……、茅さんと杏は何も楽器が出来ないという事実が露呈されただけだけど……。
杏は演奏会のカメラマンということで皆は納得したようだけど、何も楽器の演奏が出来ない上に、他に何か仕事をするわけでもない茅さんに皆が、というか主に薊ちゃんが食って掛かっているというわけだ。
「まぁまぁ……、薊ちゃんも落ち着いて……」
「咲耶様……」
俺が二人の間に入って止めると何か薊ちゃんがシュンとしてしまった。気持ちはわからなくはない。皆それぞれ何か役に立って全員で演奏会を成功させようとしている時に、一人だけただ見てるだけの人がいたら何故その人がグループに入っているのかと思うだろう。その気持ちはわかるけど……。
「茅さんも何かしたいと思って来てくださったのですよ。ですから茅さんの役割も皆さんで考えましょう?」
「……はい」
うん。薊ちゃんは完全に納得していない。それはわかる。そして俺がこう言えば言うほど薊ちゃんにとっては気分が良くないだろうこともわかっている。
薊ちゃんの言っていることは正論だ。皆で演奏会をやろうとしている。そのグループの中に一人だけ何もせず見てるだけの人がいたら色々と士気にも関わるだろう。それなのに俺が茅さんを庇えば薊ちゃんは正しいことを言っているのに疎外感を味わうに違いない。
何故自分の意見が正しいのに聞き入れてもらえず、何もしない人が受け入れられて庇われるのかと思うだろう。俺だって逆の立場だったらきっと納得なんて出来ない。
でも……、俺は皆で仲良くしたい。楽器が出来ないから茅さんだけ仲間はずれにするなんてしたくない。薊ちゃんの言ってることは正しいし、気持ちもわかるけど……、どうしたらいいんだろう……。
「ふむ……?簡単な話であろう?わしが全員に演奏を叩き込んでやる。そっちの娘にもきちんと演奏させてやるわい。それなら文句なかろう?」
「「「「「…………え?」」」」」
突然の師匠の言葉に皆がポカンとする。これからやろうとしている曲は結構難しい。いくつか候補の曲を見せてもらったけど、音楽に大して力を入れていなかった俺ではついていくのがやっとの曲が何曲かあった。それをズブの素人の茅さんに今から仕込んで出来るようになるのだろうか?皆そう思っているに違いない。
でもまぁ……、俺は心配していない。師匠がそう言うということは本当に何とかしてしまうつもりだろう。師匠は出来ないことは言わないし、言ったことは必ずやり遂げる。師匠がここにいる全員で演奏会を成功させると言ってるのならきっとそうなるはずだ。
「ここは……、師匠に任せてみていただけませんか?」
「それは……、皆でコンサートが出来るのなら私は……」
「そうね。私だって何もせずただ突っ立っていようとは思っていないわ。私に楽器が演奏出来るようになると言うのならばしてもらおうではありませんか!」
いや……、何で茅さんがそんなでかい態度なんですかね……。まぁいいけど……。
「それでは師匠……、よろしくお願い致します」
「うむ。わしの修行は厳しいぞ!」
知ってます……。
「「「「「はいっ!」」」」」
でも皆良い返事をしていた。これならきっと大丈夫。全てうまくいくはずだ。いや、必ず成功させてみせる!