第二百五十三話「林間学校の終わり」
「ふんふふ~ん♪」
「咲耶ちゃん!こんな感じでいいですか?」
食材の準備をしていると皆が『咲耶ちゃん』『咲耶ちゃん』と言って集まってくる。あぁ……、最高だ。林間学校最高だよ!
「おい錦織!これはどこへ運ぶんだよ?」
「それはこっちに……」
あ~……、嫌な奴らの声まで聞こえてちょっと気分が下がってしまった……。確かにグループの皆と一緒なのは最高だけど、伊吹とか槐とまで一緒なのは最低だ……。一気に現実に引き戻されたような感覚がしてテンションが下がる。
「九条さん、野菜の下準備は終わったよ」
「ありがとう芹ちゃん」
食材の下準備を任せていた芹ちゃんとその指示を聞くグループは野菜のカットを終えていた。バーベキュー用に串に刺しやすいようにカットしてくれている。
「咲耶ちゃん、肉の準備も終わりましたよ」
「さすがは皐月ちゃんですね」
皐月ちゃんに任せていた肉の下準備も終わったらしい。見れみれば確かにうまくカットされている。しかも串に刺すだけじゃなくて、網に直接乗せて焼く用に大きな物まで用意されている。カットしてと言われたら全部サイコロ状にしてしまいそうな所を、こういう所に気付けるなんてやっぱり皐月ちゃんは手馴れているということだろう。
「さぁ、そろそろ炭にも火が回った頃でしょうか」
火をつけてから槐が管理していたバーベキューコンロを見てみれば程よく火が回っているように見える。これなら焼き始めても大丈夫そうだ。
他の班はまだ準備に手間取っているようだけど先に焼き始めてはいけないという決まりはない。というより開始が宣言された時点で各班が勝手に準備して進めていけということであり、ここで準備万端になっている俺達が待つ理由は何一つない。
「それでは焼き始めましょうか」
「俺様はこのでっかい肉だ!これは俺様のだぞ!」
完全に幼児化している伊吹は大きな肉の塊を一つ確保してそんなことを言っていた。どうせそんなに確保しても一人で食べきれないくせに……。それに実際に食べてみたらそんなにおいしいものでもないと思うぞ。
確かに普通のバーベキューに出されるような食材よりも高級な食材が用意されている。それでも霜降りの和牛ステーキじゃなくてバーベキューに適した赤身が中心だ。何でも高級食材を使えば良いというものではなく、それぞれの料理や調理法にはそれに適した食材や調味料というものがある。
「いやぁ、この班に当たってラッキーだったなぁ。本当にこの班は当たりだよ」
「はぁ……。そうですか……」
飯盒炊爨の時の指導員と同じ指導員がそんなことを言いながら自分の分のバーベキューを焼いている。もちろん俺達が用意したものだ。指導員や担当者は各班の作ったものを一緒に食べる。カレーだってどうせ残るし俺達が作った物をこういう人達が食べたわけだけど、当然担当している班が失敗したら大変なことになる。
完全に失敗して食い物として成立せず廃棄になるのならまだ良い。それなら生徒達と同じように弁当が配られたりするだけだ。でも中途半端に失敗して食えるけどまずいということになってしまったら最悪だ。食える物だから廃棄するわけにもいかない。しかも恐らく班員達はかなり残すだろう。それを処分するためにまずい料理をたらふく食わなければならない。
この夜のバーベキューくらいなら大失敗はそうそうあり得ない。食材を切って串に刺すだけだ。自分の分は自分で焼くから生焼けで食わされるという心配もない。それでも各班の指導員達は今必死になって何とかバーベキューを成功させようとあれこれ指導している。それに比べてうちの班の指導員は結局何一つ言わなかった。
俺達が全て自発的に行い、自分はちゃっかり完成してから串を取って焼いているだけだ。本当にこの指導員は何もしていない。飯盒炊爨の時は他の班の指導員も黙っていたけど、今のバーベキューの時はあちこち指導しているというのに……。
「結局貴方は何も指導されなかったようですが?」
「カレーの時は基本的に見守るのが仕事だったし、このバーベキューでも何も言う必要がなかっただろう?何を言えっていうの?黙っててもこれだけちゃんとやってたんだから口出しされる方が嫌でしょ?」
「それはまぁ……」
言ってることは正しいけど何だか腑に落ちない。まぁいいか。どうせこの指導員とも今日でお別れだ。明日帰る俺達とはもう二度と会うことはないだろう。
「咲耶ちゃん!こちらはもう焼けてきましたよ!」
「さぁ咲耶ちゃん!」
「こっちこっちー!」
「まぁまぁ皆さん……、落ち着いてください」
指導員と話していると皆に引っ張られてしまった。俺だっていつまでもわけのわからない指導員と話していたいわけじゃない。皆と話せる方が楽しいというものだ。
「これなんてもういいんじゃないかな?」
「う~ん……、まだ火は通っていないと思いますよ?私はこちらがもう少し焼けたらいただきます」
もちろん生でも食べられなくはないだろう。野菜なんて生で食べることもある。肉もレアで食べる人もいればウェルダンで食べる人もいるだろう。他にも細かい焼け具合の分類はあるけどおいておくとしてだ。
確かに食べ頃は人それぞれだろうけど、俺はバーベキューならもう少し火が通っている方が良い。あまり焼きすぎても硬くなるけど、あまりに生すぎるのもどうかと思う。男子と指導員は向こうのコンロで焼いて食べているから俺達女子は二つのコンロを皆で囲んでいる。それぞれ自分の分くらいは自分で焼けるくらいのスペースはある。
「それじゃーいただきまーす!」
「いただきます」
「んっ!」
皆熱々の料理を頬張る。そして……。
「ん~……」
「まぁ普通……、ですか……」
匂いはおいしそうだし自分達で苦労して作っただけ味は上乗せされている。でもこう何食も微妙な料理が続くと皆の反応が段々悪くなるのは止むを得ないだろう。たまに一食食べるくらいなら珍しい物としていいんだろうけど、この二日間ずっとこんな調子では新鮮味も薄れるというものだ。
うちの班はうまくバーベキューを始められたから食べ始めるのも早かった。食べ始めるのが早いということはお腹一杯になって食べ終わるのも早いということだ。ようやく準備が終わって他の班が食べているのを眺めながら時間を潰しているとついにキャンプファイヤーが始まった。
中央に井桁に組まれていたものに火が放たれる。そして次第にその中央のキャンプファイヤーを囲んで踊りが始まった。食事を続けている生徒もいれば踊りに参加する生徒もいる。特定の決まった行動をしなければならないわけではなく、ダンスも曲に合わせて決まったダンスを踊る夜会とは違う。
「さぁ咲耶様!踊りましょう!」
「皆でフォークダンスをしましょう!」
座って炎を眺めていた俺に皆が集まってきて手を伸ばしていた。俺はその手を取る。さすがにこの人数じゃフォークダンスは難しいと思う。班員の女子は八人でペアを作れば四組しか出来ない。四組で輪になるのは小さくて難しい。すぐ人にぶつかってしまう。
「私達だけでフォークダンスは難しいですよ」
「大丈夫です!ほらほら!あんた達!集まりなさい!皆で踊るわよ!」
俺の手を引いた薊ちゃんが炎の近くまで移動しながらそう言うとチラホラと女子が集まってきていた。その輪は次第に大きくなり炎を囲むほどの人数になった。特に何か音楽が流れているわけでもないのに何となく踊りが始まり、示し合わせたフォークダンスがあったわけでもないのに段々と一つに纏まっていく。
「あははっ!さぁ!咲耶ちゃん!」
「ほらほら咲耶ちゃん!」
「ふふっ」
皆の声が聞こえるとそれだけで俺もうれしくなって笑みがこぼれてしまう。いつの間にか俺達が始めたフォークダンスは大勢の人間が参加するようになり、宴の最後までその踊りが途切れることはなかった。
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バーベキューを終えてコテージに戻ってきた俺達は最後の夜を思い残すことなく過ごす。
「さぁ!それでは咲耶様!一番風呂をどうぞ!それと!昨日同様にお風呂のお湯は抜かないでおいてください!昨日だけお湯が残っていたなんてずるいので!絶対に抜かないでくださいね!」
「はぁ?まぁ……、それでは……」
薊ちゃんにそう言われたので仕方なく一番風呂の準備をする。お湯を溜め始めて、暫くしてからお風呂場に向かった。皆が遠慮してくれているのに、一番じゃなくて良いとか後で良いとか言っても時間の無駄だ。折角の厚意なんだから黙って受け取っておけば良い。
そしてやはり今日も俺がお風呂に入っている間にコテージ内は物凄く盛り上がっていた。皆の『ジャーンケーン!』という声が聞こえている。皆俺がお風呂に入っている間に何をしているんだろう?どうして俺がいない間にこうも盛り上がってるんだろう?
普段の状況からして俺が避けられているとか嫌がられているということはないと思う。でも何だかこうして俺がいない所で盛り上がっている声が聞こえたら少し寂しく感じる。そんなことを思いながらお風呂から出るとやっぱり昨日同様皆もう静かになっていた。ほとんどの子はまるでお通夜のように暗い。
「あぁ~っ!それでは次は私が入らせていただきますね!咲耶ちゃん!」
「はぁ……。えっと、いってらっしゃい?椿ちゃん」
何かスキップしそうな、いや、実際にスキップしながら椿ちゃんがお風呂へと向かった。
『はあああぁぁぁぁ~~~~んっ!!!』
「――っ!?」
お風呂場からは椿ちゃんの何か凄く艶っぽい声が聞こえてきた。そして残った室内では……。
「あああぁぁっ……。どうしてあの時チョキを出してしまったの……。パーにしておけば……」
「…………」
ブツブツとずっと何かを言っている子や、物凄い無の表情になって沈んでいる子ばかりが残っていた。これは一体何なんだろうか?
~~~~~~~
二日目の夜。これが皆で一緒にこのコテージで泊まる最後の夜だ。何だかそう思うととても惜しいような、寝るのがもったいないような気がしてしまう。
「皆さん、まだ起きて……、ます……か?」
「ハァッ!ハァッ!」
「皆下がりなさい」
「そういう皐月こそ下がりなさいよ」
「今夜こそは……」
少し自分のベッドの周りを見てみれば……、皆が俺のベッドを取り囲んでいた。えっと……、デジャヴ?
「え~……、皆さん何をされておられるのでしょうか?」
「不届き者が咲耶様の睡眠を邪魔しないように監視です!」
あっ、そうですか……。これはあれか?薊ちゃんなりの冗談なんだろうか?
「あ~……、皆さん、一度それぞれのベッドに戻りましょうか?一度落ち着いてお話をしましょう」
「「「「「……」」」」」
俺がそう言うと皆黙ってゾロゾロと自分のベッドに戻って行った。その後何かお話をしたはずなんだけど、何か心臓が変な感じにドクドクしていて、どんな話をしていたのかほとんど記憶に残っていなかった。
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最終日の朝、今日もビュッフェで朝食を済ませてから、またしても全員でトレッキングに向かう。初日とは違うコースのようで小さな山の山頂まで登ってから下山した。まぁ登るとか下山とかオーバーな言い方で、少し小高い丘のようになっている所まで散歩した程度の話だ。
トレッキングを終えて休憩をしてからバスに乗り込んだ。昼食はバス移動の途中で停まって地元の名物を食べるらしい。でも酔いやすいバス移動なのに途中で昼食を挟んで大丈夫なんだろうか?
そもそもその昼食休憩に入る前に俺の隣に座った男子は予想通りリバースを決め、一人目の時点で結局俺の横は空席が決定した。それなら最初から俺の横は空けておけば良かったのに……、何故こうなるとわかっていて最初の一人にチャレンジさせたのかわからない。俺への嫌がらせか?
その後はリバースする者もほとんどおらず、無事に昼食休憩も済ませてバスは藤花学園へと戻ってきた。
「あっという間でしたね」
「本当に……」
「もうお終いなんて……」
バスを降りた皆はそんなことを口にしていた。俺もとても寂しい思いで一杯だ。たった二泊三日。普通に考えたらとても短い間だったけど、物凄くたくさんのことを経験出来て、思い出が一杯になった。
前世の時は林間学校だの修学旅行だのなんて大して楽しめなかった。面倒な行事だなと思っただけだった。でも……、一度大人になってみれば誰もがもう一度学生に戻って、今度こそ学生生活をエンジョイしたいと思うものだろう。俺はそれが出来た。それはとても幸運なことだと思う。
「学校行事としての林間学校は終わってしまいましたが……、今度は私達だけで旅行に行きましょう。それはそれできっと楽しいですよ」
俺は晴れやかな気分で皆にそう提案していた。俺達の立場ならいつそんなことが出来るかなんてわからない。もしかしたら一生そんな機会は訪れないかもしれない。それでも……、この言葉は俺の本心だ。
「是非行きましょう!」
「学園の面倒な監視の目がなくなれば……、ぐふふっ!」
「今すぐ!今から行きましょう!」
「咲耶ちゃんったら大胆だねー」
「え?いや……?あの……?」
俺の言葉に皆が物凄い勢いで食いついてきた。そう言ってくれるのはうれしいけど、さすがに今すぐ行くというのは無理すぎる。それに俺が大胆ってどういう意味だろう。
「その時は私もお願いします……」
「芹ちゃん……」
皆のようにグイグイ来るんじゃなくて、少し遠慮気味に俺の袖を持ってそんなことを言う芹ちゃんが可愛すぎる。何か最近皆は怖いくらいにグイグイ来るようになったけど、こういう初心な反応を未だに見せてくれる芹ちゃんは俺の癒しだ。もちろん皆のことだって大好きだし、こうして来てくれて嫌な気持ちなんてしてないけど。
「え~……、九条様……、お話を聞いてくださ~い……。全員集合して話を聞いてくださ~い……」
「ほらほら皆さん、先生方が困っておられますよ。まずは整列しましょう」
自分から言い出したんだけど、皆の反応があまりに凄すぎて勢いに押された俺は、学園のせいにして皆を一度落ち着けようと整列するように促したのだった。