第二百五十話「二日目は海」
「おはようございます咲耶ちゃん。咲耶ちゃんは朝も早いのですね」
「おはよう皐月ちゃん。そういう皐月ちゃんこそ早いではないですか」
朝俺がいつもの時間に目が覚めてから時間を潰していると皐月ちゃんが一番に起きてきた。まだ起きるにはかなり早い時間だ。俺はいつものことだから目が覚めてしまったけど、皐月ちゃんもいつもこれくらいには起きているんだろうか。
皐月ちゃんが起きてきて暫くすると芹ちゃんも起きてきた。寝起きで少しぼーっとしているのが可愛い。この時間に起きてくるだけでも十分早い。それから普通の朝の時間になってから皆が起き始めた。途中の順番はまぁともかく、一番最後に起きてきたのは予想通り譲葉ちゃんだった。
譲葉ちゃんには独特の時間の流れがあるのか他の人とは少し感性が違う。薊ちゃんと皐月ちゃんを除けばグループの他の子達の中で一番格上なのに一番のんびりしている。朝の準備も他の皆が気合を入れて入念にしているというのに、譲葉ちゃんだけは物凄く手抜きでずぼらであっという間だ。
「さぁ咲耶様!朝食にしましょう!」
「そうですね」
薊ちゃんは今日も元気……、と言いたい所だけど多分違う。皆も早くに起きてきたし元気なように見えるけど多分疲れも取れていないし寝不足だろう。前世のこういった泊りがけの行事でもよくあったけど、普段とは違う環境にいることや、テンションがハイになっていて寝不足や疲れを凌駕しているに過ぎない。
普段は早く寝る者でもこういう時は夜遅くまで起きてしまっていることもある。慣れない環境でぐっすり休めないのは誰でも同じだ。図太くてすぐどこでも寝られると思っている者でもやっぱり自宅と他所では休み具合に差がある。
そして眠りが浅いから朝もすぐに起きてしまう。いつも家でなら中々起きない子でも、こういう時はそもそも眠りが浅くゆっくり休めていないから朝も起きやすい。
別にそれらは何も悪いことではないように思える。本人が寝不足や疲れを感じていないのならどうってことはないように思えるだろう。でも今日は海に行かなければならない。泳ぐ時に疲れが残っていたり寝不足で体調が万全でないのは危険だ。しかもプールと違って海では余計に……。
トレッキングなら途中で疲れたり気分が悪くなってもどこかで休めば良い。でも泳いでいる途中で体調が悪くなったり、自分が思っていた以上に疲れていて体力が続かなければ大事故に繋がる可能性もある。皆は平気なような顔をしているけどただ単にハイになっているだけだ。
今日は皆の体調や様子をよく観察して注意しておかなければならない。それと海に行ったら常に班員が近くにいることを確認して、いなくなった子がいたらすぐに探す必要がある。
皆は素直に楽しんでくれたらいいと思うけど、俺や大人達のような立場の者はちゃんとそういう所に目を光らせておく。それが責任者の仕事というものだ。
「あっ、私は朝はこっちの方が良いですね」
「私はサンドウィッチ~」
「私は和食派なのでご飯とお味噌汁とお漬物でも……」
今日の朝食はビュッフェ形式だ。日本ではビュッフェもバイキングも混同されていて食べ放題みたいなイメージがある。でもビュッフェは必ずしも食べ放題というわけではなく、バイキングは和製英語で他の国では通用しない。
細かい定義は置いておくけど、わかりやすく言えばこのビュッフェは置かれている物の中から自分の好きな物を選んでセルフサービスで持っていけということになる。サンドウィッチのパックが置かれていたり、ご飯とお味噌汁のセットが置かれていたりと、自分の好きな朝食を選んで食べる。
俺達も並んでそれぞれ好みの物を選んで朝食を済ませた。外にも席が用意されていたけどやっぱり虫が気になるのか外で食べる者はあまりいない。ほとんどは自分達のコテージに持って帰って朝食を摂っていた。
「さぁ!それでは出掛ける準備をしましょうか!」
朝食を終えて少し食休みをするとそろそろ海へ向かう時間になっていた。このキャンプ場から海は比較的近く、バスに乗っていけばあっという間に到着するらしい。まぁ実際は歩いても行けなくはない距離なんだけど、昨日のトレッキングを見てわかる通り、藤花学園の生徒達を歩かせていたら到着した頃にはもうクタクタになっているだろう。
疲れている状態で海に入らせて溺れでもしたら大事だ。だからコテージから駐車場まで歩き、バスに乗って砂浜へと向かう。今回は俺の横に座った男子もリバースする暇もなくあっという間に目的地に到着した。
「う~ん……。これならうちのプライベートビーチの方が綺麗ですが……」
「あっ!やっぱり?私もそう思いました」
「まぁ……、日頃は地元の方々が利用されているビーチですし、あまり贅沢を言うものではありませんよ」
バスを降りてビーチを見た最初の皆の言葉は概ねこんな感じだった。そしてそれは俺も思う。何というか……、薄汚れているというか小汚いというか……。
日本の海の色が暗いのは海底の栄養が豊富だからだ。日本の海は砂ではなく土のような海底だろう。海の水が汚いわけではなく底が土で栄養豊富だから暗く濁ったように見えるだけで、水そのものを南国の青い海と比較しても大して差はない。
魚で考えればわかりやすい。日本近海は豊富な漁場となっていておいしい魚がたくさん獲れる。それに比べて南国の熱帯魚などは小さくあまりおいしくない。魚があれだけ豊富にいるということは海に栄養があり肥えているということであり、海底の色が映って濁っているように見えるから汚くて悪い海だと思うのは大きな間違いだ。
人間の美意識で青く澄んだ海が綺麗で良い海のように思えるだけであり、実際には住んでいる魚には南国の青い海など食べ物もほとんどない飢えて貧しい地獄だろう。しかも水質には実際にはほとんど差はないわけで、海底の土の色が映って黒く見えるだけの違いでしかない。
だからこの海が濁って見えること自体に不満はない。日本の海とはそういうものだと思う。それは良いんだけど……、ここらが薄汚れていて小汚いというのは他に問題があるからだ。
堤防には所々スプレーで落書きがしてあり、砂浜にはチラホラとゴミが見える。木などが流されてきているくらいなら気にもならないけど、明らかに砂浜を利用した者が放って行ったであろうゴミが置かれたままになっていたら気分が悪い。そういう程度の低い人間はどこにでもいるものだけど、目に付く所にあったら流石に嫌な気分になる。
これでも藤花学園が人手を確保して多少は綺麗にしたんだろうけど、さすがに堤防の落書きを消すのは藤花学園の仕事じゃない。それに無許可で勝手にして良いことでもない。何故今日一日のために藤花学園が行政に許可を取り、自腹で予算を出してこんなものを消してやらなければならないのか。
ゴミ拾いはゴミがあったら踏んで足を怪我する可能性もあるし生徒の安全確保のためにするのはわかるけど、掃除している箇所も自分達が利用する範囲のみであり、その外に散らかっているゴミは放置したままになっている。しかも掃除した後も誰かがゴミを放ったのか、多少とはいえ新たに置かれているゴミもある。
「今日はここで海を体験するということになっていますし……、多少の苦労は我慢しましょう」
「はい」
「流石は咲耶様ですね!」
何が流石なのかはよくわからないけど、皆も一応納得してくれたようなので早速ビーチに入る。藤花学園が用意した臨時の更衣室とシャワーと休憩所が設置されている。これだけでも結構な手間がかかっているだろう。
「皆さん着替え終わりましたか?」
「はい!」
「ばっちりです!」
どれどれ。皆は一体どんな水着を……。
「えっ!?」
女子更衣室内には着替え用の個室が並んでいる。皆が個室から出てくるとその姿は俺の思ったものとはまったく違うものだった。
「みっ、皆さんそれで泳がれるのですか?」
「そうですよ?」
「あっ!咲耶ちゃんかわいーねー!」
「咲耶様大胆すぎます……」
えぇ……。俺は普通にワンピースタイプの水着を着ているだけだぞ?特別露出が多いわけでもないしハイレグでもない。グランデに通っていた時に着ていたのと同じタイプの普通の水着だ。イメージで近いのはスク水みたいな感じか?
それに比べて皆が着ているのは……、ウエットスーツかと思うような長袖長ズボンタイプのものや、近年オリンピックや世界水泳で出てくるような足首まであるようなタイプ、あるいは半ズボンのような丈の水着ばかりだった。
さすがに皆はビキニタイプなんて着てこないだろうとは思っていたけど、まさかここまで本格的な水着や、もしかしてウエットスーツかと思うようなものを着てくるなんて夢にも思わなかった。俺の水着だけやたら浮いている。
「だって……、咲耶様以外の者に肌を晒すなんて出来ません……」
えぇ……。薊ちゃん、何言ってんの?可愛く頬を赤らめてそんなことを言うのはいいんだけど、何か言ってることは滅茶苦茶な気がする。
「そうですよね……。咲耶ちゃん以外の人に見られるなんて嫌です」
「え~……、もしかして皆さん同じ理由で?」
「「「「「もちろんです!」」」」」
どうやらそういうことらしい。どこまで冗談で言っているのかよくわからないけど、ほとんど皆露出のない水着だ。しかもこれは俺達の班だけらしい。他の班は皆俺と似たり寄ったりの普通の水着が多い。中には五年生のくせに大胆ビキニを着ているけしからん子もいるけど……。あれはあとできちんと記録を撮って証拠を確保しておかなければならないだろう。
「咲耶ちゃんこそ大胆すぎます!」
「そうです!男達にこんな姿を見せるわけにはいきません!」
「あ~……、それではパレオでも巻いておきましょうか……」
椛が用意してくれていたパレオを腰に巻いておく。これ一つでも結構違うものだろう。
「芹ちゃんも使いますか?」
「あっ、ありがとうございます」
芹ちゃんも俺と似たようなスク水のような水着だから予備のパレオを渡しておく。俺がこれだけ言われるということは芹ちゃんも同じように思われているということだ。他の班は割りと大胆な水着の子もいるというのにうちの班員達は皆身持ちが堅くてうれしく思う。やっぱりあまり軽い子よりしっかりしている子の方が良い。
「さぁ、それでは出ましょうか」
「「「「「はーい」」」」」
日焼け止めも塗ったし、皆で更衣室を出ると外で男子が待っていた。伊吹はジロジロと皆の体を見ている。あぁ、ようやく皆の言った意味がわかった。これは確かに嫌だわな……。男の露骨な視線に自分の好きな子達が晒されるなんて、近くにいるだけでも不快感マックスだ。
「近衛様、何をジロジロと見ておられるのですか?いやらしい」
「なっ!?ちがっ!?おっ、俺は別に……」
何かしどろもどろになって言い訳しようとしているけど、他の女子達も伊吹のことを見てクスクス笑っていた。ゲームの俺様王子ならこんなことはなかったんだろうけど、こちらの世界の伊吹は順調に駄目王子の道を歩んでいるようでなによりだ。
「とても似合っているよ九条さん」
「はぁ……、ありがとうございます」
槐はサラッとそれだけ言うとテキパキと次の行動を話し始めた。見てないアピールを必死にしているんだろう。でも俺は知っている。槐もチラチラと胸元だの太腿だのを見ている。女側から見たら男の視線ってこんなにわかりやすいんだなぁ……。
今までは皆子供であまりそういうことに興味もなかったんだろうけど、そろそろ男子も女子も思春期に入ってきてそういうことに興味も出て来たんだろう。
「よぉ~し!九条さん!走りではいつも負けてるけど水泳では勝つよ!俺と勝負しよう!」
「はぁ……」
錦織は暑苦しい……。しかもこいつもちゃっかり鼻の下を伸ばしている。別に性欲と無縁の爽やかスポーツマンというわけでもない。やっぱり男は皆ケダモノなんだな……。
泳ぐのは良いけど今日は皆も二日目で疲れているはずだ。班員でいなくなった人がいたらすぐにお互いに確認するように皆にも言い含めておく。俺も注意しておくし、ライフセーバーもあちこちで監視している。沖にはボートや水上スキーが待機しているけど、少しでも事故の可能性を減らすのは当然の配慮だ。
「仕方ありませんね。それではきちんと準備運動をしてから海に入りましょうか」
「おう!咲耶!俺も競争に参加するぞ!勝ったら俺の言うことを一つ聞けよな!」
このアホ伊吹ときたら……。じゃあお前が負けたら俺の言うことを一つ聞くのか?対等な条件というのならそういうことになるとわかっているんだろうか?
伊吹如きに負けるつもりはない……、と言いたい所だけど、錦織や伊吹の水泳の実力はよくわからない。下手な約束をして負けたら大事だけど、このまま引き下がったらビビッて逃げたとか言われそうだし困ったものだ。一体どうしたら……。
「きゃーーーっ!」
「何だ?」
俺がどうしたものかと思っていると藤花学園の更衣室側から女子の悲鳴が聞こえてきた。そちらを見てみれば……。
「おいおいおい!何でこんなとこにこんな邪魔なもん置いてんだよ?あぁ?こんなとこに勝手にこんなもん置いてんだったら俺達だって利用していいよなぁ?」
「おうおう!まったくだぜ!皆の海だってのによぉ!」
「俺達にショバ代払えよ!こんなもんおきやがって!」
「俺達も使わせてもらおうぜ~!こんなとこに置いてんだから俺達だって使っていいに決まってんだろ?」
地元の馬鹿共か?何か髪を脱色して染めたり、ピアスを開けたり、体に落書きを入れてる奴らがゾロゾロと藤花学園が借りているビーチに入り込んできていた。