第二百四十九話「一日目の夜」
食器類は全て使い捨てなのでゴミ袋に入れて捨てるだけで良い。後片付けといえば調理器具や鍋などの洗い物だけだ。カレーもご飯も残らず片付けた俺達の班は洗い物も順調に済ませた。指導員は炭だけは処理してくれるらしい。子供がやると残り火とかで危ない可能性もあるからかな?
ともかく片付けも終わり、多少の腹ごなしにもなった学園生達は整列してクラス毎に移動を開始した。このキャンプ場は藤花学園の貸切だろうけど、いつまでも炊事場に居ても仕方がない。それに俺達が片付けたとは言っても、実際には大人達がこの後また片付けるんだろう。その間に俺達は移動して午後のプログラムを消化しなければならない。
「それでは次は三組が出発します。きちんと付いてきてください」
「「「はーい」」」
教師の先導でクラス揃ってゾロゾロと山道を歩く。別に急な斜面でもないし、片側が崖になっているということもなく、普通に歩けるトレッキングコースだ。午後のプログラムはトレッキングコースを歩いてから、コテージや炊事場から少し離れた場所にあるアスレチック広場で運動することになっている。
一直線にアスレチック広場に向かえばすぐそこなんだけど、炊事場からすぐにアスレチックに行っても意味がない。だからわざと先にトレッキングコースを歩いて遠回りしているというわけだ。
「はぁ……、はぁ……」
「もう無理……」
クラスの皆はハァハァと肩で息をしながらノロノロと歩いていた。まだそれほど進んでいない。足元もトレッキングコース用にある程度整備されているし、完全な山道を歩くほど歩き難いということもない。この条件でたったこれだけ歩いただけで音を上げていたらきっとこの子達はゾンビが溢れた世界で生き残れないだろう。
いや、まぁ……、ゾンビの溢れた世界なんてこないからそれはいいんだけど……、あまりに体力が無さ過ぎる。
最近の子供達は身体能力が低下していて体力も運動神経もないと聞いていた。でもまさかここまで酷いとは……。藤花学園はお坊ちゃん学校だから余計に輪をかけてそうなのかもしれないけど、それにしてもあまりに酷すぎる。女子だけじゃなくて男子でもついていけていない生徒が多い。
「皆体力ないねー!」
「譲葉ちゃんは平気なのですか?」
どんどん遅れていっている生徒達を尻目に、元気一杯の譲葉ちゃんがそんなことを言っていた。確かにそう言うだけあって本人は随分元気なように見えるけど……。
「私はねー、べんきょーとか細かいことは苦手なんだー!でもその分体を張ることは頑張ってるんだよー!」
「なるほど……」
まぁ……、あまり否定は出来ない……。いや、譲葉ちゃんは勉強が出来ないということはない。ちゃんとそれなりの成績は修めている。ただ頭が良いとか勉強が出来るというほどかと言えばそれほどではない。あくまで勉強なんかは並くらいという所だ。
だからそれを自覚している譲葉ちゃんはもしかしたらこっそり体を鍛えているのかもしれない。何だか昔に比べてどんどん譲葉ちゃんが活発というか、活動的というか、元気になっている気はする。
「私も……、これくらいで……、負けてられません……!」
「当然でしょ!咲耶様についていくためにはこの程度で音を上げていられないわ!」
うちのグループの子達もヒーヒー言ってる子もいたけど、それでも歯を食いしばってついてきていた。まぁまだそんなに言うほど歩いてないんだけどね……。それと薊ちゃんも何だか最近は体力がついてきている気がする。前は薊ちゃんももっとお嬢様らしく体力がない感じだったと思ったけど……。
「皆さん熱いですね~」
「皐月ちゃんは平気そうですね」
「まぁ……、これくらいなら……」
意外にも、ということもないか。皐月ちゃんは割りと平然としていた。格闘技か武術か何かも習ってそうだし、案外一番体力があって強いのは皐月ちゃんかもしれない。料理も出来ていたし何気にオールマイティーだ。家の方針でそういう風に教育されているのかもしれない。
「あっ!九条さん!目的地が見えてきましたよ!」
「芹ちゃんも頑張りましたね」
芹ちゃんも疲れて息は上がってきていたけどそれでも遅れることなく目的地まで歩き切った。他の班は脱落者が多数だったけど、うちの班というかグループは皆これくらいの体力はあるようだ。
「それでは全員が到着した後に順次アスレチックを行なっていきます。休める人は今のうちに休んでおくように」
遅れている班を待つというだけではなく、まだ前のクラスがアスレチックを始めていないので順番待ちというのもある。所謂フィールドアスレチックという遊具で遊ぶだけだから班行動とかはない。というより一人ずつする遊具も多いからな。
実質もう班なんてほとんど機能していない気がする。クラス単位で集まって行動しているのに、班がクラスを越えた集まりだから行動がチグハグになってしまっている。飯盒炊爨やコテージのグループ分け程度の意味しかないんじゃないだろうか。あとは班員がいなくなっていたらすぐに気付くようにという程度の意味か。
「それではこれから三組はアスレチックを行ないます。各自きちんと説明を聞いて準備をするように。事故や怪我の元になりますからちゃんと指示を守ってください」
全員揃って暫くしてからようやく俺達の順番になった。一組、二組はもう先へと進んでいる。使うアスレチックの遊具の順番があるから俺達が最後の出発だ。
「きちんとベルトを締め、フックをこのようにかけてください。係員が安全を確認したのちスタートしてください」
何度も説明され、自分の番になったらまた同じ説明を聞かされる。徹底的に安全対策がされている。
「いやっほーーーっ!」
はしゃぎたい男子が大きな声を出しながらターザンロープを滑っていた。俺達は落下防止のために安全帯を装着し、それぞれの遊具についている命綱にフックをかけて遊具を使う。そんなに高さのある遊具もないし、落ちても子供ならよくある程度で済むと思うんだけど、万が一にも生徒達に怪我をさせないように安全対策がかなり厳しい。
学園としては藤花学園に通うような上流階級の子供に万が一のことがあってはいけないという配慮なんだろう。非常に窮屈な上にここまでしてこんなアスレチックをしなければならないのかと思うんだけど、これがこの学園の伝統なんだろう。
ここのアスレチックも藤花学園のためだけに命綱や親綱を張り、安全帯をかけて遊べるように設計されている。藤花学園がこういう風に改造したのか、最初から藤花学園の生徒が使う前提でこういう設計で作られたのか……。
ロープで出来た橋を渡ったり、丸太の上を歩いたり、ロープの網で作られた壁を登ったりと、様々なアスレチックを行なう。でも全部に安全帯がかけられているのが非常に気になる。前世が普通の子供だった俺からするとこんなに安全に配慮して、命綱をかけている遊びは窮屈に感じて仕方がない。
しかもこれだけ配慮されているのに怖がって動けなくなる子や、途中で力尽きて前にも後ろにもいけなくなる子が続出するなど、とことん藤花学園の生徒達の運動神経や体力が低いことが浮き彫りとなったのだった。
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アスレチックを終えて、今度は遠回りせずに最短ルートでコテージへと戻ってきた。藤花学園でも運動が得意で体力のある子は確かにいる。あまり言いたくないけど確かに伊吹は運動神経も良いし体力もある。錦織だって足は速いし体力もそれなりだ。でも大半はそうじゃない。
一部の運動が得意な子と、お坊ちゃん育ちでほとんど運動も出来ない子の落差が激しい。出来る者は出来るのに、出来ない者はとことん出来ない。学園もそういう所に気付いているし憂いているんだろうけど何も解決しようとはしていないようだ。
「あ~~~っ!疲れましたね!咲耶様!」
「え~……、そうですね……」
まったく疲れていない……。それどころか運動不足で気持ち悪いくらいだ。いつもなら朝晩に百地流で修行をしてくたくたになっている。それがないだけで何だか妙にソワソワして落ち着かない。もし許可が得られるのなら今から山を一周走って来たいくらいの気持ちだ。
「夕食を取りに行きましょう」
コテージに戻って暫く休憩したり時間を潰していると夕食の時間になった。今日の夕食は各コテージでお弁当をもらってきて食べるだけだ。人数分配られるからそれを受け取りに行かなければならない。自分達で用意する必要はないけど、少しでも生徒達が自発的に行動しなければならないようにしているんだろう。
折角キャンプに来ているんだから夕食も自分達で作れば良いのにと思うかもしれないけど、今日は昼も自分達で用意したし、先ほどまでトレッキングしたりアスレチックしたりして疲れている。今からまた夕食を自分達で用意するとなったらついてこれない生徒が大半だろう。しかも結局自分達で作っても失敗するだろうし……。
というわけで様々な理由により今日の夕食は配られるお弁当というわけだ。一人が代表で取りに行く班もあるのかもしれないけど、俺達は皆で揃ってお弁当を受け取りに行った。
特に何ということもない普通のお弁当を食べてから寛ぐ。そろそろお風呂に入ろうか。
「そろそろお風呂に……」
「咲耶様からどうぞ!」
「そうです!やはり一番は咲耶ちゃんでないと!」
「はぁ?そうですか?それではお言葉に甘えて……」
入る順番を決めようと言おうとしたら皆に先に入れと言われてしまった。コテージに備え付けてあるお風呂だから皆で順番に入らなければならない。俺は浴槽にゆっくり浸かりたいタイプなのでお湯を溜めてからお風呂に入った。
俺がお風呂に入っている間に何か外から皆の楽しそうな声やジャンケンの声が聞こえていた。俺がいない間に何をしていたんだろうか。俺も混ぜてくれたらいいのに、お風呂からあがるともう皆遊び終わっていたのか静かなものだった。
「それでは不肖、蓮華。二番風呂をいただきます!」
「はぁ?お先にすみません。いってらっしゃい?」
何かやたらフンスフンスと言っている蓮華ちゃんがお風呂へと向かうと……。
『うひょーーーーーっ!』
「――っ!?」
お風呂場から奇声が聞こえてきた。何事かと思って見に行こうかと思ったんだけど皆に止められてしまった。そう言えば俺はお風呂のお湯を抜いておくのを忘れていた。蓮華ちゃんがお風呂に入るのなら一度お湯を抜いてまた溜めなければならなかったんじゃないだろうか?それとも蓮華ちゃんはシャワーだけで良い派なのだろうか。
何か異常なほどにテンションの低い皆と、お風呂場から聞こえてくる奇声の間で、俺はどうしていいかわからず困惑していたのだった。
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夕食も終わり、お風呂にも入った。となるとあとに残るイベントは……、寝ること!
もちろん寝ると言っても消灯時間になったから『はい寝ます』と寝付くはずがない。こういう泊りがけの学校行事の夜と言えばもちろん色々なガーズルトークが展開されるのがお約束だろう!いや、知らないけど!前世の時も別に修学旅行とかで好きな子を教えあうとかしたことないけど!でも今生ではやってみたい!
「皆さん……、まだ起きてます……、か?」
「「「「「はぁ……、はぁ……」」」」」
近い!近い近い!何か知らないけど俺のベッドの周りに皆が集まっている!何だこれは?しかも若干息が荒い気がする?
「ちょっと皆さん!?どうされたのですか?」
「ほら皆!咲耶様が困っておられるわよ!さっさと自分のベッドに戻りなさいよ!」
「そういう薊こそ……、早く戻ってください」
「皆が下がったら下がります」
何か皆が俺のベッドの周りでお互いに牽制し合っている。何なんだこれは……。一体何事だ?
「えっ、え~……、皆さん、ここは一度落ち着いて自分のベッドに戻りましょう」
「「「「「は~い……」」」」」
俺に言われて皆渋々戻っていった。よかった……。実は結構怖かった……。可愛い女の子達に囲まれていても怖いと思うことがあるんだなと、皆といるとつくづく思い知らされる。普通ならウハウハ状態のはずなのに何故こうも恐怖を感じるのか……。百地流で鍛えられた俺の直感が危険だと言っている。
「え~……、それでは……、まだ皆さん寝付けないようですので、こういう時に定番であろうガールズトークをいたしませんか?」
「はい、咲耶様」
「でもガールズトークと言っても何を話せば良いのでしょうか?」
皆が『う~ん』と唸り出す。だから俺が話題を振ってみようと思う。
「定番と言えば皆さんの好きな人を言ったりするものではないでしょうか?」
ドキドキワクワクしながらそう言って……、俺は自分の言葉に物凄いショックを受けた。待て……。よくよく考えたら……、皆の好きな人を聞くって俺にとっては拷問と同じようなものじゃないのか?
もし薊ちゃんが伊吹のことが好きだと言ったら?皐月ちゃんが槐のことを好きだと言ったら?俺は冷静にそれを受け止められるのか?グループの皆は普通の女の子だ。当然異性、男に興味があり男が好きだろう。将来は男と結婚して家のために子供を産まなければならない。そんな話を聞いて楽しいか?楽しいわけがない。それは拷問よりも苦しい話だ。
俺はそのガールズトークの結果を何も考えていなかった。ただこういう時の定番だろうと思ってワクワクしていただけだ。俺は何て馬鹿なのか……。
「そんなもの聞くまでもありませんよ?」
「そうだよねー。皆同じ人が好きだしねー」
「えっ!?」
誰だ?このグループの皆から好かれている幸せな奴は一体誰なんだ?やっぱり伊吹か?何だかんだ言っても近衛財閥のトップだ。狙ってる子も多いだろう。俺はゲームの影響で伊吹が余計に嫌いだけどそんな奴は少数派だろう。
あるいは槐か?槐だってかなりの優良物件だ。もちろん見た目も悪くないし、鷹司の家との繋がりはかなり大きい。腹黒で何を考えているかわからないのも普通の女子にはミステリアスでクールに見えるらしい。
「このグループは……」
「全員……」
ギシッ、ギシッ、と足音が近づいて来る。また皆が俺のベッドの周りに来ているようだ。そして……。
「「「「「咲耶ちゃんのことが一番好きなんですから!」」」」」
「ぶっ!」
皆が俺のベッドに飛び込んできた。実は結構重い。衝撃もあった。百地流で鍛えられているから耐えられるけど普通のお嬢様にやったらやばかったかもしれない。
「皆さん……」
皆の言っている好きは恋愛対象としての好きじゃないだろう。敬愛とか、尊敬とか、そういう意味か、親愛という意味か、何にしろ俺が考える好き、愛しているというのとは違うということはわかっている。でも……、皆が本当の思春期を迎えて、誰かを好きになって愛し合うまで……、それまではせめて……、俺が皆とこうしていてもいいよね?