第二十四話「地獄の修行」
最後の砦だった母も父と兄の説得によって折れて、ついに俺は伊吹のパーティーに参加しなければならないことになった。両親に兄まで俺の出席を黙認したんだからもう行かないという選択肢は取れない。ならばすることはただ一つ。出席しても俺も九条家も潰されずに生き延びることだ。
まず俺が前世の記憶を思いだしてから口を酸っぱくして言っているけど父には絶対に不正をするなと厳しく言っている。父が不正を働いてそれを近衛家に暴かれて九条グループは業績がガタ落ち、九条家も責任を追及されて財産没収、借金を背負わされて没落することになる。
そういう未来が待っているから父には前から何度も絶対に不正を働くなと言っているけど本当に守ってくれているだろうか……。ここで伊吹が父の不正を暴露してくる可能性もある。もう証拠を握られているのだとすれば俺に止める術はない。父がきちんと俺の言ったことを守って不正をしていないと信じるしかない。
そして俺だ。むしろ肝心なのは俺の方だとすら言える。まず俺はパーティーでの作法なんて知らない。これまでパーティーに出席したこともない俺はそれがどんな場所かすら知らないのが現状だ。まずはこれをどうにかしなければならない。
伊吹の狙いが俺や九条家を潰すことだとしてもいきなり息の根を止めに来るとは限らない。普通に考えたらいきなり物理的に息の根を止めるよりはまず社会的に抹消しにくるんじゃないかと思われる。
例えば……、そう……、パーティーに出席したこともなくて作法も知らない者をいきなり大きなパーティーに呼び出して大勢の前で恥をかかせて無作法を笑いものにするとかだ。
一般人の感性で言えば小学校一年生が礼儀や作法がなっていなくても微笑ましく見ているだけだろう。だけどこの界隈では違う。幼少の頃から礼儀作法が叩き込まれ、厳しくマナーが躾けられた上流階級の子供達は小学校にあがる前から社交界デビューしていてそういう場でいかに振る舞えるかが見られている。
子供の振る舞いだからと許されるものではなく、それをきちんと躾られて賢い子供なのか、マナーも守れない馬鹿な子供なのかが見られている。
もちろん表立って子供がマナー違反したからといって怒られるということはない。ただその場では言わなくてもその家の評判が下がるし結婚にも響く。各家もそれがわかっているからこそ子供はきちんと躾けるし高度な教育を施し出来る限り失敗させないように育てる。
俺はどうだ?俺は母が危惧する通り礼儀作法も知らないしマナーも知らない。社交界となんて関わったこともなくどういう場でどうすれば良いのかも知らない初心者だ。そんな俺がいきなり近衛家の大規模なパーティーになんて出てうまくやれるはずがない。
今まで小さなパーティーに出て経験値を積んでこなかった俺が悪いと言われたら反論のしようもないけど……、でも今からいきなり近衛家のパーティーに出ろなんてハードルが高過ぎる。
だから……、俺はパーティーまでにどうにかして礼儀作法と社交界の常識を身につけなければならない。伊吹のパーティーまであと一ヶ月ほど……。今から始めてそれまでにどうにかするにはもう方法は一つしかないだろう……。
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翌日、藤花学園の帰り……。今日は五北会のサロンには行っていない。サボったわけじゃなくて母公認だ。これから俺は伊吹のパーティーまで毎日すぐ帰れることになっている。その理由は……。
「百地師匠!お願いがあります!」
「ほう……。言うてみろ」
授業が終わるとすぐに百地流の道場に来た俺は開口一番師匠に頭を下げて頼み込んだ。
「私は約一ヶ月後に人生で初めてパーティーに出席しなければなりません!どうかそれまでに完璧な礼儀作法とパーティーでのマナーをお教えください!」
「ふむ……?一ヶ月か……」
即答で了承するかと思っていた師匠は顎を触ったまま目を瞑っている。一ヶ月程度でど素人の俺に全ての礼儀作法を教えるのは無理なのかもしれない。でも無理でもやるしかない。出来なければ九条家が滅ぶだけだ!
「そして……、それだけではありません。私はそのパーティーで一切失敗出来ないだけではなく……、もしかしたらその場で命も狙われるかもしれないのです!表向きはパーティーを完璧にこなし、裏では暗殺から生き残れる……、そんな修行をつけてください!」
「ほう……。命を……、な……」
師匠が今どう受け止めて何を考えているのかはわからない。ただ目を瞑ったまま考え込んでいるかのような姿をしているだけだ。このご時世に暗殺なんて、と思って信じていないかもしれない。あるいは俺のような才能もないど素人に今から一ヶ月で作法を叩き込むなんて無理だと思っているのかもしれない。
それでも俺には頼れるのは師匠しかいない。母からも許可を貰った。今から一ヶ月間、伊吹のパーティーに参加するまで可能な限り全ての時間を百地流の修行にあてて良いことになっている。
授業が終われば放課後は五北会に顔を出すこともなくすぐに迎えが来てくれることになっているし、他の習い事も極力時間を減らしたりずらしたりすることになっている。他の習い事がある日でも時間を調整して少しでも百地流の道場に来れる時間を確保するスケジュールが組まれた。そのスケジュールも師匠に相談する。
「そこまで本気ということだな……。あいわかった!そういう事態を乗り越えることこそが百地流の真髄!必ずや咲耶が無事そのパーティーを乗り越えられるように鍛えてやろう!」
「あっ、ありがとうございます!」
やった!師匠が了承してくれた!これならなんとかなるはずだ!
確かに百地流は他の流派に比べて何かおかしいのかもしれない。でも父が言っていた。どんなものでも極めれば素晴らしいものだと……。
俺もそう思う。何故百地流がそんなに業界で爪弾きにされているのかは知らないけど、それでも百地流を極めて堂々としていればそれだけでもそれなりに見えるはずだ。
礼儀や作法というのは相手を敬いお互いに尊重し合う心が肝心なんだ。実際にやり方を知らなかったり間違えたって構わない。肝心なのは相手に誠意を尽くし敬い尊重することであって失敗したから知らなかったから悪いというものではない。
それよりもいくら見た目や手順だけ完璧に作法を守ってもそこに相手を敬う心がなければ意味はない。
と誰か偉い人が言っていたかもしれない。言っていないかもしれない。
「さて……、ぱーてぃーなどとこじゃれた言い方をしておるのだ。洋服で踊りもするということか?」
「えっ……?ドレスを着ていくとは聞いていますがダンスはわかりません」
内容なんて俺が知るはずがない。だってそもそも一回もそんな場に参加したことがないんだもん。
「そうか……。ならば念のために踊りも身につけておけ」
「はい……」
師匠がやれと言ったのならやるしかない。この日から俺の地獄の修行が始まったのだった。
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「師匠!こんなことに意味があるんですか!?」
「口を開く暇があったらきちんとやれ!……落ちたら死ぬぞ?」
「ひぃっ!」
俺は今何故か切った竹を並べた上を移動させられている。高さは結構ある上に下には何やら剣山のようになっている針が見える。足を滑らせて落ちたらぐっさりと突き刺さることだろう。
竹は色々な間隔や高さで並べられていてその上を裸足で渡っていく。しかも上半身の動きも忘れてはいけない。たぶんこれは百地流なりのダンスの修行なんだと思う。この竹の上を移動することでステップを覚えさせているんだろう。
「振り付けがおかしい!」
「ひゃっ!」
「動きがぎこちない!」
「あひっ!」
「足の順番を間違えておる!」
「落ちる!」
どうやらこの竹はステップの順番通りに移動していかないと移動が難しいようだ。ステップの手順を間違えて違う竹に乗ろうとしたら遠かったり高さが合わなかったりして剣山が待つ下へ真っ逆さまとなる。足元を見ず上半身の動きも意識して竹から竹へ移動していく。こんなの無理ゲーだろ!普通に落ちるっての!
「もっと早く!音楽にあわせよ!」
「ひっ!ひっ!ふーっ!ひっ!ひっ!ふーっ!」
「呼吸が違う!相手とも呼吸を合わせるのだ!」
「はいぃ!」
この日だけでも十回以上は落ちそうになった俺は何とか剣山で串刺しにならずにその日の修行を終えたのだった。
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「よし……。踊りは大分覚えてきたな。今日からは目隠しして渡れ」
「…………は?」
このジジイ今なんつった?メカクシシテワタレ?この上を?馬鹿ですか?下は剣山だっつってんだろ?落ちたら洒落じゃ済まないんだよ!?あんたアホなんですか?
「さっさとせい」
「ひゃい!」
ジロリと睨まれた俺は他の修行でもよく使っている目隠しをつけて竹の上に上る。っていうか修行でよく目隠しを使うってどんな修行だよ……。それは色々とおかしいだろ?
「――はっ!?」
「ぬ?」
今……、俺の足をビュンという音が掠めた。嫌な予感がした俺が足をかわしたら絶対そこを何かが通ったぞ。まぁ何かっていうか師匠の竹刀だろうよ!このジジイ俺が目隠ししてこんな所を渡っているのに竹刀で足を狙ってきやがったぞ!冗談抜きで落ちるっての!
「ほう……。だんだん避けられるようになってきたな。それでは遠慮なくゆくぞ!」
待って!遠慮して!冗談抜きで!落ちるから!本当に落ちるからぁぁぁぁ~~~!
「アッー!」
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師匠の修行はダンスだけに留まらない。兄に聞いた所、伊吹のパーティーは立食形式になるそうなのでその作法も習っておく。特に俺のように立食パーティーなんて参加したことがない者からするとどうやって料理を食べれば良いのかもわからない。
それも簡単な料理ならともかく、伊吹や槐が俺に恥をかかせて社会的に抹消しようとしていることから考えて普通では食べ難いような物やマナーの難しい物を食わせてくる可能性が高い。そういうメニューにも対応出来るように色々な物を実際に食べながら身につけていく……。あ……?
「――ッ!?――っ?――っ?」
急にバタンと倒れた俺は床でピクピクと痙攣を繰り返す。俺がしたくてしているわけじゃない。それに喉に何か詰まらせたとかそういうこともない。自分の意思に反して体が動かず勝手に反射を繰り返していた。
「馬鹿者め!それは痺れ薬入りだ!」
「――っ!――っ!」
ふざけたことを言うジジイに抗議してやろうとしても声が出ない。ただ無様に床に転がってピクピクしているだけだ。
「咲耶よ。命も狙われておるのだろう?相手が正面から正攻法で攻めてくるとは限らんぞ?毒を食わされるやもしれん。瞬時に毒を見分け、身を守り、そして最悪口に含んでしまっても乗り越えられるようにならなければならん。今は痺れ薬だったが敵は暗殺のために無味無臭の毒を食わせてくるかもしれんぞ?」
「…………」
それは!…………そうだな。師匠の言う通りだ。俺はマナーにばかり注意がいって毒殺される危険を考えていなかった。もっと全てに細心の注意を払い、そして実際に何かされそうになっても乗り越えられるだけの技量を身につけなければ…………。
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立食用に並べられたテーブルから料理をとっていく。いくつかは取らないように避けて安全なものを選ぶ。
「うむうむ。どうやら毒入りが見分けられるようになってきたようだな」
「…………」
俺が選り分けた小皿の料理を見て師匠がそう言う。しかし……。
「――ッ!?――ッ!?」
「ふむ……」
師匠が仕掛けた罠の二つを回避した。
まず師匠は針のようなものを飛ばしてきた。その針には毒が塗られている。細く透明でそれほど硬くない。料理に刺さった針の毒を食わされるというものだ。しかもこの針は口に入れてもほとんど気付かない。それほど硬くないし食べると溶けてしまうようで食べても異物感がなく証拠も残らない。
投げて料理に混ぜるなんてことは師匠しか出来ないだろうけど、これに毒を塗って料理に混ぜられたらと思うとぞっとする。誰が何の目的で開発したものか知らないけどまるで暗殺のために作られたような素材だ。
そして俺がその針に気を取られている間に師匠の立っている場所から天井を通って上から糸が垂らされている。その糸を伝って上から俺の持つ料理の皿に毒を落とすという仕掛けだ。針は見破られても良いあえて目を引く方法であり、そちらに注意がいっている隙に死角となっている上から毒を垂らしてくる。本当にいやらしい仕掛けだ。
「よし……。よくぞこの一ヶ月耐え抜いた!これならばお前を暗殺出来る者はそうおるまい!」
「はい!ありがとうございまし――ッ!?」
そう言っておきながら最後に師匠は竹刀で俺を突いてきた。頭を下げようとしていた俺はそれを紙一重でかわす。
「うむ!最後まで気を抜かぬようにな」
「はい!」
こうして一ヶ月みっちり修行をした俺はとうとう伊吹が待ち受ける悪魔の宴へと乗り込むことになったのだった。