第二百四十三話「七夕祭・裏」
第二回藤花学園七夕祭……。その日朝一番から入場の順番を確保していたのは咲耶様ガチ勢だった。並び待ちも何時間も前から許可されているわけではない。周辺の事情などもあって決められた時間より前に並びに来ることは禁止だった。
入場の並び待ちに規制がかかるのはよくある話だが、それだけではなく周辺で時間まで待つことも禁止され、付近も徹底的に巡回員が辺りを見回っていた。それらの規制にかからないように、ギリギリ離れた場所で待機し、解禁される時間と同時に一般入場待ちの列を作った。
その者達は熱狂的な九条咲耶様信者であり、数こそは多くないもののカルト的集団と化している。
カルト集団の後ろに並んでいるのは普通の保護者達だ。少し早めに来て並んでいる保護者達は去年に朝一番の入場で苦労した者達だった。
朝一番の入場は混雑して時間がかかる。入場開始間もなく体育館と講堂でそれぞれ行なわれる朝一番の出し物は観るのも大変だ。入場開始と同時に始まるわけではないがそれほど時間があるわけでもない。あまり朝のんびり来ると朝一番や二番の出し物を見逃してしまう。
プログラム的にも朝一番の出し物は観客の少なそうなものが選ばれているが、自分の子供が出ている出し物であれば観てあげたいと思うのが親というものだろう。一応体育館も講堂も出し物は全て録画されており、後に購入することは出来る。それでもやはり生で観てあげたいものだ。
『これより一般入場を……』
入場開始のアナウンスが入ると同時に先頭のカルト集団が一斉に動き出す。目指すは体育館、朝一番の出し物『九条咲耶様とその仲間達』による演奏だった。
その後ろに並んでいた普通の保護者達はバラバラと講堂と体育館に分かれていく。この集団の中には二番目の出し物が目当ての人も多く含まれていた。特に体育館の朝一の出し物は咲耶様の出し物であり、先頭を確保していたカルト集団以外はあまり興味のない人が多かった。
それでは何故朝一番から体育館へ向かっているかと言えば、二番目の出し物で良い席を確保するためだった。
去年のことを知っている者からすると、とにかく早めに向かって良い席を確保しておくことが快適に観るためのコツだとわかっているのだ。観客の中にはずっと動かずに続けて同じ席を確保して出し物を観る者もいる。毎回出し物ごとに観客入れ替えや席の交代があるわけではない。だからこそ朝一番に席を確保しておこうとする。
二番目の出し物を観たい保護者達や、通しで全ての出し物を観ようとしている者達が体育館へと集まっていた。前の良い席はカルト集団に確保されているかと思いきや……、カルト集団は様々な席や、何なら立ったまま壁際にいる者もいた。普通の客にはその行動の意味がわからない。しかし良く見てみればわかっただろう。彼らの狙いが……。
彼らは全員がそれぞれ記録装置を持っている。マイクを向けて録音しようとしている者や、カメラで撮影している者など、全員が何かしらの装置を持って全てを、あらゆる角度から録画・録音し保存しようとしているのだ。彼らにとっては一番前の席でライブを観ることよりも、静かに完全なる映像を撮影し保存することこそが使命だったのだ。
『それではプログラムNo.1、「九条咲耶様とその仲間達」による演奏の始まりです』
そしてすぐにその演奏が始まった。大して期待せず、二番目以降の出し物を目当てに座っていた観客達は……、完全に度肝を抜かれた。
登場した時はチグハグの楽器を持った少女達の集まりを見て、一体どんな演奏になるのかと眉を顰めたり、嘲笑したりしたものだったが、いざ演奏が始まってみればその完成度の高さに誰もが魅了されていた。
一体誰が作曲したのか、既存の曲ではありえない様々な楽器による独特の音楽。またそれらを奏でる奏者の実力は一人一人が演奏会を開けるのではないかと思えるほどにレベルが高かった。そして何よりも……、最早人間の動きをしていないピアノが凄まじすぎる。
鍵盤の端から端まで全てが射程圏内だといわんばかりの指捌き。本来なら両手だけでは同時に弾けない場所をほとんどタイムラグなしに弾いている時がある。そんな激しい動きをしたかと思うと静かに、流れるように、美しいメロディを奏でる。その演奏を聞いているだけで天にも昇る気持ちとなった。
そんな七人の少女による素晴らしい演奏はあっという間に終わってしまった。いや、各楽器によるソロもあり一曲としては十分に長かったのだが、聴いていた観客達にとってはあまりに時間が早く感じられもっと聴いていたいという気持ちになっていたのだ。
『「九条咲耶様とその仲間達」の皆様ありがとうございました。それでは……』
夢現となっていた観客達は周囲が拍手しているのを聞いてようやくまばらに拍手をするので精一杯だった。今でもまだ夢の中にいるようなフワフワした気持ちなのだ。とてもではないが大きな拍手が出来る状態ではなかった。
暫くして、ようやく夢から覚め始めた観客達は、あの演奏をまた聴きたい、もっと聴きたいという乾いた欲求に苛まれることになったのだった。
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本来ならば初等科を卒業している茅と杏は、運営委員として講堂の担当を引き受けることと引き換えに自分達の出し物も捻じ込んでいた。そして茅は咲耶が『織姫・彦星コンテスト』が開催されている時間に運営本部に詰めることになると聞いてからある準備を進めてきていた。
「さぁ!時間がないわよ!急ぎなさい!」
「「「「「はいっ!」」」」」
今日、この日のために正親町三条家による講堂の改装工事が密かに行なわれていた。校長と理事長には脅しをかけて許可は貰っている。ただ表立ってやれば咲耶に何か言われる可能性がある。だからこっそり、目立たないように、裏で密かに改装工事を行なってきたのだ。
だから講堂の担当になったのは何もコンテストを捻じ込むための交換条件だけではなかった。茅達にとっては自分達が担当になる方が都合がよかったからだ。もちろん自分以外の者が担当になればその担当を脅せば済む話だが、それをせずに済むのならそれに越したことはない。
そうして改装工事を行なってきた茅達はこの日の早朝から何度もリハーサルを重ねていた。絶対に失敗しないように何度も確認し、様々な検討を行い、微調整を繰り返す。講堂で朝一番の出し物が始まるまでにリハーサルと調整を終えた後も、茅達のグループは裏でずっと準備を続けていた。
そして……、ついに午後一番、茅達の出し物『織姫・彦星コンテスト』の時間になった。今年は去年と違いゲリラ開催ではないのでエントリーしている生徒もたくさんいた。それらが順番に自分達のアピールを行なう。
「あら?貴女達も来ていたの?」
「当日エントリーも可なのでしょう?」
「ええ。人数に限りはあるけど上限になるまでは受け付けるわよ」
茅が幕の裏で準備をしている咲耶グループの子達を見つけて声をかけた。去年より人数は増えたとはいえ、あまり積極的にエントリーする子もいない。よほど自分に自信にある者か、友達と一緒に記念出場するくらいだろう。そこへ女子の団体が増えたということで茅もまさかとは思っていたのだ。
「出るのは構わないけれど……、どうして突然出て来たのかしら?」
「第一回織姫が咲耶様ですからね!」
「第二回織姫になれたら良い記念になるかと……」
「あぁ……、そういう……」
実は咲耶は知らないが第一回コンテストの織姫、彦星は学園のトロフィーや楯、記念写真などが飾られている場所にデカデカと写真が飾られているのだ。もちろん第二回もそこに飾られることになるだろう。そうなれば第一回の咲耶の横に自分の写真が飾られることになる。咲耶グループの皆はそれを目当てに織姫にエントリーしたのである。
「出場するのは自由よ。貴女達に勝ち目はないでしょうけどね」
「それはどういう意味ですか?」
茅の言葉に視線を鋭くした咲耶グループが問いかけたが、茅は余裕の表情で邪悪に微笑んだだけでその場を去ったのだった。
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各エントリー者がスピーチやアピールを行い、全員の紹介が終わった。あとは投票するだけ……、のはずの場面で司会が口にしたのは予期せぬ言葉だった。
『参加者全員のアピールが終わりました。それではこれより投票……、と言いたい所ですが!ちょっと待って欲しいっす!実はここでスペシャルエントリー!九条咲耶様のアピール時間といたします!』
ドヨドヨと観客達からどよめきが起こる。参加者は最初に並べられていたはずだがそこに九条咲耶の姿はなかった。それなのに一体どういうことかと知り合い同士でヒソヒソと話す声が広がっていた。
『九条咲耶様は現在この第二回藤花学園七夕祭の運営委員として本部で働いておられます!そ・こ・で!そんな苦労をなさっておられる九条咲耶様にご出場いただくために特別に映像でアピールさせていただきます!それでは皆様ご覧下さい!』
司会がそう言うと同時に照明が落とされ、講堂内は暗くなった。講堂に並べられているのはパイプ椅子などではなく、多少のリクライニングもついている映画館の椅子のようだった。暗くなったことで本当に映画館に来ているようだと思ったのも束の間……。
ドドーーーンッ!
と重厚な音が鳴り響いた。あまりの音の迫力に一部の観客はかなり驚いたがそれだけではなかった。舞台に向かって光が映し出されたかと思うと、まるで本当に目の前にいるかのように立体的に映像が映し出されている。その美しい立体的な映像に合わせて重厚な音が動く。
それはプロジェクションマッピングに12.1chの立体的なサウンド・システムが融合した驚くべき演出だった。まるで目の前にあるかのような立体感に、動きに合わせて音が動く。正面の舞台だけではなく壁、時には天井にまで映像が動き回る。
映像は今まで杏が撮影してきた咲耶の映像とどうしても足りない部分はCGによって作り出されており、それはまるで一本の映画のようになっていた。彦星と離れ離れにさせられ嘆き悲しむ織姫、いや、咲耶様の姿に観客全員の胸が締め付けられる。
壮大なストーリーで描かれる織姫と彦星のラブストーリー……。下手な映画などとは比べ物にならない。時間にして僅か十分に纏められた短編映像であるにも関わらず、その場に居た者は全員が完全にその映像に飲まれていた。
ただ新しい技術で凝ったことをしているだけではない。新しい解釈を加えられたあまりに切ないストーリーに、それを演じる主演女優とも言うべき九条咲耶様の姿に……、女性は全員ハンカチを濡らしていた。男ですら涙を流す者が多数だった。
『うぅっ……。ぐすっ……。咲耶たん萌え~~~っ!』
「「「「「咲耶たん萌え~~~っ!」」」」」
映像が終わり、司会の言葉に多くの者が倣った。この場に居た者は全員九条咲耶様に心を奪われ、満場一致で第二回織姫も九条咲耶様に決定した。
ちなみに彦星は、織姫でエントリーしていた二条桜が彦星として投票されて一位だったのだが、エントリーが織姫ということで無効票となり、得票二位の鷹司槐が、こちらも二年連続で彦星となったのだった。
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第二回藤花学園七夕祭が終わった翌日、予想通り伊吹が反省会をしようとか言い出して仕切り始めた。でも結局何も話は進まず、伊吹はただ反省会をしているという自分に酔っているだけで何の意味もない時間が流れているので俺が代わることにした。
今年の反省会では主に一般入場について俺が意見を出しておいた。緋桐から色々と聞いて問題点がわかったからな。一般入場をもっとスムーズにするために、事前の入場確認をしておくスペースを設けることになった。今は開放と同時に受け付けて、受付完了するとそのまま入場してもらっている。
でもこれを先に来ている人だけでも受付を済ませて開放と同時に入ってもらえば入場待ちが減るだろう。これも良い方法と言えるかどうかはわからないけど、とりあえず来年はそうすることになった。後は朝一番の出し物と入場開放の時間をもう少し空けるという対策も決定した。
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そんなこんなで土日を挟み月曜日の朝……。ここの所少し体調が悪いかなとは思っていたけどこれは……。
「うぅっ……」
布団の中でお腹を抱えて体を丸める。
「咲耶様、お時間です。起きてください」
「う゛ぅ゛~~んっ!」
椛が起こしに来ているけどベッドから出られない。ここの所何だか頭が痛くて気分が悪かったけど、暖かい季節だしちょっとした夏風邪のようなものかなと思っていた。でもこれは違うぞ……。ちょっとくらい熱が出ていようとも、体がだるかろうとも毎日修行に出ていた俺が……、こんなことで……。
「咲耶様……?いつもは先に起きておられるはずですが……、まだ眠っておられるのですか?」
いつまで経ってもベッドから出てこない俺に気付いたのか椛が近づいてきた。そして布団を捲る。
「う゛ぅ゛……、もっ、椛……」
「咲耶様っ!?どうされたのですか!?」
お腹を抱えて丸まっている俺を見て椛が血相を変えていた。でも痛みでうまくしゃべれない。
「おなか……、いた……、い……」
「…………え?」
途切れ途切れに椛に伝える。お腹のかなり下の方、下腹部が痛い。脂汗が出てきそうだ。もしかして盲腸とか?
「咲耶様……、まさか……」
椛の驚いている顔を見て、もしかして俺の症状はそれほど深刻なのだろうかと俺はかなり不安になったのだった。