第二百三十九話「広幡家のパーティー」
伊吹をぶっ叩いた奴として学園で噂が広まってしまってからもう数週間が経ってしまった。結局伊吹が謝ったのは俺と槐の前でだけだ。だから事の経緯は誰にも知られず理解されず、俺がいきなり伊吹を殴ったみたいな感じで理解されているらしい。
グループの皆や二年生の子達は変わらず接してくれているけど、他の生徒達は前まで以上に俺を避けるようになってしまった。そりゃいついきなり殴られるかわからないような相手と一緒に居たくないわな……。俺だってそんな奴が身近に居たら避ける。
「はぁ……」
別に今更無関係の者達にどう思われてもどうでもいいと言えばそうなんだけど……、それでもやっぱりあらぬ誤解で評判を落とされて、こちらだけが一方的に悪者にされると気分の良いものじゃない。
確かに俺が伊吹をひっぱたいたのは事実だけど、伊吹も非を認めたように本来あの場で言うべきではないことを言おうとしたから咄嗟に手が出てしまっただけだ。それにあんなもん、俺から言わせれば殴ったうちにも入らない。顎が外れたとか、首の骨が折れたというのならともかく、ちょっと女の細腕にビンタされたくらい……。
まぁないわなぁ……。俺達の界隈で女がいきなり男をビンタするなんて相当なことだ。何か男が悪いことをして女がビンタしたのならともかく、あの場面だけでは何故俺がビンタしてしまったのかも伝わっていないし、内容を言ってもビンタするほどではなかったと言われる可能性もある。
そもそも伊吹が俺と水木が婚約したとか勝手に勘違いして嘘を言おうとしたのが悪いんじゃないか!それなのに俺ばっかり悪いみたいに言われて……、段々腹が立ってきた!何で俺が伊吹のせいでこんなに悩んで、風評被害を受けなければならないんだ!
「咲耶様、お食事の用意が出来ました」
「はい。今行きます」
椛が呼びに来たから立ち上がる。あまり伊吹のことやこの前のビンタ事件のことばかり考えていたら俺の精神衛生上良くない。イライラしてしまう。
食堂に行くと両親と兄はもう待っていたようだ。そして兄は何やら嫌な予感のする物をその手に持っている。それはどこからどう見てもパーティーの招待状だろう。
「はい。これは咲耶の招待状だよ」
「…………はい」
本当は受け取りたくないけど受け取らざるを得ない。両親も兄も目配せしてくるので封を切る。先に読めということだろう。
「…………わかりました。お母様……」
内容を確認した俺はそれをそのまま母に渡す。俺のパーティーへの参加の可否を決めるのは母だ。俺宛てだから先に俺に読ませただけで、実際には俺が目を通す理由は何一つない。母が読んで、俺を参加させるかどうか決めるだけに過ぎない。
「出席するとお返事しなさい」
「……はい」
まぁそうなるだろうなと思った……。はぁ……。
兄が渡してきた招待状は広幡家からのパーティーのお誘いだ。このタイミングでいきなりパーティーを開くというんだから、どう考えても前の許婚候補宣言のためのパーティーだろう。
開催時期は六月末頃。前の話があった頃から二ヶ月くらいとなっている。二条家も急遽用意したパーティーが二ヶ月後くらいだったし、最短最速で準備しても最低限それくらいは必要なのかもしれない。
まぁ尤も、この話を俺が聞いたのが四月の末頃だったというだけで、兄や水木はもっと前から計画していた可能性はある。だから広幡家のパーティーの準備ももっと前から始められていた可能性はあるけど、そんなことは俺には関係ないからどうでもいい。それよりも問題はこのパーティーの趣旨だろう。
招待状には許婚候補宣言をするとは書かれていない。そりゃそうだろう。サプライズにするつもりかどうかは知らないけど、パーティー会場でいきなり公表するつもりだろう。果たして父や母はこのことを知っているんだろうか?
「あの……、お父様とお母様はこのパーティーの趣旨を御存知なのでしょうか?」
「ん?広幡家が咲耶を水木君の許婚候補に宣言するという話かい?」
「もちろん知っていますよ」
知っているのか……。知っていてパーティーに出ろというんだな……。別にパーティーに呼ばれて出たからって許婚候補宣言を認めているという意味にはならないけど……。むしろ出席していなければいないのを良いことに何を言われるかわからない。出た方が良いというのはわかる。わかるけど……、あまり出たくはない。
「止めたり、広幡家に抗議したりはされないのでしょうか?」
「向こうが誰を許婚候補にしようとも向こうの自由だろう?」
「止めるのも抗議するのも筋違いです。ただし……、こちらが受けるかは別問題であり、結果的に広幡家が選ばれなかったからと恥をかいてもこちらの責任ではありません」
駄目か……。確かに父や母の言っていることはわかる。俺が勝手に『薊ちゃんは俺の嫁!』とか言うのは自由だ。それを誰かに咎められたりする謂れはない。その代わりそれが現実になる可能性が低かろうが、実際に振られようが、それは俺の責任であり、薊ちゃんは俺の嫁っていったのに!と抗議することは出来ない。
今までの近衛、鷹司、二条の許婚候補宣言も、次の広幡の宣言も、全て同じことだ。向こうが勝手にそう決めて交渉してくるのは自由だけど、こちらがその交渉を受けてやらなければならない理由はない。
「さぁ、それじゃ食事にしよう」
「はい……」
結局俺には抗う術はなく、約一ヵ月後の広幡家のパーティーに出なければならないことになったのだった。
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学園でも広幡家のパーティーの話題はすぐに広まっていた。いつもはこんな時期に、それもこんな面子を呼んでパーティーを行なうことはない。突然大規模なパーティーを捻じ込んできたことに、招待された家だけではなく、噂を聞きつけた者達も一体何事かと噂に花を咲かせていた。
「確かに広幡家がこのような時期にこのような規模のパーティーを開くのは異例ですね」
「何かあるのでしょうか?」
皐月ちゃんの言葉に椿ちゃんが唇に人差し指を当てて首を傾げていた。とても可愛らしい。
「広幡家はこれまで近衛派閥のパーティーしか開いていませんね。これほど他派閥の家を呼んだ大規模パーティーというのはここ最近では行なわれていません」
「それにこの後すぐに近衛家のパーティーもあるでしょ?何でわざわざ広幡家が近衛家の前にこんなことをするのかわからないわ」
蓮華ちゃんの言葉に薊ちゃんも同意して補足した。まったくもってその通りだ。普通に考えたらこんな時期にわざわざ近衛門流が近衛家より先にパーティーを開く必要があるのか。
呼ばれているのは五北会メンバーだけでなく堂上家以上の家はそれなりに呼ばれているようだ。うちのグループの子達はほとんど呼ばれている。呼ばれていないのは芹ちゃん達のような地下家以下の家だけだった。
俺達のグループ以外がどの程度呼ばれているのかはわからない。ただ地下家が呼ばれていない所をみると近衛家のような馬鹿でかい規模のパーティーではないだろう。鷹司家のパーティーほど少数ということもなさそうだし、九条や二条のパーティーくらいと思っておけば良いのかもしれない。
「んー……、もしかして咲耶ちゃんは何か知ってるんじゃないかなー?」
「うぇっ!?なっ、何故そのように思うのでしょうか?」
「うーん……、何となくー?」
何となくか……。譲葉ちゃんは鋭いな……。確かに俺は何故こんな時期に急に広幡家がパーティーを開くか知っている。でもそれを俺が自分の口で言うべきことじゃないと思う。それを俺が知っているということは九条家も承知していると解釈されかねない。この宣言はあくまで広幡が勝手にやっているということにしておかなければ……。
「さっ、さー?何でしょうねぇ~?」
「咲耶様ってわかりやすすぎですね」
「まぁそこが咲耶ちゃんの良い所でもありますよ」
薊ちゃん、皐月ちゃん、それはどういう意味だ!そして皆!何故ウンウンと頷いているのか!
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嫌でも日にちは過ぎ去り六月末頃、ついに広幡家のパーティーの日が来てしまった。今回のパーティーも特にペアの指定などはないので兄にエスコートされながら同じ車で向かう。
「皆驚くかなぁ。どんな反応になるか楽しみだね」
「はぁ……。まったく楽しみではありません……」
車の中で悪戯をしようとしている子供みたいにウキウキしている兄にゲンナリする。こっちは楽しみどころじゃない。兄と水木がどういうつもりでこんなことをしようとしているのかは知らないけど、振り回されるこっちの身にもなって欲しい。
……でも待てよ?これは本当に兄と水木が仕組んだことなのか?それはさすがにおかしくないか?
どういうつもりにしろ二人が発案者である可能性は確かに高いだろう。二人が言いだしっぺですと言われても納得出来る。でも二人が勝手に決めましたというのはあり得ない。そうだ。あり得ない。
これだけの大規模なパーティーをするとなれば絶対に広幡家全体の総意がなければならない。兄と水木だけで勝手に決定してこれほどのお金を動かし、多くの家を呼んでパーティーなど開けるはずがない。それはつまり水木と俺の許婚候補宣言について広幡家も認めているということになる。
ならばその決定はいつされたのか?俺に許婚について話がきた四月末頃か?絶対に違うだろう。それよりもっと前に決定されていたはずだ。でなければこんな短期間に水木が広幡家を説得し、これだけのパーティーを開けるはずがない。俺に話に来た時にはもう広幡家の中では許可を貰い決定していたということになる。
そして広幡家がそんな決定を主である近衛家に黙ってするだろうか?近衛家が先に許婚候補宣言を出している相手を、後から広幡家が許婚候補に宣言する。普通に考えたら勝手にそんなことが出来るはずがない。無断でそんなことをすれば近衛家からどんなお叱りを受けるかわからないはずだ。
じゃあ……、一体いつからこんな計画が話し合われていたのか?もし本当に兄と水木が発案だったとすれば、まずは広幡家を説得し、次いで近衛家にも話に行き許可を貰わなければならない。それからパーティーの準備をするとすれば……、この話は相当前から動いていたんじゃないのか?だったら一体誰が……。
伊吹は知らなかったはずだ。三組の教室に駆け込んで来た時の伊吹が演技だったとは思えない。つまり伊吹や槐がこのことを知ったのはあの時より少し前ということになる。九条家のパーティーでは普通だったからそれから月曜の朝までの間ということになるだろう。
これ以上は俺がいくら考えても答えは出てこない。推測は出来ても情報が足りないから確定する要素はないからだ。だから考えるだけ無駄ではあるんだけど……、何とも気持ち悪い感じがしてブルリと身を震わせた。
そうだ……。そもそも広幡家からこんなことを言われて近衛母が黙って許可するのか?近衛母は俺と伊吹の結婚を推進していると思う。恐らく近衛と九条の合併を狙っているんだろう。だから俺と伊吹というよりは、九条家とくっつく理由と根拠が欲しいに違いない。そんな近衛母が何故自分の計画の邪魔になるようなことを許可する?
もしかして……、この企みには近衛母も一枚噛んでいるのか?それがわかった所でどうしようもないし、どうでも良いことかもしれないけど、何とも気味が悪い。今すぐ帰りたい気分だ。
「咲耶?どうしたの?もう着いたよ?」
「あっ、はい……」
兄に言われて外を見てみれば、確かに会場に着いたようだった。広幡家のパーティーは自宅や自宅近くの施設ではなく、パーティー用の会場が使われている。ここは近衛財閥の貸し会場だ。
「やぁ咲耶ちゃん。よく来てくれたね」
「御機嫌よう広幡様」
ロータリーで車を降りると会場の入り口付近で水木が声をかけてきた。招待客に挨拶しているんだろう。皆どこもパーティーといえばパターンは同じだ。演出で多少違いは出しても、最低限の礼儀やマナー、通例、慣例というものはある。
「僕には挨拶はなしか?」
「ようこそおいでくださいましたお義兄様!」
水木がわざとらしく兄に深々と頭を下げた。この二人は本当に仲が良いんだな。もういっそ二人が結婚すればいいのに。
「誰がお義兄様だ!咲耶、もう行こう」
「はい……」
「ははっ!それじゃ咲耶ちゃん、また後でね」
ニッとキザに笑った水木がこちらに手を振っていた。確かにある意味愉快ではあるけど、何故あんなのがモテるのか俺には理解出来ない。
水木を放って会場に入った俺は、思いの外招待客が多いことに少し驚かされたのだった。