第二百二十八話「今年の出来は?」
兄と茅さんの卒業式が終わり、杏の卒業式が終わり、それぞれ上へと上がってしまった。それから間もなく俺達も終業式を迎えて四年生が終わった。
毎年のことではあるけど……、今年も色々なことがあった。思い返してみれば濃い一年だったような、あっという間だったような……、不思議な感覚がする。ほんの少し前のことを懐かしいと思ったり、昔のことのように感じたり……。そうかと思えば随分前のことでも昨日のことのように思い出せたり……。
この春休みが明ければ俺達は五年生となり、秋桐達は二年生になる。まぁあとついでに知り合いと言えば桜が四年生になるということくらいだろうか。
でもその前に俺には色々としなければならないことがある。まずいつも恒例の百地流の修行と蕾萌会の春期講習。それから九条家のパーティーのためのマナー講習だ。マナー講習は別に俺が顔を出さなければならない理由はないんだけど、知り合いの子達も来るから少しくらいは顔を出したい。
去年は色々と初めてだったこともあってバタバタしていたけど、今年は二回目だし色々と慣れやノウハウも出来つつある。百地流の修行との兼ね合いがあるから今年のマナー教室は全部に顔を出すことは出来ないけど、講習に申し込んでいる皆と上手く会えるといいなぁ……。
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春休みに入ってマナー講習の初日……。今日は初日だから俺も顔を出すしマナー講習を申し込んでいた人も初日からいきなりサボる人は滅多にいないだろう。初日の様子を見て『これならもういいや』と思う人は出るかもしれないけど、それなら途中で上級コースなどに変更も出来る。
上級でも物足りないと思う人はそもそも最初からマナー講習なんて申し込まないだろうし、これはあくまで九条家のパーティーのための講習だから、もっと高度なものを習いたいというのなら自分で勝手に教室でも先生でも頼んで習って欲しい。そういうきっかけになればという意味も含めてのマナー講習だ。
「御機嫌よう」
「あっ!九条様!御機嫌よう!」
去年と同じ九条グループの施設の出入り口で講習参加者達に軽く声をかける。いきなり五北家のご令嬢がいたらビビるかもしれないけど、それもマナー講習の修行のうちだと思ってもらうしかない。俺はいちいち細かいマナーにまで目くじらは立てないけど、パーティーに出ればそういう人もいるかもしれない。
そういう相手にビビらず対応出来るようにするのが目的なんだから、五北家の九条咲耶お嬢様がいるなんて!なんて思って腰が引けるようでは話にならない。余計なトラブルを起こさせないためにも、ここは俺もちょっと厳しくマナーを伝えていく。
「おはようございます、九条さん」
「まぁ!御機嫌よう芹ちゃん」
続々と人が集まってくる中で知り合いもチラホラやってきていた。もちろんただの顔見知り程度の知り合いが大多数だ。芹ちゃんのようなお友達なんて……、そもそも俺にお友達自体が少ないから滅多にいないからな……。
「芹ちゃんは今年も初級コースなんですね。芹ちゃんなら中級や上級でも良いと思いますが……」
「いえ、私なんてまだまだなので……、ここでしっかり身に付けてパーティーに臨みたいんです」
芹ちゃんは本当に謙虚な子だなぁ……。そう言えば咲耶お嬢様グループの子でこの手の謙虚な子はあまりいないな。大人しいタイプだと思っていた椿ちゃんや蓮華ちゃんも結構気が強い所もあるし、蓮華ちゃんは裏蓮華ちゃんは怖いしね……。
まぁ上位の家のお嬢様なんてやろうと思ったら、ある程度は気が強くないとやっていけないのかもしれない。昔の女優やアイドルも表向きは清純とか大人しくてかわいこぶりっ子していても、裏では滅茶苦茶性格がキツイなんてのはザラだったようだ。
一番謙虚に近そうなのは皐月ちゃんかもしれないけど、皐月ちゃんの場合は全て計算尽くで、敵を作らずうまくやりすごすためにそう振る舞っているだけだろう。中身はまったく別物の腹黒だからあれも本心からの謙虚とは違うと思う。分かりやすく言えば謙虚と謙遜の違いだろうか。
それはともかく、芹ちゃんにも言ったように芹ちゃんは本来十分初級以上のマナーを身に付けている。お世辞とか社交辞令じゃなくて本当にもっと上のコースでも良いくらいだ。いや、いっそこの講習に参加しなくても十分とすら言える。恐らく家でもちゃんとマナーや作法を習っているんだろう。
それに比べて去年初級コースの講習を受けた子達がチラホラ中級や上級に申し込んでいる。もちろん一年前のことだから、この一年の間に個人でみっちりマナーを習ってきたのかもしれない。それなら上のコースを受けるのも十分わかる。でもたぶん違うんじゃないかなと思う子がチラホラいる。
去年もう初級コースを受けたから、それなら中級や上級でもいいだろう、みたいな感じの子達だ。どれを受けようと、ついていけなかろうと本人の自由なんだけど……、去年の講習を受けて勘違いしてるんじゃないかなぁと思う。
今年もそうだし、去年もだけど……、このマナー講習は本当にまったくの初心者が、九条家の仮面舞踏会で最低限眉を顰められない程度のマナーを身につけることを目的としている。だから内容もその年のパーティーに合わせたものだ。
去年はここで習ったマナーのお陰でパーティーも最低限は乗り切れたかもしれない。でも同じマナーがあれば今年のパーティーにも対応出来ると思うのは大きな間違いだ。もちろんそのまま使える技術やマナーもあるけど、流される曲が変わってたり、出される料理が変わっていたりする。
当然そうなれば去年のマナーだけでは十分対応出来ず、今年のマナー講習はまた今年の九条家のパーティー向けに徹底対策されているものだ。
去年一年間自分の家でマナーを習ってきたのならともかく、去年の講習で習ってパーティーも乗り切れたから自分は上のコースだろう、なんて思ってる子は失敗すると思う。
まぁ……、途中でコース変更も出来るし、中級や上級についてこれない子達は講師の先生達に下のコースに変えるように言われるだろう。そこまでは俺も面倒は見切れないし、自分の身の丈に合わないコースを選んでおいて、恥をかかされたとか、自分だけコースを下げられたとか逆恨みする者も……、いない……、よな?
「おはようっす!咲耶様!」
「杏さん!ご卒業おめでとうございます」
杏がやってきたから卒業のお祝いを言っておく。初等科から中等科に上がっただけだけど、それでもやっぱり最初の挨拶はこれだろう。
「ありがとうございます!学園行事で咲耶様のことを応援したり、写真を撮ったり出来なくなるのは残念っすけど、放課後はばっちり盗撮し続けますから!」
おい……。盗撮を堂々と宣言するな……。それからやっぱりあの偏ったマイクパフォーマンスはわざとだったのか……。しかも本人は応援のつもりってのが笑えない……。
「さくやおねーちゃん!」
「くじょうさまおはようございます!」
「おはようございますさくやさま!」
「さくやおねえちゃんごきげんよう」
「まぁ~~っ!皆さん御機嫌よう」
あぁ~~~!可愛い幼女達がたたたーっ!と俺に向かって駆けて来た。とても可愛らしい。ボフッ!と俺のスカートに秋桐が抱き付いてきたけど、さすがに他の子達は手前で止まってしまった。俺への呼び方も咲耶お姉ちゃんじゃなくて九条様とか咲耶様にしろと言われてるみたいだし、ご両親に色々と注意されているんだろう。
俺としてはそんな遠慮なんてなしに抱き付いてきてくれた方がうれしいんだけどなぁ……。
秋桐達は全員揃って一緒にやってきたようだ。向こうの方に緋桐達ご両親……、まぁ緋桐は秋桐の母親じゃなくてお婆ちゃんだけど……、も大体一緒に来ているらしい。父親がいない家はチラホラあるけど、秋桐達のグループは全員母親は来ているようだ。もちろん小紫も。というか幸徳井家は家族総出だな。
「おはよう咲耶ちゃん」
「御機嫌よう緋桐さん」
他の家の人達はまだあまり慣れていないようだ。だからなのかはわからないけど緋桐が最初に話しかけてきた。それに続いて他の人達もおずおずと俺に声をかけてくる。あまりあからさまにそういう態度を出すのはよくないけど、まぁそれはこれからのマナー講習で身に付ければ良い。そのための講習だ。
秋桐は去年初めてマナーを習ったのかと思うほどの初心者だった。でも講習を受けたお陰かパーティーではそれほど大きな失敗もなく何とか乗り切ったと思う。一年生だったから周りが大目に見てくれたというのもあるだろうけど……。
「皆さん初級コースなんですね」
「ええ……」
「まぁ……」
う~ん……。どうにも歯切れが悪い。地下家だったら多少はそういう教育もしているはずだけどな……。ただ自信がないだけなのか、今まであまりそういう教育に力を入れていなかったのか……。
まぁ講習が始まればわかるだろう。思ったよりも出来ると思えばいつでも上のコースに変えれば良いだけだし、とりあえずそろそろ会場へ向かおうか。
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去年もしたから挨拶もスラスラと進んだ。自分のレベルとコースが合わないと思えばいつでも変えれば良い、という説明も何度もしている。
謙虚なのか、謙遜なのか、初級コースに申し込む人が多い反面、まだ中級や上級は無理じゃないかなと思う子に限って上のコースで申し込んでいたりする。去年もそうだったけど、やっているうちにコースを変える子も結構いるから、そのうちそれぞれのレベルに見合ったコース分けになるだろう。とりあえず最初はやってみようというところだ。
「皆さんどうですか?」
「あっ!咲耶ちゃん、これはどうすれば良いのかしら?」
一年生……、もう終業式が終わったから一年生は終わったというべきか、でも始業式は始まってないから二年生ではないとも言えるけど……、まぁ新二年生達のテーブルに行くと緋桐に色々と質問されてしまった。俺が答えていると塩小路、熊谷、樋口家の面々も真剣な顔で俺と緋桐の話を聞いていた。
俺に聞かなくても各テーブルに先生がいるのに……、先生に聞かずに俺にばかり聞いていたら先生もさぞ不愉快じゃないかと思っていたけど、何故か先生も一緒になって熱心に聞いていた。
もちろん先生は俺が説明した程度のことは簡単に出来る。九条家は相当良い先生ばかり集めているから俺よりよく出来る先生ばかりだ。でもどうやら俺の説明や手本はわかりやすいらしく、そういう説明ややり方を参考にするとのことだった。
去年初めて九条家のこの講習に雇われて協力してくれた先生は皆今年も参加してくれたらしい。主に俺の説明とかお手本の見せ方を勉強するために……。
そこまで言ってくれるのはうれしいような、恥ずかしいような、照れ臭いような感じがするけど、俺なんていつも師匠に怒られてばかりだしまだまだ未熟者だと思う。ただ説明とかがわかりやすく出来てるってことなんだろう。年の近い子達に教えるために俺は同世代の目線で話してるしね。
そんなわけであちこちの様子を見ながら歩いていると……。
「御機嫌よう芹ちゃん」
「九条さん!」
「様子はどうですか?芹ちゃんには少し物足りないのでは?」
他にもチラホラいるけどもっと上のコースでもやっていけるような子や、場合によってはここの講習じゃ物足りないだろうなという子もいる。まだ初日だからかコースの移動もあまり活発にされてないけど、そのうちコースを変えるか来なくなるだろうか。
「いえ、とても勉強になります。あっ!九条さん、こういう時はどうすれば良いのでしょうか?」
「あぁ……、それは……」
芹ちゃんは自分が気になったことは確認しなければ気が済まない性質のようだ。この講習では含まれていない所やより突っ込んだ所を聞いてくる。この講習はあくまで基本とかもある程度省略して、本当に最低限の部分と、九条家のパーティーで必要な部分だけを寄せ集めている。
杏も最近は芹ちゃんと仲良くなったのか、同じテーブルで練習していた。でも杏は芹ちゃんよりマナーが出来ていないので、芹ちゃんが気になったもっと先の部分よりも、まずは最低限のマナーを身に付けるのに必死なようだ。
「杏さん、力が入りすぎですよ。もっとリラックスして」
「はうっ!うっ、後ろから咲耶たんが抱き締めてっ!もう天にも昇る気分っす!」
俺が後ろから杏のテーブルマナーを少し直したらビクンビクンして変なことを言い出した。ちょっとその動きが気持ち悪かったのか同じテーブルにいた他の子達が若干引いているぞ。当の杏はそんなことも気付かずまだトリップしたままみたいだけど……。
「それではそろそろ実際に食事をしながら午前に習った内容を確認していきましょう」
「「「わぁ!」」」
「これが楽しみで来ているのよ!」
午前中に習った内容を踏まえてすぐに実践出来るメニューの昼食が出される。あちこちからこの昼食がこのマナー講習の楽しみなのだという声が聞こえてきた。
そう言えばお茶会なんかでも出てくるお菓子が楽しみで出ているなんて人もいるみたいだしね……。昼食だから甘いお菓子とは違うんだけど、あちこちから『さすが九条家の料理はおいしい!』とか『毎日食べたい!』とか言う声が聞こえている。
講習の目的というか趣旨からは離れている気もするけど、まぁ参加者の人達が喜んでくれているのならそれはそれでいいか。