第二百十七話「そうだったのか」
今日はご機嫌で登校してきた。一昨日の運動会はとても良い思い出になったし、何も揉め事も問題もなかった。今年こそ運動会は楽しい思い出で終われそうだ。そう思いながらロータリーで車を降りて玄関口に入ってみれば……。
「これは……」
またしても……、掲示板のあちこちにはプリントされた写真が貼られていた。運動会の様子を収めた写真で被写体は俺だけじゃない。学園生達が皆楽しそうに運動会をしている微笑ましい写真だ。それはいい。それはいいんだけど……。
「あ~ん~ず~さ~ん~!」
「やばいっす!バレたっす!」
「あっ!?」
まだポスターを貼っている途中だった杏は、俺に見つかったことに気付くとまた逃げ出した。確かに写真は色々な生徒達が写されている。これも注文番号を書いて代金を払えば写真が買えるシステムだ。それは良いけど、今回もまた前のようにあちこちにポスターが貼られている。そのポスターがまた全部俺が中心になっているものだ。
前にも言った通り、色々な写真やポスターがある中で、たまたま俺の写真やポスターがあるくらいなら何も言わない。前世でも学校の行事の時とかには、カメラマンがついてきて写真を撮って、欲しい写真があれば注文番号を書いて出せば買えるというのはあった。それ自体を否定するつもりはない。
問題なのはポスターに関しては明らかに俺が中心で、俺のポスターばかり溢れていることだ。周囲にいる他の人が一緒に写っていることはあっても、あくまで写真の構図もポスターも、俺を狙って撮られて加工されている。
折角今年は何も問題なく終われそうだと思ったのに……、どうして杏はこんなことばかりするのか……。杏は俺の平穏な生活を壊したいと思っているのだろうか?
本当ならこんなもの全部引っぺがしてやりたい……。でもそれは出来ない。ポスターはともかく写真は本当にただのちゃんとした写真だ。こういう写真を買いたい生徒もいるだろう。上位の家は専属のカメラマンを連れてきて撮影とかをしていたりするけど、一般生徒とかだとさすがにそこまでは難しいかもしれない。
まぁこの学園では一般生徒といっても、元々どこかの良い家の後を継げない分家筋とかなんで、本家の協力とかがあればカメラマンでもスタッフでも何でも用意出来るだろうけど……。そう考えると案外一般生徒より地下家の方が立場的には辛いのかもしれないな。
そんなわけで、本当は写真もポスターも全部剥がしたいけど……、これを買うのを楽しみにしている生徒もいるかもしれない。俺が勝手に俺の一存でこれらを剥がすわけにもいかず……、諦めて教室へと向かうことにした。
「御機嫌よう」
「あっ!九条さんおはようございます」
教室へ入ると芹ちゃんが笑顔で挨拶を返してくれた。それだけでも心温まるんだけど、今日の芹ちゃんはとてもニコニコしている。一昨日の運動会が影響しているんだろう。やっぱりああいうイベントがあって、一緒に何かするとお互いの絆が深まるんだ。何かイベントがある毎に芹ちゃんとの距離が近づいているのが実感出来る。
「御機嫌よう芹ちゃん。一昨日はお疲れ様でした」
「優勝出来てよかったですね!」
俺は優勝そのものにはあまり興味はないけど、それでもやっぱり負けるよりは勝つ方が良いことは間違いない。あまり話し込んでいると他の生徒の邪魔になったり、芹ちゃんに迷惑がかかる可能性もある。軽くお話をしただけで短めに切り上げて席に着いた。
本当ならもっと時間いっぱいまで芹ちゃんとお話したい。でもそうすると朝の登校時間に芹ちゃんの席の周りを占拠することになる。それにあまり俺が芹ちゃんに話しかけていたら、他の芹ちゃんのお友達が芹ちゃんに近づけなくなる。俺と親しいことが原因で芹ちゃんがいじめられたりしたら大変だ。ちょっとくらいならともかくあまり話しかけすぎるのは良くない。
そんなわけで気持ちはまだまだ色々とお話したいんだけど、泣く泣く我慢して自分の席に着いた。朝はグループの子達も混雑になるから来ない約束になっている。皆でゆっくりお話出来るとしたらやっぱりお昼休みかな。早くお昼休みにならないかなぁ……。
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待っていたり、楽しみにしていると中々時間というのは過ぎないものだ。それでも我慢しているうちに朝の四時間が終わってお昼休みになった。皆で揃って食堂へと向かう。グループの子達に加えて今日は芹ちゃんも一緒だ。というかもう芹ちゃんもグループの一人だと言っても良いんじゃないだろうか?
俺が『咲耶お嬢様グループ』と言うのは、ゲーム『恋に咲く花』で咲耶お嬢様の取り巻きをしていた六人のことを指している。
だけどこの世界ではもう俺達のグループといえば茅さんとか、杏とか、芹ちゃんとか、秋桐や竜胆や李も入れてもいいんじゃないだろうか?一年生達はグループと言えるかどうか微妙だけど……。少なくとも残りのメンバーは仲良しグループと言っても良いと思う。
「さくやおねーちゃん!」
「秋桐ちゃん、御機嫌よう」
食堂に着くといつも通り秋桐達がいた。これももう恒例だ。たまに俺達が予約席の方へ行くと秋桐達がとても残念そうな顔をする。それを見るとつい気持ちが揺らいでしまって予約席なんてなしにしようかと思うんだけど……、やっぱりおいしい料理には勝てない。いつも、ごめんよ秋桐ちゃん……、と思いながら予約席に向かうものだ。
「くじょうさま、こんにちは」
「さくやさまこんにちは!」
「さくやおねえちゃん!」
「御機嫌よう蒲公英ちゃん、桔梗ちゃん、空木ちゃん」
三人の挨拶にも応える。ただ……、残念なことにこの子達は俺のことを前までのように呼んでくれなくなった。空木は今でも秋桐と同じように俺をさくやおねえちゃんと呼んでくれるけど、蒲公英と桔梗はご覧の通りだ。
どうやらご両親にきつく言われているそうで、俺のことを安易にさくやおねえちゃんとか軽々しく呼ぶなと相当怒られているらしい。俺が良いといっていて本人達が納得しているのなら良いじゃないかと思うんだけど、もっと大きくなって分別がつくようになってから親しい相手にそう呼ぶのは良いけど、分別もついていない幼い時からそういうのは良くないと俺まで母に怒られてしまった。
まぁご両親の言い分もわかる。分別もつかない子供の時から目上や格上を敬わないような育て方をしてしまったら、大きくなった時に困るのは本人だ。だからこそ今のうちからきちんと上の者への敬いや態度を教えておく。それらが分かるようになった上でならば、本当に親しくて相手が許可しているのなら崩して呼んでも良い。
空木だけさくやおねえちゃんのままなのは、樋口家とはいってもかなり遠い分家筋だから、そこまで厳しく教育していないからだろう。一般生徒だし、学園を卒業すれば上流階級との付き合いも終わるかもしれない。だからご両親もそこまで神経質にならずに育てている……、のかもしれない。
「さぁさ、それでは席へ向かいましょう」
大所帯になった俺達はいつもの指定席に向かった。別にここは俺達の指定席というわけじゃない。でも何故かいつも空いていて誰も座っていない。なので俺達が食堂を利用する時はいつもここだ。食事をしながら軽く話をする。食事の時はあまり話しすぎるのも良くないと思うけど、何もしゃべらないというのも味気ない。
「やっぱり咲耶ちゃんすごかったねー!」
「いえ……、あれはたまたまですよ」
自分で言ってても白々しい。リレーのような短距離走や二人三脚に『たまたま』なんかあるわけがない。たまたまで勝てるのなら大番狂わせだってあるだろう。でもこういう競技には大番狂わせなんて起こらない。もちろんフライングで失格とか、途中で転倒とか、思わぬアクシデントは起こり得る。でも亀が兎に勝つことは絶対にない。
この手の競技はそれまで鍛えてきた本人の実力が全てであり、いつも百メートルを十五秒で走る人が、たまたまその日は十秒で走れました、なんてことがあるわけがない。
「芹も大したものだったわ。まさかあれほど咲耶様についていくなんて……」
「あの二人三脚も凄かったですね」
薊ちゃんの言葉に椿ちゃんも同意する。いや、皆が頷いていた。芹ちゃん一人だけ何か恐縮しているような感じだ。
「あれは九条さんがうまく私に合わせてくれたからで……、私が全力で走ったら、九条さんがそれに合わせてくれる。ただそれだけなんですよ」
「ご謙遜を……。咲耶ちゃんとあれほど息がぴったりだなんて……、こっそり練習されていたのでしょう?」
蓮華ちゃん!?顔は笑顔を取り繕ってるけど何かナプキンをギリギリと絞めてない?一体何をそんなに……。
「そうでしょうね……。きっとどこかでこっそり練習してきたのですよね……」
皐月ちゃんまでどうしたんだ!?皆様子がおかしい……。芹ちゃんが怖がってるぞ!あまり芹ちゃんをいじめたら駄目だよ!?
「芹ちゃんをいじめてはいけませんよ!?」
「咲耶様……、いじめてなどおりませんよ」
「そうです。人聞きが悪いですよ咲耶ちゃん」
薊ちゃんも皐月ちゃんもそう言うけどこれはやっぱりイジメなんじゃ……。少なくとも問い詰められている芹ちゃんは困ってそうだぞ。
「私達はただ尋問……、質問しているだけです」
「咲耶ちゃんとどこかで二人っきりでこっそり練習したのかなー?」
「咲耶ちゃんと二人っきりで……」
椿ちゃんの言葉に譲葉ちゃんと蓮華ちゃんも反応している。それから蓮華ちゃん!ナプキンをギリギリと締め上げるのはやめよう!本当に怖いから!
「え~……、あ~……、あっ!そうでした!今年も一年生の男の子が転んでしまいましたね」
何か話題転換しようと思って思い出したのがそれだった。他にも運動会関連の話は色々とあったけど、咄嗟に他に思い浮かばなかった。
「あぁ……、そういえば転んでいましたね」
「まるで錦織のようでしたね」
まだ皆の雰囲気がおかしいけど、一応転んだ生徒から錦織へと話が変わっていっている。俺の狙い通りだ。そしてまた皆で当時の話を蒸し返して、錦織が転んだせいで俺に迷惑をかけたとか、大人しくなったとはいえまだ萩原紫苑が藤花学園に通っていることが許せないという話になりつつあった。
ちょっと話の矛先を変えようとは思ったけど、まさか今更昔のことを蒸し返して錦織や萩原紫苑を責めるつもりはない。この流れはまずいかなと思っていたけど、こういう時はムードメーカーの譲葉ちゃんがいつもやってくれる。
「あっ!そういえばー……、今年は錦織君がリレーに出てたってことは近衛様はどうしたのかなー?」
「……そういえばそうですね」
「どうせタイムで錦織に負けてたとかじゃないの?」
薊ちゃん鋭い。その通りです。
「あぁ、そう言えば私も少し聞いたことがあります。確か代表を決めるために体育の時間に直接対決して勝った方を代表にするとしてレースをしたとか」
「ふーん……。てことはやっぱり近衛様が負けたのね。まぁ錦織は頑張ってたしね。そのうち勝つんじゃないかとは思ってたわ」
皆段々と錦織と伊吹の話で盛り上がり始めた。よしよし。これは良い流れだ。
「そうなのですよ。最初の体育の授業の時に……」
だから俺は皆に授業の時の話をした。別に錦織と伊吹の対決のことを言いたいわけじゃない。俺がむかつくのは出場競技を決める話し合いの時のことや、俺と芹ちゃんが走っていた時は笑って馬鹿にしてきた癖に、自分が錦織に負けた後は不貞腐れていたことを誰かに言いたかったからだ。
「……というようなことがあったのです。本当に近衛様ときたら……。最近近衛様は何だか幼児化していると思いませんか?」
「「「…………」」」
「え?」
俺がそう言ったら……、皆すぐに賛同してくれるかと思っていたのに、何だか変なものを見るような目で皆に見られていた。一体何が……。俺何か変なことを言ったか?
「咲耶ちゃん……、それ本気で言ってます?」
「え?え?」
何か皆は変な顔で俺のことを見ている。俺だけがわかってないというような雰囲気だ。一体何が……。
「あのですね咲耶ちゃん……。近衛様がそのような態度をされるのは咲耶ちゃんに対してだけなのですよ」
「……はぁ?」
皐月ちゃんが何か説明しようとしてくれているようだけどさっぱりわからない。何で伊吹は俺にだけあんなムカつく生意気なガキになるんだ?俺とあまり相性が良くないからか?今まで俺が伊吹を相手にしても謙らなかったからとか?
「咲耶様……、近衛様のあれはですね……。好きな子には意地悪をしてしまうという、思春期男子特有のわけのわからない行動なんですよ……」
「………………はぁっ!?ちょっ!?薊ちゃん!?何を言って……」
薊ちゃんの言葉に驚いた俺は……、皆が微妙そうな顔でこちらを見ていることに気付いた。
「もしかして皆さんそのように?」
「はい……」
薊ちゃんだけが突拍子もないことを言い出したわけではなく……、どうやら……、皆もそう思っているらしい。六人も七人もの同級生がそう判断しているということは……、もしかして俺がわかっていないだけで皆の言っていることの方が正しいのだろうか?