第二百十四話「やるからには」
うぅ……。俺って周りの皆に圧力をかけて、便宜を図らせて、好き勝手にしている伊吹と同じように思われていたのか……。
もちろん俺にそんなつもりはなかった。ジャンケンでもくじ引きでも何でも応じる。ただ俺は他の生徒達と同じように公平に扱ってくれればそれで良いと思っていた。
今までは俺は公平に扱ってもらえず、多仁のような嫌がらせをされたり、それ以前のように『九条咲耶の競技と言えばこれだろう』みたいな勝手に決められるのが嫌だっただけなんだ……。それがまさか皆にそんな風に思われていたなんて……。ショックで立ち直れない……。
まぁそうは言いながらも競技決めは順調に進んで結局俺と芹ちゃんは二人三脚に出るということで決まった。そこまで言うのならもう一度二人三脚に出たい人は正直にエントリーして欲しいと言ったんだけど、その後から立候補してくる者はいなかった。
そりゃそうだよな……。あれだけの騒ぎになって、所謂誤用の方の『忖度』、ちゃんとした言葉で言えば斟酌せずにもう一度決めようと言われて、そこでやっぱり出たかったですと言える者はいないだろう。だってそれはつまり斟酌して意見を引っ込めていましたと自白するようなものだ。
わざわざ斟酌して遠慮していた相手に対して、本当のことを言っていいから言ってみ?と言われて『じゃあ実は出たかったです』なんて言えるわけがない。それくらいは俺にでもわかる。
そんなわけで運動会の出場競技は順調に決まり、残ったのはリレーの男子代表だけだった。結局あの後も伊吹は身を引いて代表を譲ろうとはせず、次回の体育の時に錦織と一騎打ちをして勝った方が代表ということで決着がついた。
伊吹も所詮自分がリレー代表になりたいだけで、去年は都合よく『俺の方がタイムがいいんだから俺が代表だ!』とか言っておきながら、今年は自分の方がタイムが悪ければ『その時のタイムがよかったからって錦織の方が足が速いとは限らない!』とか『それなら直接対決して勝った方が代表だ!』とか都合の良いことを言いすぎだろう。
去年だってもし代表決定の時に直接対決して決めていたら錦織が勝っていたかもしれない。こんな子供みたいなゴネ方をしてまで……、ってまぁ実際子供なんだけど……、ともかく男らしくない奴だ。これのどこが俺様王子だというのか。残念王子でもなくただの我侭王子に変更してやろうか。
紆余曲折はあったけど俺と芹ちゃんは無事に二人三脚に決まったのでよしとするか。あと何故か俺がまた女子のリレー代表になっているけど……。俺は別に走るのもリレーも好きなわけでも出たいわけでもないんだけど……。
ともかくこうして二学期が始まり、体育の授業はほとんどが運動会に関することに切り替わる。最初のうちは出場競技別に練習することになるけど、運動会が近づいてくると次第に入退場の練習をしたり、全体の動きを確認したり、そして低学年は合同ダンス、高学年は組体操の練習へと変わっていく。
そう……、今年から俺達は組体操をしなければならない。危険な大技や力や体力の必要なものは上級生の男子が主に担当するけど、女子だって一緒になって色々と行なう。完全に何もしないで良いということはない。
まぁそれはまだ先だからその時になればその時決められた役をこなせば良いだけだろう。それよりもまずは……、ムフフッ!今日……、ついに!念願の!芹ちゃんと二人三脚の練習だ!
体を密着させて……、足を縛って……、声を出して息を合わせて二人で走る……。
あぁ~~~っ!ドキドキするぅ!いいんですか?こんなことしちゃって!女の子と密着しちゃって!いいんですか?いいんですね?
「九条さん、それじゃそろそろ私達も練習しましょう」
「はいっ!そうですね!」
ようやく……、四年目にしてようやく……、お友達とキャッキャウフフで運動会が出来る……。芹ちゃんと足を縛って、肩を組んで、よーいドンッ!
「いっちに!いっちに!いっちに!」
ふおおっ!芹ちゃんと組んだ肩から、芹ちゃんの方から温もりが伝わってくる。温かい。それに柔らかい。良い匂いがする。何だこれは……。これが天国か?四年生の女の子に欲情なんてしてないぞ!してないけどこれは……、素晴らしい!
体を密着させて、肩を寄せ合って、息を合わせて一緒に走る。凄い!これが……、女の子とする二人三脚!
「いっちに!いっちに!いっちに!」
声を……、合わせて……?動きを……、揃えて……?
「「…………」」
何とかゴールまで走った俺と芹ちゃんは……、お互いに顔を見合わせていた。何か最初の高かったテンションも一気に下がってしまった。これは……。
「えっ、え~……、こっ、この調子で頑張りましょう……」
「ごめんなさい芹ちゃん……。どうやら私の息が合っていないようですね……」
俺と芹ちゃんのペアは……、あり得ないほどに遅かった……。他のペアが二回走れるくらい時間がかかってるんじゃないだろうか。原因は恐らく……、俺達の息が致命的に合っていないから……。
おかしい……。どういうことだ?俺と芹ちゃんの身長や体格はそう変わらない。歩幅が合わないとかそんなことはないはずだ。足の動きも掛け声に合わせて動かせば良いんだからそう滅茶苦茶になるはずがない。はずがないのに実際にはまったく合わない。
幸い完全に息が合わずに相手の足を引っ張って転ばせてしまうというほどではないけど、何故かバタバタするばかりで中々進まない。これは非常にまずい……。競技を決める時の話し合いで俺が無理やりエントリーして出場を確保したような感じだったのに、その結果が大差をつけられての大敗では到底許されないだろう。
「ぷーーーっ!あれだけ偉そうに言っておいて!他の奴らを押し退けてエントリーしておいて何だよそれは!」
「ぐぐぐっ!」
俺と芹ちゃんの走りを見て伊吹がそんなことを言ってからかってくる。何て嫌な奴なんだ!そんなこと言われなくてもわかってるんだよ!本当に腹が立つ奴だな!前まではこんなことなかったのに、何か最近伊吹の奴だんだん幼児化してるんじゃないのか?昔の方がまだお坊ちゃんとして弁えていた気がするけど、最近はただのムカつくクソガキにしか思えない。
「九条さん、まずはコースを走るよりも息や動きを合わせるところからしましょう?」
「芹ちゃん……。ええ、そうですね!練習しましょう!」
そうだ。俺が二人三脚をするのは生まれて初めてだ。それも芹ちゃんとだってこれまで色々と息を合わせてきたこともない。初めてのことが出来ないのは悪いことでも恥ずかしいことでもない。これから出来るようになればいいんだ!
からかってくる伊吹なんて放っておいて、俺と芹ちゃんはコースから外れて二人で息を合わせて動くことからやり始めた。いきなり速く走ろうと思うから悪いんだ。まずはきちんと掛け声をして、息を合わせて、とにかくお互いの動きの邪魔をしないように同じように動けば良いはず……。
「なっ、中々合いませんね……」
「そうですね……」
気まずい……。この芹ちゃんの反応……。絶対『九条咲耶って鈍臭い子ね!』とか思われてそう……。
「「「「「おおーーーーっ!」」」」」
「ん?」
向こうの方で大きな歓声が上がっている。気になって少しそちらを見てみれば、伊吹と錦織のリレー代表をかけた一騎打ちが始まったようだ。二人の速さはほぼ互角……、だけど錦織が僅かにリードしている。
「凄い……。錦織様もしかしてこのまま……」
芹ちゃんが錦織を様呼びして吹きそうになった。まっ、まぁそれが普通なのか……。俺からすれば錦織って何かただの子供くらいにしか思えないけど、地下家である樋口家からすれば堂上家である錦織家は様呼びするような相手なんだな。ついつい忘れてしまいそうになるけどここはそういう学園だった。
「「「うおーーーっ!」」」
「錦織君の勝ちだ!」
「すげーっ!」
おお……、本当に錦織が勝った。スタートからずっとリードして、徐々にその差を広げていた。たまたまスタートダッシュに成功しただけじゃなくて完全に錦織の方が足が速いという証明だ。去年の時点でタイムでずっと上回っていたんだから当然の結果といえばそうなんだけど、これだけあからさまに実力差を見せ付けられたら伊吹も言い訳のしようがないだろう。
「ぷぷっ!今度はどんな言い訳をなさるのかしら?それとも門流の長ということで門流の家に圧力をかけて代われとでも言われるのですか?」
走り終わった後、フラフラと歩いていた伊吹に意趣返ししてやる。だけど……。
「ハァ……、ハァ……、ハァ……」
荒い息を繰り返し、俺の方をジロリと睨んできただけで伊吹は何も言わずに去って行った。そう、まだ体育の授業中だというのに、そのままどこかへ消えてしまった。あの伊吹のことだから何か言い返してくるかと思ったけど、何も言い返さず授業も放り出して出て行くなんてよっぽど悔しかったのかな。でもそれは当然だよな。
俺は知っている。錦織は一年の時からずっと、ずーっと伊吹に勝つために特訓して走り続けてきた。伊吹が私生活でどんな時間の過ごし方をしているのかは知らない。でも少なくとも錦織はその時間を全て走ることに捧げてきた。その努力が実っただけのことであり、もし伊吹が走る努力をしてこなかったのだとすればこれは当然の結果でしかない。
去っていく伊吹を見送りながら、もし……、お前が本当に悔しくて、錦織に勝ちたいと思っているのなら……、今度はお前が努力する番だろう……、と、その背中にそっと心の中で声をかけた。
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さて……、結局体育の時間の直接対決で錦織が勝ち、リレー代表は錦織に決まった。それは良い。それは良いんだけど……、こちらの問題は何一つ解決していない。俺と芹ちゃんの二人三脚はまったく息が合わず、ギクシャクと動いているだけでまるで進まない。
もちろん相手を引っ張って倒してしまうことはないけど、何だか進んでいるんだか、進んでいないんだか、レース以前にまともに動けてすらいない気がする。
「…………よし!」
意を決した俺は席を立つと芹ちゃんの席に向かった。
「芹ちゃん……、少し良いですか?」
「はい?」
俺が声をかけると不思議そうな顔をしながら応えてくれた。芹ちゃんを人気のない所へ連れ出してから本題を切り出す。
「芹ちゃん……、もし時間があれば……、放課後などに特訓をしませんか?」
「特訓……、ですか?」
芹ちゃんがポカンと首を傾げる。でもこのまま終わるわけにはいかない。俺達はクラスの代表として二人三脚に出るんだ。それなのにこんなまともに動きも出来ないまま出場して無様に負けるわけにはいかない。
全力を尽くした上で負けることを悪いとは思わない。もちろん世の中は結果が全てではあるけど、子供のうちは結果だけじゃなくて頑張った過程というものも大事だ。それにやるだけやっても負けたというのなら仕方がない。
ただ問題なのは全力も尽くしていないのに早々に諦めたり、そもそも全力で頑張らないで手を抜くことが問題なんだ。俺達はまだ全力を尽くしたとは言い難い。少し授業で練習して駄目だっただけだ。だったらまず俺達がすべきことは全力で頑張ること。そのためには芹ちゃんと一緒に二人三脚の練習をしなければならない。
「他の方を押し退けて二人三脚にエントリーしたのです。結果的に負けてしまってもそれは仕方のないことかもしれません。ですが例え負けるとしても全力を尽くして頑張るべきです。ですので放課後でも早朝でもいつでも良いので二人三脚の特訓をしませんか?」
「九条さん……。はい!そうですね!しましょう!練習!せめて出来る限りは頑張りたいです!」
おお……、芹ちゃん……。君はなんて素直で真っ直ぐな良い子なんだろう。芹ちゃんと体が密着してドキドキするとか、良い匂いがするとか、体が温かくて柔らかいとか、そんなことを考えていたゲスな俺の心が清められるような気がしてくる。
よし!そうと決まればまずは師匠に電話だ!ちょっと芹ちゃんに待ってもらってその場ですぐに師匠に電話してみた。こういう体を使うことは師匠に相談するのが一番だ。師匠も大病を患って大変だとは思うけど……、いや、だからこそ少しはこういうことで息抜きもしてもらいたい。
修行の時間とは別に師匠に二人三脚を少し教えてもらえることになった。芹ちゃんの都合が良い日は俺も五北会に顔を出さずに放課後すぐに学園を出て道場に行くことにする。これなら百地流のいつもの修行の前に二人三脚の特訓が出来る。
芹ちゃんにもそのことを伝えて、了承を得たので師匠にもそれで良いと伝える。これから運動会まで、芹ちゃんの都合の良い日は五北会を休んで二人で二人三脚の特訓だ!