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第二百七話「四年の夏」


 七月もそれなりに日が経ち夏休みが近づいてきた。あの杏が貼っていたプリントやポスターだけど……、実はまだ玄関に貼られている。しかもあれは販売されているそうだ。それぞれ注文番号があって、写真やポスターが欲しい者はそれを届け出て代金を支払うと購入出来るらしい。


 プリントや販売を行なっているのは杏と茅さんだそうだけど、別に利益のためにやっているとかそんなことはないそうだ。売り上げも七夕祭の運営費に寄付するそうだし、ただ取り仕切っているだけでお金儲けじゃない。むしろボランティアで時間や労力をかけてくれているとすら言える。


 皆にとっては思い出の写真とかが買えて良いのかもしれない。いらない人は買わなければ良いだけだし、特別高い値段がつけられているわけでもない。ただ……、俺は黙っていられない。俺の写真を加工したポスターとかを大量に作っているのはどうなんだ?しかも俺に一言の断りもなく……。


 あのポスターも売り物で結構売れていると聞いた。一体誰が何の目的で買っているというのか……。あんなものを買ってどうするつもりなんだろう……。


 そんなわけであのプリントやポスターたちはまだ玄関に貼られていて、注文して買っている生徒達もいる。俺のポスターについてはやめてくれと杏と茅さんに何度も言ったんだけどそれも却下されたままだ。


 まぁ……、あれはもう慣れたらどうということもなくなってしまった。今更また蒸し返そうとは思わない。あるいはそれが杏と茅さんの作戦だったのか。人の慣れというのは恐ろしいものだ。


 ともかくまだ学園内は七夕祭の熱気も僅かに残っている空気が漂っているけど、そろそろ夏休みが近づいてきている。今年の家族旅行も楽しみだなぁとか暢気なことを考えながらサロンに入ると……。


「おう!咲耶!招待状だ!」


 げっ……。


「御機嫌よう……」


 サロンに入った俺に伊吹は招待状を手渡してきた。前は郵送だったような気がするけど今回は手渡しに戻したのか。あれか?郵送だったら断ったから手渡しにしたら来ると思って?ってのは考えすぎか?


 いや……、あの近衛母のことだし何を考えているかわからない。ギリギリに郵送で送ったら来なかったから、今年は早めに手渡しで渡しておこうとかそういうことを考えていても不思議じゃないだろう。


 今更何の招待状なのか考えるまでもない。例年通りのお盆頃にある近衛家のパーティーの招待状だ。俺の他にもサロンの五北会メンバー皆が受け取っている。薊ちゃんと皐月ちゃんも渡されて顔を見合わせていた。


「咲耶様は今回も不参加ですか?それでしたら私も遠慮したいのですが……」


「そうですね……。咲耶ちゃんが来ないのならば行くだけ時間の無駄ですし……」


 薊ちゃんと皐月ちゃんがばっさり言ってしまった……。結構大きな声で……。わざと聞こえるように言ってるわけじゃないんだろうけど、隠そうと思って小さな声にしているということもない。普通の声で普通に話して、聞こえたら聞こえたでいいやくらいなんだろうということがわかる。


「徳大寺さん、西園寺さん……、せめてもうちょっと聞こえないように言ってあげてくれないかな?伊吹が落ち込んじゃうから」


 苦笑いしながら槐がそんなことを言ってきた。でも伊吹がそんなことで落ち込むなんてあり得ないだろう。いくらこの世界の伊吹は残念王子とはいえ、唯我独尊の俺様王子である近衛伊吹がちょっとそんなことを言われたくらいで……。


「…………」


「ぶっ!」


 伊吹の方をチラリと見てみれば……、明らかに失意体前屈でがっくりしていた。もしかして本当に薊ちゃんと皐月ちゃんに言われて?いくらこの世界の伊吹が残念王子でもそこまで情けないか?俺の知ってる俺様王子とあまりにかけ離れすぎている。


「まぁ……、向こうで座りましょうか」


「はい」


「そうですね」


 一瞬驚きはしたけど、別に伊吹が落ち込んでいようが、泣いていようが、俺達にとってはどうでもいい。むしろ静かにしていてくれるのならありがたいくらいだ。というわけで失意体前屈の伊吹は無視して奥に座る。さっきの話の返事がまだだったから二人に答えてあげよう。まぁ俺自身もわからないことなんだけど……。


「実は……、私のパーティーの参加などは全て母が決定しておりまして……、一年時と三年時は家族旅行のために母がお断りするようにと決めたのです。今回どうなるかはまだ私では何ともお答え出来ません」


「そうですか……」


「でしたら咲耶ちゃんの動向が決まり次第お教えいただけませんか?」


「わかりました。それでは分かり次第お伝えします」


 皐月ちゃんがそう言ってきたので了承しておいた。薊ちゃんも俺の動向を知りたいというので一緒に教えることにする。何か俺が行かないって言ったら薊ちゃんも皐月ちゃんも行かないことになりそうだし、これじゃまるで俺が近衛のパーティーに仲間に行くなって言ってるみたいで体裁が悪い気もするけど……。


 それに母がすぐに決めるとも限らない。ギリギリまで答えがわからなかった時もある。そのことについては二人にも説明しておいた。あと近衛家のパーティーは大規模で他のグループの子達も招待されているだろう。皆にも連絡を取ることを三人で確認したのだった。




  ~~~~~~~




 百地流の修行が終わってから家に帰る。今日は母に近衛家のパーティーについて話さなければならない。


「お母様……、いつもの近衛家のパーティーの招待を受けましたが今年はどうするのでしょうか?」


「そういつもいつもお断りするのも難しいでしょう。今年は近衛家のパーティーに参加するつもりで旅行の予定も立てています。お返事は出席で返しておきなさい」


「わかりました……」


 母がここまではっきり言うということはもうほぼ決まりだろう。何かよほどのトラブルやアクシデントや事情がない限りはほぼ参加と思っておいた方がいい。淡い期待はせずに諦めよう……。


 部屋に戻るとすぐに薊ちゃんや皐月ちゃん達に連絡する。母があそこまで言うということはほぼ確定だ。というよりもう参加で返事を出すことになっている。参加するつもりだったけど事情により行けなくなった、という場合を除いては参加決定だ。


 皆に連絡してから色々と考える。そう言えば思ったよりも参加について嫌な気持ちになっていない。もちろん面倒臭いというのは相変わらずだけど、前みたいに『うわー!近衛家のパーティーだ!行きたくねぇ!』とかのたうちまわるほどではない。


 結局なんだかんだで俺もこの生活に慣れてきてしまったのかな?庶民育ちの超一般人だった俺も、ちょっとはご令嬢らしくなったんだろうか。


 伊吹や槐に対しても前ほど感情が波立つこともない。もちろんあいつらと結婚なんて絶対ごめんだし、下手に関わって破滅させられるのもお断りだ。ただ前までのように、こう……、もう一目見ただけで拒絶感が襲ってくるような、そこまでの感情はなくなってきた気がする。


 多分……、最近は俺があまり遠慮せず言いたいことは言うようになったからじゃないかと思う。我慢して、取り繕って、それなのに向こうはこっちのことを考えもせず、理解しようとせず、偉そうに、好き勝手にされて物凄いストレスだったんだろう。


 でも今の俺は割と伊吹や槐に言いたいことは言ってるし、嫌なことは嫌だと拒否している。そう思うと少し気持ちも楽になって、前までのような徹底的な拒絶感とかはなくなってきた。


 それが良いことか悪いことか。破滅フラグに向かっているのか、回避出来ているのか、もう世界が変わりすぎてわからないけど……、人生なんて案外こんなものだろう。ずっとうまくいってると思ってたのに、最後の最後でふと何かの拍子に勘違いで逆恨みされて、それで終わってしまうことだってある。


 そこまで気にしてたら外にも行けないし人とも会えないわけで、それならいっそ今のように多少は開き直って生きるのも悪くない。


 そうだよ……。よくよく考えたら俺の周りの人なんて皆自分に素直に生きてるじゃないか。茅さんとか椛とか……、は、まぁ……、あまり参考にしない方が良いと思うけど……、自分に正直に生きている人は皆人生が楽しそうだ。


 人に迷惑をかけるのは駄目だけど……、少しくらい……、思った通りに生きるくらいは許されてもいいんじゃないだろうか。そう思えば……、伊吹だの槐だの桜だのと、あまり気にせず……、俺も……。




  ~~~~~~~




 終業式が終わって、四年生の一学期が終わりを迎える。終業式の日は早く帰れるからって師匠に呼び出され、いつもより長い時間、辛い辛い修行をさせられる。


 夏休みは色々とイベントもあるから、本来なら学園が休みで修行時間が取れるはずなのに俺はむしろ時間が取れないことが多い。家の用事とかにまで口は出してこないけど、それなら時間がある時は限界目一杯修行に時間を使うようにと呼び出されてしまう。


 クタクタになって家に帰ったけど何だか気持ちはすっきりしている。やっぱり伊吹や槐や桜のことであまり悩まないことにしたのがよかったんだろう。あれ以来ストレスがあまりかからない生活をしているから気持ちがとても楽だ。……ストレスがかからない?そんなことはなかった……。修行はとてつもなくハードでストレスだ。


 まぁ肉体的にハードなだけなのと、伊吹達のような精神的にストレスを感じるのでは大違いということだな。百地流の修行は大変だけど嫌だという感情は持ってないし……。


 夏休みに皆に会いたい所だけど……、今年は休みの間に遊ぶ約束もしていないし、夏休みは家族旅行や近衛家のパーティーもあるから止むを得ないか。蕾萌会の夏期講習で菖蒲先生に会える日も増えるし、また菖蒲先生と一緒に緋桐さんの喫茶店にも行こうと話しているからそちらで我慢だな。


 したいことはいっぱいあるのに時間がない。どうしてだろう……。前世の感覚なら子供の頃なんて遊んでばかりで時間なんて無駄にいっぱいあったような気がするのに……。


 でも……、時間がないからこそその時その時を大切にしようと思えるんだろう。差し当たっては蕾萌会の夏期講習と百地流の修行を頑張ろう。




  ~~~~~~~




 夏期講習で蕾萌会に来ているけど……、むしろこういう集中講座の方が暇になってしまう。普通の学生達なら集中講座の方が気合が入って大変なんだろうけど、普段からかなり勉強内容が進んでいる俺は、さすがにこういう機会に頑張りすぎたらすることがなくなってしまう。そんなわけで菖蒲先生とまったり休憩中だ。


「喫茶店に行きましょうか?」


「え?緋桐さん……、あっ、マスターには今日行くとはお伝えしていないんですよね?」


 菖蒲先生が手を止めてそんなことを言い出したから驚いた。予約制でもない普通の喫茶店なんだから別に急に行っても何の問題もないんだけど、さすがに俺達が何の連絡もなく行ったら迷惑じゃないだろうか?いや、さっき言った通り普通の喫茶店なんだからフラッと行っても問題ないはずだけどね?


「大丈夫よ。ただの喫茶店なんだから。それにマスターも喜ぶわ」


「そう……、でしょうか……?」


 そうなのかな?そう言われたらそんな気がしてきたな。事前に確認していないと、臨時休業で残念でした、という可能性もあるけど、その時は俺達が諦めて戻ってくればいいだけだ。あの喫茶店はマスターの趣味でやってるから、マスターの都合次第でいつ臨時休業になるかはわからない。それを承知で行くのがあの店の通い方だ。


「そうよ。どうせここでこれ以上粘っていても仕方がないし、行きましょう?」


「そう……、ですね。行きましょうか……」


 俺も菖蒲先生に説得されて行くことに同意する。親が塾の月謝を払ってくれているのに、塾で勉強もせず遊び呆けるというのは何か悪い気はするけど……、っていうか実際確実に悪いだろうけど、今の状態で無理に机にかじりついていても効率が上がらない。


 ちゃんとノルマはクリアしているし、人生にはメリハリも必要だろう。課題も宿題もきちんと終わった後なら遊んでいいと前世でも習ったはずだ。


 菖蒲先生と並んで普通の住宅街の中を歩く。見慣れたお店が見えてきた。菖蒲先生が躊躇うことなくお店に入る。


「マスター?いる?」


「はーい」


 ドアを開けて中に入っても誰もいなかった。菖蒲先生が奥に声をかけると緋桐さんから返事があったのでどうやら奥にいたようだ。そりゃ客もいないのにずっと待ってるのも暇だよな。生理現象とか、マスターだって食事もあるだろうし、客がいれば多少我慢することでも、客がいなければ奥に下がっていてもおかしくはない。


「あら?菖蒲先生、それに咲耶ちゃんも。いらっしゃい」


「え?さくやおねえちゃん?さくやおねえちゃーん!」


 奥から出て来た緋桐さんが俺達を見て声を出すと、その奥から秋桐の声が聞こえたと同時に飛び出してきていた。どうやら秋桐も来ていたようだ。


「御機嫌よう、マスター、秋桐ちゃんも」


「こんにちは、さくやおねえちゃん!」


 にっこり笑って挨拶してくれる秋桐が可愛い。やっぱり講習をサボってよかった。こんな可愛い笑顔に出会えるのなら夏期講習よりよほど価値がある。



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― 新着の感想 ―
[一言] 流石にorzな伊吹を見たら近衛母も吹きそうな気がするw
[一言] 咲耶様は幼女と触れ合わせて空いた時間に修行させとけば精神安定しそう 身体が子供なのに大人の精神入ってると無理して我慢できちゃうし色々ダメージありそう 素を出せる環境になれてよかったなぁ なお…
[一言] 咲耶様のポスター絶対椛さんも買ってそう
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