第二百二話「イベント」
六月も末が近づき、季節は梅雨に入っている。ジメジメと蒸し暑い日が続いて嫌な感じだ。しかも今年の俺は例年にも増して暑い。何故ならばブラが増えているから……。
たかが布一枚と思うかもしれない。その程度がどれほどの差なのかと思われるかもしれない。でも真夏にシャツを一枚多く着るだけでもどれほど暑さが変わるか、自分で試してみればわかるだろう。たった一枚シャツが増えるだけでも暑くなる。
そして何よりも……、ただ暑いだけじゃなくて……、とても痒い!汗が溜まるのか汗疹になっているのかもしれない。あるいはいままで締め付けられていなかった所に触れる物が増えて、擦れて痒いのかもしれない。
あまり締め付けないものや、繊維の素材など色々と試してはいるけど……、やっぱり痒いものは痒い!
母に相談してもまだ慣れていないだけでそのうち慣れたらどうってことはないだろうと言われたけど、この痒いのが気になって仕方がない。
まぁ……、母も言うように、素材が合わなくてかぶれてるとか、吸水性が悪くて汗が溜まって汗疹になっているというわけじゃないのかもしれない。最初の頃はそういうのもあっただろうけど、今はそういう点も考慮に入れたものを着用しているからな。
単純に今まで着けていなかったものを着けるようになって、触れるようになった所が擦れたり、刺激を受けて慣れないんだとは思う。そうは思うけど……、どうにかして欲しい!
この梅雨のジメジメした時に、慣れてないブラを増やして蒸れて、擦れて痒い!イライラする!
じゃあ脱げばいいじゃんと思うか?ところがどっこい、最近ではブラをしていないと先が擦れて痛いんだ。ブラをしても、ブラをしなくても、どちらも苦しむことになる。俺が着け始めたのが梅雨の前というのも悪かった。暑いし蒸れるしとにかく最悪だ。
…………そこでふと思う。皆はどうしてるんだろう?
皆だって俺と同い年なんだから成長のタイミングも似たようなものだろう。俺が遅いのか早いのかはわからないけど、俺より早い子や遅い子というバラつきはある。もしかしたら俺より前から胸が膨らんできている子とかいたんだろうか?
あまり人のことをジロジロ見ていなかったけど、これといって体育の着替えの時とかにブラをしているらしい子とかはいなかった気がする。ブラじゃなくてカップ付きのインナーとかだったら気付いてなかっただけかもしれないけど……。
う~~~ん……。一度皆に聞いてみるか?
でもなぁ……。こういうことはあまり聞いたりすると恥ずかしがったり、嫌がったりするかもしれない。思春期の子達なんて色々と気難しい時期だから、ほんの些細なことでもどうなるかわからないし……。
まぁ皆に聞くのはやめておこうか。それなら家で母なりメイドさん達なりに聞いた方が良いだろう。相談なら経験豊富なそういう人達に限る。
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相変わらず暑い日が続いている。もちろん藤花学園内は空調が効いているけど、だからって暑くないかと言えばそんなことはない。外に出ることもあるし、隅々まで完全に適温ということもない。急に暑い場所や寒いくらいの場所など温度の違いがある。
サロンは少しヒンヤリしているので今日はホットの紅茶を飲んでいるんだけど……。
「咲耶お姉様!」
「何ですか桜……。騒々しい。もう少し静かになさい。そんな大きな声を出さなくても聞こえています」
いつもの席で寛いでいると桜がやってきた。来るのはまぁいいとしてもあまりにうるさい。そんな大きな声を出さなくてもちゃんと聞こえている。
「咲耶お姉様!このところ暑い日が続いているので涼みに行きましょう!」
「……はぁ?涼みに?」
また急にわけのわからないことを言い出した。一体何を言っているのかよくわからない。
「例えば~……、スキーなんてどうでしょう?」
「……は?この季節に?どこで?」
いや、本当に何を言っているのか意味がわからない。そりゃこの季節でもスキーが出来る場所はあるだろうよ。極地に近い場所とか、北半球が夏に向かってるんだから南半球は冬に向かってるわけだし、世界を探せばあるよ?でもどこへ行こうっていうんだ?
「海外にでも行けば……」
「学園はどうするのですか?」
こんな季節に学園を休んで海外にスキーをしに行くのか?まったく意味がわからない。桜は何を言っているんだ?
「えっと……、それじゃ……、滝!そうです!滝のある場所まで行きましょう!きっと涼しいですよ!」
「梅雨の雨の中、滝のある川に近づくのですか?」
確かに夏に山に入って滝のある場所まで行けば涼しいだろう。でも今は梅雨の真っ最中だ。しょっちゅう雨も降っている中で山に入って、増水している滝や川に近づくのか?自殺行為だろ……。
「えっと……、えっと……、それじゃ……、プール!プールに行きましょう!」
「このような季節にオープンしているプールなど屋内プールくらいではありませんか?」
しかも俺は少し前にグランデをやめたばかりだ。プールに入りたければそういう施設のプールはあるだろうけど、何故今頃急にそんなところへ行かなければならないのか。どうにも桜の言っていることは滅茶苦茶だ。
「えっと……、えっと……、あう……」
とうとうネタも尽きたのかしょぼんとした顔で俯いてしまった。結局何がしたかったのかわからない。
「桜……、急にどうしたのですか?」
もしかして何かあったんだろうか?誰かにいじめられてるとか?とにかくここから離れたいとか?何が何やらさっぱりわからないけど、桜はここまでアホの子ではないはずだ。それなのに何も考えていないかのように急にこんなことを言い出したのは何かあるんだろう。
「だって……、最近咲耶お姉様はこの子達ばかり構って……、私に構ってくれないんですもん~~~っ!」
そう言いながら桜は竜胆と榊を指差していた。とりあえずその指を差すのはやめなさい。
それにしても……、もしかして最近はサロンでも竜胆や榊が俺の周りに来るようになったからヤキモチを焼いているのか?でもそれなら今までだって薊ちゃんや皐月ちゃん、茅さんもずっと俺の周りにいたはずだけど……。
「どうして急にこの子達に?私の周りには薊ちゃんや皐月ちゃんや茅さんも居たでしょう?」
「それはそうですけど、この子男の子じゃないですか!私は男の子だからって遠ざけられるのにどうしてこの子なら良いんですか!咲耶お姉様はこの子のことが好きなんですか?異性として!」
「はっ……、はぁっ!?」
桜の奴……、何を言い出すんだ?この子ってどう考えても榊のことだよな?そりゃ確かに榊は男の子だけど……、俺というよりは榊は竜胆にくっついてきているだけだろう?榊は無理に俺に何か言ってきたり絡んだりもしてこないし、竜胆といつも一緒だし、俺がとやかく言うのもおかしいだろう。
「何だと!?それは聞き捨てならないぞ!俺も混ぜろ!」
「じゃあ僕も」
そして桜が泣いて喚いているのを聞きつけてやってくる伊吹と槐……。話がややこしくなるからお前らまで来るんじゃない!向こうへ行ってろ!
「そこまでにしてもらいましょうか」
「これ以上近づかないでください」
「薊ちゃん……、皐月ちゃん……」
伊吹と槐の前に薊ちゃんと皐月ちゃんの二人が立ちはだかる。俺を守ってくれてるんだろうけどもう滅茶苦茶だ。桜の言葉を発端として何かサロン内がぐちゃぐちゃになってしまった。
「じゃあこうしようよ。僕達皆で出掛ければ全て丸く収まると思わない?」
思いません。槐君、それは無理があります。そもそも君達と出掛けなければ全て丸く収まるんじゃないでしょうか?
「とにかく私は咲耶お姉様とご一緒したいんです!」
「…………はぁ、これは何かしないことには収まりそうにありませんね……」
俺としては面倒臭いことこの上ない。出来ることなら何事もなく済ませたい。でも桜がこれだけ騒ぐということはそれはもう無理だろう。最悪放っておいたら家にまで押しかけて来かねない。こういう時、親戚筋というのは最悪だ。伊吹や槐が押しかけてきても追い返せるけど、桜だったら普通に家に通されてしまうだろう。
「え~……、それでは……、今年は五北会が中心となって藤花学園で七夕をするというのはどうでしょうか?」
「「「「「七夕?」」」」」
俺の言葉に皆が首を傾げる。そういえばうちの学園では七夕とかに特に何かイベントを行ったりはしない。まぁ前世の学校でもなかったけど……。幼稚園くらいならそういう行事もある所もあるかもしれないけど、俺はあまりそういう行事にも熱心じゃなかったからほとんど記憶にない。
「いいですね!やりましょう七夕!」
「さすがは咲耶ちゃんですね」
薊ちゃんと皐月ちゃんがよいしょしてくれるのはうれしいけど微妙に恥ずかしい。何がどうさすがなのかさっぱりわからない。
元々七夕は旧暦の七月七日であり、立秋が過ぎた後の行事なので季節は本来秋だ。でも明治以降に新暦が導入されたことと、江戸幕府が五節句を定めて行事としていたからそれを否定するために明治政府が五節句を廃止したことで、廃れたり変容したりして今の形になった。
もともと神事として行なわれていたり、お盆と結びついていたものが、新暦の七月七日に日が変わったことで結びつきもなくなり、今のようにただのお祭りのように行なわれるようになっていった。
俺としては別に昔の行事としての七夕がやりたいわけじゃない。今風の、商店街で笹に短冊を飾ってちょっとそういう気分に浸るような、簡単な催しで良いと思っている。これなら今から準備しても十分間に合うだろう。
「話は聞かせてもらったわ!」
なっ、なんだってー!…………あっ、まだ早かったか。
それはともかくサロンの扉がバーンと開かれて茅さんが乗り込んできた。サロンの全員の視線が茅さんに集中している。それでも茅さんは怯むことなくツカツカと堂々と歩いて俺達の前に立った。
「やりましょう!七夕!咲耶ちゃんが企画したイベント!藤花学園七夕祭の開催よ!」
なっ、なんだってー!…………あっ、別に変なことも予想外のことも言ってなかったか。
「でも七夕祭とかいっても何をすればいいんだ?」
「笹を飾り付けて、短冊に願いを書いて吊るせばいいんじゃないかな?」
伊吹や槐も真剣に話し始めた。確かに、いざ七夕をしようと思っても何をすればいいのかわからない。商店街ならお客さんに短冊を配って、願い事を書いてもらって、立ててある笹に吊るしてもらえばいい。
でも学校で行事としてやろうと思ったら何をすればいいんだ?
とりあえず笹に飾りをつけて短冊を吊るすのは良いとして、ただそれだけだったら行事として成り立たない気がする。全校生徒でやれば授業の一時間分もあれば笹を飾って短冊をつけられるだろう。しかもそれをしてどうするというのか。
さらに終わった後の笹の処分だ。ただ飾って終わりなら良いけどそれをどう処分するというのか。
大体よくある七夕だと川に流すか燃やすことが多い……、らしい?いや、詳しくは知らないけど……。六日の夜に飾って七日には処分するものだろう。願いが届くように川に流すそうだけど、当然ゴミになるからどこでも川に流して良いわけじゃない。そういう風習があって許可が出ている所だけだ。
あるいは煙となって天に願いが届くようにと燃やすという話もある。燃やすにしても地域によって勝手に燃やしてはいけないこともある。それもちゃんと許可されている場所で燃やしたりしなければならない。
まぁ最早、神事との関連が薄れている七夕なんてそんなにきっちりやり方があるわけでもないだろうけど……。そもそも日が変わってしまっているんだからその日にちなんだこととかをしても意味がないしな。
「具体的にどういうことをするかや、どのような許可が必要なのか。どうすれば許可が取れるのか。少し皆さんで話し合いましょうか」
何か知らないけどもう七夕祭が開かれることは決定らしい。なのでそれならば子供の戯言ではなく実現可能なように段取りを進めていこう。それで桜や伊吹や槐が大人しくなるのなら俺にとっても悪い話じゃない。三人に付き纏われたり、ましてや家まで押しかけられることに比べたら学校で行事をする方がまだマシだ。
他の五北会メンバーは良い迷惑かもしれないけど、五北家のうちの三家がもうやる気になっているんだから逃げられない。茅さんが中等科でもやるのかは知らないけど、初等科は絶対に開かれることになるだろう。
結局この日は俺達だけじゃなくて他の五北会メンバーも巻き込んで、七夕祭をどういう風に開催しようかという話題で持ち切りとなったのだった。