第十九話「極める」
あ~!やっぱり俺のお作法は何かおかしいんだ!しかも百地流を習っているっていうだけでこの業界からは爪弾きにされるらしい!
どうしよう?どうしたらいい?次からは百地流だってことも黙って何も知らない振りをしてどこかの教室に入れてもらった方が良いんだろうか?
でも俺の体にはもう百地流が染み付いている。意識していなくても勝手にいつの間にかしてしまっているくらいだ。最初の頃は夢にまで出てきて夢でまで修行していたからな……。あれももしかして師匠が何かそういう睡眠学習法でもやらせてたのかと疑ったくらいだ。
……違うよな?俺の思い込みだよな?まさか本当に睡眠学習まで……。
まぁそれはともかく!このままじゃ非常にまずい!
「お兄様……、この教室では教えることはないと追い返されてしまいました……」
折角良実君が見つけてきてくれたのに申し訳ないことをしてしまった。兄の顔にも泥を塗ってしまったんじゃないだろうか……。
「ああ、まぁそうなるだろうね」
それなのに兄はニコニコと平気そうな顔をしている。おお兄よ!この不出来な妹を許しておくれ!兄の顔に泥を塗ったこの出来損ないの妹を笑っておくれ!
「私は一体どうすれば良いのでしょうか……」
「何をそんなに気にする必要があるんだい?百地先生に習えば良いじゃないか」
兄よ~!それじゃ俺はこれから社交界に出ても笑い者にされてしまうじゃないか!百歩譲って俺が笑い者にされるのは良い。別にそれくらいなら気にもならない。だけど九条家が俺のせいで恥をかくのは駄目だ。九条家の名を穢すようなことは出来ない。
「このままでは私が九条家の名を穢してしまいます……」
どうにかしなくちゃ……。このままじゃ本当に破滅フラグに……。
「咲耶、家の名を穢すとか、家のためにとか、そんなことは考えなくて良いんだよ。九条家は僕が継ぐし僕が何とかするから。咲耶は思う通りに生きていけば良いんだよ」
「良実お兄様……」
なんって……、なんっっっって良く出来た兄なんだ!妹のためにそこまで頑張るなんて!とても小学校六年生とは思えない!
俺が小学校六年生の頃はもっとアホな子供だったはずだ。こんなに将来のことや妹のことを考えてなんていなかった。いや、俺には妹はいなかったんだけどね?とにかく家族だけじゃなくて自分の将来に関してですらそこまで考えていなかったはずだ。
それなのにこの兄はどうだ?妹のことをここまで考えて、心配して、手を尽くして……。それに家のことまで考えて自分がどうにかするとまで言っている。素晴らしい!良実君が居れば九条家は安泰だ!
「咲耶お嬢様、着きました」
そんな話をしている間にどうやらフィットネスクラブに到着したらしい。兄はここには用はないので俺と椛を降ろしたら車は出発する。着替えを持ってくれている椛と一緒に『グランデ』に入ると……。
「やぁ咲耶ちゃん、遅くなるって言ってたけどいつもより早く着いたみたいだね」
「古堀先生、御機嫌よう」
偶然にも入ってすぐに古堀先生とばったり会ってしまった。どうやら先生は俺のトレーニングの準備をしてくれていたらしい。別に開始時間や終了時間は決まっていないからいつもよりやや早めに着いたけど早速トレーニングに取り掛かろうと思う。
「それにしても今日は和服なんだね」
「……え?あっ!?」
すっかり忘れていた。お作法の教室で着替えたまま追い出されるように逃げ出してきたからそのままだった。
……まぁいいか。まさか百地流じゃあるまいし着物で泳ぐわけでもない。どうせ水着やトレーニングウェアに着替えることに変わりはないし着替えは椛が持ってくれている。このまま更衣室へ行って着替えれば良い。
「すみません。着替えてきます」
「慌てなくていいからね」
ニッコリ爽やかなスマイルの古堀先生に会釈して俺は更衣室へと向かったのだった。
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更衣室では相変わらず、デンッ!デンッ!ドドンッ!としているマダム達がうろうろしていた。ただ着替えるだけなのに何故これほど時間がかかるのか。マダム達は無駄に入念に時間をかけて着替えている。
「まぁ!咲耶ちゃん、着付けてもらったの?可愛いわねぇ」
「素敵な着物ね。咲耶ちゃんにぴったりだわ」
「ありがとうございます」
俺が着物だったのが珍しいのかワイワイとマダム達に捕まってしまった。別に古堀先生も慌てなくていいって言ってたしいつもの時間より十分早いんだけど……、着替えたいのにマダム達が放してくれない。皆どんどん寄って来てワイワイと品定めされたり品評会になったりしている。
「咲耶ちゃんだったらもっと薄い色の方が……」
「いいえ、やっぱり若い子だもの。もっと柄がある方が……」
皆にワイワイと見世物にされて着替えられない。黙って聞いていたら終わりそうにないからこちらから断りを入れるか。
「皆様申し訳ありません。古堀先生をお待たせしているので……」
「あらそ~う?」
「咲耶ちゃん、今度うちにいらっしゃいな」
「そうそう。今度うちのパーティーにも来てね」
「はい。ありがとうございます。ご招待いただければ予定を見てからお返事させていただきます。それでは……」
ようやくマダム達から開放された俺はさっと着物を脱いで畳む。何かここのマダム達はお金持ちや名家のマダムというより下町のおばちゃんみたいに感じてしまうのは俺だけだろうか……。
どさくさにパーティーに招待しようとしているマダムもいたけど適当にやりすごした俺は急いで水着に着替えて古堀先生の所へと向かったのだった。
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フィットネスクラブも終えて自宅で夕食を食べながら話題は今日のお作法教室の話になっていた。
「それで今日行った教室はどうだったの?」
「えっと……、それは……」
母の鋭い追及に言葉を濁す。追い払われて教えることなんてないって言われたなんて知られたらどうなるだろうか……。母の雷が落ちるかもしれない。
「教えることはないって入会を断られたそうだよ」
兄よー!何故そんなあっさりと吐いてしまうのか!?そんなにこの妹に艱難辛苦を与えたいのか!
「まぁ!……それはそうなるかとも思いましたけど、やっぱりというか何というかね……。咲耶、これでわかったでしょう?もう大人しく百地先生に習っておきなさい」
「はい……」
どうやらもう他の教室に習いに行くことは許可してくれそうにない……。いいのか?母よ。そして兄よ……。父には言うまい。父にそんなことを言っても無意味だ。
俺が学校やパーティーで作法が出来ていないと笑われるのはいい。だけどそれでは九条家の名を貶めてしまう。何らかの破滅フラグに繋がらないとも限らない。
「そんなにあれこれ習おうとせず一つを極めなさい咲耶。どんなものでも極めれば素晴らしいものだよ。あれもこれもと中途半端にする方が良くないとパパは思うよ」
「お父様」
くっ!まさかこの狸親父にこんな良いことを言われるとは思ってもみなかった。
でも父の言う通りだ。例え百地流が世間一般では邪道であろうとも、あまり歓迎されていなかろうとも、俺が百地流を極めてきちんとすれば良い。やがて世間の評価も変えられるくらいに頑張れば良いじゃないか。何も卑屈になることはない。堂々としていよう。俺は百地三太夫の弟子だ!
「今日はお父様のお陰でぐっすり眠れそうです!」
「そうか。パパのお陰か。じゃあパパって呼んでくれてもいいんだよ?」
「それでは部屋に戻りますね。ご馳走様でした。ありがとうございました『お父様』」
「あぁ……、うん……」
何かしょんぼりしている狸がいるけど気にしてはいけない。これからも百地流として堂々と頑張ろうと決意を新たにした俺はスキップしそうなほど軽い足取りで部屋へと戻ったのだった。
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ここ最近毎日が楽しい。藤花学園で薊ちゃんや皐月ちゃんとお話するのも楽しみだし、何だかんだ言っても師匠と百地流の修行をするのも嫌いじゃない。元々嫌いじゃなかったけどこの前の一件以来ますます好きになった。
確かに師匠の修行はつらいけど……、それでも知らなかったことを知り、出来なかったことが出来るようになった時の喜びは何物にも変えられない。未だに師匠に褒められたり出来るようになったと言われたことはないけど……。
「御機嫌よう、皐月ちゃん」
「咲耶ちゃん、ごきげんよう」
俺が話しかけると皐月ちゃんは挨拶を返してくれた。だけど何だか元気がないような気がする。
「どうかしたの?何かあった?」
「……え?」
俺がそう聞くとポカンとした顔で見上げられてしまった。教室の机に座っている皐月ちゃんと同じ高さになるように少しだけしゃがんで目線の高さを合わせる。相手と真剣な話をする時はこうして目線の高さを合わせてきちんと目を合わせて話すべきだ。
「何で……?ううん……、何でもない。何もないよ?」
おかしい……。絶対に何かあったに違いない。でも言いたくないというのなら無理に聞き出すのも良くないかもしれない。もちろん放っておくよりきちんと無理に聞き出してでも関わった方が良い時もある。だけど本人が言いたくないことを無理に言わせるよりもそっとしておく方が良い時もある。
どちらが正解かは聞いてみなければわからず……、お互いの関係性という問題もある。
俺と皐月ちゃんの今の関係性ではあまり込み入ったことに踏み込まれるのは嫌かもしれない。よほど親しい相手なら相談することでも、学園で少し顔を合わせる程度の相手にいちいち込み入ったことは言わないだろう。
そう考えると少し寂しいけど……、でも残念ながら今の俺と皐月ちゃんの関係はそんなもんだ。ちょっと学園でクラスメイトで少し挨拶や話をしたりする程度の間柄……。そんな俺が無理に込み入った事情に入り込むのはよくないかもしれない……。
「そう……。わかったわ……」
「ぁ……」
そう言って俺が立ち上がると少しだけ皐月ちゃんの声が漏れた気がした。少し申し訳なさそうな顔をしている気がする。でも俺からこれ以上無理に聞くのはやめておく。薄情と思われるかもしれないけど……。皐月ちゃんと仲良くなりたいけど……。だからこそ……。
「皐月ちゃんが何でもないっていうのならこれ以上聞かない……。でもね、私は皐月ちゃんのことをお友達だと思っているわ。お友達が困っていたら助けたいと思うし相談されたら出来る限り応えたい。だから……、もし皐月ちゃんも私のことを友達だと思ってくれているのなら……、何か困ったことがあったらいつでも遠慮せず言って……、ね?」
「…………」
皐月ちゃんはそれ以上何も言わなかった。でも拒絶されてるとかそんな感じはしない。言いたいけど言えない。相談したいけど出来ない。そんな葛藤があるのかもしれない。
もちろん皐月ちゃんの心の中なんてわからないけど……、少なくとも気持ち悪がられたり拒絶されてるわけじゃないと思う。だったら後は皐月ちゃんの方から話してくれるまで待つしかない。そう思った俺は自分の席へと向かったのだった。
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やっぱり今日一日皐月ちゃんは様子がおかしかった。他の皆は気付いていないのか、気にもしていないのか、それとも気付いていても放っているのか……。誰も皐月ちゃんにそのことを聞いたりしていない。
皐月ちゃんだって友達くらいいる。俺より多いくらいだ。俺は何か皆に遠巻きに見られているだけで親しい友達がいない。何でだろう?やっぱり咲耶お嬢様の呪いなのかと思ってしまうけど……。
まぁ俺のことはいい。それより皐月ちゃんだ。皐月ちゃんは俺と違って友達もいるのに皆皐月ちゃんの様子に気付かないのか、気付いていても放っているのか……。どうすればいいんだろう?皆も悩んでいるから深く突っ込まないようにしているのかな?
そんなことを考えながら五北会のサロンでお茶を飲んでいると……。
「ちょっと……」
「え?どうしたの薊ちゃん?」
珍しいことに……、そう、非常に珍しいことに薊ちゃんが俺に話しかけてきた。薊ちゃんが俺に話しかけてくるなんて滅多にない。たまにあっても事務的なことがほとんどだ。俺から話しかけたら答えてはくれるけど向こうから来ることはまずない。
とくに五北会のサロンではどうやら皐月ちゃんは皐月ちゃんの派閥に、薊ちゃんは薊ちゃんの派閥だけで集まっているようで二人が会話することも、俺の所へ来ることもなかった。それなのに今は薊ちゃんが俺の所にやってきて声をかけてきた。物凄く珍しいこともあるものだ。
「気安くアザミちゃんって呼ばないでよね!前から何度も言ってるでしょ!」
いいじゃん……。薊ちゃんは薊ちゃんだし……。
「それで薊ちゃん、何か用があったんじゃないの?」
「だからアザミって……、あぁ!もう!今はいいわ!それよりあの子どうしたのよ?」
俺がしつこく薊ちゃんって呼んでたら折れた。こうして徐々に慣らしていけばそのうち親しくなれそうだな。薊ちゃんは割と押したら簡単に仲良くなれそうな気もする。皐月ちゃんは表面上は親しくしてくれているように見えるけどちょっと距離というか一歩引いているのが感じられる。
「あの子って?」
「だからあの子よ!あんたがいつもべったりしてる!あんたあの子の様子がおかしいのもわからないの?」
どうやら皐月ちゃんのことを言っているらしい。別に俺と皐月ちゃんはべったりじゃないけどな。むしろ少し距離を置かれているのがよくわかるくらいの関係性だ。
それはいいとしてどうやら薊ちゃんも皐月ちゃんの様子がおかしいことに気付いているらしい。しかも気になるんだ。わざわざ皐月ちゃんと親しいと思われている俺に聞きに来るくらいには……。
「ふふっ」
「ちょっとあんた、何がおかしいのよ?自分の友達の様子がおかしいのにそれ笑うところじゃないわよ」
「そうですね。私が笑ったのは皐月ちゃんのことについてではありませんよ。皐月ちゃんの様子に気付いて私にわざわざ聞きに来てくれる薊ちゃんが可愛くて、それほど皐月ちゃんを思ってくれてるのがうれしかったんです」
「なっ!私は別に……」
顔を真っ赤にして必死に否定しようとしている薊ちゃんはとても可愛かった。