第百九十四話「一方その頃」
九条家のパーティーの夜、樋口家の両親は驚いていた。玄関口で出迎えに出ていた九条家のご令嬢と、娘の芹が随分仲良さそうに話していたからだ。
学園のクラスが同じであるということは聞いている。だから同じクラスということで多少親しくしていただいているくらいは有り得るだろう。両親も少しだけマナー教室に顔を出したことがあるが、その時はクラスメイトだから声をかけてくれたのだという程度にしか思っていなかった。
しかし先ほどの態度からして明らかに他の招待客よりも親しげだったのは間違いない。パーティーへの招待も、マナー講習の時に声をかけてくださったのも、ただクラスメイトだからかと思っていたが、どうやらその認識は改めなければならないようだと両親もようやく気付き始めた。
「芹……、九条様とはそんなに親しいのかい?」
「え?そう……、ですね。九条さんはよく私に声をかけてくださいますよ」
その『九条さん』呼びも何だか怖い。他の家に聞かれたら不敬だとして責められてしまいそうな気さえする。芹の実家である樋口家は普通の地下家だ。これまでも地下家として振る舞ってきたし交友関係もある。樋口家に相応のパーティーにも顔を出している。しかし五北家にここまでの扱いを受けたことなどない。いや、こんな扱いを受けるような家ではない。
「その九条さんというのは……」
「本当は下の名前で呼んで欲しいと言われたのですが、どうしても恐れ多くて、自分達はお友達なのだから様付けはいらないと言われて、何とか頑張って九条さんで落ち着いたんです」
両親は顔を見合わせる。娘は何か変な夢でも見たのではないかと思ってしまう。五北家が地下家である樋口家の者に下の名前で呼んでも良いなどと言うとは思えない。だが入り口でのやり取りを見たら本当のことにしか思えない。
豪華すぎるパーティー会場に入って暫くすると何やらそれなりの人数の一団がやってきた。何事かと思って身構える。
「貴女、樋口芹さんですね?」
「え?あの……、はい……」
子供達の一団が娘に話しかけている。もしかして絡まれているのかと思ってそちらを見てみれば……。
「えっ!?徳大寺様に西園寺様!正親町三条様まで!?他にも堂上家の方々が一体……。あの……、娘が何かしてしまったでしょうか?」
それなりにパーティーに顔を出している樋口家はその女の子達を見て誰だかわかってしまった。五北家ほどではないとしても、七清家や五北会メンバークラスの家の子女の顔くらい覚えている。他にも有力堂上家のご令嬢達だらけの集まりだ。そんな雲の上の存在が何故娘に話しかけてきているのかわからない。
「ええ、少し今日のパーティーはご一緒させていただこうと思いまして……。あぁ、秋桐ちゃんもそこにいたんですね」
「さつきちゃん!あざみちゃん!こんばんは!」
自分達のすぐ近くにいた別の家族連れにも声がかけられる。またやばい家が増えるのかと思ってそちらを見てみたが、これまでのパーティーで見たことがない相手だった。子供も小さいようだし、今までこういう場にあまり参加していなかった家なのかもしれない。
「樋口家の皆様、それから幸徳井家の皆様、実は私達は本日のパーティーで芹さんと秋桐ちゃんの面倒を見るようにと咲耶ちゃんに申し付かっております。よければ私達がご一緒してもよろしいでしょうか?」
西園寺家のご令嬢が地下家である自分達に向かって謙ってそんなことを言う。うれしいとか有頂天になるというよりもむしろ恐怖が先に来てどうすればいいのかわからない。恐れ多い上にこの後に何が待っているのかわからずとても怖い。
周囲も一体何事かと思って少し遠巻きに見ている。それもそのはずだろう。相手の面々を見れば、これだけの面々にこれだけの対応をされている相手とは一体何者なのかと思われてもおかしくはない。自分だって外から見ていたらその相手に下手なことをしようとは絶対に思わない。まさかそれが自分達になるとは思ってもみなかったが……。
「あっ、あの……、私達は大丈夫ですので娘だけ連れて行っていただいて構いません。私達はゆっくりしているので、娘と一緒にパーティーを楽しんできてください」
「あっ、じゃあうちもそれで……、秋桐はその方達のことを知っているんだろう?行っておいで」
樋口家の言葉に幸徳井家も乗っかる。一体何事なのかよく理解していないが、とにかく大変なことに巻き込まれているということだけは友康にも理解出来た。娘や孫を生贄に捧げたようなものだが、相手が随分フレンドリーなことから何かされるということはないだろう。そもそもあの面々なら何かするつもりならもっと簡単に何でも出来てしまう。こんな場を利用する必要はない。
「そうですか?それでは芹さんと秋桐ちゃん、少しパーティーを見て回りましょうか?」
「うん!いくー!」
「えっと……、はい……」
西園寺家のご令嬢にドナドナされていく娘を見送った芹の父、樋口頼久は隣に立つもう一組の家族連れを見た。やはり顔も知らない相手だ。だが油断はしない。こういう場にはどんな魑魅魍魎がいるかわからない。
「え~……、お互い大変ですね」
「え?えぇ、そうですね」
相手から話しかけられて頼久は驚いた。どれほどの相手かとやや身構えるが、多少の教養はありそうだがそれほど上位の家のような威圧は受けない。
「あの……、今日は家のことについてお聞きするのは禁止だそうですが……、なにぶんこういうことはあまり経験がなく……、よければお名前などをいただければ……」
「あっ、これはすみません。私は地下家である樋口家当主、樋口頼久です」
「あっ!あぁ!そうですか!地下家の!それはよかった……。あっ!すみません。私は、いや、私も地下家の幸徳井家当主、幸徳井友康です。よろしくお願いします」
お互いに名乗り合い、お互いが地下家であると聞いてホッとする。ここは周り中化物だらけすぎる。少し失敗して相手の足を踏んでしまったら、それだけで自分の家が消し飛んでしまいかねない。いわば動き回る地雷や機雷が撒き散らされている地雷原だ。
「よければこういう場でのことを色々と教えていただけると助かるのですが……」
「そうですね……。それではまずは少しこの場から移動しましょうか。目立たない端に行きましょう」
頼久の言葉に友康も頷き、両家は残った家族を連れて端へと移動した。
しかし二人は気付いていなかった。周りにいる家の者達の方こそが両家のことを、九条家のご令嬢と親しい動き回る核弾頭であると思って恐れていることを……。
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「いやぁ!頼久さんにお会い出来てよかった」
「いえいえ、こちらこそ友康さんと保幸さんと知り合えてよかったですよ」
隅の方に移動した両家はすっかり意気投合していた。こんな魑魅魍魎が跋扈する地獄で、似たような境遇の家同士知り合えたのは心強い。何より幸徳井家は友康以外は藤花学園に通ったこともなく、一般人として育った者ばかりだ。友康もそれからあまりこういう場には関わっていなかったので慣れていない。
その点、頼久は地下家として活動しあちこちにも参加していたので色々と話が聞けて助かっている。
「おや……、どうやらダンスが始まるようですね。普通のパーティーならダンスのスペースを空けるようにアナウンスが入るものですが……」
「あれ?あれは頼久さんの娘さんでは?」
「お相手は……、九条様……」
ホールの中央に出てきて突然踊り出したのは九条咲耶と樋口芹だった。その姿に頼久は驚く。しかし……、美しいダンスだ。娘がこれほど踊れるなど聞いたこともなかった。そもそもあまりダンスになど通わせていないはずだが……、恐らくリードが素晴らしいからそれに引っ張られているのだろう。
そしてあっという間に一曲が終わりダンスは終わってしまった。我が娘ながら見惚れていた頼久は残念に思ったがそれで終わりではなかった。
「どうやら、今度は友康さんのお孫さんが踊るようですね」
「うちの孫にはダンスなんて習わせてませんよ!?そうだな?保幸君」
「はい……。ダンスなんてしたことも……、あれ?」
すぐに曲が始まってしまった。どうにか止められないかと思っていたが、何と秋桐もうまく踊っているように見える。驚きのあまり言葉も出ない。
その後からは他の招待客達も次々に踊り出し、あっという間にダンスで一杯になってしまった。その演出は中々新鮮で、いつものパターンに慣れている者達からすればとても面白いものだった。
「それでは私達はこの辺りで」
「はい。それではまたいつか機会があればお会いしましょう」
パーティーもお開きとなり、両家は随分親しくなって分かれた。お互いに連絡先も交換している。幸徳井家にとっては色々と聞けるほど良い相手だ。そして樋口家にとっても交友関係が広がるのは悪いことではない。
この後、僅か二週間後に再会することになるとは露知らず、友康と保幸と頼久は固い握手を交わして帰路についたのだった。
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パーティーから遡ること二週間近く前、一部の家から悲鳴が上がっていた。
「くっ、くっ、九条家からホームパーティーのお誘いだと!?今度の大規模パーティーから間もなしだ!何故うちのような家にこんなものがっ!?」
「蒲公英!貴女何か知っているの?知っていることをお母さんにきちんと話して!?」
九条家諸大夫である塩小路家は阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。九条家からパーティーの招待状が届いたのだ。派閥・門流が集まるパーティーでもそうそう呼ばれることがない塩小路家が、九条家主催の大規模パーティーのすぐ後にまた開かれるホームパーティーに呼ばれるなど意味がわからない。
大規模パーティーの方に抽選で当たって呼ばれたというのならまだ納得出来るが、少人数のホームパーティーに呼ばれるなどよほどのことだろう。
「ぱーてぃー!さくやおねえちゃんからきたんだ!さくやおねえちゃんがぱーてぃーによんでくれるってやくそくしてたの!」
「さくや……、おねえちゃん……?咲耶お姉ちゃんっ!?九条咲耶様っ!?」
「どういうことなの!蒲公英!貴女学園で何をしたの!?」
両親にとってはそれはまるで死刑宣告のように見えた。家に呼び出されて派閥から放り出されるのではないかとすら思える。でなければわざわざ本当に塩小路家などパーティーに呼ぶとは思えない。塩小路家の混乱はさらに拍車がかかったのだった。
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同じ頃、熊谷家でも同様のことが起こっていた。しかもこちらは九条関係ではなく二条家派閥だ。何故二条派閥の地下家である熊谷家が九条家のホームパーティーに呼ばれるのか意味がわからない。
「桔梗!桔梗!これはどういうこと!?」
「さくやおねえちゃんからやっときたー!わーい!」
「わーいじゃない!うちなどを呼び出して……、九条家は一体何をするつもりなんだ……」
無邪気にはしゃぐ桔梗と一体何の陰謀に巻き込まれているのかと怯える両親。ここにもまた事情がわからず慌てている家があった。
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「これは……、本家に送るつもりだった招待状が間違って届いたんじゃないのか?」
「ああ……、そういうことですか。それなら納得です」
樋口空木の実家では、本家に送るつもりだった招待状が間違って分家であるこちらに届いたのではないかと判断していた。こちらの樋口家の本家は堂上家で九条門流だ。それならば九条家のホームパーティーに呼ばれてもおかしくはないかもしれない。
「ですが……、それにしては……、本家には今、九条家の方と年齢の近い子供はいませんよね?もう関係も遠くなっているのではっきりとは把握していませんが……」
「そうだな……。確かに今樋口家に九条家の良実様や咲耶様と歳の近い子供はいない。一番近いのはうちの空木くらいだが……。いや、まさかそんな……」
もし間違って届いた招待状を開けてしまったとなると少々体裁が悪いが、念のためと思って招待状の封を切って中身を確認した。招待客の名前は間違いなく両親と空木、この家の者になっている。招待状の送り先を間違えたということはなくなった。
「空木?貴女何か知っているの?」
「なにー?」
もし何か繋がりがあるとすれば娘しかあり得ない。ならば娘に聞くのが一番だ。
「九条咲耶様からパーティーの招待状が届いた。何か知っているのか?」
「さくやおねえちゃんから!やったー!おやくそくどおりだー!」
「やっぱり知っているのか!?何てことだ……。一体どうしたら……」
堂上家の本家を差し置いて、自分達が九条家のホームパーティーに呼ばれたなどと知れ渡ったらどうなるかわからない。しかも五北家のパーティーになど参加したこともない。本家に相談に行こうにも相談に行けない案件だ。樋口家は途方に暮れたのだった。
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それからさらに一週間近くが経過した頃、清岡家には歓声が上がっていた。
「李!お前九条家とのコネを作っていたのか!さすがわしの娘だ!」
「本当に!よくやったわ李!」
「はい!九条様とはお話したこともありませんけど!でも私が招待されるのはとうぜんです!」
「「えっ?」」
李の言葉に両親は首を傾げる。李には有力な家と親しくなって顔を売ってくるように日頃から言い聞かせていた。家が傾きかけ品位維持も難しくなっている清岡家は、あちこちでコネを作ったり顔を売ったりして必死になっていた。
その努力を家や会社を立て直すために使えば良いものを、清岡家はその労力を集れる他の家を探すことに必死になっていた。主家である一条家が派閥や門流を簡単に見捨ててしまうので、傾いている家が多くなっている。
他派閥だろうが何だろうがどうでもいい。とにかくちょっと借金させてくれる家でも、何か利益のある話に一枚噛ませてくれる家でも何でもいい。金になる木さえ手に入れば良いのだ。
しかし、学園で親しくなって呼ばれたのかと思いきや、当の娘は九条家のご令嬢と話したことも、それどころか会ったこともないという。会ったこともない相手を何故いきなりパーティーに呼ぶのか。それはさっぱりわからない。わからないがそれはどうでもいい。
「まぁ良いわ!これで九条家とコネが出来れば……」
「九条家に当家のことをどうにかしてもらいましょう」
「ぐふふっ!」
清岡家は有頂天で舞い上がり、妄想で取らぬ狸の皮算用を始めていたのだった。