第百九十一話「ぞくぞく到着」
四月の最終土曜日……。この日、九条家に隣接する巨大な会場のロータリーに次々に高級車が入り列をなして並んでいた。
今日はここで五北家の一角である九条家のパーティーが行われる。その規模は単純に比較すれば近衛家のパーティーの規模には及ばないが、パーティーの質そのものでは圧倒的に上回っているのではないかと期待せずにはいられない。それほど会場からして圧倒される出来となっていた。
「ほう……、これが九条家の……」
「近衛家とも鷹司家とも趣が違う。これは楽しみですなぁ」
たくさんのパーティーに参加している有力家の面々も、豪華な会場を見て今日のパーティーに期待を膨らませる。近衛家のパーティーは規模こそ大きいものの、大きな国際会議場やホールや体育館を思わせるような場所で行なわれる大味なものだ。
確かに規模には圧倒されるが、広すぎるホールに大勢の人間がたむろする忙しなさや、いくら多くの人手を配置しても痒いところに手が届かないサービスの悪さは否めない。
逆に鷹司家のパーティーは、呼ばれない者達にとっては憧れかもしれないが、参加している者達からすればホームパーティーの延長のようにしか感じられないものだ。確かに選ばれた者だけが呼ばれる非常に自尊心をくすぐるパーティーではあるが、鷹司家の自宅で行なわれるそのパーティーはやや物足りなく感じてしまう。
とことん上位の家だけを呼ぶ選ばれし者のパーティーであり、料理も給仕の質も高いのは間違いない。参加者の面子も豪華であり、顔を出して挨拶をするだけでも十分に得る物はある。しかしやはり何か物足りない。参加者の格が頼りとなっているような感じが否めない。
それらに比べてこれまで九条家のパーティーは外部の者を招いたことがほとんどない。派閥や門流、あるいは親戚筋とのパーティーはあっても、今回のような外様を招いての大規模パーティーは催されたことがなかった。そんな九条家のパーティーとは一体どのようなものであるのか。期待するなという方が無理な話だ。
九条家の屋敷に隣接されているその会場は、歴史と伝統がある九条家に相応しく重厚で豪華なものだった。ただ単純に派手な成金趣味というわけでもなく、威厳と重厚さを漂わせつつ、それでいて細部にまで拘った美しさがある。
その会場前のロータリーに一台の高級リムジンが停まる。降りてきたのは他の招待客が見たこともない一家だった。
「あれはどこの……?」
「う~む……。わからん……」
「しかしあのリムジンから考えたら……」
乗り付けたリムジンは五北家が乗っていてもおかしくないような高級なものだ。そして付き人のレベルも圧倒的に高い。相当高位な家の御仁かと周囲は噂で持ち切りになる。
「こっ、ここが……、会場?」
「お義父さん……、我々は場違いなのでは……」
「まぁ、素敵ねぇ」
「お母さんは図太すぎるわ……」
「うわぁっ!」
降りて来たのは幸徳井家の面々だった。今日のパーティーは出自や家格を気にせず、誰もが楽しめる仮面舞踏会というコンセプトである。だが乗り付ける車の差があればその時点で軽く見られてしまう恐れがある。そこで送迎を希望する家には九条家から車が出されている。幸徳井家も九条家の送迎でやってきただけだ。
そして九条家の狙い通り、乗り付ける車で相手の懐具合などを調べようとする者達は、やってくる招待客がどの程度の相手なのか計りかねていた。衣装のレンタルもされているので、着ている物で判断するのも難しい。
普通の上位の家ならば元々顔が知れ渡っているから、今日初めて見たような相手は大体地下家や一般生徒から呼ばれた者であろうという推測は立つ。しかしそれは絶対ではない。もし万が一にもそう思っていて思わぬ相手を軽く扱ってしまったら取り返しがつかない。
結果、咲耶が狙った通りに上位の家も下手なことは出来ず、様子を窺いながら相手をある程度尊重する空気が出来上がっていた。
「まぁ!ようこそいらしてくださいました」
「さくやおねえちゃん!」
「「「「「――っ!?」」」」」
入り口付近で招待客を案内していた九条咲耶がその一家に直接声をかけた。しかも連れていた娘がとても親しそうにしている。それを見て他の招待客はその一家を要注意として記憶した。九条家のご令嬢が懇意にしているような家に何かしてしまえば、最悪の場合は九条家まで敵に回しかねない。
その相手の家が何であるとか、地下家だ、一般生徒だというのは最早関係ない。九条家のご令嬢が懇意にしている相手の家、というだけで十分丁寧に接する理由になる。
「あっ、あのっ……、ほっ、本日はおみゃねきいただき……」
友康が裏返った声で咲耶に挨拶をしようとする。しかし噛み噛みで声も裏返っていてまともに話せていない。幸い周囲は遠巻きに見ているから聞こえていなかったであろうが、当主の失態に保幸は顔に手を当てて天を仰ぐ。
「もうっ!あなた!しっかりなさい!咲耶ちゃん、今日はこんな素敵なパーティーに呼んでくれてありがとう」
軽くパシンと夫を叩いた緋桐が気安く咲耶に挨拶する。これだけのパーティー会場を見て、招待客の面々を見て、それでもこれだけ動じない緋桐はある意味でとんでもない大物なのかもしれない。そしてそれは周囲に対してもそうだった。
「おい……、あのご夫人……」
「ああ……、随分九条家のご令嬢と親しそうだ」
声は聞こえなくとも雰囲気は伝わる。咲耶の前に立っているというのに余裕の表情を浮かべているご夫人と、余所行きの顔ではなく柔らかく対応している九条家のご令嬢を見ればその間柄が何となくわかろうというものだ。
簡単な挨拶を済ませたその一家は会場へと入っていった。まるで顔パスのように悠々と入っていくその姿に、他の招待客達は絶対にあの一家に妙なことはしないでおこうと心に誓ったのだった。
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暫くしてロータリーにまた別の車が入って来た。標準的な地下家が乗っているような普通の車だ。そこから降りて来たのは樋口家だった。樋口家は幸徳井家と違ってそれなりにあちこちに顔を出しているので、見れば知っているというような相手はチラホラいる。
「芹ちゃん!ようこそおいでくださいました」
「九条さん、本日はお招きいただきありがとうございます」
「「「「「――っ!?!?」」」」」
今度は明らかに地下家が相手でありながら、九条家のご令嬢が丁寧に対応している。しかも『ちゃん』呼びに『九条さん』ときたものだ。明らかに普通よりも親しい間柄であり、九条家のご令嬢が相当気にかけていることが窺える。
「そのドレスとても良く似合っていますよ」
「えっと……、ありがとうございます。九条さんもとても素敵ですよ」
お互いに笑い合いながら和気藹々と話している雰囲気が伝わってくる。入り口付近で招待客をチェックしていた者達は理解した。樋口家に対しても地下家だからと迂闊なことはしてはいけない。別に仲間でもないのに、何故か招待客をチェックしていた者達はお互いに頷き合ってそれを確認したのだった。
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入り口を通って中へと入った幸徳井家の面々はあまりの豪華さに眩暈を覚えていた。いや、緋桐と秋桐だけは純粋に喜んでいたが、残りの三人は、というべきだろうか。
「こっ、これは……、これだけの会場とか設備を借りたらどれくらいになるの?」
「借りるだけなら……、数百万くらいじゃないかな……?総費用は数千万はかかるだろうけど……」
普通のホールや会議場ならかなり大規模でも数十万から借りられる所もある。ドームを借りれば数千万はかかるであろうが、普通のホールなら数百万もあればほとんどの所は借りられると思われる。
ただしそれは会場を借りる料金だけの話であり、パーティーを行なうのなら飾りつけや給仕を雇うのにもお金はかかる。料理にもお金がかかるだろう。そう考えればこれだけのパーティーを開こうと思ったら数千万はかかっているのではないかと思われる。
「私とんでもないことしてたのね……」
相手の格があまりに違いすぎる。名門だの金持ちだのと言ってもそこらの会社の社長程度にしか考えていなかった。しかし現実にその財力や影響力を目の当たりにすれば自分達とではあまりに格が違いすぎることを実感させられた。
もし前回実家に咲耶が訪れていた時の小紫の対応に本気で怒っていたら……、父、友康の言っていたことが決してオーバーな話ではないと肌で感じられる。
「あのな……、ここはレンタルじゃない。九条家の所有物件だ。しかも九条家のお宅はこのすぐ隣にある。建設費は数十億は下らないだろう。下手したら数百億だ。さらにこれだけの内装費に、維持費に、パーティーを開くたびにかかる費用……。九条家がどういうおうちかわかるというものだろう?」
友康の言葉に保幸と小紫の喉がゴクリと鳴る。野心的な者ならばそんな相手と知り合えた幸運を喜び、最大限利用しようと思うのかもしれない。しかし小市民的である保幸と小紫には、そんな相手を利用しようとする思いよりも先に恐怖が襲っていた。
「へぇ、凄いのねぇ」
「すごーい!」
「「「…………」」」
まるで緊張感のない二人に三人の視線が突き刺さる。しかし二人には通じない。
「まったく……、秋桐は将来大物になるよ……」
自らの妻に良く似ている孫に、友康は何とも心強いものを感じたのだった。
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入り口で招待客をチェックしているグループは咲耶の人脈に驚いていた。九条家のご令嬢はあまり社交場に出てこない。だから人脈も派閥も作っておらず恐れるに足りない。そんな話が出回っていた。しかしそれはまったくの出鱈目だ。
派閥が違うどころか場合によっては敵対的というのに近いほどの相手であったはずの、徳大寺、西園寺のご令嬢との親しさはどうだ。もし九条に徳大寺と西園寺がついているのならば、各財閥の力関係に大きな変化があるとすら言える大事件になる。
さらに正親町三条まで九条と親しい。近衛門流であるはずの正親町三条家が九条家と近いということは、もしかしたら許婚レースでも近衛が一歩リードしているのかもしれない。近衛と九条がくっつくなどということがあれば勢力図が激変してしまう。手がつけられない怪物財閥が誕生することになる。
他にも多数の堂上家と親しくしているが、それも自派閥や門流ばかりではない。まったく異なる派閥や門流の家とかなり親しくしている。これは今までいなかったタイプのご令嬢であり、本来ならば自分の派閥や門流を最優先に固めるこれまでの上流階級の手法とはまったく異なる。
派閥や門流を越えてこれだけの家々と繋がりがある九条家のご令嬢のどこが人脈も派閥もないというのか。むしろ旧来の派閥を越えた人脈を持つ要注意人物ではないか。
さらに上位の家ばかりにかまけるこれまでのような者達と違い、地下家であろうが一般生徒であろうが広い交流関係を持っている。一つ一つの家の力は微々たるものであっても、それが数多く集まれば侮れない。家の力よりもその数やネットワークが大きな力となるのだ。
そういったこれまでの上流階級の常識を超えた行動は一部からは白い目で見られるだろう。しかしその脅威がわかる者からすれば九条家のご令嬢は化物にしか見えない。行動力、先見性、これまでの慣例に捉われない柔軟さ、そして何よりも相手の身分を問わず多くの人間を惹き付けるカリスマ……。
今回のパーティーに地下家や一般生徒を呼ぶことを馬鹿にしていた者達もやがて思い知るだろう。九条家のご令嬢のその手腕とカリスマ性を……。古い考えに囚われている自分達の遥か先を行くその先見性を……。
「九条様!ごきげんよう!」
「竜胆ちゃん、御機嫌よう。よく来てくれたわね」
「こんばんは九条様」
「榊君も御機嫌よう」
「「「――っ!?」」」
そしてまた……、あり得ない光景がさらに広がる。七清家である久我家と、その分家筋である大臣家の中院家のご令嬢とご子息が、またしても九条家のご令嬢と親しげに話しているのだ。九条家のご令嬢は一体どれだけ七清家と懇意にしているというのか。
同世代で五北会で顔を合わせているのだからある程度の顔見知りであることに不思議はない。しかし五北会と言えども外に対してはある程度協力して対応するが、内部では派閥や門流に分かれており、別派閥や門流とはそれほど親しくない。
外部から見ている者にはわからないかもしれないが、実際に五北会に入っている者にとってはそれは常識だ。サロンにいてもよほどの用がなければ他派閥と話したこともないという者同士も割と多い。
それなのに……、そういう慣例や常識を超えて、九条家のご令嬢は有力者達との強い繋がりを持っている。それも対等な間柄ではなく明らかに九条有利の関係だろう。九条に従う七清家が多数などまったく笑えない。このままいけば九条が近衛を上回るのもそう遠くないのではないかとすら思える。
九条が直隠しにしてきた秘蔵っ子……、最初は馬鹿にしていた者達も大勢いた。出て来た当初は色々と囁かれていた時期もある。しかし……、表に出てきてから数年でこれだけの人脈と派閥を作り上げている。とても笑えない。
藤花学園の女帝、九条咲耶……。社交界デビュー以来のことを知っている大人達はまったく信じず笑っていたが……、今の藤花学園が誰によって支配されているのか。その現実をこのパーティーによってまざまざと見せ付けられたのだった。




