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第十八話「やっぱり百地流は……」


 すっかり忘れてた。いや、忘れていないけどね!わかってたけど後回しにしようと思ってただけだ。でもこれだけお膳立てされてしまっては仕方がない。伊吹にさっさとお返しを渡しておこう。


「近衛様、これは先日のお返しの品です。どうぞご笑納ください」


「おう!」


 あれ?こいつさっきから『おう』しか言ってなくない?まぁいいけど……。それと何で若干半笑いなんだ?気持ち悪いんだけど……。


 それもまぁいい。俺が差し出したお返しを伊吹は受け取った。そう、五北会のメンバー達の前で。それが重要だ。これで俺は昨日贈り物を貰ったけど翌日にはお返しをしたということが皆の前で示された。これで誰の目にも貸し借りなしだと明らかになったはずだ。


「それでは私はこれで……」


 皆の話題と視線が伊吹に集まっているうちに俺はさっさと五北会のサロンから抜け出して……。


「咲耶、どこへ行くんだい?」


「お兄様……」


 ちっ、良実君に捕まってしまった。そこは見逃しておくのが兄としての優しさじゃないのか?もう伊吹へのお返しは終わってこんな所にいる理由はなくなった。俺としてはさっさと退散したいというのに……。


 とはいえ例えサロンから抜け出しても迎えの車が来るまでまだ時間がある。どの道どこかで時間を潰さなければならないのならここに居ても同じだ。いや……、伊吹や槐がいない所の方が良いんだけどサロンから逃げたのを母に知られたらそれはそれで面倒なことになる。


 兄に捕まった俺は渋々一人で奥の席に着いた。ここは奥まっているし誰も来ないから俺のお気に入りになりつつある。ここは俺の指定席だ!誰も来るんじゃねぇ!


「ありがとうね九条さん」


「…………は?」


 俺がお気に入りになりつつある奥の席に座ってお茶を飲んでいると槐がやってきた。でも全然意味がわからない。俺は何故槐にお礼を言われたんだろうか?


「伊吹が随分喜んでるよ。あんなに喜んでる伊吹を見るのは久しぶりなんだ」


「そうですか……」


 いや……、そんなこと言われても知らんがな……。俺には関係ないし……。


 そんなにあの店のチョコレートが好きだったのか?確かゲーム『恋花』でも初恋の人に贈られた思い出の生チョコレートとか言ってたもんな。そんなに好きなら自分で買いに行けばいいのに……。


 チョコレートにしては確かにそこそこ高いけど、滅茶苦茶高いっていうこともないし、普通よりはちょっとお高いチョコレートって感じだ。数量限定ってこともないから普通に店に行けばまず買えるし何も特別でも何でもない。


 チラリと伊吹の方を見てみれば包みを大事そうに持っている。伊吹の性格ならすぐに開けて中身を確認したりこの場で食べたりするのかと思ったけどちょっと意外だ。でも中身はチョコレートだからあまり体温が伝わるような持ち方はしない方が良いと思うぞ。


「鷹司様、あの中身はチョコレートなのです。あのような持ち方をしていてはチョコレートが溶けて味が損なわれてしまうので近衛様にお伝えください」


「九条さんが自分で言ってあげればいいのに……。まぁいいや。わかったよ。それじゃあね九条さん」


 それだけ言うと槐は離れていった。よかったよかった。ようやく俺の平和な時間が戻ってきた。これでゆっくりお茶を楽しめる……。


「ねぇ咲耶ちゃん、俺には?」


「広幡様…………」


 何で俺がお前に贈り物をしなきゃならないんだ?伊吹に贈り物をしたのは贈られたからすぐにお返ししただけだ。それはお前も見ていただろう?あれは返礼の品だということはすぐにわかるはずだ。何故何も貸し借りがないお前に俺が贈り物をしなければならないというのか。


「おい水木……、妹に手を出すなと言ったはずだが?」


「お兄様」


 頑張れ良実君!こいつを追い払ってくれ!こいつは俺の敵だ!リア充野郎だ!俺みたいな非リア充の天敵だ!この女垂らしめ!女の敵め!そもそもこんな奴に騙される女も悪い!俺みたいな誠実で大人しくて良い奴は無視するくせに、こういうチャラいだけの奴に誘われたら簡単に乗りやがって!


「別に手なんて出してないだろ?」


「咲耶がお前に毒されたらどうする。あまり変なことをするなよ」


 兄が間に入ってくれたお陰で水木の興味は俺から兄との会話に移ったようだ。でもこの席の周りでしゃべるのはやめてもらいたい。俺の落ち着いた静かな時間が壊されていく……。


 五北会のサロンでは薊ちゃんも皐月ちゃんも俺の周りに来ない。おかしいな……。ゲームでは常にべったりだったけど、ゲームじゃなくてもそろそろ一緒にテーブルを囲んでお話でもしていてもおかしくないはずだけど……。


 お昼休みの会話だってうまくいったはずだし、こっちでも一緒にテーブルを囲んでキャッキャウフフしててもおかしくないはずなのに何でだろう?


 まぁ仕方ないか……。焦っても良い結果には結びつかないだろう。まだ何年もあるんだ。ちょっとずつ仲良くなっていこう。




  ~~~~~~~




 サロンでは気配を消して兄と水木が話している影に隠れてやり過ごした。今は兄と一緒に帰りの車の中だ。


「お兄様……、やはり私もどこかでお作法を習った方が良いのでしょうか?」


「え?どうしてだい?咲耶はきちんと出来ていると思うよ?」


 え?そんなことはないだろう?皐月ちゃんも何か変な顔をしていたぞ。俺って百地師匠以外からはそういうことを習っていないしやっぱりあの忍者のジジイが教えてるから何か変なんじゃないか?どこかで本格的なものを習った方が良いと思うぞ。


「実は今日学食で西園寺様とご一緒して……」


 俺は今日皐月ちゃんとの学食でのやりとりを兄に話してみた。とても小学生とは思えないこの兄ならば何かわかるかもしれない。それに作法がおかしいのなら直しておいた方が良いだろう。例え俺が望まないとしてもこれからは九条家の娘としてあちこちのパーティーや催しに参加しなければならない時が増えるはずだ。


 その時になってマナーも作法もなっていないとなったら俺だけじゃなくて九条家全体に恥をかかせてしまう。それに恥をかくだけならともかく九条家没落のフラグにならないとも限らない。出来るだけ失敗や余計なリスクは避けておく方が良い。


「う~ん……。そんなに気になるなら一度他所で見てもらえば良いと思うけど……。そんな心配はいらないと思うけどね」


 そう言いながら兄は何か色々と考えてくれていたようだ。やっぱりこの兄は頼りになる。小学校六年生とは思えないくらいに良く出来すぎているけど……。それで言えば五北会のメンバー達も、薊ちゃんや皐月ちゃん達だって到底あんな年の子供とは思えないわけで……。やっぱり教育というのは重要なんだろう。


 ともかく全て兄に丸投げしたことで安心した俺はもうそのことは気にすることなく家に……、は帰れない。この後百地流の道場に送り届けられて師匠にこってり絞られた。心の中でジジイと言ったのが悪かったのかな……。




  ~~~~~~~




 今日は放課後に五北会に寄ることなく直帰出来る!まぁ直帰なわけじゃないんだけど五北会のサロンに行かないで良いだけ気分が楽だ。


 あれ以来、というか入学以来毎日毎日サロンに強制的に行かされて隅の方で気配を消しながらじっとしていた。だけど今日は母と兄公認ですぐに帰れる!何故ならば……。


「お兄様もご一緒してくださるのですか?」


「うん。僕も見に行くよ」


 俺は今日百地流以外の作法の先生に作法を見てもらうことになっている。百地流の修行がある日はそんなことをしている暇はない。一秒でも遅れようものならば修行が体感で1.5倍くらいになっているから遅れるわけにはいかない。


 蕾萌会の授業も塾だけあって時間が決まっている。担当の菖蒲先生も他の生徒の授業もみているわけで俺だけ勝手に時間をずらすというわけにもいかず……。


 となれば残りはフィットネスクラブ『グランデ』の水泳の時間しか変更しようがない。古堀先生には一応遅れるかもしれないと言ってあるし、フィットネスクラブは特定の決まった時間しか行けないという区切りはない。


 古堀先生は人気のトレーナーで古堀先生の指導を受けたいというマダム達はたくさんいる。だからあまりこちらの都合で振り回しちゃ悪いんだけど、グランデなら遅れていったからって授業時間が決まってるわけでもないし、俺が遅れるならその間古堀先生は自由にしてもらえば良い。


 それに出来るだけ遅れることがないように今日は五北会のサロンに寄らずに授業終了と同時にすぐに迎えが来たというわけだ。今日から本格的にマナーを学ぶというわけじゃなくて一先ず体験的に俺の現在の状態を見てもらうだけだからそれほど時間はかからない、……らしい。


「九条様、お待ちいたしておりました。こちらへどうぞ」


「はい」


 おおっ!いかにも出来るお稽古の先生という感じの女性だ。中年くらいはいってるんだろうけど背筋もシャンとしているし所作が美しい。前世でも俺はそんなにすごい歳だったわけじゃないし熟女好きでもなかったから残念ながら好みではないけど、これくらいパリッ!とした女性なら多少年上でも十分ストライクゾーンに入ると思う。


「それではまず着付けから……」


「あっ、大丈夫です」


 藤花学園の制服のままだからな。まずは着替える必要がある。先生は俺の着付けを手伝おうとしてくれたけど断って一人で着付けする。今となってはもう人に手伝ってもらうより一人でした方が手間がなくて良い。


「はっ、早いですね……。どこかで習われたのでしょうか?」


「えっ?えぇ……、まぁ……」


 習った……、と言えるんだろうか?


 百地師匠との修行ではしょっちゅうあれやこれやと着替えさせられる。水練になったらわざと動き難い湯帷子に着替えさせられて池に放り込まれるしな……。


 そして師匠は気が短い。少しでも着替えや準備が遅いと修行が二倍くらい厳しくなるからゆっくり着替えているなんて暇があるはずもない。それなのに急いで着替えて着付けがきちんと出来ていなかったりしたらそれはそれで修行が三倍は厳しくなるから、とにかく早く、綺麗に、丁寧に、完璧に着替えなければならない。


 そんな修行をしている間に俺は一人であっという間に着付けが出来るようになった。ただしこの着付けの仕方は百地流のものだ。もしかしたら世間一般とは着付けの仕方も違うかもしれない。そういう所もここで見てもらおうと思って伝えてある。


 恐らくだけど……、百地流の究極的な着替えや着付けは一瞬で服を脱いで丸太と入れ替わるとかそういう所に行きつくんじゃないかと思っている。いや、そう言われたり見せられたわけじゃないけど俺の勝手なイメージだ。だからそういうことをしやすいように邪道な着付けなんじゃないかなと勝手に思っている。


「やはり着付けの仕方がおかしいでしょうか?」


「いえ、とても素晴らしいですよ……。(それだけ出来るなら習いに来る必要もないでしょうに……)」


 何故か先生がちょっとムッとした感じでそう答えた。何でこの先生は怒ってるんだ?何かブツブツいってるけど最後の方はよく聞き取れなかった。何か怒らせるようなことをしてしまったんだろうか……。


 ともかく着付けは終わったので修行に向かう。この教室では他の生徒さん達もいるようで今日の俺はその中に混ざって体験入会させてもらうことになっている。


「こちらは九条咲耶さんです。本日体験入会で皆さんと一緒に授業を受けます」


「九条咲耶です。よろしくお願いいたします」


 先生と一緒に他の生徒さん達の待つ教室へと入った。先生が俺を紹介したので先輩方に挨拶して頭を下げる。


 だけど何だろう……。俺が挨拶したら何やらザワザワと先輩方が騒がしくなり始めた。隣に立つ先生の方を見てみれば先生の顔も若干引き攣っているような気がする。


 ……まさか!やっぱり俺の作法って何か変なんじゃ!?というかこんなにドン引きされるほどおかしいのか?どうしよう!やっぱり百地師匠に習った通りにしない方が良いのかな?でも俺は前世ではただの一般市民の男だったわけでこういう時にどうすれば良いのかさっぱりわからない。


 例えば間違えているとしても……、とにかく一度は百地師匠に習った通りにしてみよう。それでおかしければこっちの先生に教えてもらえば良い。おかしい所を指摘してもらうためにもまずは師匠に習った通りにするんだ!


「ふ~……、それでは九条さん、皆さんにあなたが今どの程度出来るか見てもらいましょう」


「はい」


 え?え?何も説明とか授業もなしに?いきなり俺が他の生徒達が見ている前でやるの?それって何か晒し者にされてるんじゃ……。


 でもやるしかない!どんなことでも全力で百地師匠に習った通りにやり通しますよ!




  ~~~~~~~




「九条さん……、あなた……、何でも自分のお作法がおかしいかもしれないから見て欲しいとのことでしたけれど……」


「はい。やはりどこかおかしかったでしょうか?」


 散々お題を出されてあれこれさせられた。どれももうすでに百地師匠に習った内容で対応出来るものばかりだったから百地流でやってみたけど……、先輩方はずっと黙ってるし先生も若干何か顔がピクピクしている。やっぱり俺のお作法は何かおかしいに違いない。皆笑いを堪えているんだ。


「あなた……、もしかして百地流を習われているのでは?」


「百地流!?」


「そんな……」


「百地流はもう誰も習えないと……」


「私も訪ねたことがあるけど断られたわ……」


 え?え?何だこの雰囲気は……。先輩方もヒソヒソと話している。内容は全て聞き取れているわけじゃないけど何か怪しい雲行きだぞ……。黙ってた方がいいのか?でもそれも不誠実だよな。やっぱり正直に話そう。


「はい。確かに百地流を習っています」


「申し訳ありません。当教室ではお教え出来ることは何もありません」


「…………え?」


 先生は……、深々と頭を下げた。え?どういうこと?百地流なんて習ってる奴には何も教えられないってことか?もしかして百地流ってこの業界じゃ爪弾きにされてるんじゃ?どどど、どうしよう。もしかしてこれから俺は百地流というだけでこれからどこにも習いに行けないんじゃ……。


 ただこの場のさっさと帰れという雰囲気に耐え切れずに俺は早々にこの教室を後にしたのだった。




  ~~~~~~~




 咲耶が帰った後の教室は静まり返っていた。


「先生……、あの子は……、小学生に入学したてくらいの年齢ですよね?普通あそこまで出来るようになるものなのですか?」


「もしかして先生より……」


「しっ!滅多なこと言わない!」


 生徒達がヒソヒソ言っているが何も反論は出来ない。むしろ自分でもそう思っている。先ほど見せられたものは自分を遥かに凌駕していたと自覚している。


「普通ではないわね……。百地先生が弟子に取られるのですもの……。それだけ特別な子ということでしょう。さぁ!皆さん!人のことばかり気にしている場合ではありませんよ。人にはそれぞれ分というものがあります。こちらはこちらで頑張りましょう」


 さっきまでのことは優れた先生にお手本を見せてもらったのだと割り切ることにしてこちらの教室では先生も生徒達もまた授業に励んだのだった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 流石に色々自覚無さすぎ
[良い点] ティータイムはとても甘かったです。 誤ってスクリプトを再生するのは面白かったです。 女性の優雅さと忍者の致死性は信じられないほどです。
[一言]  プレゼントによって周りがどんどん勘違いを加速していく……そしてそのうち真実を知って膝から崩れ落ちるんですね近衛君。  いや元が乙ゲーと考えると最終的にざまぁ系の俺にほれてないなんてありえな…
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