第百七十三話「もう一人の参戦者」
日曜を挟んで月曜日の朝、学園に来てみればある程度予想していた通りの展開になっていた。今まではどちらかと言えば好意的な視線が多くなっていたのに、今朝は敵意や侮蔑の視線が多い。ヒソヒソ言っている言葉を聞き耳で拾い上げてみる。
『近衛様と許婚候補とか言ってたのに鷹司様にまで……』
『お二方に色目を使うなんて……』
『鷹司様に乗り換えるのなら近衛様との方もはっきりさせなさいよね』
とまぁ、ざっとこんな感じだ。槐の発表の後からこうなるだろうと予想していたから特に驚きはない。
大体否定的な意見としては、伊吹と許婚候補になっているのに槐とまで許婚候補になるなんて、というのが根底部分だろう。もちろんそれはただの僻みであって向こうの言ってることの方がおかしいんだけど……。
別に正式な婚約者でもない上に、近衛や鷹司が勝手に俺を自分達の息子の許婚候補に決めただけの話だ。こちらから申し込んだわけでも、ましてや色目を使って誘惑したわけでもない。
この手の批判をしている奴らは恐らく伊吹や槐を狙っていたとか、憧れている者達だろうと推測が立つ。人気のアイドルや俳優が、ポッと出のわけのわからない女と結婚しますと発表すれば、ファン達がその相手を批判したり受け入れなかったりするのと同じだろう。
伊吹や槐というアイドルや俳優のようなスターで、しかも自分達も両親達から出来ることなら誘惑して婚約を取り付けろと言われている相手が、俺のような者に二人とも盗られたと思えば文句の一つも言いたくなるんだろう。
しかも俺がそれに相応しいような相手だと思われているのならいいけど、俺はどちらかと言えば悪評の方が多いし、ファンや狙ってた側からすれば受け入れ難い相手なんだろう。妬みや僻みも混ざっているから余計に批判、非難が集まりやすい。
ここの所はテレビや雑誌の影響もあって俺のことを好意的に見てくれる人も増えていたのに、槐の件のせいでまたアンチが増えてしまった。本当に槐も迷惑な奴だ。それともここまで計算して俺に嫌がらせやダメージを与えるためにやったんだろうか?そう勘繰ってしまうほど分かりきった答えだっただろうに、何故こんなことをしたのか。
「御機嫌よう」
「あっ……、おっ、おはようございます……」
あれ?でも教室に入って声をかけたらまた前と同じ子が返事をしてくれた。この子はまだ槐とのことについて聞いてないのかな?教室に来るまでにあった視線や陰口は鷹司家との許婚候補の話ばかりだったけど、もしかしたらこの子はまだ知らないのかもしれない。
知ったらまた俺とは挨拶してくれなくなるのかな……。そう思うと何だか悲しいけど……、咲耶お嬢様がこの世界ではどうやってもそういう扱いを受けるというのなら仕方がない……。
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お昼休みに食堂に向かうとあちこちから視線が集まった。他の学年とも顔を合わせるから余計に冷たい視線が集まる。ほとんどは伊吹や槐のファンのやっかみだけど、二股するなんてはしたないとか、神経を疑う、というような俺への非難も多い。
「本当に勝手な人たちばかりで嫌になりますね!」
「まぁ……、仕方ないのでしょうね」
薊ちゃんは怒ってくれているけど俺は諦めている。槐の発表があった時点でこうなるだろうとは思っていたし……。この世界は何故か咲耶お嬢様にだけ都合が悪いように補正が働くように出来ている。良いことをしても評価されないのに、少し何かあると途端に非難や悪評だけは広まってしまう。『恋に咲く花』の世界は咲耶お嬢様には厳しい世界のようだ。
でもそんなことは別にどうでもいい。俺はこの大切なグループの子達とこうして過ごせるのなら、その他大勢にどう思われようとも、非難されようとも、どんなことでも我慢出来る。俺の大切な皆さえ平穏に過ごしてくれるのならそれでいい。
「それはともかく……、鷹司様の狙いは何だと思いますか?」
中身が成人男性である俺が、小学校三年生に聞くようなことじゃないだろう。でも他の視点からも意見を聞いてみたいと思って皆にも聞いてみた。でも皆は何故かポカンとしている。
「え~……、咲耶様?狙いも何も鷹司様の目的は咲耶様と結婚することだと思いますけど?」
いや、それはそうかもしれないけど、そんな単純な話じゃないだろう。俺と結婚することによって九条との繋がりを作って、九条家と接近したり、あるいは最悪は乗っ取ろうということも考えている可能性はあるかもしれない。
でもそこまで壮大でリスクの高い話じゃなくて、もっと気軽な……、俺を弾除けのバリアーに使おうとしてるとかそういう程度の話だと思うんだけど……。
「政略結婚や……、家の乗っ取りという目的もないとは言えませんが、恐らくそこまで深い話でもないでしょう?」
「「「「「…………」」」」」
俺がそう言うと皆は変な顔をしてお互いに顔を見合わせていた。この反応は一体何だというのか。
「あの~……、咲耶ちゃん?」
「はい?」
皐月ちゃんが恐る恐るという感じで声をかけてくる。皆揃ってさっきから一体どうしたんだろう。もしかして皆は俺が知らない情報でも知っているというのだろうか。
「鷹司様はねー、咲耶ちゃんのことが好きだから結婚したいんだよー!」
「あ~……、ははっ……。譲葉ちゃんは陰謀とは無縁ですもんね……。そのまま素直に育って欲しいですが、悪い人に騙されないようには気をつけてくださいね……」
譲葉ちゃんは本当に素直すぎる。結婚したいのは好きだからだ、というくらい単純な考えなんだろう。今は大人達が守ってくれてるからいいけど、このままだったら将来悪い男に騙されそうで怖い。譲葉ちゃんにはこのままでいて欲しいけど、騙されて捨てられるなんて目にも遭って欲しくないし難しい所だ。って……、あれ?
「あの……?皆さん?」
「「「「…………」」」」
何かまた皆が変な顔をして俺の方を見ている。首を振ったり、肩を竦めたり、お互いに見詰めあったり、何かわからないけどまるで憐れな者を見るかのような視線にすら感じるぞ。
「咲耶ちゃん……、ほんっとうに自覚がないの?」
「え?」
「咲耶ちゃんそれはいくら何でも鈍感すぎるよ……」
「え?え?」
全然わからない。何なんだこの空気は……。俺が痛い人みたいじゃないか。俺がおかしいのか?そんなことないよな?
「気持ち悪いことに近衛様と鷹司様は咲耶ちゃんに懸想しているんです。先日のパーティーでの宣言は近衛様と鷹司様で咲耶様を奪い合うという宣言だったんですよ」
「あははっ……、またまた……」
「「「「「……」」」」」
蓮華ちゃんが面白い冗談を言うから笑おうと思ったのに誰も笑わない。何なんだこの空気は……。何かがおかしい。俺はどこか異世界かパラレルワールドにでも来てしまったのかと錯覚しそうになる。
「…………」
何も言えなくなった。いや、俺は信じていないけど、皆の反応があまりにアレだから……。何かの勘違いか、事情をわかっていないだけだと思うけど、まさか皆が本気であんな許婚候補宣言を真面目に受け取っていたとは……。
どうやらこの話題はタブーになりそうなので一度やめる。また機会があれば色々と聞いてみたい。皆だって時間を置いて冷静になれば、鷹司家や槐が何か企んでいて俺や九条家を利用しようとしていると気付くだろう。今は何を言っても無駄っぽいし暫くは皆にはこの話題はなしだな。
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サロンへとやってくると桜が皆に何かを配っていた。俺達が来たことに気付いた桜はすぐに俺達の方にもやってきて何かを差し出してくる。
「咲耶お姉様!招待状です!必ず参加してくださいね!」
「え?……即答は出来ませんが……、帰って両親に聞いてからお返事します?」
いきなりやや怒っている桜にそう言われて招待状を押し付けられた。まず何故桜がいきなり怒っているのかわからない。他所で嫌なことがあって怒ってるのかもしれないけど、それを俺にぶつけられても困る。
それからのこの招待状だ。まだ中身は見ていないけど普通に考えればパーティーの招待状ということだろう。二条家のパーティーになんて今まで呼ばれたことがないのに、何故今日急にこんなものを配っているのかわからない。
「あ~……、これはアレでしょうね……。咲耶ちゃんご愁傷様です……」
「皐月ちゃん?」
何かわかったのか、後ろから皐月ちゃんがそんな言葉を漏らした。一体何事だというのか。鷹司のパーティーがあって間もなしだし二条家のパーティーなんて呼ばれたこともないのに、一体何がどうなっているのかさっぱりわからない。しかも呼ばれているのは俺だけじゃなくてサロンのメンバー全員に招待状を配っているようだ。
普通これだけの面子を呼ぶパーティーともなれば準備だけでも相当時間がかかるだろう。だけど招待状を見てみれば開催日は年が明けてからとはいえそれほど先ということはない。一ヶ月やそこらでこの面子を呼ぶだけのパーティーが準備出来るんだろうか?
まぁ俺が二条家の心配をする理由もないし、五北家が本気になればお金も労力も厭わず突貫でも何でも間に合わせるだろう。出来なくはないだろうけど、余計な労力やお金がかかる割には不評なパーティーになりかねない。それならパーティーをしないか何ヶ月か先にした方が良いだろうに、一体二条家は何がしたいのか。
最近どうも周りがバタバタしすぎている。段々皆変わってきているというか……。
いつも通り少し後から来た茅さんにも招待状が配られ、その日はいつも通りにサロンでおしゃべりして帰った。そして母に桜からもらった招待状のことを告げる。
「はぁ……。二条家もですか……。ですが結果がわかっていても行かないというわけには参りませんね……。咲耶、そのパーティーには出席しなさい」
「はい……」
何か疲れた様子の母に出席するように言われたので出るしかない。二条家は九条家の親戚筋で大切な味方だ。近衛と鷹司は近い関係にあり、九条と二条も近い間柄にある。本当は一条も九条家から出た家で同じグループになる……、はずだった。でもそう簡単でもない。
近衛・鷹司と、九条・一条・二条で五北家の派閥は分かれるはずだ。少なくとも血筋や血縁で近いのはそうなる。元を辿れば鷹司は近衛の分家筋、一条・二条は九条の分家筋だからな。でも九条家と一条家には因縁があり仲が悪い。現在の関係で言えば近衛・鷹司派閥、九条・二条派閥、そして一条派閥という分かれ方になる。
その味方である二条家と仲違いすることは九条家にとっても命取りになりかねない。だから時々婚姻関係を結びなおして結束を強めたり、お互いに色々と融通しあって協力し合っている。その二条のパーティーに呼ばれて、用事も理由もないのに参加しないという選択肢はない。
二学期の残りもあっという間に終わり冬休みとなった。冬休みはそれほど長くないけど近衛のパーティーを気にする必要もないので日程が自由になる。今年は近衛のパーティーに行かなかったから関係ないけど、夏休みは日程が面倒になる可能性が高いからね。
そんなわけで年越しを暖かい、いや、暑い海外で過ごし、短い冬休みもすぐに終わって三学期となった。三学期が始まってから二週間以上が過ぎ、一月の終わりが近づいてきた頃、ついに二条家のパーティーの日がやってきた。
「それでは私達も後で行きますが、くれぐれも迂闊なことをするのではありませんよ?」
「「はい」」
母に注意されて車に乗り込む。二条家のパーティーは鷹司のような面倒なルールの押し付けはない。ペアで来いとか言われないから兄と一緒に同じ車で二条家へと向かう。
今回のパーティーは呼ばれている面子が何だか変わっている。五北会メンバーの家が呼ばれているのは当然だけど、何故か咲耶様グループの子達が全員呼ばれていた。皆そこそこ有力な堂上家ばかりだからおかしくはないけど、それはパーティーの規模が大きいのなら、という話だ。
近衛家のパーティーのように大規模で片っ端から呼ぶというのならわからなくはない。逆に鷹司のように選ばれた者のみだというのなら五北会クラスしか招待されないのもわかる。まぁ鷹司の場合はパートナーとして呼べば五北会以外の家も参加出来るけど……。
それに比べて二条家のパーティーは近衛ほど大規模でもないけど、鷹司のように選ばれたメンバーだけということもない。何故ならば地下家である杏まで招待されているからだ。堂上家でも呼ばれていない家があるというのに、地下家の中でも低い方である杏が呼ばれているのがわからない。
どういう基準や理由で呼ばれているのかその意図が不明だ。偶然にも俺と関わりのあるメンバーが全員呼ばれているけど……。
そんなことを考えながらやってきた二条家で……、パーティーが始まってすぐにそれは起こった。
「皆様本日は二条家のパーティーに……」
桜が壇上に立って挨拶を行なう。それ自体は他のパーティーと何も変わらない。しかしそこでいきなり爆弾が投げ込まれた。
「本日のパーティーは……、私と九条咲耶様が許婚候補になったことを宣言するためのパーティーです!近衛様!鷹司様!私もその争いに参加させていただきます!」
「………………はぁ!?」
桜のいきなりの宣言に、俺は開いた口が塞がらなかった。