第百七十二話「狙いは……」
…………はっ!ここはっ!?
「お母様?」
「はぁ……」
気がついたら目の前に母が座っていた。その隣には父も座っている。辺りを見回してみればここは九条家のリビングだった。俺の隣には兄も座っている。何だっけ……。何か重大なことがあったような気がする。そもそも俺はいつリビングに来た?どうしてリビングで座っているんだ?
「まさか鷹司家からもラブコールがくるとはなぁ!規模で言えば近衛財閥の方が圧倒的だが、企業統合を考えれば鷹司も選択肢としては十分にある。何より近衛財閥が相手では吸収される形になりそうだが、鷹司ならこちらが主体で吸収出来るだろう」
「あなた!そんなことを言っている場合ですか!」
何か上機嫌で暢気なことを言っている父に母が怒鳴った。それを聞いて俺は……。
「…………あっ、ああああぁぁぁぁっ!」
ようやく思い出して声を上げて立ち上がる。
そうだ。今日、さっきまで鷹司家のパーティーに参加していて、確かパーティーの最後の方で槐がいきなりわけのわからないことを言い出したんだ。鷹司家が槐の許婚候補に九条咲耶を選んだとか何とか……。
そりゃ相手が勝手に、一方的に『許婚候補に決めたのでこれから相手と話し合いたいと思います』というのは自由だ。○○は俺の嫁!とか言ってるくらい各自が勝手に言ってたって誰も相手にしないだけで言うのは自由だろう。
でもあんな場で鷹司家ほどの家が大々的に発表すれば、少なくとも九条家といくらか話し合いが進んでいるものだと聞いていた人達は思ったはずだ。実際には両親の反応からしても両親ですら知らなかったことなんだろうけど、あんな場であれだけ大々的に公表すれば誰でも勘違いしてしまう。
「もしかして……、お兄様は御存知だったのではありませんか?」
俺は隣に座る兄をジロリと睨んだ。兄は俺達がガールズトークをしている真っ最中に割り込んできて、今日のパーティーで重大発表があると俺に言ってきた。それは今日の発表を知っていたということじゃないだろうか。
「良実、そうなのですか?」
母もピクリと片眉を上げて問い詰める。どうやら母は結構怒っているようだ。そりゃ自分達の知らない所であんなことをされたら誰でも怒るわな。
「いやぁ、槐君が何か重大発表をするとは聞いていたけどまさか内容があんなことだったなんて知らなかったよ。そういう予想は立てていたけどまさかとも思ったしね」
しれっと兄はそう言うけど本当だろうか……?この兄は伊吹や槐を俺とくっつけようとしているような節がある。まぁ普通に兄の立場から考えたら妹は男と結婚すると思うだろう。その相手を少しでも良い相手にしようと考えるのは普通のことだ。
わけのわからないオッサンの後家として政略結婚で嫁がされることを考えれば、同世代で、しかも実家の力も十分にある伊吹や槐と結婚した方が幸せだろうと考えることは何もおかしなことじゃない。
もしかしたらそのついでに九条家が近衛財閥や鷹司とくっつくことで、自分が跡を継いだ時に九条家がより大きく有利になるように、という打算もあるかもしれないけど……。そういうことを抜きにしたって、もし俺が普通のご令嬢だったならば伊吹や槐と結ばれるのならこれ以上ないくらいの結婚だろう。
しかも俺達は会ったこともない相手といきなり政略結婚させられるわけじゃない。伊吹や槐と同級生として一緒に育っているんだから、今のうちから恋愛感情も絡めて育てておけば、将来結婚した時もうまくいくんじゃないかと後押しするのは当然だろう。むしろ俺が普通のご令嬢だったならば兄のアシストはとてもうれしいもののはずだ。
ただ残念ながら俺は普通のご令嬢じゃない。俺は男と結婚する気もないし、後押しされても嫌な気分になるだけで誰も幸せにならない。もし万が一にも相手側がその気になってしまって、結果的に俺が断ることになったら余計関係が悪化してしまうだろう。
兄はその辺りまで考えているんだろうか?それともそういう状況になれば俺は黙って受け入れるとでも思っているのか?
「ともかくこれは当家と鷹司家だけの話では済みません。咲耶はすでに近衛家と許婚候補として話し合っていることになっているのです。そこへ鷹司家が割り込んでくる意図がわかりません。それがわかるまでは良いとも悪いともどちらの結論も示さず静観しておきなさい。良いですね?」
「「はい」」
母にそう言われて兄と二人で揃って答える。それはそうだ。俺はすでに伊吹の許婚候補ということになっているのに、そこへ鷹司家が今更割り込んでくるというのが解せない。
伊吹との発表の時に間もなく割り込んできたのならわからなくはないけど、これだけ時間が経った後で今更言ってくるということは、それじゃまるで近衛と九条の話し合いがうまくいっていないと内外に示したような形になってしまう。
俺と伊吹が許婚候補というのはただのポーズだ。実際には何も話は進んでいない、……はずだ。もし本気で話が進んでいるのなら俺にも多少は情報が入ってくるはずだろう。それが一切ないということは実質的には許婚候補について何も話が進んでいないということになる。
だけど周囲はそうは思わないだろう。破談になったと宣言しない限りは周囲はまだ俺と伊吹は許婚候補として話し合われている、あるいは話が順調に進んでいるとすら思うはずだ。
それなのにそんな所に鷹司家が俺を許婚候補にしたと宣言すればどうなる?
鷹司家は近衛家の縁戚だから内部の情報も共有しているはずだ。当然近衛家の縁談に関する情報も共有しているはずだろう。しかも俺達の世代は近衛、鷹司、九条の子供達が同級生であり、表向きはであっても……、親しくしている。
もし九条と近衛の縁談がうまく進んでいるのなら、その情報を共有しているはずの鷹司が今更割り込んでくるのはおかしい。それではまるで九条と近衛の話し合いがうまくいっていないから、それなら九条と鷹司の縁談を進めようと言っているようなものだ。
鷹司がしていることは、近衛、鷹司、九条の連合を邪魔する行いに他ならない。ここに二条も加えて五北家のうち四家が協力しているとアピールすることが作戦だったはずだろう。それを妨害しているも同然だ。
鷹司が何を考えているのか。近衛家はこのことを知っていたのか。どうして九条には何も言っていなかったのか。とにかく裏が取れないことには何もわからない。ただ一つわかることはゲームで言えば現在最悪のルートに進んでいる可能性が高いということだ。
「それでは下がりなさい」
「はい。おやすみなさい」
母に言われてリビングから私室へ向かう。そしてベッドに入ってからまた考える。
伊吹の言葉や態度からして少なくとも槐と伊吹は知っていたはずだろう。それにあの時慌てた様子がなかったことから鷹司家も知っていたはずだ。でなければあんなにうまくスポットライトを俺達に当てて演出することなんて出来なかっただろう。
近衛家、というかあの女傑である近衛母が知らなければ、例えあの場であったとしても物言いをしたに違いない。それがなかったということは近衛母も知っていた可能性が高いだろう。
何故あんなことを……、何の利益があって……、何のために……。
…………ゲーム『恋に咲く花』では伊吹は咲耶お嬢様との許婚候補というのを、他の女達が擦り寄ってこないためのバリアーとして利用していた。実際には咲耶お嬢様と結婚する気などサラサラなく、ただ九条家のご令嬢という許婚候補がいれば、他の女達が寄ってきにくいと考えてのことだ。
実際伊吹の婚約者面していた咲耶お嬢様は伊吹に擦り寄ろうとする女達を追い払い、伊吹のバリアーとして十分に機能していた。九条家のご令嬢と敵対して突き破ってまで伊吹に近づける女はおらず、高等科に進むまで伊吹は黄色い声援は送られても、直接女達に付き纏われることなく悠々自適に暮らしている。
そして高等科で主人公と出会った伊吹は主人公に惹かれて、婚約者面をしている咲耶お嬢様が邪魔になり……。
バキッ!
と、そこで音がした。俺が天蓋の柱を殴ったからだ。思い出しただけでも腹が立つ。散々咲耶お嬢様を利用しておきながら、自分にとって邪魔になったら罠に嵌めてありもしない罪状で咲耶お嬢様を断罪して捨てた伊吹!絶対に許せない……。何度思い出しても腹が立つ。
だからこの世界で伊吹や槐がどうなろうが俺は知ったことじゃない。助けてやるつもりもないし、俺を咲耶お嬢様と同じように嵌めようというのなら相応の仕返しはしてやる。咲耶お嬢様のように黙って涙を飲むほど俺はお人好しでもないし、あの二人を庇ってやる理由もない。
今そうやって色々考えているうちに俺は一つの仮説に辿り着いた。もしかして……、槐は別に俺と婚約したいわけではないのではないか?まぁそれは今更言うまでもなく、槐は元々俺に気があったわけでもないだろうし、九条グループを乗っ取ろうと考えているわけでもないだろう。
じゃあ何故槐がわざわざあんな場であんなことを言ったのか。それはゲームの伊吹が咲耶お嬢様を利用したのと同じ理由だとすれば……、全ての辻褄は合う。
今俺と伊吹は許婚候補ということで他の家からの結婚や婚約の申し込みはきていない。近衛家の方はそれでも水面下で申し込みがきているのかもしれないけど、少なくともうちの方には皆無だ。まぁ元々咲耶お嬢様に婚約を申し込んでくる相手がいないだけとも言えるかもしれないけど……。
とにかく近衛家に無駄な申し込みが殺到しなくなっているのは間違いない。それは槐や鷹司家も承知しているだろう。そして鷹司家には現在多くの申し込みが殺到しているはずだ。
伊吹を狙っていた者達も九条家を押し退けてまで近衛家に申し込みはし辛い。もしそれがバレれば九条家に睨まれる可能性もあるし、九条家のご令嬢と話が進んでいる中で他の家の娘を近衛家がわざわざ選ぶ可能性も低いだろう。
だったら同世代の子供を持つ他の家はどうするのか?
それは考えるまでもない。伊吹が駄目なら他の五北家、槐や桜の方に申し込めばいい。その中でも桜は色々と問題がある。あの女装は大人連中にはウケが悪いだろう。女の子達は桜にキャーキャー言ってるけど、大人達からすればいくら二条家に接近するためとはいえ、女装癖のある桜との結婚は二の足を踏むはずだ。
そうなれば残る同世代の優良物件は槐しかいない。同世代の女の子を抱える家はこぞって鷹司家に縁談を申し込んでいるに違いない。そしてそれは鷹司家にとっては煩わしい。
伊吹と槐は愛し合っている。その二人にとって他の女からの縁談の申し込みなんて迷惑なだけだ。その煩わしい縁談の申し込みをどうにかする方法……。それはすごい許婚候補を発表することでバリアーにすること……。ゲームで伊吹がしていたのと同じことだ。そしてそれは実際に効果的だろう。
伊吹への縁談の申し込みが減っていることから、鷹司家や槐もそれを使えば自分達への無駄な縁談を断れると考えたに違いない。だから俺、九条咲耶を許婚候補として大々的に公表することで余計な女除けのバリアーにするつもりなんだ。これで全ての辻褄が合う。
考えたら腹が立つ。ゲーム『恋に咲く花』で咲耶お嬢様が悪評を受けるのも、伊吹の婚約者として他の女達を追い払うから受けたようなものだ。でも実際にもし自分の婚約者に言い寄ってくる異性がいたら誰だって追い払おうとするだろう?それは婚約者がいるとわかっているのに粉をかけてくる相手が悪いことだ。
でも咲耶お嬢様はそうやって真っ当に婚約者を守っていただけなのに、周囲には悪評を流され、当の許婚候補には疎まれ、それでも憎まれ役を買ってでもただ一途に伊吹を守り続けた。
その結果が伊吹にまで嵌められ、周囲の悪評を利用されて悪女だとレッテルを貼られて、家まで没落させられ、場合によっては死にまで追いやられる。咲耶お嬢様がそこまで追いやられなければならないほど何をしたというのか。
今回この世界ではそれに槐も加担するということだろう。槐も咲耶お嬢様と婚約について話し合っている最中だということにして、縁談の申し込みを減らしたり断ったりする理由に仕立て上げようというのだ。
このまま黙って指を咥えて見ていたらゲーム通りの結末に……、いや、近衛と鷹司の両方からやられる分だけゲームより酷い結果になる可能性が高い。これはうかうかしていられない。
あいつらがゲームの時のように俺を嵌めようというのなら……、俺だって黙ってやられたりはしない。向こうがそのつもりならこちらも相応の準備をしなければ!