第百七十話「宣言」
とうとう鷹司家のパーティーの日が来てしまった。嫌々でも参加しなければならない。仕事が嫌だから会社に行きたくない、というのが通用しないのと同じだ。これは俺達にとっての仕事でもある。子供だからと甘えが許されるものではなく、上流階級の子供は生まれながらにその責任がある。ノブレスオブリージュ。
まぁ槐が何か企んでいるかもしれないけど今回はグループの子達全員が集まってくれるし、茅さんも恐らく味方してくれるだろう。それなら堂々と乗り込んで行って槐の企みを粉砕してやるのも悪くない。
車が目的地に到着して停まった。扉が開けられて降りる。
「蓮華ちゃん、御機嫌よう」
「ごきげんよう咲耶ちゃん」
今日の俺のパートナーである蓮華ちゃんを迎えに来た。普通のペアなら男性が女性を迎えに行くだろうけど、俺達のグループはペアが両方女性だ。だから招待状を持っている方が迎えに行くということで決まっている。
別に家格や実家の資産で人を判断したり区別するつもりはないけど、招待状が出されなかった皆は家格も家の力も小さい。鷹司家のパーティーともなれば乗って行く車一つ、付き添いの家人一人までそれなりにしていかなければならない。招待されなかった子達にその負担を背負わせるのは筋違いだろう。
「さぁ、それでは行きましょう」
「はい」
別にどちらが男役ということはないけど、俺がリードして蓮華ちゃんをエスコートする。手を添えたり、席を譲ったり、一応俺が男役風に振る舞う。実際ちゃんと男役をやろうと思えば、前回の桜との時に練習したから出来なくはないけど、別に今日は俺も男役というわけでもないのにそこまでするのも変だろう。
家の中まで入ったことはないけど、これまで何度か表には来たことがある蓮華ちゃんの家を出発して会場へと向かう。いつか蓮華ちゃんの家にもお邪魔して蓮華ちゃんの部屋に入ってみたい。俺はまだ女の子の部屋に入ったことがないからな。茅さん?あれは別だろう……。明らかにストーカーの部屋みたいだったし……。
「ふふっ!今日だけは私の王子様ですね」
「ちょっ!?蓮華ちゃん!?」
車が動き出すと隣に座る蓮華ちゃんが俺の腕をとって肩に頭を乗せてきた。フワリと良い匂いがする。普通の小学校低学年くらいならそういう所が雑で無頓着だろうけど、上流階級の子達は皆そういう所まで注意している。お風呂にも入ってきたのかもしれない。きつすぎないくらいにフワリと香る匂いに釣られてしまう。
「咲耶様……、私の王子様……」
「――ッ!――ッ!?」
グイグイ体を押し付けてくる。蓮華ちゃんは一体どうしてしまったんだ……。そして俺も抵抗出来ない。というか抵抗する理由がない。本性は毒を吐く蓮華ちゃん……、そのはずなのに……、潤んだ瞳でぴったりくっついてくる蓮華ちゃんにドキドキしてしまう。俺の鼓動まで蓮華ちゃんに聞かれてそうで余計に恥ずかしい。
「咲耶様、到着いたしました。早く降りてください……。はやーーーくっ!」
「はっ、はいっ!」
いつの間にか到着していたらしい。物凄い勢いで扉を開けた椛が滅茶苦茶急かしてくる。普通のメイドだったら主人やその娘にこんな態度は許されないだろうけど、椛だしな……。それに俺も椛が恐ろしくてつい反射的に答えてしまった。
そもそもいつまでも車の中にいるわけにもいかない。蓮華ちゃんに手を貸して車から降りる。鷹司邸は何度来ても変わった建物で慣れない。古い家が多い中で鷹司邸だけ随分モダンというか先鋭的というか……。
「これが鷹司様のお宅ですか。こんな変わった家だからご子息も変わった人物に育つのでしょうね」
「蓮華ちゃん……」
車の中ではあんなに可愛かった蓮華ちゃんが早速毒を吐いている……。まぁ言ってることはまったくもってその通りなんだけど、大人しくて可愛い蓮華ちゃんが、裏では実はこんなに毒を吐くなんて一体何人が知っているだろうか。
「やぁ、いらっしゃい九条さん」
「鷹司様、本日はお招きいただきありがとうございます」
にこやかに迎え入れてくれる主催者にこちらもにこやかに応える。槐は絶対に何か企んでるだろう。これはそういう顔だ。でも今回はこちらも最強の布陣を敷いてきた。俺がいつもお前達にいいようにやられるばかりだと思うなよ。
「他の人ももう結構来ているよ。どうぞ」
「はい。行きましょう蓮華ちゃん」
「はい。それでは鷹司様、失礼します」
蓮華ちゃんをエスコートしながら槐の横を抜けていつもの会場へと入る。そういえば近衛家のパーティーは三分の一しか出てないけど、鷹司のパーティーは三分の三で参加しているな。日程がやらしいんだよな……。
近衛家みたいに休みの最中なら旅行でいませんと不在を理由にも出来るけど、まだ長期休暇に入っていない学期中にあるパーティーでは断る理由がつけ辛い。
「咲耶ちゃん!御機嫌よう」
「こんばんは咲耶ちゃん」
「皐月ちゃん、椿ちゃん、御機嫌よう」
「蓮華ちゃん御機嫌よう」
「ごきげんよう」
皆で挨拶を交わす。早速落ち合えてよかった。まぁそんなに大規模なパーティーじゃないから人はすぐに見つかるけどね。
「あっ!いたいた!咲耶様!おはようございます!」
「薊ちゃん……、今は夜だけど……」
どうやら別の場所に居たらしい薊ちゃんと茜ちゃんもやってきた。槐が言う通り大半はもう来ていたようだ。後は茅さんだけだな。それと薊ちゃんは何故おはようなのか。
「咲耶様、例え何時に会おうとも最初に会った時は『おはようございます』なんです!」
「あはは……」
出社一番の挨拶は何時でもおはようって会社じゃないんだから……。別に悪いとは言わないけどそれはそういう風習や慣例がある所でする方がいいと思うよ。俺達の周りではそういう人はいない。
「茅さんは遅いようですね。いつもなら茅さんも早くから来られていると思うのですが……」
「あ~……、パートナーが譲葉ですから……」
「「「うんうん」」」
「あははっ……」
皆の反応にまた乾いた笑いしか出ない。確かに譲葉ちゃんはちょっとおっとりしているというか慌てないというか……。別に遅れるということはないけど早めに行動するということもあまりない。割とギリギリ行動だから何かあったらすぐに遅れたりする感じだ。
「もう!早くしなさい!」
「大丈夫ですよー。もう着きましたしー」
「噂をすれば……」
出入り口の方から聞き慣れた声が聞こえてきた。他の招待客達は目を丸くしているけど俺達には慣れたものだ。
「私は一秒たりとも咲耶ちゃんの姿を見逃したくないの!早くしなさい!ほら!もう咲耶ちゃんが到着してしまっているじゃないの!」
「正親町三条様って咲耶ちゃんのこと好きですねー!私も咲耶ちゃんのこと大好きですよー!」
何というか……、とても恥ずかしい会話が聞こえてきている。他の招待客達も苦笑したり、微笑ましそうにしていたり、露骨に不快そうな顔をしていたり、反応は様々だ。
「あぁ!咲耶ちゃん!ようやく会えたわね!」
「こんばんわー皆ー」
「御機嫌よう茅さん、譲葉ちゃん」
皆それぞれ挨拶していく。人数も多くなってきたし、あまり固まっていると邪魔になるからすぐに隅の方に移動する。そのうち鷹司家の人が出てきてパーティーが始まるだろう。
「咲耶ちゃん、杏は呼ばなくてよかったの?良実のパートナーにするように言えば杏も連れてこれたわよ?」
お?茅さんが人の心配なんてするんだな。他人なんて関係ないとばかりに自分のことだけに集中するタイプかと思ったけど、やっぱり何だかんだ言っても茅さんと杏は仲が良いらしい。
「今回パートナーとして来てもらった皆さんは堂上家で鷹司家のパーティーに出ても遜色ない方々ですが、杏さんはさすがにこのような場に客として来ても困るだけだと思います。去年のようにカメラマンとしてなら良いでしょうけど……」
「それもそうね。あの子は作法もマナーもなっていないし、こういう場には不慣れで不向きよね」
茅さんはあっさり納得して引き下がった。杏も呼ぼうと思えば呼ぶ方法はいくらかあったけど、本人がこういうパーティーに客として参加することに慣れていない。それでは呼ばれても疲れるだけで楽しめないだろう。それどころか失敗してしまったら赤っ恥をかかせてしまうかもしれない。本人が望んでいないことを強要するのはやめておいた方がいい。
「皆様、本日はお忙しい中鷹司家のパーティーに足を運んでいただき……」
いつの間にか出てきていたらしい槐が挨拶を始めていた。主催者が話し始めたので黙って聞く。出て来たことにも気付かなかったけど、いくら何でも主催者が挨拶をしているのに邪魔するかのようにベラベラと関係ない話はしていられない。
ようやく長い挨拶が終わってパーティーが始まる。料理や飲み物を取りながら皆と話に花を咲かせる。
「やぁ咲耶、楽しんでるかい?」
「お兄様……」
ガールズトークの真っ只中によく突入してこれるな……。その図太さは大したものだ。邪魔されたと思って滅茶苦茶茅さんが睨んでいるぞ。それなのに良実君はまったく動じた様子がない。案外茅さんの天敵は兄かもしれないな。
「何でも今日は槐君から重大な発表があるそうだよ」
「――ッ!?」
兄はそれだけ言うと『それじゃお邪魔したね』と言って離れていった。やっぱり槐は何か企んでいたか。でも兄は何故俺にそれを言っていった?兄は伊吹や槐の味方をしているような節がある。それなのに今俺にそんなことを教えたのは槐の策の妨げにはならないということか?
まぁ……、聞かされた所でどうしようもないわけで、その重大な発表とやらを止める手段もないし、内容もわからないのに、そういうことがあるぞ、とだけ教えられてもどうしようもない。あるいはプレッシャーを与えるためにあえて言っていったのか?
そんなことを考えている間にもパーティーは進んでダンスの時間になる。俺達はそれぞれパートナーとペアになった。女性同士のペアが四組もあることで会場の大人達が若干ざわついたけどそれだけだった。
音楽が始まれば俺達はただ踊るだけだ。蓮華ちゃんをリードしつつ人にぶつからないように立ち回る。これも桜の時の特訓が生きている。やっぱり何でもやっておくものだな。いつどんな時にどんなことが自分を助けるかわからない。
「はぁ……、咲耶様……」
「蓮華ちゃん?」
何か頬を赤く染めてうっとりした表情で蓮華ちゃんの様子がおかしい。ちょっとポーッとしているようだ。俺が注意しておかないと危なそうなのでしっかりリードしつつ周囲にも注意しておく。蓮華ちゃんの様子はおかしかったけど何とか三曲踊り一区切りとなった。
大人達から盛大な拍手が送られる中でパートナーを変えて再び踊り出す。俺達は自分達のグループ内でしかメンバーを入れ替えない。他の者と踊ってる暇はないからな。全員と踊るのも無理だから男役の皆と踊るのはまた今度だ。
途中からは曲が流れ続け、それぞれ休んだり、パートナーを変えたり、連続で踊り続けたり、自由に動き始める。俺達も多少休みは入れたけど招待した皆と踊りが回るようにかなり踊った。
やがてダンスの時間も終わり宴もたけなわとなった頃、槐がホールの真ん中に立った。隣にいるのは伊吹だ。二人が中央でスポットライトに照らされている。
…………あっ!もしかして槐の重大発表ってあれか?伊吹と槐がカップルになりましたって報告するとか?それならあり得そうだ。
俺が感じた槐のニヤニヤが、ただ自分達の幸せを公表する楽しみなんだったとすれば納得がいく。それに俺に対して伊吹を奪ってやったという優越感もあったのかもしれない。
なーんだ。そうだったのか。それならそうと言ってくれればよかったのに。
俺は伊吹のことなんてこれっぽっちも興味がないし接触もして欲しくない。槐も同じだ。二人だけでどこかへ行って勝手に幸せになってくれたらそれでいい。俺に関わらないのならどんな人生でも自分達で好きなように生きてくれ。
「皆さん、本日は重大な発表があります」
きたきた。そこで伊吹と交際宣言をして、何なら熱い口付けも交わしてくれたらいい。そうすれば全員ハッピー……。
「鷹司家は、僕、鷹司槐の許婚候補として九条咲耶さんを選びました。僕の親友でもある近衛伊吹も九条咲耶さんを許婚候補にしています。僕達は親友でありながら恋敵、ライバルにもなりました」
…………は?何を言って……?
俺がそう思っているとカチンッ!という音がして俺にもスポットライトが浴びせられた。中央に立つ伊吹と槐。その向かいに立つ俺。両者の間には人は誰もおらず、印象的に向こうの二人と俺だけが光を浴びていた。
「九条咲耶さん、今日から僕も伊吹に負けないように、貴女を僕の妻に出来るように精一杯頑張ります」
「いいや!咲耶は俺の嫁になる!例え親友の槐であろうともこれだけは譲れねぇ!」
「…………はい?」
一体何が起きているのか……。まったく理解が追いつかないうちに、いつの間にか鷹司家のパーティーは終わっていたのだった。