第十六話「返礼」
あの後俺は五北会でひたすら伊吹対策を考えていたけど良い案が浮かばなかった。それに衆人環視の中で伊吹に贈り物を貰ったというのもまずい。皆の中では俺は伊吹に贈り物をされた借りがあると思われているだろう。今後何かあった時に『九条咲耶は贈り物をもらったのに……』と毎回思われかねない。
そうか……。そういう狙いもあったのかもしれないな……。
皆の前で俺に贈り物をしたことであの場で目撃した者だけじゃなくて、そこから人伝に聞いた者達まで全員が俺は伊吹に贈り物を貰ったと認識するだろう。そして今後伊吹が俺に何か頼み事をしたとしたら、俺がそれを断れば『九条咲耶は恩知らずだ』とか言われる可能性がある。
やばい……。やばいぞぉ……。このままというのは非常にまずい。どうにかしなければ……。
でも一体どうすれば?一度受け取った物を突き返すというのは余計な角が立つ。それに相手の面目も潰してしまうわけでますます伊吹に狙われる原因にもなるだろう。出来ることなら貸し借りも恨み辛みもなくお互いに無関係な二人に戻りたい。そんなウルトラCを実現出来る夢のようなアイデアは……。
「お兄様……」
「ん?何だい?」
迎えの車に一緒に乗っている兄に声をかける。のほほんと暢気な兄はニコニコと俺の呼びかけに応えた。
「近衛様の好みや好きな物は御存知ですか?」
「え?伊吹君の?そんなことを聞いてどうす……、あっ!はは~ん。そういうことか」
どうやら兄もわかったらしい。このどうしようもない状況を打破する素晴らしいアイデアは一つしかない。
「伊吹君はチョコレートが好きだよ」
「そっ、そうなのですか……」
おい、近衛伊吹よ……。お前は自分が好きだからチョコレートを贈ったのか?それは自分が食べたい物を選んだだけじゃないのか……?そもそもチョコレートが好きって所詮はお子様か。まぁ実際に小学校一年生というお子様なわけだけど……。
それにしても……、そうか……。伊吹はチョコレートが好きか。だったら俺がするべきことは一つだ。
「お兄様、少し寄り道させてもらいますね」
「ああ、いいよ」
俺がそう言うと兄はニコニコとしながら頷いた。俺の素晴らしいアイデアがわかっているようだ。さすが小学生とは思えないよく出来た兄だ。
俺の作戦は単純明快。贈り物をされて借りが出来たのならこちらからもお返しをして貸し借りなしにすれば良い。自分がチョコレートが好きで食べたい物を贈ってきたのならお返しも簡単だ。こちらも中身が被らない範囲で明らかに突き返したと思われない別のチョコレートを返せば良い。
「椛!いつものあの店に寄って!」
「…………かしこまりました」
前の席に連絡を入れる。運転席側と後部座席の間が間仕切られているから助手席に座る椛に目的の店に寄ってもらうように頼んだ。
本当ならこのまま兄と一緒に蕾萌会に行くはずだったけど予定を変更して少しだけ寄り道することにしたのだった。
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蕾萌会に行く前にコンフィズリーに入った。伊吹が贈ってきたチョコレートは世界的に有名なブランドのチョコレートだった。同じブランドのチョコレートを返したら贈り物を突き返したのと変わらなくなってしまう。そこで俺は別のチョコレートを贈り返そうと思ったわけだ。
ただ兄は漠然と伊吹はチョコレートが好きと言っていたけど一言でチョコレートと言っても色々とある。どれが好きなのか詳しいことは何もわからない。こういう所は男は駄目だなと思う所だ。飴が好き、チョコレートが好き、と一言で言ってしまって具体的なことは何もわかっていない。
飴一つ、チョコレート一つとっても様々な種類があり、同じチョコレートの中でもあれは好き、これは嫌いというものもあるだろう。普通女の子なら相手の好きな種類やブランドまで聞いて覚えているものだけど、ガサツな男の子じゃそこまで気が回らない。男の子のプレゼントがうまくいかないことが多いのはそういう点だと思う。
まぁ今は兄の情報不足をとやかく言っても仕方がない。それよりも折角得られたヒントをもとに伊吹へのお返しをどうするかを考えなければ……。
何か……、他にもっと何かなかったか?チョコレートが好きということは……、そうだ!思い出した!
そういえば確か『恋花』の中でバレンタインのイベントがあったはずだ。『恋花』は何十回も何百回もプレイしたけど男キャラなんてほとんど興味なかったから忘れてた。主人公が伊吹に贈るバレンタインのチョコレートの選択で……、そう……、そうだ。生チョコだ。伊吹が好きなのは生チョコだったはずだ。
え~っと……、主人公との会話で……、生チョコを選んで持って行くと『初恋の子にもらった思い出の生チョコ』みたいな会話があったはずだ。それ以来伊吹はずっと生チョコが大好きで……、という会話になって主人公への好感度が上がる。
ということで伊吹へのお返しは生チョコで決定だな。あとはついでに自分の分も買って行こう。薊ちゃんと皐月ちゃんも一緒に食べたいな。でも伊吹にお返しをしたその日に五北会で食べたら体面が悪い。サロンじゃなくて教室で食べられるように小さい包みのものにしよう。
「お兄様は買われないのですか?」
「うん。僕はいいよ」
兄は買わないらしい。別に甘い物が苦手ということもないはずだけど……。折角だから俺が買っていってあげるか。伊吹へのお返しと、薊ちゃん皐月ちゃん達と食べられたら良いなということで学園に持って行くものと、家族で食べるのに一つ……、あっ!そうだ!これから蕾萌会に行くから菖蒲先生と一緒に食べる分も買って行こう。
「咲耶……、そんなに買っていくのかい?」
「当然です!」
この兄は何を言っているのか。そもそもこの中の一つは君の分と言っても差し支えないものなんだよ?まるで私がチョコレート好きで大量に買い込んでいるかのような視線を向けるのはやめてくれたまへ。
「さぁ、いきましょう」
大量に買い込んだチョコレートを持ってようやく俺と兄は蕾萌会へと向かったのだった。
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蕾萌会で高辻菖蒲先生の授業を受ける。藤花学園の授業よりはまだしもためになりそうな授業だ。
「菖蒲先生、今日はお気に入りのコンフィズリーでチョコレートを買ってきたんですよ。一緒に食べましょう」
「九条さん……、ここは塾で今は授業中なのだけど……」
そんなことは言われなくてもわかっている。だけど塾の授業中って飲食禁止なのか?
「頭に栄養補給は必要ですよ。それに喉が渇くこともあるでしょう?脳に糖分を補給したり、熱中症対策をするのは当然のことではないですか?」
昔は部活動でも水を飲むなとか言われたりしたこともあるみたいだけど今じゃ熱中症対策は当然の配慮になっている。塾だって授業中だからって水分を取っちゃ駄目だっていうことは出来ないんじゃないかな。まぁただの屁理屈なんだけどね。
いいじゃん、別に。ボリボリお菓子を食べるのはどうかと思うけど少しくらい休憩して音がしない物を食べるくらい良いんじゃないかと思うんだよ。
「はぁ……。さすがは九条さんですね……。口も達者だとは……」
菖蒲先生は何か呆れているようだけど諦めたのか折れたのか容認してくれるようだ。先生の許可が下りたことなので俺はさっそく先ほど買ってきたものを取り出す。他のチョコレートは車に置いてきたままだけど先生と食べようと思っていたものだけは持ってきている。
「えっ!これってあの有名なお店の!?」
「菖蒲先生も御存知でしたか」
この店は俺のお気に入りで隠れた名店だと思っていたけどどうやら菖蒲先生も知っていたらしい。隠れた名店とはいっても看板も出しているし表にある店だから通りを歩いているだけでも店の存在に絶対に気付くような堂々とした店だけどね。
「一度食べてみたいとは思っていましたけど私の安月給ではとてもとても食べられない贅沢品で……」
菖蒲先生は何故か泣いている。この塾はお金持ちの子供が通う高級感溢れる塾だ。それなのに講師の先生のお給料ってそんなに安いのかな?
ついでに言わせてもらえばこのお店は確かに少々お高いけど普通に働いている人なら十分払えるような金額であって、そんなに目玉が飛び出すほど高いということもない。前世の俺のお給料でも買えるような値段だ。
まぁ前世の俺だったら絶対に買わないだろうけどね。こんなものを買うくらいなら百合グッズかゲームでも買う。それくらいの値段はする。
「それではどうぞ」
「ありがとう!はむっ……、うまぁ!」
俺が箱を開けて差し出すと菖蒲先生は目を輝かせて一つ口に頬張ると大きな声を出した。驚いた俺は慌てて先生にしーっ!とジェスチャーを送る。
「先生、声が大きいです」
「ごめんなさい……。あまりにも美味しかったから……」
おいしいのは同意するけど先生も少々オーバーすぎる。さすがにそこまでじゃないだろう。とはいえ自分が好きなものをおいしいとか好きと言われて嫌な気がする人はいまい。菖蒲先生が気に入ってくれて気を良くした俺も一口……。
「何がおいしいんですかな?」
「「…………」」
俺も一口食べようとした所で後ろから低い声と怒りのオーラを感じた。どうやら俺はこれを食べることは出来ないようだ。
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蕾萌会では散々な目に遭った。折角お気に入りのチョコレートを買っていって菖蒲先生と食べようと思ったのに菖蒲先生があんな大きな声を出すから塾長に見つかってしまった。授業中は飲食禁止だといわれてチョコレートは取り上げられて結局俺は食べていない。
授業が終わった後に返してくれたけど元々菖蒲先生への差し入れで授業中に一緒に俺も食べようと思っただけだからそのまま先生達へ渡してきた。それほどたくさん入っているものじゃないから皆で分けたらちょっとしかないだろう。見つからなかったら菖蒲先生と二人で食べられたかもしれないのに……。菖蒲先生も迂闊だ。
俺は家に帰ればまだ家族用に買った分もあるし、あのコンフィズリーにもよく行くからいいんだけど……。
家に帰ったら当然俺が勝手に大量に買ったチョコレートは何なのかと問い詰められる。それは想定内だ。だから伊吹にチョコレートを贈られたことと、そのお返しに買ってきたのだと説明しておく。
「ほう。近衛家の伊吹君になぁ……。咲耶や、それほど伊吹君と仲が良いのならちょっと試しに婚約でも……」
「お父様!絶対にお断りだと言ったはずですよ!」
父はまだ俺と伊吹の婚約を諦めていなかったらしい。そんなことじゃないかと思ってたよ。子供なんて何度も言ってたらそのうち乗り気になるんじゃないかと思っているんだろう。でも残念!俺は絶対に伊吹と許婚候補になるなんてお断りだ。それは破滅フラグまっしぐらになる。
そもそもこれは俺だけの問題じゃなくて九条家全体の問題でもある。俺と伊吹が婚約したり、許婚候補になったら九条家そのものも大変なことになる。よくて家が没落、最悪の場合は死ぬルートですら存在するんだから下手に近衛家や伊吹に関わらない方が良い。
「伊吹君が……、ねぇ……。良実、本当なの?」
おい母よ……。何故兄に確認する?俺が伊吹にチョコレートを貰ったらそんなにおかしいか?おかしいわな……。俺自身ですらおかしいと思っているんだから母の気持ちもわからないでもない。
だけどそれを俺から聞いても信用せず兄に確認するとはどういうことなのか。それって普通に子供が傷つくと思わないか?自分が言ったことを別の誰かに確認されたりしたら自分の言っていることは信用されていないんだって大人でも傷つくと思うぞ。ましてや多感な年頃の子供相手にそれはないんじゃないかな。
「本当ですよ。五北会のサロンで受け取りましたから他にもたくさんの五北会のメンバー達も見ています」
「そう……。でも何故よりにもよって伊吹君が咲耶なんかに……」
おい……、この母ついに『咲耶なんか』とまで言い出したぞ。なんて酷い母なんだ。俺が本当の小学校一年生だったら拗ねてひねくれた子に育つぞ。俺は精神的には大人だし母の気持ちもわからないではないからいいけど……。
そう言えば咲耶の母はゲームの時と随分違う気がする。ゲームの母はそれはもう咲耶とそっくりな高飛車な大きな咲耶みたいな感じだった。二人揃った時のうるささと面倒臭さはピカイチで高飛車傲慢親娘という感じだったんだけどな……。この母からはそういう感じはしない。庶民の口うるさい母みたいにも見える。
これから母の性格も変わるのか……。俺が咲耶として転生した影響で性格が変わってしまったのか……。
そういえば俺が前世の記憶を取り戻した直後くらいはゲームの母に近い感じだった。最近は何かこんな残念で口うるさい庶民のおかーちゃんみたいな感じになってるけど……。やっぱり俺のせいかもしれないな。
とりあえず勝手に買い物してきたことは正当な理由が説明出来たので家族用に買ってきたチョコレートを食べてから部屋へと戻ったのだった。