第百六十八話「予感」
少し前まで暑いくらいだと思っていたら突然寒くなってくる。前世の子供の頃はもっと春夏秋冬、四季があったような気がする。最近では十月、十一月まで暑い日が続いたかと思うと突然冬がやってきて寒くなる。春と秋らしい季節がほとんど感じられなくなって夏と冬の二つだけで回っているような気分だ。
十月までは暑い暑いと言っていたのに、十一月に入ってから急激に寒くなってきた。もちろん藤花学園は冷暖房完備で空調が効いている。とくにサロンは完全に快適になるように管理されているから、この中にいる限りでは暑い、寒いとは無縁だけど……。
まぁ俺としては寒くなってくれる方が助かる。別に暑いのが苦手とか寒いのは耐えられるという話じゃない。問題はタイツだ。流石に真夏のクソ暑い時に分厚いタイツなんて穿いていられない。だから丈が短くてそれなりのもので誤魔化していた。でもやっぱりそんなものを穿いていたら暑い。
それに比べて冬は寒いからタイツなどを穿くのは苦痛にならない。むしろよく女の子は寒い中でスカートで足を出していられるなと感心するくらいだ。夏は涼しそうと思ってもそんなに涼しいわけでもないし、冬は寒いし、可愛いスカートを穿いている女の子を見るのは好きだけど自分が穿くものじゃないな……。
「九条さん」
「はい?どうかされましたか鷹司様?」
サロンで寛いでいると槐がやってきた。前の一件があってから伊吹や槐とは前までよりは多少付き合いが減ったけど、それでもまったく話もしなくなったということはない。当然今までも二人とは普通に会話もしている。
「うん。はいこれ」
「…………え?」
そう言って槐に渡されたのは……、招待状だ。別に表に招待状と書かれているわけじゃないけど、見た目とかで大体招待状だってわかるだろう?結婚式や同窓会の招待状とか見ればわかるだろう。そもそも鷹司家から何度も招待状を貰っているから大体わかる。この季節にこんなものを渡してくるということは……。
「是非参加してね」
「――ッ!?」
ニヤリと笑いながら……、槐はそう言った。
嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。槐の奴何か余計なことを企んでるんじゃないのか?この招待状やパーティー自体はいつものことだ。十二月頃にある鷹司家のパーティーへの招待だろう。このパーティーも大概碌な思い出がないけどパーティー自体は例年のことだ。それよりも今の槐の態度が気になる。
伊吹と槐をお互いの気持ちを悟らせて幸せにしてあげてから、あの二人は俺に深く関わってくることはなくなった。今でも立場上の都合やクラスが同じ伊吹などは用があって話すこと自体はあるけど、それはあくまで事務的なものや表向きのものだった。前までのようにしつこく付き纏われることもなくなった……、はずだ。
だけど何だろう……。この途轍もない嫌な予感は……。招待状を渡す時の槐の笑みが頭にこびりついて離れない。
「出来ればすぐに返事が欲しいんだけどな」
「…………。申し訳ありませんが即答は致しかねます。予定を確認して家族と相談してからお返事させていただきますね」
槐が答えを急かしてくる。これも怪しい。いや、鷹司家のパーティーはいつも色々と変な条件がついていたから、準備とかもあるんだろうし早めに返事が欲しいとか、その場で答えて欲しいと言われたことは何度もあるけど……。俺の直感がここで即答すべきではないと訴えている。だから答えを濁す。
「そっか。それじゃ出来るだけ早めにしてくれると助かるよ」
「――っ!……はい。善処します」
最後にまた槐はニヤリと笑った。こいつ……、何を企んでいる?はっきり言えば近づかないのが一番だ。俺が伊吹や槐の許婚を狙って追っかけまわしているとかいう噂になったら、ゲーム『恋に咲く花』と同じ結末になりかねない。理想としては俺はこの二人に、いや、他の攻略対象達も含めて攻略される男キャラに近づかない方がいい。
どうしても五北会や学園で関わってしまう以上はまったく会話もしないというのは無理だろう。それくらいは俺もわかっている。ただ必要以上に接触したり、ましてや気があると思われるとか、許婚候補だとか、そういうことは避けたい。
「あっ!咲耶お姉様も鷹司様の招待状をもらったんですね!今年も私と一緒に行きましょうよ!あの時の咲耶お姉様とても素敵でした!今年も是非男装してください!」
「桜……」
またこっちはこっちで面倒臭い奴が寄ってきた。いとこ同士でも制度上は結婚出来るのに、俺と桜では血縁的にはほとんど他人も同然だ。古い家系だから親戚付き合いが盛んなだけで、普通の家だったら俺と桜なんてもう他人で、お互い顔も合わせたことがないなんてこともあるくらいの遠さだろう。
それは九条家と二条家の繋がりが遠くなっていることも意味する。そろそろ両家の結びつきを強くするためにまた誰か結婚でもさせようか、なんて話にならないとも限らない。桜が女装癖のある変態だとか、親戚だからという理由で油断しては駄目だ。攻略対象達とは断固距離を置くべき!それは一貫した俺の方針だ。
「まだ参加するとは決まっていません。それに男装はもう無理でしょう」
あの時は母を丸め込んだけどあれから随分と経っている。桜ももうあちこちで女装王子として有名になっているから、今更、桜のために、なんて言っても母ももう納得しないだろう。
「いいじゃないですか!是非一緒に参加しましょうよ!男装だって何を言われたって貫き通せばいいんですよ!私だって色々言われましたけど貫き通したら皆も段々認めてくれるようになったんです!」
う~ん……。まぁ桜の言っていることもわからなくはないけど……。ただ勘違いしないで欲しいのは俺は別に男装が趣味というわけじゃない。桜は女装が趣味なのかもしれないけど俺が男装趣味だと思われるのは心外だ。特にそれで仲間だと思われているのなら困る。
その時、サロンの扉がバーンッ!と大きな音を立てて開かれた。皆が一斉にそちらを向く。
「咲耶ちゃん!会いたかったわ!」
「茅さん……」
最初は音に驚いた皆も一瞬でそれが誰によるものかわかり興味を失ったとばかりにスルーされた。マナーとしては悪いけど誰も茅さんにそんなことは言えない。家格的には正親町三条家よりも上の家もたくさんいるけど、家格の問題じゃなくて本人の問題で茅さんに強く出れる者なんてほとんどいないからね……。
「それじゃ咲耶お姉様、考えておいてくださいね」
桜はそれだけ言うとそそくさと離れていった。桜も茅さんは苦手らしい。ある意味最強は茅さんか……。
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帰りの車の中で招待状を読んだけど内容的には去年と変わりはない。出来るだけ男女でペアになって参加して欲しいということのようだ。これ自体はパーティーでパートナーを連れて行くのは普通だからおかしくはない。中等科でも配られたようで兄も招待状を持っていた。たぶん茅さんももらったんだろう。
「お母様、鷹司様のパーティーですが……、参加しない方が良いのではないでしょうか……」
夕食の席で思い切って両親に言ってみる。槐は絶対に何か企んでいる。参加せずに相手の意図をかわすのが一番だ。
「何故参加しない方が良いと思うのですか?」
「それは……」
母にあっさりそう返されて答えに困った。槐が何か企んでそうだから、なんて言っても母には通用しない。というか誰に言ったって通用しないだろう。何か企みの証拠でもあるならまだしも、俺がそんな気がしたから、というだけでは誰も聞いてくれないのは当たり前だ。
「咲耶、世の中は、気に入らないから相手にしない、好きではないから接触しない、では済まないのですよ」
「はい……」
母の言うことの方が正しい。友達付き合いなら嫌いな相手とは縁を切れば良いかもしれない。グループ内での付き合いがあって切りたくても切れないとかはあるとしても、嫌いな人や、いやな人と二人っきりで無理に遊ぶ必要はないだろう。
でも社会に出ればそうはいかない。会社の同僚や上司が嫌な奴だから会話しない、相手にしない、なんて言ってたら自分の方こそが会社をクビになる。取引相手が無理や無茶ばかり言う嫌な相手だから取引をしないなんて出来るわけがない。自分が個人事業主なら出来なくはないだろうけど、そんなことをしていたら早晩潰れるだろう。
俺達のような上流階級のパーティーというのはただの友達の馴れ合いや遊びとはわけが違う。これは政治であり駆け引きだ。敵ばかりのパーティーに乗り込んで行って卒なくこなさなければならない時もある。嫌な相手にもニコニコ対応しなければならない時もある。
ただ伊吹や槐が嫌だから参加したくない、というのでは学校に行きたくないと言っている子供と同じだ。
仮に槐が何か企んでいるとしても、それがわかっていてもなお相手の罠に飛び込んで乗り越える。そういうことが求められるのが上流階級で生きていくということだ。この国に君臨する五北家の一角、九条家としては母の言っていることの方が全面的に正しい。
今まで母が俺にあれこれ言ってきたことも全てそうだ。俺は上流階級の貴族としてはまるでなっていない。作法が出来れば良いのではない。笑顔で握手を交わしながら腹の中でお互いを探り合って、相手の弱いところを見つけて突いていくくらいでなければ、五北家としては到底やっていけないと母は教えてくれている。
「……とはいえ鷹司様のパーティーは相手のあることです。当家だけで早急に決めるわけにもいかないでしょう。返事は少し保留しておきなさい」
「はっ、はいっ!ありがとうございます!」
まだ不参加が決まったわけじゃない。でも母も今すぐ決めろとは言わなかった。多少は俺にも配慮してくれているということかな?
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寝室に入ってベッドに倒れ込むように寝転がる。天蓋付きの、アニメや漫画やゲームでしか見たことがないような冗談みたいなベッドだ。シーツはいつも新品のように綺麗で干したてのような良い匂いがしている。ある程度フカフカだけど柔らかすぎるということもなく程良い弾力が気持ちいい。
鷹司家のパーティーには出来れば参加したくない。あの時の槐の態度はおかしかった。絶対に何か企んでいると思う。でも母が言うように、ただ相手が気に入らないから、何か企んでそうだから、というだけで全て避けて通るというのも不可能だ。
それがわかっていても相手の土俵に乗り込んで行って、その上で相手の策を破って生き残っていけるだけの強かさがなければならない。
それはわかるんだけど……、前世がただの庶民でしかない俺には無理だよなぁ……。上流階級や貴族ってのはやっぱりその血筋に生まれたから貴族ってわけじゃないということだ。相応の教養や礼儀作法や世渡りの強かさを身に付けているからこそ貴族は貴族なんだろう。その辺が前世の常識に引っ張られる俺にはついていけない。
「はぁ~~~……」
溜息がつい出てしまう。ベッドの上をゴロゴロ転がりながらどうしたものかと出ない答えを探してしまう。
「…………」
……あれ?ふと壁際を見てみれば、そこに椛が立っている。まぁ一見それはおかしくないような気がする。椛はいつも最後に下がるまでずっと俺の部屋にこうして立っている。でもそれは普通扉の近くに控えるように立っているはずだ。それなのに今の椛は妙な位置に立っている。壁際ではあるけど何で扉の近くじゃなくてこんな場所に?
いやいや、そんなどうでもいいことに脱線している場合じゃない。どうにか鷹司家のパーティーを断るか乗り切るかしなければ……。でも相手の狙いや企みがわからない以上は備えようがない。槐が何を企んでいるか事前に分かれば対策も立てられるだろうけど……。
「…………」
……あれ?俺がベッドの上でゴロゴロしているとまた椛の立ち位置が変わっていた。普通ならメイドさんはじっと扉の傍で控えているはずだ。それがさっきの位置も変だったけど、今見てみればまた動いている。
……さっきも、今も、椛が立っているのは俺の足元の方向だ。まさか……。いや、いやいや。偶然だろ。そう、偶然だよ。そう思って俺はちょっと寝転がっている向きを変えてみた。すると椛もスススッと移動する。俺の足元の方へ……。
「椛?」
「はい。何でしょうか咲耶様」
俺が声をかけるとキリッとしたメイドさんの顔になって応えた。俺は今まで椛はよく出来たメイドさんだと思ってた。でも……、その認識は間違いだったんじゃないのか?
「先ほどから何故移動しているのですか?」
もうぶっちゃけストレートに聞いてしまおう。そう思って質問をぶつける。
「咲耶様がリラックスしてお過ごしになられるように、最も視界に入りにくい位置に移動しているのです。どうか私のことはお気になさらずいつも通りお過ごしください」
なるほど……。確かに尤もらしい説明だ。実際今まで俺は時々椛がいることを忘れていたこともある。それは椛が言うように俺の視界に入らないように椛が動いていたからなのかもしれない。
でもさぁ……、明らかに俺の足元の方を狙ってるよね?これは勘違いとか自意識過剰とかじゃないはずだ。
「そうですか……」
そう言って俺はわざとまた動いて足元の方向を変える。椛はぴったりと俺の足元の方に移動していた。確かにそちらを注意して見ていないと、ついつい椛がいることを忘れそうになるほど俺の視界に入らない。
もう埒が明かないな……。だったらちょっと試してみるか……。
「……」
椛のことを気にしていないフリをして、少しゴロゴロしてから、パッと足を開いてみせる。
「ファッ!?」
「…………」
「…………ぁ」
俺のスカートの中をガン見している椛をジーッと見詰める。椛も俺の視線に気付いたのか少し目が合って小さな声を漏らした。
「ンンッ!ゴホンッ!……何かご用でしょうか、咲耶様?」
「椛!鼻血!鼻血が出ていますよ!?」
キリッと取り繕った椛がそう言ったけど、鼻からつつつーっと赤い筋が流れていた。慌てる俺を他所に当の椛は平然としている。何とか鼻血を止めさせてもう今日は下がらせた。
やっぱり椛は俺のスカートの中を見ていたらしい。インナーパンツ穿いてるのにな……。
ただ今日は鼻血を垂らしている椛に慌ててしまって追及する気もなくなった。あまり妙なことはしないで欲しいんだけど、だからって椛を遠ざけようとも思えない。椛のことはもちろん嫌いじゃない。でももうちょっとまともな人だと思ってたんだけどなぁ……。
もしかして……、茅さんに常識を教える係りを任せたのは失敗だったんじゃないだろうか……。