第百六十七話「裏」
秋も深まり、そろそろ十一月が近づいてきた頃、六人の少女達は空き教室に集まっていた。今日は咲耶がたまたま早く帰ったので、残りの咲耶グループ六人で集まって話し合いの場がもたれていた。
「うぅ~~~っ!辛いよぉ……。咲耶様とお出掛けしたいーーーっ!」
「咲耶ちゃんが私達を頼れるくらい、何か一つ咲耶ちゃんを超えるまでは自粛する約束でしょう?」
薊の言葉に皐月がヤレヤレと肩を竦めて首を振る。
「皐月は何とも思わないの?こんなに長い間咲耶様と触れ合えないっていうのに!」
「別に普通にお話はしているでしょう?プライベートで遊んだりお出掛けしたりしないというだけで、それ以外は学園では普通に接して良いと言っているでしょう?」
多仁の件の時に咲耶は自分達を頼ってくれなかった。それは自分達を心配して巻き込まないようにという配慮であることはわかっている。しかしそれは自分達は自分の身も守れないような足手まといだと思われているということだ。咲耶にそういう意識がなかったとしても巻き込まないようにしようとするということは、無意識にそう考えているということに他ならない。
だから自分達も咲耶の力になれるように、咲耶の全てを追い抜くことは出来ない以上は、それぞれが何か一つは咲耶を超えようと頑張っている。その間は咲耶と必要以上に接触しないというのがこの六人内での約束だった。
学園でも普通に話しているように振る舞ってはいるが、それでも少しだけ距離を置いている。無視するとか会いに行かないということはない。ただいつもなら『咲耶様!』『咲耶様!』と言って飛びつき、抱きつき、スリスリし、その匂いを胸一杯に吸い込むところを我慢しているのだ。まぁそんなことをしているのは薊くらいだが……。
「でもさー……、私未だにわからないんだよねー。何で咲耶ちゃんを追い抜けばいいのかなー?」
もうこの密約がされてからそれなりの日数が経過している。しかし譲葉は未だに何を頑張って咲耶を追い抜けば良いのかわからなかった。もちろんこの間もただ無駄に過ごしていたわけではない。色々と、どれを頑張れば良いかわからないからそれはもう色々と頑張ってみた。でも結局そんな中途半端では成果が出ている気がしない。
「皆さんは何を頑張っておられるのでしょう?」
「えっと……、私は茶道を……。茶道なら咲耶ちゃんを超えるとは言わないまでも、並んでお茶会が出来るくらいにはなれるかなって……」
皐月の問いに一番最初に答えたのは椿だった。椿は前から茶道が得意そうだった。皆でお茶会をした時も一人慣れた様子だったし悪くない選択のような気がする。ただ茶道は勝ち負けや優劣というのはなかなかつけ難いように思われる。何をもって咲耶を超えたということにするのか。それが難しい。
もちろん皆こうは言っているが実際に咲耶を上回る必要はない。特に足の速さだとか、体力だとか、護身術で咲耶に勝てる気はしない。そういうもので絶対勝とうというわけではなく、咲耶が認めてくれるほどの腕前になれば良いという意味だ。それをわかりやすく『咲耶を超える』と言っているに過ぎない。
「決まってるのは椿ちゃんだけですか?」
「何よ皐月。偉そうに……。皐月はどうなのよ?」
自分達が決まっていないことをなじられたような印象を受けた薊が皐月に問い返す。それで決まってなければ言い返してやろうかと思っていたが、皐月は顎に人差し指を置いて首を傾けて視線を逸らしてから言葉を返した。
「う~ん……。私はやっぱり……、『悪知恵』……ですかね?」
「「「悪知恵?」」」
皐月の答えに皆が首を傾げる。言っていることの意味がわからない。
「私の得意なことと言えば情報収集と、得た情報から色々考えることだと思いまして……。知恵で咲耶ちゃんをお助けしようかと思います」
「へー!すごいねー!」
譲葉だけ素直に褒めているが残りのメンバーはやや微妙な反応だった。言わんとしていることはわかるが、普通自分から悪知恵だと言うか、というのが正直な感想だ。皐月が目指しているのは咲耶の参謀とでも言えば良いのだろう。そういう意味ではわかるが皐月の言い方や言葉が妙で何だか微妙な気分になってしまう。
「薊はどうするのですか?」
「うっ!わっ、私は……、体で頑張るしかないわね……」
まさか皐月がもう決めているとは思いもよらず、うろたえながらも自分の得意なことと言えば体を動かすことしかないと咄嗟に答えた。しかし……。
「うわぁ……」
「それは茨の道だね……」
「あははー!それで咲耶ちゃんに勝つって大変だねー!」
「咲耶ちゃんの身体能力を知っていて、それでもそう言えるのは大したものですね」
「うぐっ……」
皆の反応に薊は自分でもまずいことを言ったと思ったが、今更やっぱりなしとも言い難い。というより本当に薊には他に何もないのだ。お嬢様らしく振る舞う礼儀作法も、華道や茶道も、ダンスも、そして頭脳でも勝てる気がしない。薊が得意なのは体を動かすことだ。だったらそれで勝負するしかない。
ただ……、皆の反応を見て早まったかとも思う。確かに咲耶は同級生の女の子とは思えない身体能力だ。大人にだって勝ってしまいそうな咲耶に、多少運動が得意で護身術を習ってる程度の薊が勝とうなど土台無理な話だろう。
「それで!それじゃ茜や蓮華や譲葉はどうするのよ?」
「皐月ちゃんが知恵なら……、私は知識かな……。元々うちは歌道の家系だし……、そういう意味では色々な知識は必須だから」
「なるほどー!」
蓮華の答えに譲葉も何か気付いたという顔で頷く。知恵と知識は似ているようで違う。知識がなくとも知恵が出せる者はいる。もちろん様々な知識がある方が知恵も出やすいかもしれないが、知恵とは発想だ。知識は言葉通り記憶した情報だろう。
「じゃあうちは紀伝道だから歴史かな……」
「ちょっとちょっと!茜!そんなのずるいんじゃない?何か皆選び方がずるいわよ!」
家業が何だから何を目指す、というのは安易すぎるしずるい。しかもほとんど皆何かしらの知識系ばかりだ。そんなのが通るのならば薊ももっと他にあった。皆ずるいと薊が思うのも当然だろう。
「んー?それじゃうちは神楽だから……、踊りかなー?舞踊とかー?」
「譲葉……、あんた咲耶様の舞踊見たことあるでしょ?あれに勝てると思ってるの?」
咲耶の場合は舞踊ではなく百地流古舞踏だが、それでも基本は変わらない。あの舞踊を見てそれでも勝てると思えるのならその根拠を聞いてみたいくらいだ。
「咲耶ちゃんよりすごくなるのは無理だと思うよー?」
「あんたね……、それじゃ何のために……」
「ただ咲耶ちゃんみたいになろー!出来るようにがんばろー!ってのは出来るよー!そしたら咲耶ちゃんもすごいねーって言ってくれるんじゃないかなー?」
「「「「「…………」」」」」
譲葉の言葉で全員が押し黙る。一番何も考えていなさそうで、一番わかっていたのは譲葉だったのだ。何も自分達が咲耶に勝てるとは思っていない。ただそこに向けて何か一つでも咲耶の努力に追いつこうと頑張ろうと、そう思って始めたことではなかったか。
結果的に咲耶に勝つとか追い越すとか、そんなことは二の次だ。自分が咲耶に誇れるくらいに何か一つくらいは頑張ろう。ただそれだけのことだったではないか。
そもそも知識系が二人出たがそれだって咲耶に勝てるわけがない。この六人は知っている。咲耶がいつもテストで満点なことを……。恐らく咲耶にとっては自分達がしている勉強など退屈なものなのだろう。自分達も満点を取ってテスト上では追いつくことは出来るかもしれない。しかし咲耶はもっと進んでいるはずだ。そこに追いつくことは出来はしない。
「まぁいいわ……。それじゃ私が運動か何か……、体を動かすことで。皐月は悪知恵。茜は歴史で椿は茶道。譲葉は踊りで蓮華は知識ね」
「別に今決めたことをずっと守らなければならないということもありませんし、一先ずそれで良いのではないでしょうか。後で変えるというのならば変えれば良いことですよ」
「それもそうだねー!」
一生それを追及することを誓うわけではないのだ。あまりに飽きっぽすぎてすぐにコロコロ変えるのは良くないが、途中で変えようとすることは何も悪いことではない。
様々な理由によってその道を断念したり、他のことに興味を持ったり、途中で違う道に行くことも多々ある。それを全て禁止しているわけではない。ただ自分が誇れる何かを身に付けようというだけのことだ。
「それじゃ皆……、咲耶様に追いつけるようにそれぞれ頑張りましょう!」
「はい!」
「そうですね」
「薊ちゃんが一番大変だと思うけどねー!」
「譲葉……、言うんじゃないわよ……」
折角皆で最後に声を合わせて気合を入れようとしたのに、譲葉の言葉で薊はずっこける。運動や身体能力で咲耶に追いつくのは難しすぎる。勉強なども同じと言えば同じだが、茜の歴史というのは良いだろう。何かに特化していれば、それに関しては他人を圧倒するほどの知識を身に付けることも難しくない。だが薊の目標はあまりに高すぎた。
「「「あははっ!」」」
しかし誰も悲観的になどならずに笑い合う。絶対追い越さなければならないというものではない。ただ自分達がそれに向かって努力すれば良いだけのことだ。だから少女達は皆笑顔でそれに向かって努力しようと誓い合ったのだった。
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暗く、狭く、静かな空間。その静寂を破るようにインカムから音声が流れる。
「聞こえるかしら?エージェント『アプリコット』」
「はい。聞こえるっす」
コードネーム『アプリコット』と呼ばれるエージェントはマイクを通して応える。
「アプリコットはいつもの西のビルのターゲットを狙いなさい」
「北は良いんすか?」
最初の打ち合わせでは北のマンションの方を狙うはずだった。しかしここにきて作戦変更になったようだ。
「北はうちの者が対応するわ。アプリコットはいつも通りに西のビルを狙いなさい」
「了解っす」
この場所からはいつも西のビルのターゲットを狙っている。今回は新たに発見された北のマンションのスポットを狙う手筈になっていたが作戦変更になったようだ。
西のビルならいつも通りなので緊張することもない。慎重にカメラを構えて撮影と録画を開始する。そこに映っている男もまた別の方向に向けてカメラを構えていた。
「南の一団を確保」
「東の封鎖完了。確保に向かう」
インカムからあちこちの情報が入ってくる。今情報を流してきているのは仲間のエージェント達だ。特別なコードネーム『アプリコット』を与えられているのは自分だけだった。他の者はもっと単純なコードネームだ。
「西のビル、証拠は確保したっす!突入願います!」
「了解!突入する!」
「北のマンション確保成功!」
自分が担当している西が行動を開始すると同時に、今日新しく増えた北のマンションの対応もうまくいったようだ。
「全員よくやってくれたわ。これで今日のネズミ狩りは終わりよ。速やかに撤収しなさい」
「「「「「了解!」」」」」
命令を受けてアプリコットもすぐさま動き出す。
「それにしても……、咲耶ちゃんを盗撮しようだなんて不埒者は許せないわね。咲耶ちゃんが止めていなければ始末してやるのに……」
「まぁまぁ……」
撤収しながら軽口を叩く。エージェントアプリコットは、藤花学園や咲耶を盗撮しようとあちこちから狙っている者達を捕まえる作業に従事している。直接踏み込むのは屈強な大人の男達だが、アプリコットの役目は盗撮犯を撮影して証拠を押さえることだ。
敵に気付かれることなく、逆に敵の盗撮を行なう。その優れた隠密性や、相手に気付かれず一方的に撮影出来るポイントを割り出すことは、アプリコットのような特殊な才能を持つ者にしか出来ない。他の大人のエージェント達ではこううまくいかなかった。
「これだけ捕まえても……、盗撮犯は減らないっすね……」
「私達が捕まえているからこれだけに抑えられているのよ。だからしっかり頑張りなさい」
「そうっすね……。はいっ!頑張るっす!」
これまで何度も作戦をこなし、盗撮スポットに現れる盗撮犯達を逆に撮影し証拠を押さえて再起不能に追い込んできた。それでもいつまで経っても盗撮はなくならない。
なくならないが……、自分達が盗撮犯を狩ることをやめてしまったらもっと増えてしまう。だから今日もエージェントアプリコットは陰ながら盗撮犯達を追い詰めていたのだった。