第百六十一話「杏と」
多仁の件は俺が思っていた以上の事態になってしまった。俺としては多仁の暴言や自分勝手な主張を録音したり、撮影して、理事会などの然るべき所で処分してもらおうと思っていただけだ。
もちろんただ内々に処理されたら、表立って問題にならないように済まされる可能性がある。学校のような閉鎖的な場所では問題が起こっても表沙汰にならないように、内部だけでこっそり済まされるなんてのはザラにある話だ。
そこで俺は杏にも協力してもらって、外に待機しているマスコミ達にも音声や映像を流して、多仁が絶対に言い逃れ出来ない状況を作ってやろうと思っていた。だから確かに俺の狙い通り、計画通りにはなったんだけど……。
まさか多仁に直接殴られるなんて思ってもみなかった事態なわけで……、それが外のマスコミによって全国に生放送されたのは予想外どころの話じゃない。当然そんなことになれば大事件になるわけで……、多仁自身が犯した罪を白日の下に晒して、相応に償わせるというのは成功したけど、学園を巻き込んだ大事件になるとは思ってもみなかった。
ちょっと多仁のあの滅茶苦茶な理屈による生徒、つまり俺への差別とか、そういうものが暴露されたら良いと思ってただけなのに……。どうしてこうなった……。
まぁ……、俺自身の怪我は大したことはない。派手な音がするように『うまく殴られた』けど、実際の怪我は表面を少し擦られた程度のもので、あとはちょっとした鼻血や唇を切った程度のものだ。
もちろん九条家の息のかかった病院に行ったわけで、診断書だってかなりオーバーに書かれている。医者だって本当はそんなに大した怪我じゃないとわかっていただろうけど、一部割り増しで診断書を書いてくれているはずだ。
とはいえ別に嘘を書かせたとか、何か圧力を加えたということはない。実際ちょっと打ち身などで青あざが出来ただけでも、医者に診断書を貰えば全治一ヶ月とかはすぐに書かれる。数日で痛みも引いて、一、二週間もすれば色が消えるとしても、ほんの些細な打ち身でも全治一ヶ月とか書かれるのが普通だ。
だから俺の怪我が全治一ヶ月というのは何もおかしくはない。普通に無関係の病院に行っても、数週間から一ヶ月くらいとは書かれるだろう。俺がオーバーに痛がったフリをしたとか、そういう風に書けと言ったわけでもないしね。
警察も来て色々調べられることになったけど、調べるも何も、杏が録画してくれた映像があるからほとんどは裏付けを取るだけだったようだ。俺も椛に用意してもらったボイスレコーダーで録音していたけど、映像つきで録画されているんだから、不明瞭なボイスレコーダーよりそちらの方が証拠として確かだろう。
いつ、どんな時に、どんな証拠が取れるかわからないから、俺は椛にボイスレコーダーや隠しカメラを用意してもらった。ボイスレコーダーは視聴覚室で一応録音に使ったけど、結局隠しカメラについては未使用だ。
最近の隠しカメラは凄い。ただのペンに見せかけたカメラとかもある。こんなもので撮影されたら中々気付かないだろう。俺が椛に用意してもらった物も普通にしてたらまず気付かないようなものだ。多仁の件は片付いたけど、まだボイスレコーダーや隠しカメラは持ったままにしている。
いや、違うよ?別に女の子を盗撮しようとか考えていないよ?俺の状況がまだ落ち着いていないから、それに相変わらず連日マスコミにも追い掛け回されているから、万が一の時のために持ってるだけだよ?ほんとだよ?
そんなわけで思った以上に大事になってしまった。本当は怪我も大したことはないんだけど、最初に病院に行ったっきり、というのもおかしいので何日かおきに病院にも通っている。そして一番大きな変化は……。
「背中を丸めるな。手の運びが違う」
「はいっ!」
今日も百地流の修行を受けているんだけど……、最近の師匠は優しい。というとちょっと違うか。最近は表の修行の割合が多くなった。裏の修行で殺されかけることも多々あるけど、それでも一時期に比べたら表の修行の割合が圧倒的に増えている。今もマナーや作法やと表の修行だ。
ここの所俺は裏で習う項目が増えていた。だから裏の修行の割合がそれだけ増えていたはずなのに、多仁の件があってからくらいだろうか?師匠が表の修行の割合をとても増やしている。
俺が怪我をしているから……、なんて甘い理由じゃないだろう。師匠がそんなことで修行を甘くするとは思えない。それに今だって裏の修行もきちんとしている。それも時間の割合が減っているためか、前までよりも内容は濃く、厳しくなっているような気さえする。
「師匠……、どうして最近は表の修行の割合が増えているのでしょうか?」
つい……、どうしても気になって聞いてしまった。これではまるで俺が裏の修行を望んでいるように聞こえるかもしれない。でももちろん俺はそんなこと望んでいないぞ。今回のこともあるし、ある程度自衛の修行は必要だと思うけど、師匠の技を全て受け継いでクレイジーニンジャになるつもりなんてないからな。
「咲耶、お前はこのまま何事もなく過ごせると思っているのか?あれだけ大々的に話題になったのだ。当然これからますます、あちこちから注目されることになるだろう。その時に無様な作法を晒すつもりか?」
「それは……」
師匠の言っていることもわかる。前までも俺の待ち伏せをしているマスコミが大勢いた。それなのに今は多仁の件もあって前まで以上にマスコミが殺到している。さらに学園の前で待ち伏せだけじゃなくて、あちこちまで追って来るくらいの勢いだ。
そうなれば俺もあちこちから常に見られているも同然なわけで、そんな中で百地流でありながら無様な姿を晒すわけにはいかない。師匠の言っていることもわかる。わかるけど……。
「わかったらつべこべ言わずにやれ」
「はっ、はいっ!」
まぁ……、修行プランは師匠が考えて俺にやらせているわけで……、俺は師匠に言われたらその通りにやるしかない。
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学園のクラスでは今、臨時の担任が一組を受け持っている。ただ先生も生徒達も、大半の者は少し俺と距離を置いているというか、恐れているというか……。俺に何かしようとしたらまた嵌められて自分達が追放されるとか思ってるのかな……。別に俺が積極的に多仁を嵌めたわけでも貶めたわけでもないんだけど……。
な~んか……、俺に逆らったらああいう目に遭わされて追放される、みたいに思われてそうで腑に落ちない。
ただそういう者ばかりじゃなくて、今まで通り普通に俺に接してくれる子達ももちろんいる。咲耶様グループとか錦織くらいだけどね……。何か知らないけどいつの間にか錦織も咲耶様のお友達ポジションに落ち着いている気がする。これはきっと気のせいじゃないだろう。
俺としては男友達も欲しいけど、それは俺も本性、つまり男として接することが出来るような男友達が欲しいわけで、錦織は悪い奴じゃないけど、普通に俺のことを九条家のご令嬢として接してくる男友達にはあまり需要はない。
ここ数日はバタバタしていたけど、ようやく少し落ち着いてきたから、放課後サロンに行く前に写真・新聞部に寄ることにした。杏にも色々と手伝ってもらったからそのお礼のためだ。
「杏さん、いらっしゃいませんか?」
部室の前で呼びかけるけど返事はない。防音とか言ってたからもしかして聞こえないのかもしれないけど……、鍵がかかっているし不在かな?
「私に何か用っすか?」
「…………」
そして後ろからひょっこりタイミング良く現れる……。これはあれだな。確実に俺の後をつけていたな。
「杏さん……、また私の後をつけていたのですか?」
「はい!もちろんっす!」
いや、そこは嘘でも否定しようよ……。何で自信満々に答えてるんだよ……。
「とりあえず部室でお話してもよろしいでしょうか?」
「ついに私も食べられちゃうんすね!あぁどうしよう!今日の下着ちゃんと可愛いのを穿いてきたかな?」
だからお前は何の心配をしているんだ……。何で俺と二人っきりになった女の子は襲われるみたいな風潮なんだ?そこのところを詳しく説明してもらおうか?俺が、いつ、女の子を襲ったというのか。
とりあえず杏の妄言は無視して、部室の鍵を開けてもらい中に入る。相変わらず殺風景な部屋だけど、適当に向かい合って座ってから話を切り出した。
「まずは……、多仁教師の件では協力していただきありがとうございました。杏さんのお陰で思いのほかうまくいきました」
「いやぁ、私なんて大したことはしてないっすよ。全て九条様のお膳立てあってのこと。私がしたのは機材の操作だけなんで、あれなら誰がしても問題なかったと思います」
それは違う。例えばあの時に機材の操作を薊ちゃんや皐月ちゃんに頼んでいたとしたら、それがマスコミ達に流れた時におかしいという話になってしまう。俺達はあくまで世間的には普通の小学校三年生だ。たかが三年生の子供が、大人を嵌めて、あれだけの機材を揃えて、マスコミに流すことも視野に校内放送をするなんておかしすぎる。
その点、写真・新聞部の杏なら撮影機材の扱いに慣れていても何らおかしくはない。それにそういった機材を持っていたり、操作出来るのもおかしくない。五年生にもなれば、言い方は悪いけど悪知恵も働くようになるだろう。証拠を押さえようとああいうことをしても何らおかしくはない。
俺の身の回りで一番適任だったのは杏だ。あれは杏にしか出来なかった。そして俺があんなことを頼んでしまったために杏までマスコミに取り沙汰されることになってしまった。
「私があのようなことを頼んでしまったために杏さんにもとんだご迷惑をおかけしてしまいました」
「迷惑だなんてとんでもない!ジャーナリストとして有名になれたんですからむしろ願ったり叶ったりですよ!」
そう言ってくれるのはありがたいけど、実際には色々と迷惑もかかっているだろう。確かにある程度有名になりたいという思いもあったかもしれないけど、杏もあちこちでマスコミに追いかけられて苦労しているというのは聞いている。俺にはそれについて恨み言を言わないけど、色々と困っていることは明白だ。
「ありがとう杏さん……。ごめんなさい」
「そんなに九条様がお気になさるようなことじゃないっすよ!でもどうしても気になると言われるのでしたら、今度私とお出掛けしてください。それでチャラにしてあげるっす」
パチンとウィンクして、杏はそう言った。到底釣り合わない条件だ。マスコミに追い掛け回されて迷惑しているのと、ちょっと俺と出掛けるだけ、そんなものが釣り合うはずがない。でも杏はこれ以上俺がそのことを気にしないように、そんな釣り合わない条件でチャラにすると言ってくれている。
何だ。こうしてると杏もとても良い子じゃないか。人の迷惑も顧みず、思い込みで突っ走るジャーナリストの鑑かと思ったけど、こうして普通にしていれば年相応の、そして普通よりも気遣いが出来て優しい女の子だ。それに愛嬌もあって可愛い。
「それでは……、今度一緒にお出掛けしましょう。ご予定はいつ空いておられますか?」
「えっ!?ほっ、本当に私なんかとお出掛けしてくれるんですか!?」
本当に、とか、私なんかと、というのはどういう意味なのか……。むしろ杏みたいな可愛い女の子とお出掛け出来るのなら、こちらからお願いしたいくらいだ。
「借りを作ったままにはしておけませんからね?」
「はわぁ!九条様とお出掛け出来るなんて……。借りどころかこっちの方が大きな借りになってしまいますよ……。あぁ~、どうしましょう!?そうだ!着て行く服も用意しなくちゃ……。車も!?あぁ!どっ、どうしましょう!?」
何か一人で杏がわたわたし始めた。真面目に準備を考えるとあれもこれもと用意が大変だと思い始めたのかもしれない。
「送り迎えは私の方でしましょう。杏さんはご自宅で待っていてくだされば良いですよ。着て行く服も特別なものは必要ありません。普段着で良いですよ」
「そっ、そんなわけにはいかないっすよ!九条様の隣を歩くのに私なんかの普段着で行けるわけないっす!」
その後あれこれとパニクッている杏を宥めて、今度のお出掛けの約束を取り付けた。そして……。
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「…………え?お母様、今……、何と?」
今日は杏とお出掛けの約束をして、母にその日のことを伝えようと思っていた。だけど先に母から驚きの言葉を聞かされて凍りつく。
「ですから、貴女と今大路杏という女子生徒の二人でテレビ番組に出演しなさいと言ったのです」
俺が……、テレビ番組に出演?一体何でそんなことに……。