第百五十八話「それは人殺しです」
「こちらが咲耶様に頼まれていたものです」
「ありがとう椛」
昨日頼んでおいたものを、椛はもう用意してくれたようだ。昨日師匠が来て俺の修行内容の追加などが決まった後で、俺は椛にある物をいくつか用意してもらうように頼んだ。これらがあれば……。
「あの……、咲耶様……、一体そのような物をどうされるのでしょうか?何か善からぬことを企んでおられるのでは……」
「あ~……」
まぁ用意してもらった物が物だからな。椛がそういうことを考えるのもわからなくはない。実際椛とか茅さんとか杏も善からぬことに使ってた……、使ってる?だろうしね。
「ちょっとした証拠集めに使うだけですよ。椛が考えているような使い方はしませんので心配はいりません」
「そう……、ですか……」
まだ何か椛は……、何というか……、何とも言えない顔をしているけど、実際椛が考えているような善からぬ使い方をするつもりはない。そもそも本当にこれらを使うかもわからない状況だ。とりあえず備えておけば、運が良ければ証拠の一つとして使えるかもしれない、という程度に過ぎない。
「まぁ……、まずはいざという時にすぐに使えるように使い方を覚えなければなりませんね」
「はぁ……」
もしこれらを使う時が来たならば、突然咄嗟にうまく使わなければならないだろう。どんな状況でも的確に、素早く、ミスなく使えるように、隠した状態でもすぐに使えるように慣れておかなければ……。
そう思った俺は早速取扱説明書を熟読し、実際に触って操作を完璧に覚えたのだった。
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今日はある人物に協力を頼もうと思って、その人物の部室にやってきた。だけど外から声をかけても反応がない。
「おられませんか?」
「私に何か用っすか?」
写真・新聞部に向かって声をかけていたのに、廊下の方から本人がやってきた。もしかしてだけど……。
「杏さん?もしかしてまた私をつけていたのですか?」
どう考えても今偶然丁度ここに来たわけじゃないだろう。恐らくだけど、杏はずっと俺の後をつけ回して、俺が写真・新聞部に声をかけていたから出て来たんだろう。でなければこんなばっちりのタイミングで来るはずがない。
「つけていたんじゃないですよ!ただシャッターチャンスを追ってただけっす!」
いや……、それを世間ではつけ回すって言うんじゃないですかね?まぁいいけどね。盗撮したり、パンチラや着替えを撮らないのなら、普段の普通の何気ない写真まで一切撮るなとは言えない。いや、普通は俺はただの素人なんだから撮っちゃ駄目だけどね。
アイドルなど芸能人とか、政治家とかのような公人とか、そういう人ならマスコミが追いかけて勝手に写真や映像を撮るというのもあるんだろうけど、俺はあくまでただの一般人で公人でもない。そんな俺を勝手につけ回して無断で写真を撮ることは本来許されないだろう。
ただそこまで厳しくして、それじゃ表から堂々と撮れないのなら裏でこっそり撮ってやる!って余計に隠れて盗撮されたら堪ったものじゃない。だからある程度写真を撮ることを許可する代わりに、そういった非合法の盗撮などはしないように抑止しているというわけだ。
「はぁ……、まぁいいでしょう。今日はそのことについて言いに来たわけではありませんので……、少し部室でお話出来ますか?」
「えぇっ!つっ、ついに私も食べられちゃうっすか!?九条様は私のような者までいけちゃう人なんすか!?」
いや……、お前は何を言っているんだ?俺はただ話をしようと言っただけだ……。何を勘違いしているんだ?
「私は話をしようと言っただけですが……」
「防音の効いた私の部室で!私と九条様の二人っきりで!となれば九条様がされることはお一つ!女の子を手篭めにすることだけでしょう!」
だからさぁ……、お前は俺を何だと思ってるんだ?そもそも俺は女の子を手篭めにしたことはないぞ……。
「私はただ杏さんに『腕利きのジャーナリストとして』重要な依頼を頼みたかっただけなのですが……。そうですか。杏さんは出来ませんか……」
「腕利き!します!引き受けます!何でもお任せ!この『腕利きジャーナリスト』の今大路杏にお任せっす!」
チョロイ……。そうやって簡単にのせられるから、馬鹿な失敗とか、思い込みでやらかしとかするんじゃないのか?もうちょっと冷静になれよ……。
「でも……、私のことは食べてくれないっすか?やっぱり私みたいに色気のない女じゃ駄目っすよね……」
「…………はぁ」
二人で部室に入ろうとしていると杏がそんなことを言った。本当に馬鹿だな。
「杏さん……、貴女は少しおバカで、おっちょこちょいで、調子乗りで、考えなしで犯罪行為まで平気でするようなロクデナシです」
「うぅっ……」
俺の言葉に杏はますます俯いてしまった。だから俺はその杏の下から覗きこみ、両頬に手を添えて前を向かせる。
「でも……、杏さんはいつも一生懸命で、真っ直ぐで、何にでも諦めることなく立ち向かっていきます。そういう一生懸命な女の子はとても素敵ですよ。それに……、杏さんが可愛くないとか色気のない女なんてことはありません。いつも元気に、可愛く笑っている杏さんはとても魅力的だと思います」
「はぅっ!そっ、そんな……」
みるみる顔を赤くした杏は自分の両頬を両手で押さえてフルフルと首を振った、俺の手ごと……。
「やっぱり私もここで食べられちゃうんすね?どっ、どうしよう……。私初めてで……、あの……、やっ、優しくしてください!」
ゴチンッ!
「あいだぁっ!」
「~~~~~~っ!」
俺が杏の両頬に手を添えているのに、その上から杏が俺の手ごと頬を押さえ、上から思い切り頭を下げる。するとどうなるか?考えるまでもない。すぐ目の前に立っている俺に杏の頭が降ってくることになる。そうなれば当然……、二人の頭がぶつかる。
杏に思いっきり頭突きをされた俺は泣きそうになった。とても痛い。そして杏は俺の手を離して床を転げまわっていたのだった。
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椛に頼んでいたアイテムも準備は万端だし、もしかしたら使えるかもしれないと思って杏にもお願いをしておいた。これでこちらはいつでも迎え撃てる態勢が出来たと言えるだろう。
もちろん向こうが何もしてこなければそれ以上は何もない。実際一学期はとくにこれといって何も起こらなかったんだ。二学期になって、運動会の競技決めであんなことになっただけで、それ以外では本当に今まで何もなかった。
だから向こうが何もしてこないのなら、こちらからわざわざ何かしようとは思っていない。だけど……、もしまた前のようなことがあったならば……、相応の報いは受けてもらう。それを決めるのは俺じゃない。俺が断罪すればそれはただの復讐だ。だから、客観的な証拠をもって外部の、それを判断すべき人達に判断してもらえば良い。
とはいえこれに関しては完全に受身で待ちでしかない。罠に嵌めてやろうと思うのならこちらから色々と仕掛ければいいけど、前にも言った通り俺はあくまで向こうが何かしたら、その証拠を押さえて、然るべき処置を然るべき立場の者にしてもらおうと思っているだけだ。こちらから何かして相手を嵌めるようなことはしない。
「咲耶ちゃん、悪い顔になっていますよ?」
「……え?何のことでしょうか?」
サロンでいつもの四人で寛いでいると皐月ちゃんにコソッとそんなことを言われてしまった。悪い顔だなんて人聞きの悪い……。俺は別に何も悪いことなんて企んでいないよ?
「最近の咲耶様は何だか活き活きしておられますよね?何か楽しいことでもされているのですか?」
「薊ちゃんまで……」
それじゃまるで俺が何か人を貶めるのが楽しくてしかたないと喜んでいるみたいじゃないか。全然そんなことないよ?むしろこんな備えをしなければならないなんて心苦しいよ?まぁ貶めているわけじゃなくて、ただ本当のことを暴露してやろうと思ってるだけだけど……。
「はい、咲耶ちゃん。あ~ん」
「いや、あの……、茅さん……」
そしてこの茅さんのマイペースぶりよ……。俺達がどんな話をしていてもお構いなしだ。それでいて話を聞いていないのかと言えばそんなことはなく、ちゃんと話の内容は聞いているし覚えている。ただどんなシリアスな場面だろうが、難しい話をしていようが、空気を読まずに自分のしたいようにするだけだ。
茅さんのこういう所は魅力でもあり欠点でもある。せめてもうちょっとこれらのバランスが取れたら……。
あっ……。じゃあもしかして……、椛がうまく茅さんに常識を教えたら……、もうちょっと茅さんが空気を読んだり、押したり引いたりを覚えたら……、とてもよく出来た素晴らしい女性になるのでは?
必要なことはきちんと行い、言うべきことは言い、すべきことはする。それでいてきちんと相手を立てたり、少し引くことを覚えたら……、理想のお嫁さんになりそうな気はする。内助の功とかが出来る良く出来たお嫁さんとか、そんなイメージだ。
もちろん薊ちゃんや皐月ちゃんにもそれぞれ良い点がある。それにまだまだ成長途中で、これからどうなっていくか楽しみでもあるけど、やっぱり年齢差もあって女性としての魅力は茅さんにはまだ及ばない。
もしこのまま椛に鍛えられて茅さんが女性として成長してしまったら……、果たして俺はそんな茅さんの誘いから逃れられるだろうか……。今でも強引に迫られたら中々逃げられないのに……。
まぁ……、先のことを心配しても仕方がないか……。とりあえず今は今を目一杯楽しめばいい。
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最近は道場の方にもマスコミが張り込んでいる。それを掻い潜るためにうまく隠れて道場に通っていた。今日も門から堂々と入るなんてことも出来ず、こっそりと道場へ入った。何で俺がこんなにコソコソしなきゃならないんだろう……。ちょっと腹が立つけど、マスコミにはこれから役に立ってもらう予定だからまだ我慢だ。
「それでは今日からこれをやっていく。良いな?」
「はい」
道着に着替えた俺は何故か師匠と一緒に裏の池にやってきた。今まで何度も入ってきた池だ。この池を望遠で撮られないのか心配したけど、師匠が言うにはこの池は辺り一帯から完全に死角になっているらしい。というより師匠の家や道場は全て本来死角になっていた……、はずだった。
前に撮られた写真はとんでもなく遠くのビルの一室から、最近の高性能な望遠レンズを使ってようやく撮れるレベルだったようだ。さすがの師匠でもそこまでは考えておらず、しかもカメラの性能の上昇や本当に奇跡的なピンポイントというのを見逃していたという。
師匠の家や道場が望遠で撮影されないために、辺りの高層建築物などは建て方や向きや窓が全て徹底的に計算され指導されているとか……。師匠にそんな権限があるのか?と思わなくもないけど、そういわれればこちらから見てみても、周囲の建物からこちらが見える位置がない。こんなことは誰かがわざとこのようにしていなければあり得ないような奇跡的な確率だろう。
まぁそんな師匠の冗談か本気かわからない話は置いておいて……。
「あの……、師匠……?これは?」
「黙っておれ」
俺は何故か池の前で正座させられた。そして師匠が俺を正座の姿勢のまま縛っていく。両手を後ろで縛られて、足も正座の形のまま固定される。そして……。
「ほれ」
ドポンッ……
「んんんんっ!」
俺は師匠に池に放り込まれた……。
古泳法で泳ごうにも足まで折り曲げた状態で縛られている。体が伸びているのなら腰や足を使って立ち泳ぎのように水面に出られるけど、手は後ろ手に縛られ、足は正座状態で固定されている。しかも全身がっちりでビクともしない。
何だこれ?どうしろと?っていうか死ぬ!このままでは死んでしまう!?師匠は俺を殺す気か?池に沈めて?
「自力で解いて脱出せねば沈んで死ぬことになるぞ」
「んんんんっ!」
上から師匠の声が聞こえる。どうやっているのかわからないけど、師匠は水中に向かって少しだけ声を通せるようだ。普通に聞いているよりはくぐもった声に聞こえるけど、確かにちゃんと聞き分けられる程度に聞こえる。
もしかして……、縄抜けの修行ってこれか?
おい!俺は抜け方なんて何一つ習ってないぞ?それなのにいきなり縛って池に放り込むか普通!?このクレイジーニンジャめ!こんなの人殺しと同じだろう!
「んんっ!んんんっ!」
駄目だ……。手も足もビクともしない。しかも呼吸が……、は、まだ大丈夫か。散々師匠に鍛えられているから十分くらいは何とかもつ。正確に計ったことがないからわからないけど、ざっと時計で見ていた感じでは最長十分前後くらいだと思う。とにかく俺はこの十分の間に手足の拘束を解いて浮上しなければならない。
「この池の底には失敗して沈んだ者がたくさんおる。そいつらが咲耶が来るのを待っておるぞ」
「んんっ!」
何てことを言うんだこのジジイは!しゃれにならん!このジジイが言ったら本当に聞こえてしまう。そう思うと池の底から何かが這い上がってくる気がしてとても怖い。
いや……、心を乱すな。これは師匠の罠だ。落ち着いて……、冷静に……、今まで習った縄抜けを冷静に思い出せ。それを応用してここから抜けるしかない。
………………
…………
……
結局その後俺は……、時間内に縄抜け出来ず、溺れかけたところで師匠が俺に結んでいたらしい紐で引っ張り上げられて一命を取り留めた。でも師匠にはあの程度も脱出出来ないとは!と言われて散々怒られたのだった。