第十四話「サロン」
入学式を終えた皐月は早々に教室に入ると静かに席に座っていた。どうせ両親の所へ行っても意味はない。今頃両親は他の家の方との挨拶に奔走していることだろう。自分が行っても邪魔者扱いされるだけなので一人で教室で待っている方がまだしもマシというものだった。しかしそんな皐月に話しかけてくる者がいた。
「あっ!西園寺皐月ちゃん!」
「え……?」
声をかけられてそちらを見てみれば……、まるで作り物のように美しい少女が皐月の前に立っていた。顔や体が綺麗で美しいというだけではない。その纏う神秘的な雰囲気と指先一つ、呼吸一つに至るまで全ての所作まで美しい。
サラサラと流れる長い黒髪は一切癖がなく真っ直ぐ艶々と光を反射している。吸い込まれるような大きく黒い瞳に見詰められるとまるで心の底まで見透かされているような気がしてしまう。背中にはまるで硬い芯でも入っているのかと思うほどに真っ直ぐ伸びており、足音一つ立てずに歩く様は作法の先生のお手本よりも見事だった。
「皐月ちゃんと同じクラスなのね!よかったわ!」
その美少女がにっこり微笑みながらそう言ったのを聞いて皐月はようやく現実に戻ってきた。今までその美少女に見惚れて何も考えられなくなっていたのだ。
「あの……?貴女は?」
皐月はようやくその言葉を絞り出した。これほどの美少女と一度でも会ったことがあれば忘れるはずがない。藤花学園に通っている相手ならばどこかのパーティーで顔を合わせたこともあるのかと考えたがこれだけ特徴的なら忘れているはずがないのだ。
「あっ……」
皐月がそう尋ねると美少女は小さな声を漏らしていた。少し漏らしただけの声まで美しい。まるで鈴を転がすような綺麗な声だ。
「私は九条咲耶と申します。これからよろしくお願いしますね、西園寺皐月さん」
「あぁ……、貴女があの……。お噂はかねがね窺っておりますよ、九条咲耶さん」
自己紹介しながら頭を下げた咲耶に見惚れながらも何とか頭を回転させる。九条咲耶……。聞かされている情報では今の所それほどマークする必要はないと言われている。
名門五北家である九条家のご令嬢でありながら社交界のパーティーにも顔を出さない。許婚もおらずお見合いもしていない上に社交界にも出てこないのだから他の家の者達は九条咲耶についてなどほとんど何も知らないだろう。
皐月に回ってきている情報では少し前までは要注意だったはずなのに、最近の情報ではマークの要無しとなっている。実際にどうなのかは知らないがそれを判断するのは皐月の役目ではない。皐月はただ役目を全うすれば良いだけのことだ。
「西園寺さん、私のお友達になってくださいな」
「え……?」
急にそんなことを言われてポカンとする。まさか自分と友達になって欲しいなどと言ってくる者がいるなど考えたこともなかった。これは利用出来る。九条咲耶という者はマークの要無しかもしれないが九条家という立場は使い道がある。そう判断した皐月は咲耶と友達になることを受け入れた。
「くすっ……。それではこれからわたくしと九条さんはお友達ですね」
「あっ!私のことは咲耶と呼んでくださいな」
「わかりました咲耶さん。それではわたくしのことも皐月とお呼びください」
先ほどからあえて『さん』付けで呼んでいるのに反応しない。普通に考えたら九条様、咲耶様と呼ばなければならない相手だろう。それなのに『さん』付けで呼んでもまるで反応しないなどやはりマークの要無しだと皐月も理解した。それなのに……。
「これからよろしくね、皐月ちゃん」
「…………」
さん付け呼ばわりして怒るどころかちゃん付けで呼んでくる。そしてその顔は自分のこともちゃん付けで呼べと書いてある。咲耶さんと呼んだのに皐月ちゃんと返されたのだ。これは自分のこともちゃん付けで呼べと催促しているに違いない。何より期待に満ちた顔をしている。
「よろしくお願いします、咲耶……ちゃん」
「――ッ!はい!」
お友達なんて上っ面だけの付き合いだ。お互いに適当に利用し合うための関係だ。それなのに……、そのはずなのに……、皐月は何故か顔が熱くなっている自分に気付いて困惑していたのだった。
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藤花学園が始まった。一番に教室へとやってきた皐月はただ静かに席に着いて座っている。そんな誰も話しかけてこない皐月に向かって近づいてくる者がいた。
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「皐月ちゃん、御機嫌よう」
先日お友達になった九条咲耶。この相手は楽でいい。マークしておく必要もないし適当にいつも通りの猫を被っておけば良いだけだ。挨拶を済ませて咲耶が席に向かうと暫くして目立つ人物が教室へと入って来た。
徳大寺薊……。現在最も厳重にマークしておかなければならない要注意人物。
薊がクラスに声をかけるとあちこちから返事が返ってくる。どいつもこいつも徳大寺薊に媚を売るのに必死だ。現在最も『王妃』に近いと言われている女。皐月にとっては一番注意しなければならない相手だ。
「薊ちゃん御機嫌よう」
「ふんっ!」
咲耶まで薊に媚を売って挨拶している。ふんっ、と無視されてしまったが皐月は自分でも理解出来ない感情で胸がムカムカしていた。
あんな女に媚を売りに行く咲耶も咲耶だし、咲耶に話しかけられたというのにそれをわざと無視していく薊も薊だ。何故かはわからないけど何だかイライラする。そんなモヤモヤした気持ちのまま初日の授業を受けたのだった。
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ようやく授業が終わった。しかし皐月にとってはこれからが本番だ。
「咲耶ちゃん、サロンに行くんでしょう?一緒に行きましょう?」
「皐月ちゃん!それじゃご一緒しましょう」
咲耶に声をかけて五北会のサロンへと向かう。咲耶本人はただののほほんとした緊張感の欠片もない人物だが九条家のご令嬢という立場は使える。利用出来るものは何でも利用させてもらおうと二人で連れ立って五北会のサロンへとやってくると扉の前で緊張している人物が見えた。
「薊ちゃん!」
「……なんであんたがこんな所にいるのよ。ここは五北会のサロンよ。関係者以外立ち入り禁止よ」
咲耶が声をかけると薊は憎まれ口を叩いていた。しかしその顔は明らかにほっとしている。五北会のサロンに一人で入ることが不安だったのだろう。その気持ちはよくわかる。何しろ皐月もそうだったからこそ咲耶を誘ったのだ。もし咲耶と一緒でなければ皐月もまだ緊張して教室で座っていたかもしれない。
「咲耶ちゃんも関係者なのだから良いでしょう?」
「ふんっ!あんたも……、調子に乗ってられるのは今のうちだけよ」
薊は皐月の言葉にも噛み付いてくる。お互い家格はそう大きく変わらない。お互い七清家で、かつ家格もほぼ同格の一つ違い。王妃争いでは現在トップを走っていると言われている薊にこのまま独走を許すわけにはいかない。
「まっ……、まぁまぁ二人とも……、こんな所で止まってないで入りましょう?」
そう言って咲耶は躊躇することなくあっさり五北会のサロンの扉を開いた。例え七清家であろうとも恐れ多い下がり藤牡丹が刻まれた重厚な扉が開く。
皐月も薊もお互いににらみ合い言い争うのも忘れて緊張に体を硬くする。その先に見えた光景はまるで別世界のようだった。豪華でありながら落ち着いた作りの室内に優雅で上品な上級生達が思い思いに寛いでいる。咲耶が扉を開いたことでこちらに気付いた上級生達が注目していた。
「あっ、あんたが先に入りなさいよ」
「いえいえ、先に扉の前で待っていたのはあなたでしょう?お先にどうぞ」
薊と皐月はお互いに引き攣った笑みを浮かべながら相手に先に入れとなすりつけ……、いや、譲り合う。
中にいる上級生達も会ったことがある者がほとんどだ。五北会に入れるような家の者などパーティーで顔を合わせたことがある者が大半でありまったく知らない者などまずいない。親しくはなくとも顔を合わせたことがあるくらいは普通だった。
それでも五北会のサロンに入るというのは緊張する。この中にいるのはいわば将来のこの国を支配する支配者達の集まりだ。パーティーの時の大勢のうちの一人ではない。ここは将来のこの国を左右する人たちの交流の場であり、それを意識すればそんな気軽に入ってなどいけない。いけないはずなのに……。
「「…………」」
薊と皐月がお互いに譲り合っているのを尻目に咲耶は堂々と室内へと入っていくとお茶を受け取ってから隅の方の席に座っていた。その堂々とした態度はあまりに様になっている。皐月だけではなく薊ですら咲耶のその姿に言葉を失っていた。
「新入生だね。ようこそいらっしゃい。さぁこっちへおいで。皆にご挨拶してごらん」
「「はっ、はいっ!」」
扉の前で固まっていた二人は上級生にそう声をかけられて体を硬くしながら五北会のサロンへと入った。上級生達が見ている前で挨拶をする。
「徳大寺薊です!よろしくお願いいたします!」
「西園寺皐月です。どうぞよしなによろしくお願いします」
「久しぶりだね薊ちゃん。この前のパーティー以来かな?」
「皐月ちゃん、こっちでお話しましょう」
二人の自己紹介が終わると知り合いの上級生達がそれぞれを呼ぶ。ここでも当然ながら派閥が存在し親しいグループ、そうでもないグループが存在する。
五北会は外の敵に対しては一致団結して全力で対処するが、だからといって内部が完全な一枚岩ということもない。親の会社の付き合いや関係性によっても様々な立場の違いがある。
「ねぇ、あの子は自己紹介しなくて良いの?そんなことが許されるのかしら?」
一人早々にお茶を持って隅の席に座っている咲耶に向かって薊が周囲の上級生達に向かって問いかける。これはつまり周りにあいつは自己紹介もしていないしマナーが悪いのではないかと告げ口しているのだ。しかし周囲はお互いに顔を見合わせただけで薊に答える者はいなかった。
「あぁ、遅くなってすまないね。おや?もう新入生達は来ているんだね」
「あっ!良実様!ごきげんよう!」
少し遅れてやってきた九条良実を見て薊はコロリと表情を変えて挨拶した。薊の狙いはあくまで家格第一位である近衛伊吹だが家格第二位で年上の良実も当然狙っている。伊吹が無理でも良実をゲットするだけでも十分凄いことだ。
「薊ちゃんいらっしゃい。皐月ちゃんもこれからよろしくね」
「はい。よろしくお願いいたします」
薊はもっと良実と話をしてお近づきになりたいと思っていたが良実は薊たちの横を通り過ぎるとスタスタと部屋の隅へと向かった。そこには先ほど自己紹介もせずさっさと席について一人でお茶を飲んでいる咲耶が座っている。きっと礼儀がなってないと注意されるのだろうと思って見ていた薊の期待はあっさり裏切られることになった。
「咲耶、もう来てたんだね。来ないかと思って教室まで見に行ってしまったよ」
「お兄様……、帰りの時間も習い事の時間もお母様に決められてサロンに顔を出すようにとあれほど念を押されたのに顔を出さないわけにもいかないではありませんか……」
二人の会話ははっきりとは聞こえないが何か親しそうにしていることだけはわかった。それに聞き捨てならない言葉が聞こえた。今咲耶は良実を『お兄様』と呼んだ。間違いなくそう呼んだ。それだけはわかる。
「良実様が……、お兄様……?」
混乱の極みにある薊は呆然と二人の様子を見ながらそう呟くので精一杯だった。そこへ皐月がコソッと話しかける。
「『九条』咲耶という時点で普通気がつきませんか?いくら情報収集もしないあなたでもそれくらいは考えるかと思っていましたが……」
「――ッ!?」
皐月にそう言われて……、ようやく考えが至った。この界隈では似たような名前や親戚筋というのはたくさんいる。もとを辿ればほとんどの家はどこかで一度は繋がっているのではないかとすら思えるほどだ。だから似たような名前でも気にしていなかった。
そもそも普通薊や皐月や、そして咲耶くらいの年になっていればどこかのパーティーでお披露目されているはずだ。この年頃で社交界に一切出てこないなどあり得ない。だからパーティーで会ったことがない咲耶など自分と挨拶出来るような者ではないのだろうと勝手に思い込んでいた。しかし……、もし咲耶が九条家のご令嬢だとすれば……。
「ちょっ……、ちょっと待ちなさいよ……。何でこの年で社交界にも顔を出していないのよ……。まさか本当に……?五北家の……?」
「まさか本当に気付いていなかったのですか?」
皐月が憐れな者を見るような目で薊を見ているが、薊の方はそれどころではなかった。